2012年12月27日木曜日

ちょっとマイウェイ

毎朝グラハム・カーの「世界の料理ショー」が放映されている。
知らずにたまたま発見し、おお〜なつかしい!!とは思ったが、
後々まで影響を受けた番組というほどの思い出はない。
似たようなタイプなら「奥さまは魔女」をよく見ていた。

この仕事をするまでフランス料理のフの字も知らなかったが、
そうした「テレビで見た」というレベルでの初めての出会いを
今一度振り返ってみると、
はっきり覚えているのは「料理天国」
そしてドラマ「ちょっとマイウェイ」だ。
料理天国はいつもフランス料理というわけではなかったが、
芳村真理のハイカラムードや、スポンサーのサントリーのワインや洋酒、
調の先生たちのイメージにより、
私の記憶には西洋料理の番組という刷り込みがされている。
龍虎はいつも気張ったスーツを着込んで黙々と食べているだけなのに
何かVIP扱いされており、ズルイと思っていた。

「ちょっとマイウェイ」
フランス料理がどうのということを別にして
とても好きなドラマだったのだが、周囲に聞くと
見ていたという人は意外と少ない。
なぜなんだ? おもしろい裏番組があったのだろうか。
確かあれは土曜の夜9時からだった・・・ハッ!!
「Gメン'75」ではないか!!

(と、ここでしばしネットで調べる)

ちょっとマイウェイは1979〜1980年放映だそうだ。
私はGメン'75もかなりの頻度で見ていたので、
この年だけはちょっとマイウェイを見ていたのだな。
む? 料理天国も土曜の夕方だ。
するってーと、私の子供時代の毎週土曜は、
料理天国→まんが日本昔ばなし→クイズダービー→8時だヨ! 全員集合
→ちょっとマイウェイ(通常はGメン'75) 
と、ひょっとしてテレビ三昧か。
夕飯はいつ食べていたのか?
我が家は食事中テレビを見る習慣がなかったので(ダイニングにテレビがない)
料理天国とまんがの間か。
あるいはもう高学年なので、さすがに昔ばなしやドリフに夢中にはなっていないか。
そのへんははっきりしない。
大人になってから、「うちは親が厳しくてドリフは見せてもらえず、
NHKだけだったよ」なぞというインテリな家庭に育った友人が若干おり、
いかに自分の幼少期が低俗であったか思い知らされるが、
もうやり直せやしないのさ。ハハハン。
何ならついでに言うが、9時のドラマ枠の後は、
週末なんだから無礼講でいいじゃんというノリで
低俗の極み「ウィークエンダー」を見てみたかったのだが、
さすがにこれは禁じられていた。
(なのになぜ、クインシー・ジョーンズのBGM&新聞によりますと〜、
 桂ざこばの語りが頭に浮かぶのか?おかしい)


ちょっとマイウェイは、落ちぶれた西洋料理店を、
一家の末娘の桃井かおりが中心となって立て直す物語で、
訳ありのさすらいシェフみたいな役が緒形拳、
桃井の親友が研ナオコ、桃井の姉が八千草薫と結城美栄子、
親戚で信金勤務の神田正輝などが出てくる。
岸本加世子と左時枝演じるウエイトレスが
今でいうところのメイド服?のような格好をしており、ちょっと憧れた。
ものすごいユルユルとした話し方ながら
自分の意志をしっかり通す桃井と、
いつもやられっぱなしの頼りない神田の掛け合いがおもしろかった。
そして、息を吹き返した厨房から美味しそうな料理が次々登場するのも魅力だった。


ユーチューブで探したら、あったあった!  
そうそう、パルとかいうグループの主題歌「夜明けのマイウェイ」、
これがまたいい歌だった。
当時からペーソスを抱えていた私には
“悲しみをいくつか〜のり越えてみました〜”のフレーズにグッときたものだ。
(2番は“のり越えて来ました”だが、1番は“みました”だった)
そして、今改めて見ていたら、料理指導  石鍋裕と出ている。
へえ〜、クイーン・アリスの石鍋シェフではないか。
知らなかった。

知るわけないね。
ドリフなんぞを見ていた子どもだったのだから。
それから10年程後、毎日どこかのフランス料理店の厨房で
メモ片手に味見しているマイウェイなんぞ。






2012年12月21日金曜日

私ではない匂い






















海外のホテルに行くと、
うっ、なんじゃこりゃあ〜?な感じの
ルームフレグランスやアメニティグッズ類の
芳香に見舞われることがある。
日本では嗅いだことのない、妙な匂い。
こっちの人は、こんな匂いをいい匂いと思うのか?
というカルチャーショック。

今、我が家がそうなっちゃってる。
イギリスのPARKSというブランドのルームフレグランスが好きなのだが、
たまたまネットでセールをやっており、
ただし、いつも私が買う種類はなくて、
知らないタイプを2種、値段の誘惑に負けてつい買ってみた。
一つは定番人気とあるし、もう一つも配合成分を見るかぎり
悪くなさそうだったので、まあ大丈夫だろう、と
タカをくくっていた。

数日前に届き、両方いっぺんに開封した。
く、くっさぁ〜。
いつもの香りとまるで違う。
これが定番人気? それって日本市場においての定番なのか?
困ったな。
本当は寝室と洗面所あるいは玄関に置きたいのだが、
あまり主張されるとツライような気がするので、
脱臭剤感覚で定番はクローゼットに、もう一つはトイレに置いてみた。

食べたことのないものをいろいろ試して味覚が鍛えられるように、
嗅覚もまた、好みのものばかりに偏らず、苦手と思っているものも
試しているうちに好きなるかもしれない。
その良い例が、ローズの香りだ。
昔は好きでなかったローズの香りが、この頃好きになった。
ただし、ローズの場合は、正確に言うと、
試しているうちに次第に好きなったわけではない。
ある時から急に好きになるのだ。
友人M.Sもまったく同じことを言っている。
共感する同世代の女性はきっと多いのでは。
その理由は密かにわかっている。
おばさんになったからです。
おばさんはローズが好き。何でなのかは知らないけど。ホルモン不足とか?
なので、ローズ好きであることは、あんまり大きい声では言いたくない。

もしかすると、今はクサイと思っているこの2種の香りが、
しばらく我慢するうちに、眠っていた嗅覚を開花させ、
好き! に変わるのではないか。それを期待しよう。

と思っていたが・・・ダメだ。
クローゼットの洋服は汚染され、トイレは毒ガス室と化している。
この香りを好きだという人も、おそらく世の中に五万といるのだろう。
が、私の感覚からは、どこまで行ってもクサイという反応しか生まれてこない。

人間の嗅覚は鈍感だときく。
確かに、いつも使っていた好きな香りは、
買って1週間もすると慣れてしまい、香っていることをあまり感じなかったりする。
しかし、キライな匂いは、ドアを開くたび瞬時に拒否反応が出る。
フレグランスの場合、生ゴミなどの汚物的悪臭とは違うため、
ひょっとすると、生理的に受けつけないということよりも、
そこに私ではない有機的な何かを感じるのがイヤなのではないか。
誰? これは私ではない、と思うのだ。
いい匂いでしょう、と何かが私に向かって主張してくるのだ。
好きな匂いが空気のように感じなくなっていくのは、
鈍感になったというより
自分にフィットして違和感がないからではないか。

そんなふうに独りブツブツ分析している今もクサイは続行中なのだ。
どーすればいいのだ?
もったいないけど処分するしかない。
が、捨てるにしても、排水口に流すわけにはいかない、
新聞紙か何かにしみ込ませるか?
ゴミ捨て場ですごい香りを発散させて騒ぎにならないだろうか。
近日、友人のMとMとMの3人(全員Mじゃないか、3Mか)が
うちに来ることになっている。
誰かもし、この匂いが好きならば、持って帰ってくれまいか?
残念ながらローズ系ではないが。


2012年12月15日土曜日

マタギ女とはんにゃともう中学生

年が明けたら初めての確定申告を迎えるため、
ちょっと聞きたいことがあり、家から徒歩圏の税務署へ行った。
近くにありながら会社員時代には一度も足を踏み入れたことのない場所だ。
予約はしていないため、30分程待たされた。
と言っても待っているのは私と、私の前にもう一人だけだが。
その人はどうも体調が悪いらしく、
個室で寝て待っているから早めに対応してあげて欲しいと
受付の人が内線で伝えている。
しばらくして担当の人が到着しドアを開けると、中から
「ああ〜ん、ちょっと待ってぇ」と悩まし気な女の声が。
ロシア帽をかぶり、肩から二の腕にかけて毛皮のついた
マタギみたいな服を着た、バッチリメイク50がらみの女の人が出てきた。
杖をついているのにピンヒールのロングブーツ。
飲み物はどこぉ? と虚ろな目をして自販機へ向かう。
まあ確かに最近ぐっと冷え込んではいるけんども、
ここは極寒シベリアの税務署ですか?
しかもそんなに具合悪い身体で予約なしに来て、相談したいことって何だ?
余計なお世話ではあるが。

私の担当は30、いや20代か、若いお兄さんだった。
芸人はんにゃの金田をもう少し丸くしたような感じ。
対応はそこそこ丁寧で悪くない。
が、e-Tax(インターネット確定申告)に関して、
「24年度の作成シートのダウンロードはいつからできるのか?」
という私の質問に対し、どういうわけか彼は
「ここに書いてある通り、1月16日から提出できますよ」と答える。
「あ、はい、なるほど。でも私がお聞きしているのは、提出日ではなくてね、
いつからシートに書き込むことができるのか、ってことです」
「ですから、16日から受け付けていますよ」
「ん? いや、そうじゃなくてね、私はホレ、初めてだから、まあeにするかも
決めてはいませんけども、もしe-Taxでやるとして、
不慣れで時間かかるかもしれないから、ヒマのあるお正月にゆっくり
打ち込みできたらいいなと思うので、それで、いつからシートを入手できるのか?
が知りたいわけなんです」
どうなんでしょう、私の言ってること、通じますよね?
そんなにおかしなこと言ってませんよね?
理解してもらえるよう、こちらは入手日が知りたい理由も
話しているというのに、
はんにゃ金田はあくまで16日提出スタートの一点張りなのだ。
もしも私が何か根本的に理解していないのなら、
そっちもちっとは違う表現してみたらどうだ?
何回かの問答の後、
「えっと。あの、全然わかんないんだけど。じゃあ何ですか、
シート入手できるのも16日から、そして提出も16日から?
そんな不思議な話ありますかね? 即日打ち込んで提出する人なんているんですか?」
と言ったら、あれ、はんにゃはムクれちゃった。
わけわからん。

結局のところ、年末にシート入手は不可能で(できるようにしたらいいのに)、
1月上旬に公開されるが、いつなのかはまだ発表されていないのだ。
じゃ、わかんないんじゃん。16日ではないんじゃん。
こういう時に、横浜弁ってじゃんじゃん出るんじゃん。

手書きの用紙の場合は、年明けてから取りに来るか、
電話すれば送ってくれるという。
ふーん、そういうものなんだ。
それじゃあ、年明け早々、用紙送ってくれコールがバンバンかかってきて
税務署も大変ですねえ、とねぎらったら
「いえ、去年まで行っている人にはこちらから郵送しますので」
と冷たく返された。
何、チミはまだスネてんの?
けどコチトラ初体験なのよ、知らんのよ。
私がお兄さんの立場だったら、
「初回はそのように手続きするが、次年度からは自動的に送られてきますよ」と
その情報も先に言ってあげるのになあー。

話を終え、個室から出ると、
受付前の長椅子で、大きな獣が横たわっていた。
よく見たら、さっきのロシア帽のマタギ女だった。
ミンクだかセーブルだかわかんないけど
マタギ服の上に更にボリューミーな毛皮のロングコートを
布団のようにかぶって寝ていた。
誰かお付きの者はおらぬのか?
かわいそうではあるが、ロシア帽とコートが一体化して顔がパッと見えないので、
「近頃の税務署はゴージャスですな」と
ラグと間違えて上から座る年寄りがいてもおかしくない感じだ。

私はその足で、すぐ近くのケータイショップに立ち寄った。
今、iPadミニを買おうか迷っており、
自宅のネット環境も含めた通信料に関するプランを聞いてみたのだ。
春にiPhoneを買った時と同じお兄さんだった。
彼は芸人の"もう中学生"みたいな口調で説明をする。
「じゃあ、これとこれはどこがどう違うのかなあ〜?って思いますが、
こっちの場合、(ペンで線を引きながら)ここからここまでですよぉ〜、
はい、でもこっちだとここからこれだけですよぉ〜という具合なんですねぇ〜」
いつもなら、幼稚園児扱いされているような奇妙な気分になるのだが、
つい先程、はんにゃに嫌われ、マタギ女を見た私には、
これくらいはたいしたことはなく、
むしろ、優しい丁寧な説明に心がなごみさえするのだった。




2012年12月9日日曜日

¿書き順?

テレビをつけたら、漢字の書き順クイズみたいなことをやっていた。
そうそう、小学校で新しい漢字を習う際、
マス目ごとに一画ずつ足して1つの漢字を完成させる
書き順ノートみたいなものがあったっけ。
一画ごと色鉛筆で替えるという方法も。

当時6年間、習字を習っていたけれども、
書き順が怪しいものが結構あるような気がする。
間違っているとわかっていても直せないのが「右」だ。
右は、ノを書いてから一を書くのが正しい。
もともと字の成り立ちが、ノの部分が手で一の部分が腕をあらわすらしく、
左の場合はその逆でノが腕で一が手。
手から先に書くのがルールなんだそうだ(その理由は知らない)。
わかっちゃいるのだが、どうしても左と同様に、一を先に書いてしまう。
いきなりノを書くのって、なんか勇気がいるというか、バランス難しくないですかねえ?

