2015年6月27日土曜日

中国・煙台の旅3(グルマン世界料理本大賞)


中国・煙台の旅1

http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2015/06/1.html

中国・煙台の旅2

http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2015/06/2.html


3日目(6月10日)


相変わらずのがっつり中華朝食。
一番美味しいと思ったのは薏米茶
温かい豆乳で抽出したハト麦茶でした。





ちなみに、このホテルでは、夜のベッメイク時に
翌日限定の朝食券がベッドサイドテーブルに置かれているシステム。
前夜、お菓子2個と共になぜだか朝食券が3枚あった。
どういうこった? 
3回食べてもいいアルヨ、ということなのだろうか?


伊藤シェフはこの日の午後便で帰国する。
私は一人残ってもう1泊する。
(グルマンのプログラムはまだ続きがあり、食品や飲料に関するカンファレンスだの
プレゼンだのがあるらしいので、それを見ていこうと思い) 

シェフがチェックアウトする昼までは時間がある。
(ここのホテルのチェックアウト規定は14時ですって。ずいぶんゆっくりでいいアルヨ)

他の日本人の方から、「海に近い旧市街が雰囲気あってよかった」
という情報を得ていたので、シェフがフロントに尋ねてみる。
相変わらずかみ合っていない感じ。
「旧市街」がすでに通じていない。
が、ともかく、この辺りがいい感じだと地図を指差しているので、
半信半疑ながらそこへ行ってみることに。 
自転車で行ける距離だそうで、無料で貸し出すとのこと。
「2人乗り用にしますか?」と聞かれ、
即座に「ノーッ!!」と強く否定するシェフ。
もちろん私もそんな、諏訪湖の周辺でもまわるような、
タイムボカンシリーズのような(あれは3人乗りか)
そんなふざけた自転車に乗るつもりはないけれども、
あからさまに否定されると、 
なぜかしら、フラれた乙女心になり、
ちょっぴり寂しい〜♪(笑って、キャンディ!)。





かんかん照りの下、示された方角へ行けども行けども、
開発中の整備されたビーチが続くだけで、旧市街など出てきやしない。
旧どころか新も新。
やはり意味は通じていなかった。
30分くらい進んだところで、
「帰りますか」「はい」
思えば遠くに来たもんだ。
うぅ・・・足が、膝が・・・求むコンドロイチン&グルコサミン。

中国で私たちはいったい何をやっているんだろうか?



ホテルに戻り、シェフと別れた後、
私はグルマンの会場に行ってみた。
が、プログラムに書かれているようなカンファレンスだの何だのは
ちっとも行われていない。
欧米人参加者たちが屋外のバーでワインをダラダラ飲んで
ただしゃべっているだけだ。

私は後悔し始めていた。
私もシェフと同様、2泊で帰るスケジュールにすべきだった・・・。

閑散としたグルマン授賞式の会場。

ソフト、ラウンド、スクエア、ヘアカットバリエ。

俺たちはアンチ角刈り派。

日本人の参加者たちの多くも今日の便で帰ったらしい。
一部、残っている人に携帯で連絡を取ってみる。
「これからワイナリーに行く」とのことなので、
そこで落ち会うことにした。







「張裕ワイナリー」(CHANGYU)。
中国でもかなりトップクラスのワイナリーらしい。

http://www.cnjpgroup.com/eastone/

土産コーナーやギャラリーなど館内を一人でタラタラ見ていたが、
いつまでたっても落ち会うはずの人たちがやって来ない。
しびれを切らして電話をしてみると、
「ちょっと予定が変わって行けなくなった。ディナーは5時にグルマン会場から
 バスが出てレストランへ行くそうなので、そちらで会いましょう」
どうもグルマンのプログラムは曖昧模糊としており、
どこからどういう情報を得られるのかさっぱりわからない。
この時点で4時45分。
バス出発まで、15分しかないではないか。

暇そうにスマホをいじっている受付嬢にタクシーをお願いすると、
タクシーは無理だと言う。
なんでなのかはわからない。
英語がちっとも通じない。
丁寧に説明すればわかるとでも思っているのか、
中国語で必死に何かを説明している。
外の道路にあるバス停を指差し、バスに乗れ、と言ってるらしい。
アール・イーとくり返すので「21番」らしい。
私がどこへ行きたいか伝えていないのになぜ21番限定なのか?