スペイン語では、疑問文を書く際、頭に逆疑問符の「¿」をつける(文末には「?」)。
スペイン人数人と現地で食卓を共にした時、
私は彼らに「¿」をどういう順で書くのが正しいのか、たずねてみた。
点から書くのか、あるいは縦棒からか、 一番下から上にむけてか?
すると、彼らの答えは人によってマチマチであった。
えっ?君はそう書くの? 私はこうだけど、と一騒ぎになり、
また、そもそも「そんなこと今まで考えたこともなかった」と言うのだ。
¿私の質問はスペインの文字文化に一石を投じたと言えまいか? まいね。

その話の流れで、漢字の成り立ちを披露することになり、
私はメモ帳に絵を描きながら、「川」だの「森」だのを説明。
彼らは「¡へぇ〜おもしろいね〜!」と関心を示した。
調子にのった私は、「人」という字を書きながら、
「はい、みなさんいいですか、人という字は人と人が支えあって」と、
金八仕込みの説明をしそうになったが、ち、ちがーう!!
人という字は一画目が頭と腕で、もう一方は胴体と足なんだと
かの白川静先生はゆーとるじゃないか。 
あやうく間違った日本の文字文化をスペイン人に伝承するところであった。
恐るべし武田鉄矢。いや、金八。


小学時代の家庭学習ノート。
子が予に間違ってるのに、先生直してよ!
こんな物を未だ持っている&
同じことを大人になってもやっている
自分がちょっとキモイ。



川や森の字の変化には納得していたスペイン人だが、
「目」という字を説明したら、これはどうもピンとこないと言う。 
なんでわかんないんだろう? 横の形が縦になったからかな、と
その時は思っていた。

しかし、今ふと思った。
西洋人はくっきり二重まぶたが普通だ。
だから、もし彼らの目を漢字であらわすならば、こうではないか?   














まつ毛がフサフサなので更に右側に「」がつくかもしれない。
自分で思いついておきながら、何となくシャクにさわる。








2012年12月5日水曜日

アヤシイトリセツ

iPhoneを購入してから、目覚ましアラームもこれを利用するようになった。
そういうことも、購入前までは好きになれなかった。
つまり、ケータイは電話、目覚ましは目覚まし時計が担当であり、
何もかもケータイで済ませてしまったら、目覚まし時計の立場はいったいどうなるのだ。
目覚まし時計には目覚まし時計の人生がある。
彼らはそれだけを生業としているスペシャリストであるのに、その先達を敬うことなく
「あ、オレ、アラームとかもあるんで、やっときますから大丈夫っすよ」と
いとも簡単に奪ってしまっていいのか。
彼らは就職難に陥り、やがては存続の危機となるのではないだろうか。
と、目覚まし時計擁護派であるにも関わらず、
ある時、何となくケータイを試したら、そのまま習慣づいてしまった。
なんたる自堕落。薄っぺらなポリシー。情けない。
わが目覚まし時計はいつの間にか息絶え、
うっすらホコリをかぶっていた。
かわいそうに、ごめんよ!!

私の目覚まし時計はLEXONのもの。
わりに男の子っぽい都会的なデザインなので私の趣味ともちょっと違うのだが、
(だからといって乙女っぽい田舎風デザインが趣味ということもないのだが)
これを選んだ理由は、自分で好きな音楽を録音し、
それを目覚まし音にできることだった。
目覚まし時計擁護派と言いつつ、ピピピピだのリンリンだの、
あの単調な繰り返し音は苦手、毎朝腹立たしく起きるの、イヤだ。
(ん?ホントに目覚まし時計派なんだろか、よくわからなくなってきた)


おそらく電池を交換したら目覚まし時計は息を吹き返すだろう。
ボタンがいろいろあって再設定の仕方がおぼつかないので、
しまっていたトリセツを引っ張り出す。

ああ、そうだった。
この時計のトリセツのお粗末さが尋常じゃないのだった。
A4のプリント1枚の箇条書きに、なぜかイラストがすき間につけ足したような手書き。





















どうだろうか、このイラスト。
何かこう、イラっとさせられやしないか?
私でももう少しうまく書けるぞ。
バッタもんじゃんって感じだが、
しかし正規の外国語版も同封されており、
そちらはちゃんとした印刷物でイラストも当然いたってまともだ。
販売店もおそらく怪しくはないはず、なのだ。
無理して立体図なんかにせず、平面にすれば良かったじゃないか。
ってか、元々のLEXONの絵は平面であり、
これをトレースすれば済むことだ。
歪んだ炊飯器みたいに描かれていることを
デザイン命のLEXON本部が知ったら、どう思うだろう。


















他にも、通販で買った安物の雑貨類などのトリセツに、
同様のタイプが時折見られる。
プロのデザイナーやイラストレーターに依頼する費用がないのだろうけど、
社内に誰か一人くらい、絵心のある者はいなかったのだろうか。
手で描けなくても、今どき、パソコンのお絵描きソフトでも何でもあるじゃないか。
更には印刷代削減のためか、コピーのまたコピーみたいな、
字がよく読めないようなトリセツもあるのだ。
トリセツも立派な媒体なんだからね、
なめずにちゃんと作ってもらいたいものです。

電池を入れ替え、奇妙なトリセツ図解を我慢して見つつ
リセットし、無事、息を吹き返した、わが目覚まし時計くん。
iPhoneなんかに浮気したアタシが悪かった。
明日からはまた君に頼むよ。

追伸
そうして今朝、久しぶりの目覚まし時計でさわやかに起きるつもりだったが、
音楽に混ざってブチッブチッとノイズが・・・やっぱバッタもんかしらん?
起きてから、寒さのあまり、エアコンとミニヒーターを同時につけ、
電気ケトルで湯を沸かしつつ電子レンジで豆乳を温めたら、
バーンッとブレーカーが落ちた。
おかげで家中の家電のタイマーがチカチカ状態に・・・。
個々のトリセツを見なければ、どうリセットするのかわからん。めんどー。


2012年11月29日木曜日

給食嫌い

先日、都内の公立中学校の給食を目にする機会があった。
五目ご飯、粕汁、ぶどう豆、ジョアだった。
牛乳じゃないことに驚いたが、おそらくこの日はたまたまだったのだろう。
お調子者の生徒が ♫ジョア ヤクルト ジョア 誰のもの〜♪と
剛力彩芽のCM曲を浮かれて歌っていたから。
(ちなみにこの曲、作詞・作曲は浜口庫之助。その昔、小柳ルミ子が歌っていた)

料理すべてが同じような見た目、味の傾向なのが気になる。
栄養バランスや咀嚼させることを考えた結果なのだろうけど、
五目ご飯と粕汁、どちらも刻んだ根菜など具材が似たりよったりだし、
副菜の煮豆も甘くもっさりしてもたれそうな感じ。
せめて副菜は酢の物とかマヨネーズ系にするとか、
あるいは卵焼きや茶碗蒸しのような粒々していない食べ物にするとか、
汁物はすましにするとか、メリハリつけられなかったのだろうか。
と、父兄でもないのに、一人うっすら憤ってみた。

どうも給食に対して良いイメージがないからかもしれない。
私の場合、中学はお弁当だったので、給食の思い出は小学時代になる。
ご飯は一度も出ず、6年間パン食だった、というとわりに驚かれるようだ。
少し下の学年からは週1回くらいご飯が出たようだが。
このパンがね、まあ実に美味しくなかった。
パサついたコッペパンが主で、たまに食パンだったけど、どちらも苦手だった。
牛乳。これがまた体質的にダメで1本飲むことはできなかった。
だからチビだったのかもしれない。
プロセスチーズも嫌い(あの頃もしナチュラルチーズがあったなら良かったのに)、
五目豆のたぐいも苦手(パンのおかずとしてどうなのさ?)、
鯨肉の竜田揚げは一見美味しそうだが、かたくてかみ切れず、飲み込む時が恐い、
と、かなり好き嫌いが多かった。
好きだったのは、揚げパン、フルーツのヨーグルトあえ、ソフト麺&カレーくらい。
このメニューの時ばかりは私もおかわりをしてみたかったが、
おかわりをするには完食しなければならないルールだったので、
牛乳を飲みきれず他のおかずも残しがちな私には永遠にチャンスはない。
いつもジャイアンみたいな男子2〜3人と、花沢さんみたいな女子1人くらいの
決まったメンバーがおかわりを競っていたな。
ちなみに毎月の献立表は、トレーシングペーパーのような半透明の薄い用紙で、
配られるたびに、それを口に当て息を吹きかけ音を鳴らす、という
何がいったいおもしろいんだ?的なガキの習わしがあった。

ソフト麺&カレーは、好きではあったものの、その分量比率にいつも不満を抱いていた。
麺の量に対し、カレーがひどく少なすぎるのだ。カレーの中に麺を入れてあえると、
ほとんど液体はなくなり、黄色いカレー風味の麺だけ状態になってしまう。
あくまでルウのとろみ感を堪能したい私は、配分を考えつつ、
舌のくぼみにまずカレーを少量入れ、
その上に一口分に切ったソフト麺を置いて口中で混ぜるという技を編み出した。
周囲の者にもフォロミーをすすめたが、賛同者は少なかったような。
お行儀が悪かった?
でもさ、考えてみて欲しい。
カレーの中に、ほぐれていないソフト麺の塊をドボンと入れて混ぜるのだって
お上品とはいえないのでは?
つけ麺みたいに麺がほぐれているならばわかるけど。
せめて麺の上にカレーをかけて欲しかったのですよ。

器も今思うと、ひどかったなあ。
刑務所で使われていそうなペラペラのアルミプレート&先割れスプーン。
あれでは食欲がわかないだろう。今どきのプラスチックのほうが少しはマシかな、
いや、それも本当はイヤだな。
本物の陶磁器や木椀だったら良かったのに。

学校創立記念の日、特別にケーキが出た。
1人前サイズのデコレーションケーキ。
私たちは狂喜乱舞した。いざ実食!
・・・マズイ。実にマズイ。生クリームではなかった。
今は、本物のバタークリームのケーキが美味しいことを知っているが、
あの頃のバタークリームはおそらくバターではない安い油脂を使用していたため
美味しくなかった。私だけでなく、他の子も、
一口食べてみんな残してしまい(ジャイアンと花沢さんはどうしていたかはわからない)、
先生は「食べ物を祖末にするとは!!」と怒った。
確かに食べ物を残すのはよくない。
しかし、子供騙しなマズイものを作る(発注する?)そのセンスに問題はないのか、
無理するくらいならまんじゅうにでもすればよかったのに、
と、子供ながらに調理クラブ部長としては納得がいかないのだった。

2012年11月23日金曜日

新たな絆

「お元気ですか?」
「ええ、まあ何とか」
お裾分けしたいものがあり、以前住んでいた家の大家さんに久しぶりに電話をした。
今住んでいる所から数駅の距離で、二世帯住宅の1階に私は住んでいた。
2・3階が大家さんの住まいで、奥さんは偶然にも元編集者、ご主人は作家、息子さんが一人。
1階部分だけとはいえ、一軒家であるのにはかわりなく、門や玄関扉までの階段もあり、
住み心地は快適で、私は11年そこに住んでいた。
大家さんと一緒の家なんてうっとおしいのでは?と人から聞かれることもあったが、
彼らは普段は決して干渉せず、それでいて、私が風邪で高熱の時には車で病院に連れていってくれたり、雪が降った翌朝にはもう玄関の階段が雪かきされていたり、
“妙齢のお嬢さん”がトイレットペーパーを買って持ち歩いている姿は忍びないからと
定期的に差し入れてくれたりした。

引っ越すきっかけとなったのは、
息子さんが結婚を機に1階部分に住みたいということで、
いわば、私は退居させられた形になるのだが、
その目的のために家を改築したと入居時に聞いていたし、
私もそろそろ環境を変えようかなと思っていたところだったので、
さしてショックでも迷惑でもなかった。
しかし大家さんはご夫婦揃ってある雨の夜、私の玄関先で、本当に言いづらそうに、
申し訳なさそうに「あくまで相談なのですが」と話し、私が即答で承諾すると、
ホッと胸をなでおろしていた。
最後の2カ月分の家賃をタダにしてくれたうえ、敷金は全額返金、恐縮したのはこっちのほうだ。

電話の返答に、ややムリがある響きがあったのが気になったが、ともあれ、
駅前の喫茶店でお茶でもということになった。
「お久しぶりです、みなさんお元気ですか?」
と私が再び呑気に社交辞令としてたずねると、
奥さんは「実は・・・3月に主人が亡くなったんです」と言い、目を潤ませた。
まだ65歳、肺がんと診断され半年で亡くなったという。
痛みに苦しみながらもまったく弱音をはかず、
最後の頃は緩和のためのモルヒネのパッチも断り、
幸せな人生だったと言葉を残して逝った。
彼の希望で、生前には兄弟にも知らせず、葬式は奥さんと息子さん夫婦で行い、
後日に近親者に知らせたという。
それには、彼の複雑な生い立ちが深く関わっており、
そうした話も奥さんは私に話してくれた。
晩婚の2人は結婚式も披露宴もしていないが、見かねた周囲の友人たちが
パーティーをセッティングしてくれた、と、その時の写真を見せてくれた。
「今こうして改めて見ると、彼、かなりハンサムだったんだなあって。
私、ものすごい嬉しそうにデレデレしちゃってるわね」と照れながら涙ぐむ奥さん。
そこに写っているご主人は、本当にいい男であり、
それから20年30年経って私が知っている彼も、その頃の面影のある、素敵な人だった。
自分の美学を持ち、知的で、他人を蔑まない謙虚な人だと私は感じていた。
「彼は私より年下なんだけれど、男女は平均寿命差があるから、
ちょうど同じ頃に死ねるよと結婚の時に言ってくれたのにね」
今は少しずつ遺品の整理をしているが、書き遺した原稿には手をつけられていないし、
骨は海にまいて欲しいと言われているが、まだその決心ができないという。
ふとした時に涙が流れてしまう、“時薬”はなかなか効かないものですね、と。

私は、自分でもびっくりするくらい、喫茶店で号泣してしまった。
しかし、私と元大家さんとの交流は、本当の意味での交流は、
今日、始まった気がする。



2012年11月18日日曜日

赤帽さん

友人H.Oが昨日、引っ越しをした。
私が今の家に引っ越す時、彼女は泊まりがけで手伝ってくれた。
なので、今度は私が助っ人に、
なんならざる蕎麦片手に積み上げ(フロマージュ号に乗って)、
岡本信人になって(あれは岡持ちか)届けるぞ、
と行く気満々だったが、
荷物がそんなにないから人手はいらんとのことで招集かからず。
お役に立てず、残念。
近々、渡辺篤史の建もの探訪をしたいと思っている。

実家で暮らしていた頃は引っ越しを経験したことはなかった。
一人暮らしで家を出た時からは計4回。
まあそんなに多いほうじゃないですよね。
葛飾北斎なんて93回引っ越したらしい、多い時は1日で3回とか。
どんだけ身軽なんだ、敷金礼金なぞもなかったんだろうねえ?

私も実家を出る時は、ほとんど荷物がなかったので、
友人で酒屋の娘であるM.Sの家の軽トラを借りた。
2回目もやはり業者には依頼せず、友人Y.Mに手伝ってもらった。
振り返ってみると、いつも友達に助けられ、安上がりに生きてきたのだねえ。
3回目はさすがに荷物が増えており素人ではキビシイため、赤帽に依頼した。
そして4回目は初めて引っ越し業者に依頼。
4回とも7〜8月だったため、私にとって、引っ越しはまさに汗だくのイメージだ。
1度ガス業者を呼ぶのを忘れ、水シャワーを浴びたことがある。
たとえ真夏で汗だくでも、水はかなりツライということを知りました。

4回目の引っ越し業者のお兄さんは3〜4人いたと思うが、うち2人は未成年だった。
今住んでいるマンションは外壁が真っ白で角がすべて丸くなっており、
おそらくは地中海のリゾートをイメージしたデザインなのだが、
彼らの一人が開口一番「へえ〜・・・なんつーか、カマクラみたいな家っすね」
鎌倉???・・・・ あっ、雪のカマクラね!!
彼は地中海の白い街並なんて知らないのだろう。
人は、自分が知っている世界の中から言葉を引き出すのだなあと改めて感じた。
しかし彼がそう言ったおかげで、私もこの家はもはや地中海ではなく
カマクラに見えてしまうのだった。あたしゃ、雪ん子か。

引っ越しではないのだが、赤帽の思い出がある。
最初に勤めた編集プロダクションで、
よく言えばインテリアのスタイリストもどき、実状はパシリの仕事をしていた。
例えば、撮影のたびに東急ハンズだのインテリアショップだのに借り出しにまわる。
ある時、赤帽に同乗し数店をまわり、家具などの大物をピックアップすることがあった。
昼時になると、赤帽のおじさんは「美味しい天丼の店があるんだよ」と
場所は覚えていないのだが、とにかく私を連れていってくれた。
初めて見る特大の海老がのった天丼。2000円近くしたような気がする。
それをおじさんはごちそうしてくれた。
当時の私にとっては、とんでもなく高級品だ。
そもそも本来ならばこちらが経費で昼を用意する立場ではないか。
しかし会社からはそこまで言われておらず、世間知らずの私はわかっていなかった。
あのおじさんの日当はいくらだったのか。1万円にもならないくらいでは?
2人で4000円の昼食代では、儲けは半分になってしまったのではないか。
今でもたまに思い出し、感謝の気持ちがこみあげるのだった。


2012年11月13日火曜日

I ♡ GIN TONIC

ジン・トニックが好きだ。
誰が何と言おうと、誰も何も言わないけど、好きなのだ。
苦甘い味&植物系の芳香&炭酸、なんと素晴らしい組み合わせ。
外で飲む時はいつもオーダーするし、家でもよく作る。

以前、取材でバーテンダーに美味しいジン・トニックの作り方を教わった。
ライムをグイグイしぼらないこと(イヤな苦味を出さないようにするため)、
ライム果汁とジン、氷をグラスに入れたら30回くらいグルグルかき混ぜて
一体化させた"タネ"を作り、これを溶きのばすように
トニックウォーターを注ぐこと、注ぐ時は氷にぶつけないように(炭酸が抜けるため)などなど。
すべての材料とグラスを冷やしておくのが理想だが、
家の冷蔵庫(冷凍庫も)にスピリッツを入れるゆとりがないので、
ジンだけは残念ながら常温だ。
あ、ついでの話だけど、我が家の場合、野菜室に醤油やみりん、酢等の
大瓶類を保存している。それだけで結構いっぱいになってしまい、
スピリッツどころか野菜を入れるスペースすら少なくて困っている。
みなさんのおうちではどのように保存しているのだろう?

さて、主役のジンであるが、私個人の好みというか
家で使っているのは「タンカレー」または「ボンベイ・サファイア」。
タンカレーは私にとってのスタンダード・ジン、
洗練されたバランスの良い味、と思う。たぶん。
ボンベイ・サファイアはジンの基本的な原材料のネズの実(ジュニパーベリー)の他に
レモンピールやコリアンダーなど多種の植物を使用しているので、
口に含むと複合的な香りが広がる個性派。
ジン・トニックにせず、そのまま飲んでも旨いタイプだが、
私はお酒に弱いのでダメなのだ。




最近新たにジンメンバーに加えたのが、
キングスバリー社の「ビクトリアンバット」。
これはネズの実の香りが強いが、荒々しいわけではなく、
樽熟によりうっすら琥珀色、トロミ感というかまろやかさがあっておもしろい。




まだ飲んだことがないけど飲みたいなあと思っているのは
「シップスミス」のドライ・ジン。タンカレーやボンベイ・サファイアが
750㎖で1000円台半ば、ビクトリアンバットがちょっと高くて
700㎖2980円くらいだが、シップスミスは約3500円と更にお高いのよねえ・・・。

http://www.sipsmith.com/


昔、スペインのメノルカ島に行った時、
中心地のマオンで造られているジンを飲んだ。
スペインでジンとは意外だが、イギリスの統治下にあった歴史による。
昔ながらの単式蒸留器を使い、穀物ではなくブドウベースで造られているらしい。
島では、ジンをレモネードで割った「ポマーダ」というドリンクが
定番でそれを飲んだので、ジン自体の味がどうだったかはわからない。
少量ながら日本にも入ってはいるようだが。

http://www.xoriguer.es/


そしてトニックウォーター。
まあ、比較的美味しいのはシュウェップスやウィルキンソンだが、
(とか言いながら安い&再栓できるカナダドライ買っちゃったりもするんだけど)
本来の成分キニーネは、薬事法に触れるということで
残念ながら国産品には含まれていない。
キニーネは、ペルー原産のキナという木の樹皮から抽出したエキス。
現地では解熱剤として使われており、
17世紀、スペインでマラリアの予防薬として注目され、
19世紀初頭、イギリスの植民地だったインドで、
キニーネを砂糖で甘くしたトニックウォーターが生み出され、
兵士たちが常飲していたという。
ドライ・ジンの主産地はイギリス、なのでジンと合わせてみたら、
あんれまあ、なんて旨いもんじゃろかこれは、となったわけですな。


2005年くらいから販売されヨーロッパで人気になっている
「フィーバーツリー」という製品がある。

http://www.fever-tree.com/


人工甘味料・香料・保存料は不使用、
アフリカ・コンゴの天然キニーネが使用されているという。
フィーバーツリーとは、キナの木の別名だ(熱病に効く木って感じでしょうね)。

飲んでみたいなあ、と思っていたら、
あれれっ? いつの間に日本でも売っているじゃないか。
今年7月から発売されているんだそうだ。
私としたことが、ぼんやりしておった。
ジン・トニック愛好家失格だ。
資格を剥奪されるかもしれないが、そんな資格は取ってなかったので助かった。






早速試飲。さぞやキニーネの苦味が強いのかと思いきや、
ほぅ〜、わりにやさしい味わいなのね。
細かい泡、上品な甘さで後味がしつこくない。
ナチュラルってこういうことなのねえ。
200㎖で195円とこれまたチトお高いので、ガブガブ飲むというわけにはいかない。
今日はきちんと丁寧にジン・トニックを作ろう〜っていう、
ご褒美な時にご登場いただくとしよう。


2012年11月7日水曜日

福来る?


お菓子を入れて食べ終えた空の器を今、何気なく見たら、
硬貨が1枚入っていた。
そんなところにお金を入れた覚えはない。
お財布も出していない。
こんな不思議なことってあるかしら?
しかもそのお金ときたら、日本円ではない。



なんだこれは???「福」の文字。
なんでなんで?いったいどーいうことだ。
しばし、きょとーーん。

目をこらし裏側の極小の文字を見ると「REPUBLICA PORTUGUESA MACAUとある。
昔のマカオのコインだ。

ああ、そうか。
数時間前、ロフトの階段の上で、フタがしっかり閉まっていない工具箱を
誤って持ち上げてしまい、使う予定ないのになぜか持っている
ナットやボルトみたいなものをバラバラと下にまいてしまったのだ。
おそらくその時にこのコインも落ちたのだろう。
なあんだ。すごい奇跡が起きたのかと思ったのに、
自分でまいたタネならぬコインだった。
なんで工具箱に入れていたのかはまったく記憶にない。

生まれて初めての海外旅行は香港・マカオ・広州のツアー旅行だった。
マカオではカジノに行った。
訳もわからぬまま、一番簡単そうなスロットマシンをやってみた。
すると、となりの男が声をかけてきた。
「ドコカラ、キタ?」
カタコトの日本語が話せるアジア人だった。
「あ、えっと、日本、ジャ、ジャパン」
「ワカルヨ、ニホンノドコ?」
「横浜」
 「アアソウ、オレ、セタガヤ」 
日本人じゃないか。
ジャパンってアタシ、何言ってるのだ、郷ひろみか。
でもその男、ほんとに日本語ヘタだったんだもん。

結局、スロットマシンはトントンで終わった。
マカオではカジノしか行ってないので、
たぶん、その時に残った1枚なのだろう。


ひょんなことではあるが、上から福が降ってきたことには違いない。
ナットやボルトは床に散らばったのに、このコイン1枚だけが
テーブルの上の小さな器にのったのだ。
ひょっとして何かいいことあるかも、ね? 
さて、どこに置いておこうかな。


2012年11月2日金曜日

厨房に入る

レストランへ取材撮影に行くと、私は必ず厨房に入って調理の様子を見せてもらう。
それがあたり前だと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。
「ここまで見に来た編集の人は初めてですね」と驚かれることが時々あるのだ。
一般誌ならまあわからなくもないのだが、
専門誌においても厨房を見ないとは。こっちが驚いた。
あ、もちろん、勝手にズカズカ入るわけじゃないですよ、
シェフの許可を得てからですよ。
シェフによっては、あんまりそばで見つめていると
落ち着かないという人もいるので、そのような場合は少し距離をおいて。
一方、シャッターを切る時など、写真撮影の重要な場面では
シェフと話したりせず、必ずカメラマンのところに。
できるだけカメラと同じ目線の位置に立つ。
そうしたやり方を元いた会社のスタッフにも徹底させていたつもりだったが、
どうもそうしていない様子なのだ。
なんでなんだ?

私はいわゆるグルメライターではないので、
文章を書くにあたり、絶品! ウマっ!究極の味、といった味の賞賛はしない。
また、「素材の持ち味を最大に引き出す」だとか
「手をかけ過ぎないようにしている」だとか
「クラシックをベースにオリジナリティを付加」だとかの、
私からするとよくありがちな、あるいは曖昧な
シェフのセリフをそのまま書かないようにしている。
かといって、その言葉に化粧を施し、より耳あたりの良いキザなセリフに
仕立てることもしない。

それでは、原稿が書けないのではないか?
そうです、書けないです、私には。そんな手法では。
厨房をのぞいたから書けるわけではもちろんないが、
せめて少しでも料理が作られるライヴを見ることで、
料理される前の素材の状態がわかるし、
インタビューや紙に書かれたレシピだけでは得られない事実がキャッチできるし、
更なる質問も出てくる。逆に、見てわかったことはもうシェフに
いちいち聞かないで済むということもある。
調理そのものだけでなく、厨房の構造や衛生状態、スタッフの動きなど
さまざまな要素を観察することで得られるものがある。
おそらくノンフィクションライターと同じ感覚かなと思うが、
そうした事実情報をより多く、できるだけ正確に得て積み重ねていくことで、
そこから言葉を紡ぎ出したい。
わかった気になってパターンにはめたり、
ムーディー(中身はスカスカ)に逃げずに
みっちりずっしり実が詰まってお得だわこれ!! な原稿にしたい。
素材を生かす、ではなく、素材を生かすとは具体的にどういうことか、を
追いたい。私が褒めたたえたりせずとも、その料理を的確に説明することで、
これは美味しいものだろうとわかるような文章を書きたい。

まあようするには、自分自身が持っているものなんて
なんぼのもんじゃいということですな。
厨房も見ずに、料理が出てくるのをお客さんみたいに待って、
それを味見でもして感想で文を書くなんて技は私にはできない。
それに、単純に言ってのぞき見たいのだ。見ずにはいられないのだ。
厨房が好きなのだ。厨房に限らず物作りされる現場が好きだ。
ずうずうしいのかもしれないが、
(それで元スタッフたちは気兼ねしているんだろうけど)
邪魔なら邪魔って叱られるだろうし、
しかしそう言われたことは・・・記憶にないなあ。
シェフが呆気にとられて言えないだけなのかどうかは知らないけど。
 
だから、これからもこのやり方でいくさ、私は。

ただ・・・悩むことがある。
そうは言ったものの、調理を見ずして取材記事がまとめられ、
それが世に出て、実際に売れている。つまりそれで良しとされている。
私がやっていることよりも、そっちのほうが世間的には支持率が高いとなれば、
いったい私は何のためにやり通す気なのだろうか。
細かく裏を取る作業に何か意味はあるのだろうか。
と、たまにフテクサレル。


2012年10月27日土曜日

ときどきふと。

父が高齢のため、車を手放した。
超安全運転タイプだったが、少し前に軽い接触事故を起こしたらしい。
相手は歩行者だが、こちらはノロノロ状態だったので
幸いにもかすった程度で済んだ。
子供が寝ている間にオムツを急いで買ってこようと
いきなり角から飛び出したのだという。
警察が来るのを待っていたら、その角の家の老婆が様子を見に出てきた。
一度引っ込んでまた出てきた時には、
皮をむいた梨をお盆にのせており、まあどうぞ、と言われたそうな。

その出来事とは別に、前々から父親より
お前は長らく車の運転をしていないのだから
もうしないほうがいい、免許証は身分証明として使えと言われている。
娘が交通事故を起こすのがよほど心配らしい。
母親は、まあしかし、ペーパーじゃあもったいなかったわねえ、と言う。
いや、私、ペーパーではないよ、確かに長らくまともに運転していないから
車庫入れや縦列駐車は怪しいけど、運転自体は別に普通にできるよ、
昔はよく運転してたじゃん、と言っても、
そう?でももうムリよ、とにべもない。
ぅぅ〜なんでムリと決めつけてんだよ〜、
ホントは沖縄へ旅行に数回行ってレンタカー運転してんだぜ、
近所のビバホームで軽トラ借りて(知ってました? 車貸してくれるんですよ! )
家まで重い荷物を自分で配達したことも2回あるんだぜ、
と言って名誉挽回したいのだが、
親に隠れて煙草吸ってる子供みたいなもんで、
挽回どころか余計な騒ぎになるので言えないのだ。
根拠のない「アタシできるもん」としか思われていない。
何歳になっても、親から見たら子供は子供なのだな。

ちなみに原始人ワタナベ。
車もやはりマニュアルのほうが身体になじんておりますデス。
原始人気質は血筋ゆえ、親の車がずっとマニュアルだったもので。
逆にオートマでの体験数は数える程度のため、未だギアがどういう順で
並んでいるのかイマイチ覚えておりませぬ。
(えっ、何か今、ドン引きされている?)
でも運転は大丈夫だってばー。