困ったなあ。路線バスを待ったりしている時間はないのだよ。
21番が本当に正しいのかもわからないし。
グルマン会場からここまではワンメーター程度だったので、
走って帰ればギリギリ間に合うだろうか。
道順は割に単純だった気がするが、
途中2回くらい曲がったので自信はない。
グルマンのバスに間に合わなかったら、夕飯にありつけん。
ああ、やっぱり今日帰国にすればよかった、後悔がさらに深まる。
何の因果で、この見知らぬ土地で、
私は朝から自転車をこいだり、今は走れメロスになろうとしているのか。
誰か〜誰か〜助けてくれぇぇい。

と、ワイナリーの外に、欧米人3人がいるのを発見。
彼らはグルマン会場で見かけた人たちだ。
勇気を出して、手前にいた一人に話しかけてみる。
彼はフランス人シェフで、スペイン語ができるという。
「これから歩いて会場まで帰る。バスの出発は5時40分だから大丈夫」
時間の情報が錯綜しているのか、あるいは変更になったのか。
わからないが、ともかく、一緒に帰っていいかと聞くと「もちろん」とのこと。
助かった〜。
彼はテレビの料理番組部門で受賞した人らしく、
他2人は制作仲間でムービーカメラを手にしている。
今回のグルマンの様子も録っているようだ。


どこへ連れて行かれるのかわからないままバスに乗る。
途中、渋滞にはまる。
欧米人たちは、なぜかドレミの歌を合唱している。
過去にもこれと似たシチュエーション(何らかの集まりで欧米人たちとバス移動)
を何度か経験したことがあるが、
いつでも彼らは賑やかで、落ち着きのない小学生の遠足状態だ。

1時間程かかってレストランに到着。
食事はコース仕立てで、これまでで一番まともではあったが、
それでもやっぱり、グルマンワタナベの胃袋と心は満たされない。


なまこの姿煮。




つぶ貝の炒め物。うま味調味料がしつこい。


羊肉の肉まん。

やはりここでもタレなしの餃子。







加えて、鼓膜が破れるかと思うほどのすさまじい大音量で中国人が次々と歌を披露。
実に気持ち良さそうに歌っているのだが、お世辞にも上手いとはいえない。
途中からは欧米人がマイクを奪い、カラオケ合戦さながらに。
ワイナリーから一緒に歩いて帰ってきた彼も、カメラを回しながらはしゃいでいる。
私というか我々日本人はどうも乗れない。
何が楽しいのかわからない。
彼らがノー天気なのか、我々がつまらん人間なのか。
自分もマイクを取って朗々と歌ってみたら、どうなるのかな。
歌は何がいいか、「北国の春」あたりかな。
何で北国の春なんだ。

こうして、煙台の夜はふけてゆく。
(つづく)




2015年6月23日火曜日

中国・煙台の旅2(グルマン世界料理本大賞)


中国・煙台の旅1

http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2015/06/1.html



2日目(6月9日)
 

怪しい寿司。これは食べていない。


  ホテルの朝食。
食べきれない数の中華料理がずらり。
中国人客は朝から大量に食べる。
ドラゴンフルーツ、チェリー、スイカなどの果物てんこ盛り、
焼きそばに炒飯、豚バラ煮込みだのガッツリ系料理をやはりドサッと。
みんなパワフルだなあ。
私も負けじといろいろ盛ってみたが、
肝心のお味がねえ・・・どうも今ひとつなんですなあ。


料理本の授賞式は昨日と同様、夕方からで、それまではフリータイム。
ホテルやグルマン会場周辺には目ぼしい観光スポットはない。
伊藤シェフと共にタクシーで街の中心地まで行ってみることにした。