20代の頃、アピシウス総料理長だった今は亡き髙橋徳男シェフの
料理講習会のため、シェフと食材などを車に乗せ、仙台まで行ったことがある。
行きは私の上司が運転し、帰りは私が運転した。
途中、サービスエリアで飲み物は何にするか髙橋シェフに聞くと「ボク、ビール」。
ビール、ビール・・あれ? 売ってないな、ってそりゃそーですよね。
帰り道、シェフはずっと寝ていたはずなのだが、
東京に着くと「あんた、スピード出し過ぎ!!」と言われてしまった。


家のすぐ近くに教習所がある。教習が終わるとこんな放送がかかる。
「お疲れ様でした。最初からうまくできる人はいません・・・」
慰めの言葉。最初はみんなうまくできない、車に限らず何だってそうかもしれない。
それが、どのあたりから、どのようにして差が出てきて、
その結果、自分はうまくできる人になるのか、あるいはできない人になるのか。


私が教習所に通っていた時、心理テストみたいな適正チェックがあった。
教官が読み上げる質問に対して、イエスかノーかにチェックを入れる。
「人に割り込まれるとカッとなる」とか
「誰も見てなければまあいいやと思う」とか
イエスにしたら明らかに不適正と言われるに決まっているようなものばかり。
しかもその読み上げ方が百人一首みたいな妙な節まわしで言うもんだから、
笑いをこらえるのに必死だった。
「ときどきふと〜、死にたくなる」
どういうつもりなんだ、いったい。

しかしさ、生きていたら、たまに死にたくなるような時もあるじゃないか。
ときどきふと〜という表現が、
メランコリックでポエティックな響きで私は気に入った。
思い詰めるよりもさりげなく、だからこそ狂気との紙一重な雰囲気。
正直にイエスにしていたら、免許もらえなかったんだろうか。


2012年10月21日日曜日

衣替え




















このところなんだかとっても忙しくて、スラムと化していた我が家。
散らかるのってホント、簡単ですよね、あっちゅーまだ。
こんな時にもし、ヨネスケが突撃してきたらどうしたものか。
ようやくこの週末、お片付け。
そして、気づけばもう間もなく冬ではないか、
どうりで今までの薄い布団では寒いわけだよな(って鈍すぎ?)。
というわけで衣替えも。

そもそもなんで衣替えってしなければならんのだろう。
スペースがない、の一言に尽きるのではないか?
広いクローゼットがあれば、そこに春夏秋冬、並べておけばいいのだから。
IKEAの大きな棚かなんかでね、ピシーっと。ずらーっと。
それができないから、仕方なく収納ケースにしまったり、
奥のものと手前とをチェンジしたりしなければならないのだ。
『あなた』の小坂明子は、もしも家を建てたなら
どんな収納スペースにしたいか、歌っていないか。
いないね。収納はロマンチックじゃないからね。
しかし、小さな家で暖炉まで作っていたら、
収納スペースはおそらく確保できていない。
収納問題がクリアしないとお洒落な家にはならんのですよ。

我が家の場合、まず小さいクローゼットがあって
コートやジャケット、パンツなど吊るすタイプのものは
すべてそこに収納、それ以外のセーターとかカットソーなど
たたむタイプはオープン棚みたいなものに収納している。
その棚にはオンシーズンの服を入れるのでいっぱいで、
オフシーズンのものや、圧縮袋に入れた布団はロフトに収納してある。
なので、衣替えとなると、いちいちおろさなければならず面倒なのだ。
ああ、あと何年、私はこうしてロフトの階段を昇降できるのだろうか、
と老後の不安までよぎってくる。

冬物はカサがあるから、棚はすぐにいっぱいになる。
並べて、改めて眺めて見ると、
♫どの棚見ても同じだな〜(チューリップのメロディで)。
いつもいつも同じような色やテイストのものを買ってしまう。
違う服を着ていても、人からは着たきりスズメに見られるのだ。
断捨離して新風を吹き込みたいところだが、
この冬は貧乏なので(今までが金持ちという意味ではない)
服は買えない。
まあでもたいした悩みではない。
ファッションにそれほど興味がないもので。

整理ついでにCDをブックオフへ売りに行った。
うちのCDの棚は200枚強程度の収納スペースなのだが、
そこに入りきらないCDが何十枚かに増えたら、
その分を処分することに決めたのだ。
何枚かは50円で、あとはすべて1枚たったの5円。
お小遣い稼げず期待ハズレなことのがっかりというよりも、
制作者側の気持ちになって、
自分の作品がタダ同然で扱われるのかと思うと
ちょっぴり哀しくなった。
私が作っていた本は、古本屋で半額くらいで売られているらしい。
CDに比べたらまだマシのようだ。


2012年10月15日月曜日

音楽の記憶

レコードからCDに移り変わる時代、
こんなペラペラのケースのちっぽけなものにすべてとって変わるとは思わなんだ。
レコードかCDかは好みで選ぶんだろう、
自分は当面レコードだけどなあ、くらいに思っていた。
なんせ、ジャケットが小さくなるのがさびしかったもので。
古いヤツだとお思いでしょうが(by 鶴田浩二)
ちなみにケータイもそのノリで、初期の頃はケータイ嫌い派が2〜3割いたので
それはずっと続くものと思っていたら、
いつの間に誰もおらず一人置いていかれたわけだが。
しかしレコードに関しては、気づけば私もCDがあたり前になっていた。
なんでかな。音がどうのというよりも、
傷つけないよう、気を遣ってジャケットからレコードを出し入れしたり、
プレーヤーにセットするのが面倒になっただけなのかも。
それでも昔は「CDを買いにレコード屋へ行く」としばらく言っていた気がするが、
いつからそう呼ばなくなったのだろう。
タワーレコードよりHMVに行くようになってからか。
でも、「CD屋に行く」とは言わず「HMVに行く」と
言っていたのではなかろうか。
何? ひょっとして格好つけてた? 「新星堂」じゃダメなの?
ああそうだ、忘れてしまっていたが、
「六本木WAVE」が好きでよく行ったものだったなあ。

ティーン時代(←ってなんかこっ恥ずかしい言い方だ)、
初めてまともに自分で買ったレコードは
大瀧詠一の「A LONG VACATION」だったと記憶する。
なんでこれを選んだのか、よくわからない。
そんなに好きだったわけでもなかったと思うが。
ある日、家に帰ると、応接間の大きなステレオ(コンポの前時代は
やたら大きい時代でしたよね)に向かって弟が正座していた。
しかし音楽はかかっていない。
「何してんの?」
弟は振り向いた。泣いていた。
「ごめんなさい、お姉ちゃんのレコード掃除してあげようとして・・・」と
致命的なレベルの傷が入った私のロンバケを手にしていた・・・。
いつもバトルの絶えない姉弟ではあったが、
この時ばかりは不憫になり、怒れなかった。


近年はもっぱらAmazonで購入している。
便利だし、安くなりましたよねえ、ほんとに。
中古レコード屋やレンタルなぞに行っていた時代からしたら、
信じられないくらい。
そして、なんといってもiTunesが便利だ。
パソコンにすべてのCDを落としておけば、
いちいちCDを出し入れせずに
音楽を流しておけるのだもの。iTunesだもの。
無線でスピーカーに飛ばせるし。
自分のiTunesを見ると、全部を流すのに11.7日かかると出ている。
結構な量ですなあ。



でも音楽って不思議だ、一度聴いたメロディは覚えてしまう、
タイトルや歌詞は覚えていなくても
イントロを聴けばメロディは口ずさめる。
しかも何千曲も。
10日以上の曲がiTunesに入っていても、
それがシャッフルモードでいきなり流れても、
あれ何この曲?などとは決して思わないのだ。
クイズ・ドレミファドン!の高島忠夫もびっくりだ。
歌詞だって、例えば松田聖子の歌など、
別にiTunesには入っていないし
普段歌いもしないが歌える(ただし古いものに限るが)。
自分がまだ生まれていない昭和初期の歌もかなりの数で知っている。
ナツメロのテレビなどを見て覚えてしまったのだろう。
昭和初期ではないけど、知る人ぞ知る
バーブ佐竹の青いゴムゾーリだって歌えるぞ。
これってしみじみすごいことだなあと思う。
いや、ゴムゾーリじゃなくて。
英単語は一つ覚えるのも苦労する。
人の名前や数字はちっとも頭に入らない。
毎日いろんなことをどんどん忘れていく。
しかし、音楽は覚える気がなくても忘れない。

ならば。世の中のすべてにメロディがつけばいいのにな。








2012年10月9日火曜日

神保町の異邦人

先日、用事があって、神保町に出向いた。
約束の時間までしばらくあったので、そのへんをぶらり。
ご存知の通り、この界隈は古本など書店が連なり、学生街でもあるため、
東京のカルチェ・ラタンと称される。
軒先に積まれた全集などを物色する老人や学生、
そして時刻は13時近くだったので、
首から社員証をぶら下げたサラリーマンやOLたちが
ランチを終えてオフィスへ戻るタイミング、
あるいはそのへんのベンチで軽食を食べる人たちなども
まだ多くいて、街はにぎやかだった。
10月に入ったというのにまるで真夏のような太陽、
けれども日陰では、涼しく乾いた空気が密やかに流れ、
確かにもう秋が来ていることを感じさせる。

私は一人。ああ、この感覚。
パリかどこか外国の街を一人歩いている時の感覚に非常に近い。
というかほとんど同じだ。
私は今、ここ神保町で異邦人なのだ。
もちろん海外と違って日本語で通じるわけだが、
とりあえず誰とも言葉を交わしていない。
まったく初めての土地というわけではないものの、
滅多に普段は来ないため、
この街の地図を、流れを、しきたりを、知らない。
私が長年通勤していた青山とはまるで世界が違う。
それはある意味、完全な共通言語を持っているわけではないと
言えるのではないか。
不慣れな街はいくらでもあるが、
古本屋が立ち並ぶ独特の雰囲気と、
その風景を珍しくもなくあたり前として
日々を営んでいる人々の中に
もう会社員ではない私は一人いて、
加えて偶然にもヨーロッパに似た天気だったため、
そうしたいくつかの条件が重なって、
私は異邦人だった。

異邦人は限りなく自由で無責任で孤独だな。

そんな、淋しくも愉快な感覚にひたっていたら、
目の前に取り壊し中のビルがあらわれた。
上部をざっくりとえぐられた建物と、
黒く煤けて階層だけが残っている建物と。





















どれくらいの築年数だったのか知らないが、
おそらくはそんなに古くはないだろう、
少なくともヨーロッパとは比べものにならないはず。
やはりここは東京なんだな。
どうして壊しちゃうのかな。
そうこうしているうちに新しい建物は完成し、
人々はそれまでの風景をあっさり忘れるだろう。
つくっては壊して、人は何をしているのだろう。

写真を撮る私を、ガードマンが訝しげに見ている。
意外なものにレンズを向ける、それもまた異邦人ならではだ。

続いて私は適当に書店に入った。
たまたまそこは建築専門の書店だった。
新刊・古本が混在、そのセレクトや並べ方に
門外漢ながらも店のこだわりが感じられた。
最近はついネットで購入してしまうことも多いが、
書店の魅力は何といっても、書棚をぼんやり眺めるうちに
ふいに1冊が目に飛び込んでくる出会いだ。







『やわらかく、壊れる』(佐々木幹郎 著/みすず書房)。
サブタイルとは   都市の滅び方について  とある。
著者は、未来=廃墟を重ねつつ、ノマドの眼で世紀末東京をつぶさに観察・・・
まさに今の私の感覚にぴったりの本ではないか。

異邦人は土産を入手し、小旅行を終えたのだった。




2012年10月3日水曜日

聞かざる

相変わらず耳がしっくりこない。
特に朝起きて午前中がよくない。
あるいは複数の人が話す輪に入る時なども調子が悪い。
聞こえてはいるのだが、何か耳が詰まっているような
違和感がつきまとう。重い耳鳴りのような。
耳自体に問題はないと病院で言われているので
ある種のストレス症状なんだろう。
先日の耳鼻科で、私が聴覚検査室から出てきたら、
90を越えたおばあさんが診察室にいて、
付き添いの娘らしき人が
「元気は元気なんですけどね、耳は遠いけど」
と話していた。医者は
「まあ世の中、聞こえないほうがいいことのほうが
 多いかもしれませんしね」
と受け答えをしていた。

そんな折、今日は朝から電話で怒鳴りまくってしまった。
お〜コワイね、私。
その人にはずっと辛抱強くつき合い、我慢してきたのだが、
とうとう耐えきれず。いい加減にせんかい! と。
キレている私に怯え、だったら謝る、という態度に
ますます腹が立つ。そして後々まで気分が悪く落ち込む。
ほんと、世の中、聞こえないほうがいいことが多すぎる。
だからこんな症状になっちゃったんかな。
体調って後からあらわれるものだから、今日のツケが
来週あたりにまわってきて悪化してたら、どうしてくれよう?

ああ、ほんとはこんな愚痴話をするつもりではなかった。
失礼しました。
優しさに溢れるいつものワタクシに戻ろう(え? 何か異論でも?)。
今、行われている「ラテンビート映画祭」のお知らせをする気でいたのだ。
9月27日より10月5日まで、新宿バルト9で、
10月4日から10日まで、横浜ブルク13にて、
スペイン&中南米のさまざまな映画が上映されております。
私は「Perú Sabe」を、チーム荒井商店とともに観に行ってきました。
エル・ブジのフェラン・アドリア氏がペルーを訪れ、ペルーの有名シェフ、
ガストン・アクリオ氏の案内で市場や料理学校などを巡るドキュメント。
かのフェラン・アドリアがペルーへ!? という部分が注目されがちだが、
そこはわりとどうでもいい気がします、私は。
それよりも、多彩なペルーの食材、複雑な人種により生み出された料理、
貧しさゆえ料理に活路を見い出す国の情勢、
そのあたりを知るのに良い映画だと思います。
横浜で明日10月4日と7日に上映されます。

http://www.hispanicbeatfilmfestival.com/



2012年9月28日金曜日

柔軟剤

洗濯機のフタを開いたら、昨日洗濯したまま干し忘れの服が。
もうボケが始まっているのか?
脱水して時間をおいたものは変な匂いとシワがついてしまっているので
やり直さなければいけない。アホー。

近頃、やたらに柔軟剤の匂いがする男が増えている気がする。
汗臭い男は好きではないけど、ダウニー男もそれはそれで奇妙な気分になる。
なんでかな。
たとえ良い香りであっても、
その人の家庭生活の匂いを嗅がされていると感じるからかも。
そういえば、小学生の時、いつも洗剤の匂いがする男の子がいた。
過保護な感じの母親だった。

今や空前の芳香性柔軟剤ブームだが、
タオルの吸水性を長持ちさせるには本当は使わないほうがいいらしいですね。
私は気分次第で使ったり使わなかったり、だ。
使う場合にも、匂い過ぎないよう、使用量はおそらくかなり控えめ。
それでもボトルの注ぎ口付近や洗濯機の投入口がネトネトになり、
手にも匂いがついてしまう、あれ、なんとかならないのかしら。

よその国に降り立つと、その地ならではの匂いを感じることがある。
私はスペインのマドリードに行くと
オートバイの油臭さと、人々から発せられる「ある一種」の香りを感じる。
みんな同じ香水をつけているのか?と最初は思ったが、
おそらく衣類用洗剤あるいは柔軟剤だと思う。
スペインの国歌には歌詞がないことで知られるが、メロディにのせて、
「フランコ、尻の白いフランコ、
   奥さんは彼の尻をアリエールで洗うから」
と、かの独裁者を皮肉る替え歌がある。
なのでアリエールの可能性もアリエール?

現地に住む日本人の話によると、
あちらは水質のせいで、衣類がすぐにゴワゴワに傷んでしまうのだそうだ。
洗剤がうまくすすげないのか、あるいはゴワゴワがイヤで柔軟剤をたっぷり使い、
それで匂いが強く残るのだろうか。
ちなみにスペインやイタリアの主婦は、
下着のパンツや靴下にまでアイロンがけするのが普通らしい。
最も嫌いな家事ナンバー1がアイロンがけと言われる日本では
考えられないことだが、それもひょっとして
ゴワゴワ度がすごいため、取り込んだままでは着心地が悪いせいかも?

そういえば最近、アイロンかけていないなあ。
昔はシャツが好きだったので週末まとめてかけるのが習慣だったけど、
いつの頃からか、アイロンいらずのアッパッパーな服がほとんどになり、
ハンカチも昔はアイロンが必要だったのに、タオル地ばかりになり。
あ。ハンカチと言えば(今は少なくなったかもしれないけど)
欧米人はハンカチで鼻をかむじゃない?
あれ、どうやって洗濯しているのだろうか? 普通に洗濯機に入れるの?
それでちょうど衣類が糊づけされたりして。

2012年9月22日土曜日

自覚症状

最近どうも体調が良くない。
頭部がボワーッと膜が張ったような感じ、
飛行機の上昇時のような、空気の圧力を常に感じている状態。
痛くはないので我慢できないというほどではないのだが
愉快ではない。どうしたものか。

20代の頃、突発性難聴になりかけたことがある。
その時の耳の症状がどれほどだったかよく覚えていないが、
ともかく調子悪くなって会社近くの知らない耳鼻科に駆け込んだ。
(この話は過去にミクシィで書いたので以下その時のコピーでお許しを)


おじいさん先生だった。 
耳の検査をするということで、ヘッドホンをして、 
ラジオのような検査機を真ん中の台に置き、先生と向かい合う。 
「音が聴こえたら返事して」 
「・・・・・」 
しばらく待ったが何の音もしない。 
「ん? どう?聴こえない?」と先生。 
「はい、聴こえません」 
「どう?もう聴こえる?」 
「いえ・・」 
「いくらなんでももう聴こえるだろう、え?」 
って先生、そうちょいちょい話しかけてきたら、 
聴こえるものも聴こえないじゃないか!!! 
しかし、本当に何も聴こえない。 
「ええっ??? これでも????これでも聴こえないのかーー???」 
と驚愕の表情で怒鳴るじいさん先生。明らかに引きつっている。 
えらいことになってしまったという顔。 
「き、聴こえませんっっ!!!なんにも聴こえません!!!!」 
叫ぶ私。どうしよう、私どうなっちゃったの? 
仕事は? 入院とか? ひょっとして手術? 手術したら助かるの? 
不安が一気に押し寄せてきた。 
そしたら先生、 
「あっ、コンセント入ってなかった」 
「・・・・・・」 


と、まあドリフのコントを経た後、
しかしやはり聴覚が落ちているということで
ぶっとい注射をお尻に刺されたのだった。

またそんな目に遭うのだろうか。
あの時は、過労・ストレスだと言われた。
確かに仕事に追われていた。
しかし、今はそんなことないはずなのだが。

昨日、近所の耳鼻科に行ったところ、
「鼓膜に問題なし、耳垢もなくキレイ」
(↑たとえ耳の中であってもキレイって言われるのは
乙女心をくすぐられますわね♡)
前夜、耳の中から大きなクルトンが出てきて
これのせいでおかしかったんですよ、と医者に言われる夢を
見ていただけに、ホッとした。

聴覚テストも問題なかった。
「耳自体に問題はないので、ストレスや寝不足、
何か精神面での関係かもしれませんね」

今の世の中、何かはっきりしない不調は
みんな「ストレス」「精神的問題」と診断される。
ストレスねえ・・・そうなのかなあ。
一昨日、久しぶりにものすごく落ち込むことがあったので
ストレスといえばストレスかもしれないのだが、
この空気圧迫症状はかれこれ2週間くらいは続いているのだ。
寝不足か?についても、会社勤めしていた時に比べたらむしろ増えている。

とにかく早くなんとか治したいものだ。
こういうはっきりしない症状の場合、
西洋医学の薬は役に立たないと思う野生派の私は、
例えば整体などに頼る。
今日は久しぶりに酵素風呂に行ってみた。

おがくずの中に埋め込まれると、カブトムシになった気分。
閉塞感の恐怖。個別の檜風呂はまるで棺だ。
熱いことよりも動けないことのほうがツライ。
10数分なんとか耐え、わらび餅になって出る。
シャワーの後も、しばらく汗が出続ける。
今日は特別に顔と首肩のリンパマッサージもやってもらった。
「うわ〜、私、何百人って人の肩触ってますけど、ワタナベさんは
 相当ひどいほうですよ、これはかなりツライでしょう!!!」と驚かれた。
一緒に行ったM.Sはそうは言われていないので、
誰にでも言う営業トークではないようだ。
(その後はなぜか韓流ドラマの魅力について嬉々と語られた。
 アタシがその話にのってくるオバさんに見えたのだろうか?)

確かに、美容院などでもよく言われる。ものすごいこってますねえ、と。
昔からそうなので、自分ではこんなもんかと慣れてしまっていた。
頭や耳がボワーッとするのは、ひょっとして肩こりのせいか。
ストレスも肩こりも、本人の自覚症状が薄いことに問題があるか?

2012年9月17日月曜日

10年寿命

友人M.Sの家のお風呂の給湯器が10年を超え老朽化で壊れ、
業者に修理依頼して直るまでに1週間かかったという。
夏とはいえ、水シャワーはすぐにギブアップ、
実家へお風呂をもらいに行ったりして大変だったらしい。
加えて、同じく2002年製の冷蔵庫も壊れて買い替えた。
4人家族、冷蔵庫なしでは生活できない。
じっくり好みの製品を吟味している余裕はなく、
在庫があってすぐに配送可能な中から選ぶしかなかったという。

壊れてからでは遅いのだな、生活家電は。
さて、わが家は大丈夫なのか?
冷蔵庫、だいぶ長く使っている気がするが・・・
扉の内側を見たら、1998年製だった。つまり14年か。
世間的には、冷蔵庫の寿命は10年くらいらしい。
じゃあうちのは人間でいったら100歳くらいなのか。
まだ壊れてはいない気がするが、明日ダメになってもおかしくはない。
省エネとか節約とかの点からしても買い替えたほうがいいのだろう。
ついでに電子レンジは?と思ってみたら2002年。
こちらもいい勝負だ。
うーん、どうしよう。誰か買ってくれませんかねえ?サプライズ大歓迎よ。
そういえば30年以上前、レツゴー三匹の「目方でドーン!」という番組がありましたね。
素人夫婦が参加、家電などの家財道具から欲しいものを選んではかりにかけ、
奥さんの体重と誤差がわずかであれば獲得できるというもの。
じゅんちゃんが「お願いかなえてね」と胸に腕を交差させている姿が脳裏に浮かぶ。
重さがわかっていたのは、最後の微調整に使う焼きノリの缶と石けんだけだった。
あれ、もし今やったなら、みんな簡単にピタリ賞になるだろう、
だって、事前に希望商品の重さを調べて計算しておけばいいのだから。
当時はそういう情報がなかったのだろうか?
それをやっちゃおしまいよ、という暗黙のルールがあったのかしら?
あ。しかし冷蔵庫は一般的な女性の体重よりはるかに重いから、
目方でドーン!のアイテムにはなかったか。
夫が欲しい商品を一つ一つ持ち上げて予測していたものね。
のどかな時代だな。

突然壊れたら一番困るものは何だろう?と考えると、
冷蔵庫より洗濯機のような気がする。
食べ物はしばらくの間ならばどうにかなるが、
洗濯ができないのは非常に困る。
近所にコインランドリーがあることは最近発見したのだが、
なんかちょっと苦手だ、衛生面が心配だ。
スニーカーまで洗う人がいるというじゃないか。
うちの洗濯機は引っ越し時に購入して、まだ4年。
どうか長生きしておくれ。
(ちなみに、その前のものは11年使用)
それにしても、昔の人はすごいな、洗濯をすべて手でやるなんて。

大半の家電は長く使っている一方で、パソコンはどうだ。
ちょうど冷蔵庫を買った頃じゃなかったかな、
5色のiMacが世に出て、購入したのは。
その後に2回買い替えている。
14年の間に3台目、私からしたら頻繁だが、
世間的には少ないほうなのだろう。

ケータイに至っては、会社を辞めたこの春に
生まれて初めて購入、かつiPhoneなので、
とうとういわゆる普通のケータイは体験せず。
ギネス級の変人と称されていた私も、
いいえ世間に負けた〜♫(byさくらと一郎)、
果たして、このiPhoneはいつまで使えるのか、使うのか。

今朝、新聞を見ていたら、ルンバが発売されて今日で10周年という広告。
へえ〜、もうそんなになるのか。ルンバの寿命ってどれくらいなんだろう。
奇しくもそのすぐ近くの編集記事には
日本の首相として初めて小泉純一郎が北朝鮮を訪問、
国交正常化に向けた日朝平壌宣言に署名して今日で10年、とある。
こっちの10年は最初から壊れたままちっとも進展がない。



2012年9月12日水曜日

夏の肌

自分は人一倍、蚊に刺されやすいと思っていたが、
世に言う蚊に刺されやすい体質というものには
どうも今ひとつあてはまっていない。
どうやら、刺されやすいのではなくて、
刺されると炎症しやすく、その跡がなかなか消えない体質なのかもと思い直した。
いったん刺されたらもうおしまいなので、
いかに刺されないようにするか、がポイントになる。
そのため、家の中にいても、なんかやられそうだという
予感がする時は、蚊取り器をつけた上で
更に虫除けのローションを手足に塗るのだ。
虫除けを塗るたびに、
私の脳裏には『耳なし芳一』が浮かぶ。
そう、あの恐ろしい物語である。
お経を書きそびれたがゆえに、いや、
ローションを塗り忘れたがゆえに
そこをめがけて蚊が突進してくるのではないか?
あいつら、ほんと抜け目ないから。
しかし、虫除けローションは匂いもイヤだし、
肌にもよくはないので、顔はむろんのこと首周りなどには
あまり塗りたくはない。
だから、首から上なし芳一状態を覚悟しなければならぬ。
でも、さすがにそんなとこに蚊が飛んできたら、
普通は刺される前に気づくのでは?
そーですよねえ。じゃああれか、
私の場合、蚊の存在に気づくのが鈍いのが問題か。
遠い昔、友達と民宿に泊まった夏休み、
朝起きたら、お岩さんになっていたことがあった。
別の年にはいかりや長介になっていた。
どうだろうか、ここまで体を張って、
愉快な旅の思い出を仲間に提供する芸人気質。
いやいや、本人はそんなつもりは毛頭ない。
うら若き乙女の顔が長介だ。だめだこりゃ、泣きたいに決まってる。

どうも、夏は子供の季節という感じで、
やけにノスタルジックな気分になるのは私だけだろうか?
(なので最近のブログはそんな話が多いのだ)
そこには、さまざまな匂いや感触が付随する。
蚊取りならば、もちろん昔は金鳥の渦巻き線香。
あの線香と今どきの化学的な蚊取りと、
どっちが体に毒かね?どっちもでしょうな。
さすがにワンプッシュでOKなどというタイプは恐くて使ったことがない。
蚊に刺された時の薬は、各家庭によって
ムヒ派、キンカン派、ウナ・コーワ派に
分かれていた。うちはムヒときどきウナ派だった。
たまに友達の家でキンカンを借りると、
その強い刺激と匂いに悲鳴をあげたものだ。
(爪で十字に跡をつけていたから余計に)
お風呂上がりのベビーパウダーの匂いとサラサラした感触は
何とも心地良かった。(シッカロールとか天花粉などと呼んでいたが、
シッカロールは和光堂の商品名であり、J&Jのベビーパウダーとは別商品なのだ)
それから、カーマインローションね。
日焼けした後は、母親が持っている資生堂のカーマインローションを
塗ることが許されており、何かちょっと大人っぽい行為のような気がしたものだ。
まったく日焼けに向いていない肌質なのに、
毎夏、屋外プールへ通い、海では無理矢理焼いて火傷状態になり、
パジャマやタオルケットがほんの少し肌と擦れるだけで激痛に悶え、
眠れない夜を過ごしたっけ。

肌のほてりが鎮まり、汚らしく皮がむける頃、
きっぱりと夏は終わったものだったが、
日焼け止めと虫除けで防御している今は
夏の終わりになんとなく締まりがない。




2012年9月6日木曜日

憧れ

親戚の男の子に、25年ぶりに再会した。
母方の年の離れたいとこの子供にあたる。
男の子といっても今ではもう立派なオジサンであり、
そのオジサンよりだいぶ年上の私は・・・むにゃむにゃ。
25年前に我が家に泊まったのが1度きりの出会いだった。
なので、親しかったわけではないのだが、
妹をもつ彼からすると、年上のお姉さんは憧れだったそうで、
何か強く印象に残っていたらしい。
「お姉ちゃんに教わった(トランプの)スピード、
 あれからものすごいやりまくりましたよ」
私は覚えていないが、お姉さんヅラして、
そんな遊戯を伝授していたのか。
何かもうちょっと上品な遊びはなかったのか。

幼い頃は毎年、夏休みや冬休みに母の田舎へ帰省した。
私も年上の兄弟がいないため、田舎のいとこのお兄ちゃんが憧れだった。
弟と奪い合うようにしてお兄ちゃんにまとわりついていた。
あれは小学2〜3年くらいだったか。
お兄ちゃんの部屋で2人きり、おはじきをして遊んでいた。
(おはじきって!! 昭和初期か?)
彼を独り占めしている女の幸せを噛みしめていたんである。
何か禁断の遊びをしているくらいの気分である。
(あくまで、おはじきなのだが)
しかし、幸せはそう長くは続かない。
舞い上がっていたせいか、冷え込む冬だったせいか、
私は小用を催したのだ。
お兄ちゃんの部屋は離れの2階にあり、
トイレは、庭をはさんで建つ母屋まで行かなければならなかった。
離れというのは、母が娘時代に住んでいたものすごく古い田舎家で、
1階には農耕機具置き場やかまどの土間があり、
2階からは、ほぼ直角の恐ろしい階段を降りなければならない。
行くのが非常におっくうであった。
この楽しい時間を終わらせたくなかったし、
何より、憧れのお兄ちゃんに「トイレに行きたい」と
言うのが恥ずかしかった。
そのため、正座している足を何度もモジモジ組みかえては
必死で我慢した。
しまいには、何も気づかず無邪気に遊んでいる
お兄ちゃんが恨めしくもなってきた。
こっちがこんなに切羽詰まっているのに、
大人の男(おそらく中学生)として察して
リードしてくれたっていいじゃないのよ。
んもぅ、鈍い人ね!