運転手はみな英語が通じない。
ホテルのフロントで行き先を伝え、それを通訳してもらうが、
しかしフロントもあまり得意ではない様子。
地図を広げながら、こちらが求める
中心的な繁華街をぶらぶら散策したいがどのあたり?」が、なかなか通じない。
質問はシェフがやってくれているのだが、私は思ったね。
シェフのたたみかけるような早口の英語よりも、
むしろ私の大平総理的な(アーウー) 、
わかる単語を最小限並べただけの英語のほうが通じる気がする、と。
相手も英語が苦手で戸惑っているのは明らかなんだからにぃ。
とはいえ、「ここはひとつ、私が」としゃしゃり出て、
さもできるのかと思いきや「アーウー」では、シェフが肩をすくめるに決まってる。





中国人男性の多くが角刈りだ。
バックミラーに映るサングラスの運転手は、そこだけ切り取れば西部警察の大門風。
実際には小林旭。
彼らは、よくそのへんでつば?たん?を吐く。さすがマイトガイ。





街には無印良品やアップルストアがあり、
三越クラスと思われるデパートにはスタバやハーゲンダッツなどがあった。






大型スーパーの地下に行くと、
お好みでチョイスするサラダなどのデリが人気。
ビニールを敷きこんだザルに具材をバンバン放り込んでいる。
そのままビニールだけ取り出して口をしばればテイクアウト完了、だ。




ドナルドとミッキーのいとこ? にも出会いました。















裏道に入ると、屋台村のような庶民的な通りがあり、
焼きそばやらイカ焼きやら、いろいろな食べ物が売られ、賑わっていた。
買いに来ている若い女性たちは、
きれいな黒髪をひとつに束ねて(染めている場合は赤の人が多い)、
チュールスカートをはいている。
日傘をさしている人も多い。








麺を食べる。私は青菜のラーメンで8(160)、シェフは牛肉刀削炒麺13元(260円)
シェフもスープ状のものを食べたかったのに、「炒」の文字を見落としたため、
出てきたものは甘いケチャップ炒めだった。

途中、入ってきたカップル、真夏のような陽気のせいか、
男はTシャツを胸の上部までたくし上げ、裸の胴体を出した状態で席に座り、
そのまま食事をしている。
この後、私は街で同様の格好をした男を2人見かけた。
「煙台ではいま、腹見せモードがきてる」のではないか。









夕方、cook bookの授賞式の時がやってきた。
他の日本人の著者たち、例えば『日本料理と天皇』(エイ出版社)の松本栄文氏や、
『一日一菓』(新潮社)の木村宗慎氏らは着物姿で、
それぞれ着物の女性関係者数名を従えているため、
世界各国のメディアが集まる中、カメラが向けられる率が高い。
木村氏には日本のテレビのドキュメント番組のクルーがはりついている。

cook bookは、A〜Fのカテゴリーがあり、それぞれさらに10〜20に分かれている。
『アメリカン・アペタイザー』はC17 US CUISINE部門、
『SPICE CAFEのスパイス料理』はE2のSINGLE SUBJECT部門にノミネートされている。

「Eだから、まだまだ、だいぶ後だよね〜」とシェフ。
Aからスタート、各部門ごとにノミネートの書影が壇上のスクリーンに映し出され、
続いて、画面はグランプリ・準グランプリ・3位の書影に変わり、
コアントロー氏がグランプリのみ読み上げる。
会場の客席で、受賞者とその関係者の歓声が上がる。
グランプリの著者は登壇し、賞状を受け取り、1分程度スピーチ。
グルマンは「料理本のアカデミー賞」なぞと言われているらしく、
テレビで見る、俳優や監督が周囲の仲間にハグやキスしつつ舞台に上がる、
あの感じが繰り広げられるのである。

スパイスがグランプリを取った場合には、もちろん伊藤シェフが登壇する。
が、アペタイザーがグランプリだった場合には、著者のアンダーソン夏代さんは
残念ながら今回来ていないので、代わりに私が賞状を受け、スピーチする必要がある。
さあ、どうする、私。
昨夜から、その場合に備えてコメントを考えていたけれど、
やっぱり英語はできそうにない。
こうなったら、お礼だけ英語で言って、残りはスペイン語でやるしかない。
スペイン語だって自信はないがまだマシだ。
アメリカ料理部門でなぜかスペイン語でスピーチ、
おかしいっちゃおかしいが、背に腹は代えられぬ。