もういよいよ限界となった。
まあそんな行きたいわけでもないけど
遊び疲れてきたからブレイクタイムね、
くらいのノリで「ちょっとトイレ」と伝えたような気がする。
部屋を出た途端、いつもは怯える急階段もダッシュで駆け下り、母屋へ。
トイレのドアを開け、ホッとした私は・・・

万事休す。
トイレの中にいながらにして&小学生でありながら、
粗相をしてしまったのだ。
当然のことながら、家族親戚みんなに知られ、
お兄ちゃんは弟とともに私のことを冷やかし笑った。
トイレと言えないばかりに、これほどの辱めを受けることになるとは。

親戚の男の子がその田舎へ遊びに行く頃には、
もうみんな私たちは大きくなってしまい、
子供たちが大勢で集まるにぎやかな夏休みはなくなっていた。
だから彼にとっては何の楽しい思い出もないらしい。
私は、憧れのお兄ちゃんと、やはり20年以上会っていない。
いつの日か再会した際には、あの事件を覚えているか聞いてみようか。
彼にとってはきっとどうでもいいことだろうから、
覚えていないんじゃないかな。
ま、これに限っては私にとっても抹消したい出来事だし。

憧れる側は勝手に憧れ、トランプだのおはじきだののディテールまで
覚えているが、憧れられる側は何も覚えていない、そんなもんだ。
憧れる側は思い込みが激しく美化しすぎている分、
月日が経ってからその人に会った時の落胆もひどいもの。
ということは、先日会った彼は私にがっかりしたかもね。
だって25年だ。思えば遠くに来たもんだ。


2012年9月1日土曜日

イラン式

前々回の続き。
映画「イラン式料理本」、上映は9月15日〜。
1973年テヘラン出身のモハマド・シルワーニ監督による
ドキュメンタリー作品。
登場人物は彼をとりまく7人の女性。
母、義理母、伯母、妻、妹、友人の母親、母の友人。
彼女たちが料理を作るそれぞれの台所で、
カメラは一カ所に据えたまま動かさず、
淡々とその様子を写す。
乾燥豆と米の炊き込みピラフなど、長時間かかる料理を
長年に渡り黙々と作り続けてきたと思われる母親世代の女性たち。
夕方から作り始め、出来上がるのは夜遅く。
それを男たちはわずか15分程で食べてしまう。
料理にどれくらい時間がかかるか知っているかと問うと
「さあ? 1時間くらいでは」と台所仕事の苦労をほとんど理解していない。
古い世代の中でも、義母はかなり口が立つ人で、料理を作りながら、
姑や夫への不平不満をぶちまける。
こんなに働かされると言いながらも、肉をこねる手を休めることはなく
「機械で作っては美味しくならない。手が美味しくする」のだと言う。
「大丈夫、手は2年前に洗った」などの冗談も。
一方、現代女性を代表する妻は、食材は何一つ出ていない
すっきりコンパクトなキッチンに終始クールな表情で立ち、
悪びれることなく缶詰のシチューを温める。
双子の男の子を育てながら大学に通う妹は、
元々時間がかかる料理に加え、段取りの悪さも手伝って
午前から作り始めた茄子の煮込みが出来上がったのは夕方近く。
その間、子供たちは調理台の上にまでのぼって暴れたりするが
それを注意する彼女の口調はさほど強くない。
なので子供たちはまるで聞く耳を持たない。
ペルシャ絨毯の上にビニールシートを敷き、座って食事をした後、
妹は食器を片付け、ビニールシートの上を台ぶきんで拭きながら
丸めていくのだが、その間、子供たちは父親とじゃれあって遊んでいる。
手伝ってちょうだい、と何回か声をかけるが、父子は無視。
彼女はため息をつくだけだ。
友達の母親という人は、なんと9歳で結婚、もうすぐ100歳になる
小さな老婆で、今はもう料理は作らない。

映画の宣伝情報では「家族が愛おしくなる、美味しい逸品」とあり、
監督のメッセージは「イランの女性たちへの讃歌だ」とある。
うーん・・・。そうかなあ・・・。
私にはそんなふうには受け取れなかった。

つまらなかったわけではない。
知られざるイランの台所の様子や
リアル(なんだろう)な女性たちの声は興味深い。
けれども、ここに出てくる女たちのほとんどは、
不平を言うか、黙々と作るか、諦めるか、放棄するか、
のどれかであり、それを見せられているこちら側としては
家族が愛おしくなるような気持ちにはなれない。
家族の男たちや、カメラのこちら側にいる監督や撮影スタッフたち
(彼らも食事をともにする設定になっている)
の視線はどこか困惑した居心地の悪いようなままで、
だから、彼女たちの讃歌どころか、
本当に理解する気などあるのだろうか、と思わされる。
じゃあ、同性として私は女性たちの気持ちがわかるのかといえば、
それもいろいろわからないことが多く、消化不良だ。 

そして、料理映画という観点からすると、
カメラはキッチンの反対側から動かないので、
かまど付近の様子や鍋の中などは何も見えない。
せいぜい、積極的な義理母がカメラの前に持って来て見せる、
ドルマ(ブドウの葉の包み)やクフテ(巨大な肉団子)くらいだ。
あとは、とにかく米と、スパイスを多種類使うということはわかったが、
新鮮な食材などは出てこない。
そのため「美味しそう!」というシズル感がない。
なんだか知らないが、とにかくやたらに時間がかかる料理ばかりという印象。
中東料理に興味を持つ者として、この点でも欲求不満だ。
もちろん、制作者は中東料理の魅力を披露するのが狙いではなく、
むしろその逆でいいのかもしれないが、
だったら、邦題「イラン式料理本」とはどういう意味なのか?
なぜかしら料理映画というとたいていが、しみじみとした、
愛情のある、癒し系な...etcのPRの持っていきかたを
されがちなのが腑に落ちない。
料理をメタファーに映画を作るのって、
難しいもんだなあとつくづく思う。
ちなみに、イラン国内では、この映画は上映が許されていないそうだ。




2012年8月22日水曜日

私のトルコ 

スパイスの話の時に言ったかもしれないが、
この頃、中東料理に興味がある。
エルサレム駐在の記者の友人がいることも影響している。
たまにファラフェル(ヒヨコ豆のコロッケ)や
ババ・ガヌーシュ(茄子のディッブ)なんかを作る。

そんな折、知った「私のトルコ」コンテスト。
料理、写真、その他いくつかの部門があり、
料理はもちろんトルコ料理を自作するもの。

http://www.turkeycenter.co.jp/yarisma/contest7/

私はトルコ(中東全般)に行ったことがない。
せいぜい日本国内のトルコ料理店で数回食べた経験だけだ。
が、果たして「これが私のトルコ料理よ!」と
ドヤ顔できる日本人はどれくらいいるのだろう。
そう多くはないのでは?
ひょっとしてこのコンテストは競争率が低く、優勝を狙えるかもよ?

そんな思惑を抱いたのだが、コンテスト内容を見ておののいた。

方法は3段階。まず第1選考は自分で作ったトルコ料理の写真とレシピを送り、
それに通過すると、第2選考にて、自宅で作った料理を会場に持ち込み、
審査員に試食してもらう。
それを突破した人たちが、最後の戦いとして、
事前に知らされた指定のトルコ料理を審査員の前で作るのだ。
なんと、プロのコンテスト顔負けではないか。

そもそも「私のトルコ」料理とは、
いったいどんなものを指すのかがよくわからない。
つまり、第1第2の審査において、どんな料理を作るべきか。
「私のトルコ」というくらいだから、
何か自分なりの思い入れやオリジナリティが求められるような気がするが、
私は、私のトルコなるものをまだ持ちあわせていない。
持ってはいないが、「みんなのトルコ」だったらできるのかと言えば、
もっとハードルが上がる。
私が「これは私のトルコだ」と言い張れば、
それは誰が何と言おうと、間違いなく私だけのトルコであるはずだ。
誰のものでもない、誰にも邪魔させやしない、
おお、まだ見ぬいとしのわがトルコよ!

加えて、驚くのはその入賞商品の中身だ。
料理部門優勝者には、トルコの旅(ビジネスクラス往復チケット+ツアー)、
これはわかる。
しかし、もし第2位になった場合は、
3カ月のトルコ語レッスン+トルコツアー、
第3位は1年間のトルコ料理レッスンなのだ。
ええ? どうなんでしょう、この内容。
武者震いせずにはいられない。
生半可な気持ちでコンテストに参加してはいかんのだ。
だって、トルコ語レッスンですよ。
1位は勉強なしでビジネスクラスで旅できるのに対し、
2位だと勉強が必要なのだ。しかも飛行機のチケットについては
何も触れられていないので、ひょっとして往復の旅費は自腹か?
中東料理を知りたい身としては、
3位のレッスンはありがたい話なのだが、1年となると覚悟がいるような・・・。

・・・と、まあ、できもしないクセに、
入賞した場合の妄想ばかりしているのであります。

そして今日は、「イラン式料理本」という映画の試写会に行ってきたところです。

http://www.iranshiki.com/

あんまり話が長くなるとイランので
(いつもブログが長いねとの指摘を受けるので)
この映画の感想はまた別の機会にでも〜。

・・・と、いつものように呑気な話をしているが、
昨夜、トルコの隣シリアで日本人ジャーナリストの山本美香さんが
銃撃により死亡という悲報があったばかりだ。
料理はある意味、生や平和の象徴であり、
私はそちら側から何かを伝えていきたい者ではあるが、
ただ単に中東料理を知るだけでなく、
複雑な過去の歴史と悲惨な現実がそこにあることにも
もっと目を向けていかなければ、な。


2012年8月16日木曜日

チーズ号


無人探査機「Curiosity」が火星に着陸して、その画像を流す。
すごい時代ですな。
ところで、Curiosityとは好奇心という意味だ。
なかなか良い響き&意味の言葉ですよね。
これまでの宇宙探査機にも、さまざまな名前がつけられてきた。
メッセンジャーとか、スプートニク、パイオニア、
ディーブ・インパクト、ボイジャー、ガリレオなどなど、
時代と行き先が何かごっちゃになっちゃってるけど、
まあともかく、それなりにふさわしい名前がつけられている。

先日、5km程離れた所に住む母から自転車を譲り受けた。
電動アシストつきを購入して、
これまで使っていたものが不要になったから、という。
好意はありがたいが、私が住む街はどこへ行くにも坂道で、
自転車を乗るのに向いていない。
そりゃ、ブルーノとかライトウェイとかの
こじゃれた自転車だったら、
坂道もなんのその、欲しいなあと思う。
しかーし。オカンのお古は、
かなり年季の入ったオンボロママチャリ。
しかもえんじ色・・・。
そのため、私から欲しいとは一言も言っていないのだが、
むしろ、いらないよ、と数回断ったつもりなのだが、
「あったら絶対便利だって」の一点張りなので仕方なく引き取った。

そんな訳で最初から可愛くない存在であるのだが、
この自転車に書かれた名前というかブランドというかを見て、私は脱力した。





私のようにフランス料理業界に関わりのある人間でなくとも、
このフランス語を理解できる人は結構多いのではないでしょうか。
フロマージュって。あーた、自転車のクセになんでチーズなんだ?

世の中の安物製品には往々にして意味のない横文字が
ロゴデザインとして使われている。
この自転車を製造する会社も、何かネーミングというか
飾りの横文字を入れようと考えたのだろうが、
で? で、どうしてFromageになったのだ?
どうせダサイにしても、HelloでもLoveでもLuckyでもHolidayでもPicnicでも、
なんかそれ相応の言葉があるでしょうに。
そのへんは使い古されていて使用できないとかなのか。
しかしそんな商標ってほどのものでもあるまい。
オリジナリティにこだわりたかったのか。
ひょっとすると、スマイルからの連想でチーズ、
チーズだとつまらないからフランス語にしたら、
という勘違いなエスプリを効かせてみたとか?