いよいよ、C17の発表。





キターッ。
準グランプリ受賞!!!!!!
壇上でスピーチするのはグランプリのみなので、
私がナタリー・ポートマンやハル・ベリー、ケイト・ブランシェットになる機会は消えた。
それはともかく、夏代さんは前著『アメリカ南部の家庭料理』でも
準グランプリを受賞しているので、2回連続の快挙だ。




興奮冷めやらぬまま、カテゴリーはEに突入。
シェフが水を飲む回数が増えてくる。



E2のノミネート作品は全部で9冊。
グランプリは・・・・“SPICE CAFE!!”   “Japan!!”
やったーと、私は大きな声をあげたように思う。
が、その後は、カメラ担当として壇上のシェフを撮ることに夢中で、
彼のスピーチがどんなだったか、ほとんど覚えていないというか聞こえていない。
(後から日本人関係者に聞いたところ、情熱が感じられる良いスピーチだったとのこと)






コアントロー氏と伊藤シェフ。

各部門のファイナリストとグランプリ・準グランプリ・3位の受賞作品は
↓ こちらで見られます。

http://issuu.com/gourmand_international/docs/gourmand_cookbook_awards_winners_20/295?e=4327854%2F13405484


いや〜、ヨカッタヨカッタ。
とり急ぎ、アノニマ・スタジオの編集者Hさんに
「アメアペ準グランプリ! スパイスグランプリ!」とメールを打つ。


夕食の会場は、たまたま私たちが宿泊しているホテルの宴会場だった。
料理は中華のビュッフェ。写真に撮っていない、つまり、そのような程度でありました。
が、昨夜とは異なり、今夜は「よかろう、くるしゅーない」と喜びで満ち足りている。
先述の木村氏もグランプリ受賞、松本氏の本は特別な殿堂入りを受賞、みなで乾杯する。

↓日本の受賞作品一覧はこちら。

http://cookbookfair.jp/?p=703


煙台と同じ山東省の青島ビールを飲み、中国産ワイン(実は中国はワイン生産が盛ん。
ここ山東省は中国のボルドーと言われている)でほろ酔い気分になり、
そのまま上階の自分の部屋へ。
気まぐれWiFiと格闘しながら、関係者へ朗報を打ち、
ホテルのおばさん臭い石けんでお風呂に入り、就寝。
(つづく)

新疆ウイグル地区のワイン。









2015年6月21日日曜日

中国・煙台の旅1 (グルマン世界料理本大賞)

1日目(68日) 

成田よりアシアナ航空で、韓国経由、中国山東省・煙台に向かう。
2015グルマン世界料理本大賞」の授賞式に出席するためだ。

  グルマン世界料理本大賞とは? 詳しくは以下をご参照いただくとして。

前年に出版された世界中の料理本から選考され、
カテゴリー別にそれぞれ510冊ほどがファイナリストとなり、
そこからグランプリ・準グランプリ・3位が決められる。

私が編集を手がけた『アメリカン・アペタイザー』と
SPICE CAFEのスパイス料理』(ともにアノニマ・スタジオ発行)
アメリカ料理部門と単独テーマ部門でファイナリストに残ったのだ。
開催地はパリやバルセロナ、北京など毎年異なり、
今年は中国・煙台(ヤンタイ)という聞きなれない土地である。
そこまでわざわざ行っても空振りで終わる可能性もおおいにあるのだが、
スパイスの著者、伊藤シェフが「おもしろそうだから行く」と言うので、
ならば私も、とあいなった。

アシアナ航空も、韓国の仁川空港でのトランジットも私には初めての経験。
今回の旅で、機内食を都合4回食べたのだが、いずれも有無言わさず
肉とご飯の組み合わせで、プルコギや鶏肉のスイートチリソースなど甘濃いタレ味。
熱々なのには驚いた。機内食をハフハフいいながら食べるなんて。
毎食必ずチューブ(15g)のコチュジャンが添えられているのにもびっくり。
こっそり周辺(の韓国人客)を観察すると、みなコチュジャンを全部しぼり、
ビビンバのようにぐっちゃり混ぜ込んでから食べている。
本当に、そのような食べ方が彼らの習慣なのですねえ。
しまいには別の器に入っているゆで卵サラダを肉ご飯の中に混ぜたり、
その混ぜたものをパンに挟んで食べたりしていた。
どんだけコラボ好きなのか。

仁川空港では、MERSの影響か、やはりマスクをしている人が目立つ。
今回、煙台ではおそらくお土産は買えそうにないこと、
帰りのトランジットはほとんど時間がないことなどから、とりあえず、
韓国土産のお決まり、美容フェイスシートマスクだけ購入。
まだ時間が余っていたので、搭乗口そばにあるファストフード店で、
ブリトーみたいなものとコーヒーを買って食べる。
おいおい、この2つがまた尋常じゃない熱さ。
私は決して猫舌ではなく、熱々を好むほうだが、それにしても熱すぎる。
ブリトーの中身は牛肉で、これもピリ辛の濃い味。
韓国人はよほど「ホット」なものが好きなのだなあ。


韓国から1時間ちょいで煙台空港に到着。
大気が霞んでいるのはPM2.5のせいなのか?
空港はまだ新しくピカピカだ。





グルマンの参加者には、空港からホテルへの送迎があるという事前情報があったが、
具体的にどのようになっているのかは、何も知らされていなかった。
到着口から出ると、GurmanだかGolmanだったか忘れたけど、
間違ったスペルで書かれた小さな紙切れ1(正しくはGourmand Awards)
持った中国人の若い女の子2人が立っていた。
ここで、同じ飛行機に乗っていた他の日本人参加者たちにも出会った。
てっきりマイクロバスに乗るものと思っていたが、
どうやら数台の自家用車に別れて乗るらしい。それならそれでかまわないけれど、
いったい何をもめることがあるのか、彼女とその仲間たち数人は、
なんやーかんやーと中国語ならではの激しい口調で言い合っており、
私たち日本人は放置プレイ状態。
 この若者たちはいったい何者なのだろうか?


煙台は、いかにも開発中の土地で、
そろばんを立てたような細かい目の高層マンションがあちこちに建設中。
(なのか、放置されているのか、よくわからないけれど)
足場など何も組まれていない状態で、
窓なし手すりなしのベランダの部屋のマンションが
そこらじゅうにそびえ立っているのだ。






ホテルは、グルマン事務局からおすすめの(参加者優待割引のきく)数軒の中から
事前に好みで選び、予約を入れてある。
私とシェフが宿泊したのは

烟台昆仑国际大酒店(Kunlun International Hotel)

日本人参加者でこのホテルの選んだのは私たちだけのようだ。



室内はゆったり、ベッドも広々ダブル。


窓からの風景。空気が怪しい。

ウェルカムフルーツは出前のラーメンのようにぴっちりラップ。

バスルームは浴槽とシャワー室が左右に分かれている。
石鹸が昭和のおばさんっぽい匂いで困った(石鹸は持ってきていないもんで)。
アメニティグッズもいろいろ揃っているが似たような匂いがしそうなので
をつけないことにする。
その横には、おそらく避妊具などが有料で置かれている。



部屋のドアの覗き穴が、私だと必死に背伸びしてようやく見える高さ。
中国人の体格の良さの証だろうか。


ひと休みした後、グルマンの会場へ。
室内では中国式のおもてなしパフォーマンスをやっていた。




カワイイと思わせてコワイ。

最初からコワイ。



授賞式は野外の中庭。この日はドリンク・アルコール関連本の授賞式。
私たちの本は明日なので、リハーサル感覚で一通りを見た。
夕日の逆光がとても眩しく、終わる頃にようやく日が暮れた。
途中、私の前に座っていた、がたいのいい中年の中国人女性が私にiPadを渡し、
壇上を背景に撮ってくれ、という。
撮った後、すぐに写真をチェックし、それが気に入らなかったのか、
何枚も自撮りしていた。



ドローン撮影あり。

会場背後はマンション建設ラッシュ。海が目と鼻の先。


誇らしげに踊るオープニングパフォーマンス。かなり年季の入ったお姉さま方。


主催のコアントロー氏。

壇上のスクリーンにグランプリが大きく映し出される。

授賞式後のディナータイム。
中庭から海に向かう道に延々と連なる細長いテーブルを囲み、
なぜかみんなで餃子作り。
座る席は特に決まっておらず、シェフと2人、その辺に適当に座ると、
私の向かいは、あの自撮りの女性だった。
どういう巡り合わせだろうかねえ。
(彼女は今回はノミネートはされておらず、偵察に来たらしい)