よく見ると、Fromageの下にはこうも書かれている。

 le choix

これは選択という意味である。チョイスである。
つまり、「チーズ   選択」と書いてある自転車である。
私はチーズは大好きだが、チーズ選択と書いてある自転車はイヤだ。
母はこの自転車が「チーズ」号であることは知らない。
それを訴えたところで、私の困惑はとうてい理解してもらえず、
そのことでさらに悲しみは増すばかりだろう。
チーズ号のせいで、親子断絶の危機にもなりかねない。


まあ、どうでもいいことだとはわかっている。
もし私がこれに乗っても、誰もロゴまで見ちゃいない、
見てもたいして気にもとめないってこともわかってる。
私が引っかかっているのは、人に見られる恥ずかしさではない。
(いや、厳密に言えば、もし盗難などで、警察とやりとりして
特徴を聞かれた際に、Fromageです、って言わねばならない
のだろうから、それは恥ずかしい。盗まれやしないだろうけど)
どうしてよりによってFromageにしたのか、ただただ、
制作者の意図が知りたいのだ。
深い意味なんてなく適当に、あるいは
何かに書かれていたものをそのまま写し取ったのかもしれないが、
そこまで意味のないネーミングって、
むしろかなり難しく勇気のいることだと思うのだが。

ちなみにもしCuriosityと書かれていたらどうなんだろう。
それはそれで困惑するかもしれない。
火星を見に行くからCuriosityでいいけれども、
近所を走るのに、好奇心って、ウザイ。
だったら、自転車としてふさわしいネーミングってなんだろうか。


2012年8月10日金曜日

文集





もしも私がある日、犯罪者になったとして、
何が気になるかというと、
昔の写真だの文集だのを出されて、
私の人格を報道で分析されることである。
子供時代に文集でこんなことを書いていたから
やはり今こういう犯罪を犯すに至る人格なのだと
結びつけられるのはいかがなものか。
そのことを考えると私は犯罪に手を染めることはできない。
それでいいじゃないか、ということではあるのだが。

じゃあ逆に、私はいったいどんなことを書いていたのか。
人に公開されることにおびえるくらいなら、
いっそ自分で先に公開してしまえばいい。
先日載せた小1の絵日記とともに、文集類も残っていた。
とりわけ恥ずかしいものとして、上に掲載したのが小4の時の文集だ。

この時の文集では、ほとんどの子が「春になったら」という共通タイトルの詩か、
あるいは夏休みに友達と遊んだことや運動会などの思い出話、
担任の先生に対する思い、といったものを書いているのだが、
どういうわけか、私とあと一人だけが自作の物語をのせている。
ちなみにもう一人も女の子で、お金持ちにもらわれた捨て子の話である。

私の処女作?「ハンバーグとキュウリのぼうけん」。
ワタナベ容疑者は、すでにこの頃から食べ物に執着しているんですね、
と取り上げられるに違いない。
実際にはそんなことはなく、むしろこの頃までの私は偏食・少食で
給食も苦痛だったくらいだ。

なぜ、ハンバーガーなのだろうか。
何も記憶にないが、おそらく当時は現代と違い、
それほど身近な食べ物ではなかったので、憧れだったのかもしれない。
しかし物語に出てくるのはマクドナルドではなく、本田さんである。
当時、そんな個人店のハンバーガー屋などなかったはず。
しかも個人店でありながら、できあいのハンバーガーが
トラックで届けられている。本田さんは手抜き商売なんである。
よくわからないが若いお姉さんがふくろをあけている、
中身はバラバラのキット状態で、組み立てだけその場で行う方式なのか。

小さなキュウリの子(ピクルスのことだろう)とハンバーグの母親、
遺伝子の法則を完全に無視した奇妙な親子関係と、父親の不在。
残りのパンとからし(マスタードという言葉はまだ知らなかったのか)が
何であるかは言及していないツメの甘さ。
子どもは未体験の不安や恐怖をあらわしているのに対し、
なぜか自分の運命を知っており、なお動じない母親の不可解さ。
購入者は田沢さん、本田に田沢と名前が半端にかぶっているのも気になる。
田沢さんはなぜハンドバッグなんかにハンバーガーを入れるのか。
(まさかハンドバッグとハンバーガーの言葉を重ねたわけじゃないでしょうねえ)
そして、そこから逃げ出すところが物語の山場であるはずなのに、
ただ逃げ出した、とかなり内容が雑になっている。2ベージ目は誤字も目立つ。
だんだん書くのが面倒臭くなってきたのではないか。
極めつけは最後、
「田沢さんは今ごろなにしてるでしょうね」
「きっと親子の気持ちわかったでしょうね」
とよくわからない含蓄めいたオチ。知るかっ!
微笑ましいというより、むしろイラッとさせられるじゃないか。
更には、シュールすぎる絵。
キュウリの子がすでに思春期くらいに成長している。
(キュウリのイボでニキビ顔?)
"ハンバーガー" って工夫ゼロのキャッチコピー、ひ、ひどすぎる。
 突っ込みどころ満載である。
いかようにも、犯罪者の私の人格形成へとつなげられてしまう気がするが、
どうか一つ、ご勘弁願いたいものである。
たかだか10歳の子どもがたいして深くも考えず書いたものなんですからね。


しかし。犯罪うんぬんはないにしても。
例えばピカソのような天才は幼少期にすでに完璧な絵を描いている。
モノを書く仕事という点で、ハンバーグとキュウリのぼうけんの
クオリティ(の低さ)が今の私につながっていると見るのは
あながち間違ってはいないのかもしれない。
嗚呼おそるべし、文集。ちょっと悲しくなってきた。

2012年8月2日木曜日

はだける

あのー。柔道に関する知識がないもので、
おかしな質問かもしれないのですが、
どうして柔道衣というものは、あんなに、
はだけやすいデザインのままなのでしょうかね?
前身頃2つを帯でとめただけで、エリをぐいぐいつかまれたら
すぐにはだけてしまうのは当然ではありませんか。
もっとはだけにくいデザインの柔道衣、考えられないのかな?
考える気ないのかな?
せめて甚平さんというか作務衣みたいにしたらどうなの?
いっそ、つなぎ服にするとか。ダメ?
乱れがひどいと審判が直せって指導する、
選手は帯の下へむりやり押し込むけど、
根本的にきっちり着直さないと無理じゃないかなあ。
あのシーンを見るたびに、中学の不良少年が「ワイシャツ入れろ!」と
生活指導の教師に叱られてしぶしぶ入れているイメージと重なる。
入れても入れてもなんか知らないけど出てきちゃう。
旅館で浴衣着て寝た翌朝みたいに、
帯だけ腰に残っちゃってて気持ち悪くはないのかな。
礼節を重んじる武道なのに、他のどのスポーツより
だらしない格好になるというのがどうも不思議だなあと。

なんとなく、外国人選手のほうが「はだけ度」が高いような。
男子の場合、ロシアのなんとか選手みたいに
ものすごい胸毛ご開帳状態だったりする。
だから、ひょっとするとアレは裏技ではないのか?
つまり、あの毛皮をダイレクトに押しつけられたら、
汗の臭いと相まって、かなりダメージを受けるのではないか?
日本人は不利ではないか?  
それを狙って、あえて増毛している選手はいないか?

ちなみに「はだける」は「開ける」と書き、
目や口を大きく開くことも「はだける」と言うらしいが、
普通そんなふうには使わないですよね。
はだの響きが肌っぽいからか、やっぱり体の前側が見えちゃう現象のイメージだ。

「開ける」という字のイメージで言えば、
自ら率先してはだける「露出狂」という人種がいますね。
何年か前、パリのモンマルトルの裏道を昼間一人で歩いていたら、
私をささーっと追い越して、縦列駐車の車の影に入り込んだ男がいた。
その前を通ると、下半身を指さして見ろ見ろとやっとる。
惜しむらくは、その男はコートを着ていなかったことだ。
ただズボンをおろしている、無防備な幼児みたいに。
スマートさに欠け、変態としての卑怯度が低い。
やはり露出狂の正装としてコートは必須アイテムではないか。
それもきちんとしたトレンチコートでないと。
映画「ふたりのベロニカ」で、露出狂が出てくるシーンがある。
一見するとコートを着た紳士であるのに、突然前をはだけて・・・
このギャップこそが露出狂の真価だろう。
(しかし、この映画におけるこのシーンの意味は今ひとつわからんかったのだが。
まあ、そもそも露出狂自体、理解不能なので、その不条理さにおいて意味があるのか)

知人女性が街を歩いていたら、
派出所の前に立っていたお巡りさんが
「おねえーさーん!!ちょっとちょっと」と呼び止めたそうな。
なんだろうと思ってそばに近寄ると、
内緒の話をするようなゼスチャーで
「社会の窓があいてますよ」
言葉が古すぎることもさることながら、
女の人に使う言葉なんだろうか?
ともあれ、地域の治安維持のため、
お巡りさんはそんな部分も管轄内なのですねえ。


2012年7月28日土曜日

聞き書きオリンピック

オリンピックですな。
78歳の外国人記者がいて、
過去のオリンピック取材でメモしたノートは200冊を超える、
みたいなことを今朝のNHKのニュースでやっていた。

数年前、フランス・ブルターニュでの取材。
現地の年配カメラマンと組んだ。
彼は日本人と身近に接することが初めてでよほど物珍しいらしく、
私がシェフにインタビューしたりメモを取っている姿を
横からちょいちょい撮影したり、
取材中にも何かにつけ話しかけてくるのだった。
天候が不安定なので、晴れているうちに外観など撮っておいて
くださいね、とお願いしているのに、肝心のシャッターチャンスは逃して
「今は雨降ってきたからダメだねえ」などという。

「君が一生懸命メモを取っているそのノート、素晴らしいね。
宝みたいなものでしょう。今までのものはちゃんと
ナンバリングしてとってある?」
私のイライラが頂点に達していた時に、彼は呑気にもこう聞いてきた。
彼からすると、私の殴り書きの文字はまるでアートに見えたのかもしれない。
私は(フランス語の通訳を介してだけど)
「ノンノン、ナンバリングなんてしたことないし、
終わったら読み返しもしないし、どこにやったか、捨てちゃったかもね」
と素っ気なく答えた。肩をすくめたりなんかして。
彼は首をかしげ、寂しげな表情で「なぜ? そうすべきだと思うよ」と言った。

実際のところ、彼に言ったことは本当だ。
あえて意識的に捨てはしないものの、大切にとっておいているのではなく
たまたまどこかにしまいっぱなしなだけだ。
今年の春、会社が引っ越すことになった時、
引き出しから取材ノートが大量に出てきた。
彼の言葉が頭をよぎったけれども、すべて捨てた。

メモ帳はこれでないとダメというこだわりはある。
A6サイズで縦めくりのワイヤーリングタイプ。
これが私にとっては一番書きやすいのだ。
これでないとダメなのだ。
しかし、世間的には売れ筋ではないのか、意外と売っていない。
縦型というのがまず少数派で、あってもA7とかB7なのだ。
そのため、見つけたら5冊10冊と買いだめする。
最近、ますますその存在が希少になっている気がする。
困ったなー。

取材中、メモを取っていると、
相手もどういうわけか一緒にノートの中を見つめる。
整理できていないカバンの中を見られているようで、落ち着かない。
また、厨房で調理の様子を見ながらメモを取る場合、
ノートを見ているわずかの間に
シェフは塩を振っていたりして、見落とす恐れもある。
そのため私は、視線をノートにあまり落とさず、
相手の顔や調理している様子などを見つめたまま
メモを取る技を身につけた。
近年はスタッフに取材の大半を任せて
えらそーにふんぞりかえっていたので、腕が相当に落ちており、
ああアタシの現役は終わったのか?感が強いのだが、
35歳前後の頃、私のメモスピードは確かにピークだったように思う。
録音なんてしない。テープ起こしの時間がもったいない。
だから、もしもオリンピックに「レシピ聞き書き」部門があったら
金メダル候補選手になれる(なれた)のではないかと思う。

飛行機に乗っていて、急病人が出た、乗客の中に医師はいないか?
というシーン、何回か体験がある。
ある時など、私のとなりの新婚カップルが医師&看護師、
通路をはさんで私のとなりの人が急病人、という事態に遭遇した。
トイレから戻って来たらそんな騒ぎになっており、
私はお邪魔状態で席に座れず、傍観。
幸いにも寝不足によるめまい程度だったらしく、すぐにおさまったが、
その後、客室乗務員はカップルに至れり尽くせりのサービス、
もちろん、私をはさんで(飛ばして)、である。
着陸したら何かサービスをする、というような話までしている。
ふん。看護師の女は騒動の間、一度も席を立っていないんだぞ。
なんもしていないんだぞ。
(2人の会話やCAとのやりとりで看護師だとわかった)
男だって脈取ったくらいだぞ。
なんかイヤな感じのカップルだったぞ。
断じてジェラシーじゃないぞ!
ああ、こんなことは起きないだろうか。
著名なシェフが機内で急に具合が悪くなる。
「お客様の中にお医者様と料理記者はいらっしゃいませんか??」
シェフは苦しみの中、万が一のことを考え、
自分のレシピや料理への思いを何とか語っておきたい、
口述筆記できる者はいないか?と。

はい、すいません、アホで不謹慎な妄想で。


自分の取材ノートがこれまでに何冊だったかなんて
知らないし興味もない。それ自体は別に宝ではない。
大切なことすべてを記事に書ききればいいのだから。
レシピ聞き書き選手権なぞないし、たいした自慢にもなりはしないし、
人の生死に関わりもないこともわかってる。

それでも。やっぱり、何か人の役に立ちたいんだろうな。
宝は、メモ帳の中ではなく、自分の中に刻まれる何か、なのだろうな。

下がA6、上がB7。最近はこのメーカーもB7主体になっているようだ。


2012年7月21日土曜日

絵日記


何十年か前の今日、私が小学生になり、
初めての夏休みを迎えた日。
朝7時に起きたらしい。
その前の冒頭ページに、
"おやくそく"として朝6時起床・夜8時就寝と
自分で時計に印をつけてあるので、
いきなり寝坊か?
ラジオ体操はどうしたんだ?
ヒモをつけたカード(裏側にはグリコの広告がプリントされていた)
を首にぶらさげて、ビーチサンダルをはき、
寝ぼけまなこで近所の公園に集まって、
ラジオ体操第一までなんとなく嫌々やり、
第ニで変なポーズをするところで必ず子供たちは笑った。
終わるとハンコを押してもらい、
このカードを最終的には課題の一つとして
学校に提出しなければならない、
かなり強制的なものだったと記憶しているのだが。

夜も9時、と朝に合わせたのか1時間遅れだ。
しかしそれにしても当時は10時間くらい寝るものだったのか〜。
今の子は遅くまで起きているとよく聞くが、
私の時代と比べ、やがて後の成長に対する
どんな違いがあるのかないのか。

夏休みしょっぱな、でんでんむしである。
当時は虫に触れることができた。
弟を脅すくらいに自分のほうが得意だったようだ。
いつ頃からダメになったのだろう。
でんでんむしは殻部分があるから何とかセーフにしても、
カマキリやセミは絶対無理だ。 

最初にして1度しかつけたことのない絵日記帳。    
庭でビニールのプールに入って遊んだ、
アイスを食べた、花火を見に行った、
など、ごくごくありきたりな子供の夏の日々。
一つの絵と、わずか50文字程度の文で、
その日の出来事を集約できた。
今は睡眠時間が半分程度で、起きている時間が相当増えたのに、
あの頃の長い1日を体感できない。
いろんなことをやっているようで、
これぞという出来事が描ける日は案外少ない。
大人には大人の、ありきたりで幸せな日々があるはずとは思うけれども。