長い長い千歳飴のような状態の生地を小さくカットし、
その場で彼女たち中国人が麺棒で丸く伸ばしていく。
よく見ると、縁の部分は薄く、中心は少し厚く残すのがコツのようだ。
皮ができると「ほい」と渡されるので、
我々、海外からの訪問者たちは具を詰めて包む。
最初のうちは楽しかった。
が、薄闇の中、ぷっくりと膨らむ餃子とは裏腹に、
我が胃袋はもはや空気が完全に抜けた風船状態。
作れども作れども、この作業、いっこうに終わらない。
参加者は300人以上いると聞くが、一人5〜6個も食べれば十分のはずで、
すでにその数はとっくに超えているのだが。
まさか今宵は餃子オンリー食べ放題パーチーではあるまいな?
王将でバイトでもしているような気になってきた。
竹中直人方式で、笑いながら「いいから早くゆでてこいや」と日本語で言ってみる。
シェフもしまいには変な形の餃子を作り出した。








餃子をゆでる釜。





ゆで上がった餃子がようやく届き、かぶりつく。
意外とあっさりした味つけ、タレをつけたい(けれど、ない)。
シェフがぽそっと「なんとなく生っぽいね」と言う。
途端に私の箸が止まる。
しかし空腹には耐えられない。
何とかだましだまし食べつつ(5種の具材があったのでなるべく野菜のものにして)
紹興酒で体内消毒。

その後、徐々にいろいろな食べ物が運ばれてきたが、
どれもこれもまあ実に素朴、というより他にコメントなし。
照明がほとんど当たっておらず、暗闇に提供されたせいもあったかもしれないが。


アンドーナツのようなもの。かなりオイリー。
手羽先の醤油煮。
たぶん干し豆腐の一種。これが一番マシだったかな私には。

おそらくサンザシのゼリー。

饅頭(まんとう)の一種。目のツマリが半端なく、ひとくちで口の中の水分すべて持って行かれる。

涼粉の一種だろうか、わらびもちのような食感、からし醤油。
美味しそうに見えたが、なぜだろうか、そうでもない。

ゆでた羊肉。さほど臭みはないが味も特についていない感じ。

煙台はスイカとチェリーの産地。スイカはちょっとえぐみがあった。


となりの席に座っていたのは、若い中国人女性。
私よりももっと英語ができない子なのだが、一生懸命こちらに話しかけてくる。
どうやら、幼い子がいて、銀行にパートで勤めているらしい。
(どうして銀行員のあなたがこのグルマンにいるのか?と聞いても伝わらない) 
なぜか私のことがとても気に入ったらしい。
“You are more beautiful than him”と言い、シェフと私を交互に指差している。
どうなんだろうかその比較は、喜んでいいのか。
「珍しいねえ、10年分の褒め言葉もらったじゃん」とシェフが笑う。
ちょっと、妬いてるんすか?  それはそれでひどくないですか?
私とツーショットを撮った(彼女がケータイをシェフに渡して撮らせた)後、
「あなたの魅力はこういうことだ」と、
彼女はケータイ辞書で何か言葉を引いて、私に見せてくれた。
記念にそれを撮っておいた(よくわかんないけど)。
せっかくの10年分の褒め言葉ですからね。






ホテルに戻る。





部屋のWiFi、これが今回の旅で一番の厄介者だった。
テーブルに置かれた説明書きには、
「調子が悪い時は(ルーターを)いったん抜いて、5秒経ったら再び差し込め」
と真面目に書かれている。
この旅の間、いったい何回、私はこの抜き差し作業をしただろうか。
5秒いや10秒にしてみよう、とか、10分以上使わないようにしよう、
君は夜が得意?それとも朝派かい?など、
できうる限りの創意工夫を凝らしたものの、
果たしてそんなことに意味はあっただろうか。
調子がいい時でも、できるのはメールのみで(gmailはイマイチ)、
インターネットを見たりすることはできなかった。
ラインは調子いい時と全然ダメな時があり。
あとから知ったが、中国はどうもgmailが使えないらしいですね。
(つづく)