2012/7/21    
きょう、わた
しはへやをそ
うじしました。
てんきがわる
いのでせんた
くはできませ
んでした。た
べすぎでなや
んでいます。

2012年7月16日月曜日

秘湯とひゆ 粋といき

思い込みで読み間違いをして恥をかく、
誰しもそんな経験の一つや二つ、ありますよね。

私が未だ忘れない間違いの一つは、
秘湯を「ひゆ」だと思い込んでいたこと。
この仕事の駆け出しの頃、なぜだか銀行のお偉いさんと
高級フランス料理店でお食事をすることになり、
そこで温泉の話になった時、
「"ひゆ"巡りなんかもいいですね」とか何とか私は言ったのだった。
「えっ? ひゆ・・・ひょっとして"ひとう"のことかな?」
アタシはマチャアキのごとく、テーブルクロスを
さっと引き抜いて頭からかぶりたい心境でございました。

それから、もう一つ。
車の免許を取って間もない頃、
バイト仲間で車の整備士の男の子が助手席で
私が運転をしたことがあった。
ガソリンがきれそうなことに気づいた私は、
「あー。もうメーターが限りなくエンドに近づいてる!」
すると彼は大笑いし、「え?今なんて言った?」
といじわるにももう1回言わせやがった。
EmptyのEマーク、てっきりEndだと思っていたのだ。

仕事の関係者で年配男性が、
「粋」のことをよく"すい"と言うのが前々から気になっていた。
なぜ"いき"と言わず"すい"と言うのだろう。
確かに「純粋」などで"すい"とも読むが、
"いき"を意味する際には、私の中に"すい"という感覚はない。
そのため、この人は読み間違いしている、あるいはわざと
業界風(何の業界だ?)に言ってるのか、くらいに思っていた。

しかし、ある時知った。
歴史的に見て、上方は"粋=すい"、江戸は"いき"だということを。
彼は京都人であり、私は横浜人である。

では、"すい"と"いき"は同じ意味なのか。
今ではほとんど同じ意味として使われているが、
正確には違うらしい。
九鬼周造の『「いき」の構造』を読むと、
"いき"というのは「媚態」と「意気地」と「諦め」から成り、
これは「性・武士道・仏教」ともつながってくるという。
って、何言ってんのかわからないかもしれないが、
(実際、結構難しい本ではあるので私もまだ理解できていないけれど)
「媚態」(性)はもろちん異性関係のことである。
媚態と聞くと女がこびへつらうようなイメージがあるのだが、
九鬼はそうは言ってない。
男女間における緊張をともなった二次元的態度、つまり
お互いを意識し色気に惹きつけられ、近づき、さぐりながらも、
交わってはおらず、どこまでいっても平行線である、
それが"いき"ということらしい。
「意気地」(武士道)は、まさに意気=いき。
武士は食わねど高楊枝とか、宵越の銭を持たぬといった江戸っ子の気概。
世のためにひと肌脱ぐといった道徳精神や、
異性に対して媚態でありながらも、状況次第ではプライドを持って
突き放すような反抗も含まれる。
そして「諦め」(仏教)は、執着しない、あっさり、すっきり、
それがつまりは野暮が洗練されて垢抜けているということ。

一方、西の"すい"は、赤白の華やかな着物であったり、
茶道や花柳界に通じていること、純粋に突き詰めている行動を指す。
逆に、江戸の"いき"は灰色や褐色・青色をベースに
縦縞(ここにも二元性が象徴されている)といったシブい着物であり、
突き詰める(=執着する)のは野暮とされる。

なるほどねえ。
おや? ひょっとするとアタシってば、"いき"な女ではなかろうか。
グレーだの青だのの服が多いし、
どこまで行っても平行線な関係、意地を張る、結局は諦める・・・。
得意のパターンである。そっかそっか。"いき"なんだな。
しかし、いきって・・・結構キツイもんだなあ。
ああ、いーや。アタシはまだ「いきがっている」=野暮なんだ。
結構、執着して往生際悪いもんなあ。
媚態ってのもまったく自信がないしなあ。
縦縞というより横縞(こちらは野暮とされる)だよなあ。
だけど、そもそも"いき"に生きたいのかな?

よーわからんので、結論なしに、
読み間違いの話にもどって終わりたいと思います。
(突き詰めないのが"いき"だから〜ということで)
先日、深夜に女友達Y.Oとチャットしていた時、
彼女からの最後のメッセージを見て、
私は衝撃を受け、一人激しく動揺した。

じゃあ、私はこれからアタルのビデオを観て寝ます。

ええっ? これから「アダルトビデオを観て寝る」って・・・?
そんなことを、まるで歯を磨いて寝るくらいの自然さで言うとは?
(※アタル・・SMAP中居くん主演のテレビドラマのタイトル)

2012年7月11日水曜日

王子ブーム

王子といえば? ともし聞かれたなら、
私の頭に真っ先に浮かぶのは「家具は村内、八王子」であるが、
古過ぎ&ローカル&王子の意味違いにより、
一蹴されるから、言わない。
ちなみに次点候補としては「王子サーモン」「王子製紙」だけど、
これもそっと胸の奥にしまっておく。

どうやら王子ブームはまだ続いているようですね。
今日、ティファールの新作発表会に行ったところ、
「洗濯王子」なるお兄さんが登場し、
新製品のアイロン実演を見せたのだった。
すでにこの方はそこそこ世間で知られているそうで、
今日のような場合は別名の「アイロン王子」となるらしい。
ハンカチ王子に始まり、今では料理や収納、
そして洗濯、アイロンにまで王子がいるとは。

おおよそ今どきの王子のイメージは、
後ろから前に流したレイヤーカット(って言うんですかね?)ヘアで、
顔はあっさり優しく、清潔感があり、
ちっともワイルドじゃないぜぇ〜なタイプ。
何かのジャンルに長けているが、これがオッサンだと
「達人」とか「プロ」と呼ばれるわけで、
若さ(実年齢というより見た目)は必須条件。
額に汗し、必死の努力でその道を極めている苦労感は
まったく出さず(元々あるのかは不明)さらりとスマートにこなす。
甘いスマイルでアドバイスしてくれる中性的な存在。
崇めているようで、"坊ちゃん"にも似た小バカにしている感が
そこはかとなく漂う気がしなくもない。
従来、女の仕事とされた家事分野だからか。
肉体労働系には王子とはつけられないだろうけど、
頭脳系もまた、王子とは呼ばれないのではないだろうか。

あとはどんな王子が考えられるだろうか。
同じテーマで王子がかぶる、という事態は避けなければならない。
洗濯王子が何人もいてはマズイだろう。
そうなると、王子はより細分化されていくより道はない。
全日本王子協会が結成され、名前の登録管理が行われるかもしれない。
裁縫王子(ミシン部門と手縫い部門それぞれ配置可能)、
靴磨き王子(あだ名はシャイン・〜)、包丁磨ぎ王子(トギー・〜)、
冷蔵庫整理王子(クール・〜)、常備薬王子、安眠王子、
風呂掃除王子、LED王子、漬け物王子、カビ取り王子、
虫退治王子、ゴミ捨て王子・・・

さあ、今ならまだ間に合うかも! あなたはどの王子になる?




2012年7月7日土曜日

ラテンといえども

これは授業のテキストではなくスペインの新聞"EL PAIS"の切り抜き。
通勤の電車内自習用だったので最近はやっていない。

今月で丸7年になる、スペイン語学習。
エライじゃないか、アタシ。
ここまで続いた趣味的なものは他にない。
とはいえ、以前は週2でやっていたのが最近は週1がやっと。
最初の2〜3年はそれなりにがんばっていたが、
この頃は予習も復習もしていない。
授業に行くまでの電車の中と、
先にカフェに着いて先生を待つ30分間に
大慌てでテキストの中のわからない単語を電子辞書で引く。
なので当然、ちっとも上達していない。ってエバルナ。
実はこのブログと同時にスペイン語版(内容は別の話で)
も立ち上げたのだが、1回きりで続いていない。
情けないったりゃありゃしないねえ。

先生は在日ウン十年の60代スペイン人男性。
"陽気でオープン、情熱的、歌って踊ってオンナ好き"
などというのがよくありがちなラテン人に対するイメージだが、
実際には決してそんなことはなく、人それぞれ、
むしろ意外とおとなしく真面目でシャイな人や
ネガティヴな人も少なくないということを、
私はスペイン語を習うようになってから知った。

ある時、カフェでレッスンを受けていたら、
流暢な発音を自慢するかのように
バカでかい声で英語を教えている日本人の女講師がいた。
席はだいぶ離れているにも関わらず筒抜けである。
一方、わがL先生は元々声が小さい。
「ウワァオ、グゥ〜ッ、イッツナイス〜」
(↑他にもなんかベラベラ言ってたけどそれは再現できない)
みたいな奇声にかき消されてしまう。
しばらくは我慢していたが、どうにもこうにもひどい。
先生も小声で「ウルサイデスネエ」と言う。
私は立ち上がった。すると先生は怯えた目で私に
「ドコイク?」と聞く。
アゴで「アイツ」とゼスチャーしたら
先生は必死で首を横に振り、「ヤメナサイヤメナサイ」。
しかし、私はウワァオ女に注意してやった。
中指立てて悪い言葉の一つや二つ吐き捨ててみたかったが、
そこはその、ヤマトナデシコですからね、もう少しお上品に注意しましたですよ。
席に戻ると「アナタハニホンジンジャナイネ、ボクニハデキナイ」。

最近知り合いになった、webデザイナーは偶然にも
アルゼンチン人男性(スペイン語圏)である。
欧米流に、私は早速「A-san(Aさん)」とファーストネームで呼び、
メールの冒頭もそのように書く。
1回くらいはつい勢いで呼び捨てで送ったこともある。
ところが彼は私に対し、毎回「Watanabe-san」と書いてくるのだ。
スペイン語の場合、丁寧な「あなた」とラフな「君」では
それぞれで動詞が違う。
L先生に対し、私は「君」呼ばわりでメールを書き、話す。
日本語ではもちろん敬語で話しているので、
先生にタメ口きくのは最初、気が引けたのだが、
スペインではあたり前で、むしろ丁寧な「あなた」だと、
よそよそしくて冷たく感じる、と先生から言われたのだ。
だから、たいていの人はすぐに「君」にして欲しいと思っている、
はずなのだが、Aさんは私に対し「あなた」のほうで書いてくる。
なので、私もそうしているが、今さら名字のR-sanに変えるのも
どうかと思い、そこだけはラフなままだ。
つまり、
「こんにちは、太郎。あなた様にデータをお送りしますので
ご確認の程よろしくお願い申し上げます」
と言ってるのと同じだ。どう思われているだろうか?

私だってもちろん、Aさんに対して友達とは思っていないから、
AさんよりRさんのほうが本来の感覚的にはしっくりくる。
日本人の仕事の相手を名前で呼ぶことはないし、
年下であっても仕事相手であればたいていは敬語を使う。
しかし、相手が外国人であれば、そちらの風習に合わせる。
その気遣い?が自分はいかにも日本人的だと思うが、
Aさんもまた、本当は名前でフランクに呼びたいが
日本のやり方に合わせているのだろうか。
AさんもL先生も、見るからに真面目で、もの静か、
ちっともコッテリ暑苦しい感じがない。
女の子の耳元で「踊り明かそうぜ」なぞ言ったこともなさそうだ。
そういう(ちょっと変わったラテン)人だから日本になじむのか、
あるいは、日本に長くいることでラテンっぽさが抜けていくのか。

逆に、これはまさにラテン男だから?という出来事もあった。
2年前にスペインへ取材に行った時、
バルセロナの現地カメラマンと初めて仕事を組んだ。
初日の昼間、レストラン1軒を取材した後、
私が泊まるホテルまで車で送ってもらった。
その夜はちょうど盛大なお祭りだったので、
その様子を一緒に撮影しに行こう、ということで、
私はチェックインして部屋に荷物を置き、
その間、彼は車を止めてフロントで待っているということに。
誰かが部屋のドアをノックするので開けると
どういうわけかそのカメラマンが
あたり前のようにズカズカと入ってきた。
なんで部屋がわかったのだろうか?
まあそれはフロントで聞いたのかもしれないが、
このホテルは部屋のカードキーを差し込まないとエレベーターが
動かない仕組みなのに、どうやってここまで来たのか?
セキュリティ意味ないじゃん。
そしていったい何しに来たのか?  聞きたいことはいろいろあるが、
それらをスペイン語に置き換えている余裕が私になかった。
とにかく早く部屋を出ようとすると、
「外はすごい人混みだから、そんなに荷物多く持ってると危険だよ」と言う。
外よりあんたのほうが危険ってことはないのか?
私が荷物を減らしている間、
彼は窓の外をのぞいたり部屋をウロウロ探索している。
ジャー。
ん? ジャーって何かしら?
いつの間にヤツは浴室に入り用を足して、何食わぬ顔で出てきた。
ちょ、ちょっとぉぉぉ、アタシだってまだ中を見てもいないのに、
何を勝手に使ってんのよ!! 行きたかったら1階にあるでしょうに!

と、憤慨を表現したかったのだが、結局何も言えなかった。
言葉に自信がないということもあるにはあるが、
たぶん、そのせいだけではない。
L先生よりはラテン度が高くとも、やはり私はラテン女ではないのだ。

その旅で取材したカタルーニャの3ツ星
「エル・セジェール・デ・カン・ロカ」のジョアン・ロカシェフは、
物腰やわらかで静かな語り口、細やかな神経の持ち主で、
これまたラテン的イメージとかけ離れていた。
一方、今はクローズしている「エル・ブジ」のフェラン・アドリアは、
丸い眼を更に見開いて、身振り手振りを交え、
ガラ声の早口でまくしたてるように語るところが
情熱的でラテンっぽいと言えばそうではあるが、
親近感は感じなかった。奇才シェフはこちらを
見つめてはいても、目の奥で何か違うものを見ていた。
エル・ブジで私が食事をしたのは2000年、
生まれて初めてのスペイン訪問でもあった。
その後、彼が来日した際に1回インタビューをした。
更にその数年後、今からは5年程前に、
アンダルシアでやはり短いインタビューをした。
その時に、私は習って2年目のスペイン語を少しだけ披露した。  
「おや、何でスペイン語を話せているの?」と彼が聞くので
「あなたと話すために勉強したんですよ」と言ったら、
「ええっ?」と怪訝な顔をされた。
ラテンなBroma(冗談)を言ったつもりだったのにな。

さて、今日はこれから授業だ。
文法主体で、カジュアルな会話やましてや悪い言葉など
教えてはくれない真面目一筋の先生の授業、
あとどれくらい続けたものか。

しかし私は知っている。
カフェでとなりの席に若い女の子が座ったり、
女性店員が通ったりすると、
先生はすかさずチェックしていることを。
やはりラテンの血が流れている。
え? 男なら国に関係なくみんなそう?