2012年11月2日金曜日

厨房に入る

レストランへ取材撮影に行くと、私は必ず厨房に入って調理の様子を見せてもらう。
それがあたり前だと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。
「ここまで見に来た編集の人は初めてですね」と驚かれることが時々あるのだ。
一般誌ならまあわからなくもないのだが、
専門誌においても厨房を見ないとは。こっちが驚いた。
あ、もちろん、勝手にズカズカ入るわけじゃないですよ、
シェフの許可を得てからですよ。
シェフによっては、あんまりそばで見つめていると
落ち着かないという人もいるので、そのような場合は少し距離をおいて。
一方、シャッターを切る時など、写真撮影の重要な場面では
シェフと話したりせず、必ずカメラマンのところに。
できるだけカメラと同じ目線の位置に立つ。
そうしたやり方を元いた会社のスタッフにも徹底させていたつもりだったが、
どうもそうしていない様子なのだ。
なんでなんだ?

私はいわゆるグルメライターではないので、
文章を書くにあたり、絶品! ウマっ!究極の味、といった味の賞賛はしない。
また、「素材の持ち味を最大に引き出す」だとか
「手をかけ過ぎないようにしている」だとか
「クラシックをベースにオリジナリティを付加」だとかの、
私からするとよくありがちな、あるいは曖昧な
シェフのセリフをそのまま書かないようにしている。
かといって、その言葉に化粧を施し、より耳あたりの良いキザなセリフに
仕立てることもしない。

それでは、原稿が書けないのではないか?
そうです、書けないです、私には。そんな手法では。
厨房をのぞいたから書けるわけではもちろんないが、
せめて少しでも料理が作られるライヴを見ることで、
料理される前の素材の状態がわかるし、
インタビューや紙に書かれたレシピだけでは得られない事実がキャッチできるし、
更なる質問も出てくる。逆に、見てわかったことはもうシェフに
いちいち聞かないで済むということもある。
調理そのものだけでなく、厨房の構造や衛生状態、スタッフの動きなど
さまざまな要素を観察することで得られるものがある。
おそらくノンフィクションライターと同じ感覚かなと思うが、
そうした事実情報をより多く、できるだけ正確に得て積み重ねていくことで、
そこから言葉を紡ぎ出したい。
わかった気になってパターンにはめたり、
ムーディー(中身はスカスカ)に逃げずに
みっちりずっしり実が詰まってお得だわこれ!! な原稿にしたい。
素材を生かす、ではなく、素材を生かすとは具体的にどういうことか、を
追いたい。私が褒めたたえたりせずとも、その料理を的確に説明することで、
これは美味しいものだろうとわかるような文章を書きたい。

まあようするには、自分自身が持っているものなんて
なんぼのもんじゃいということですな。
厨房も見ずに、料理が出てくるのをお客さんみたいに待って、
それを味見でもして感想で文を書くなんて技は私にはできない。
それに、単純に言ってのぞき見たいのだ。見ずにはいられないのだ。
厨房が好きなのだ。厨房に限らず物作りされる現場が好きだ。
ずうずうしいのかもしれないが、
(それで元スタッフたちは気兼ねしているんだろうけど)
邪魔なら邪魔って叱られるだろうし、
しかしそう言われたことは・・・記憶にないなあ。
シェフが呆気にとられて言えないだけなのかどうかは知らないけど。
 
だから、これからもこのやり方でいくさ、私は。

ただ・・・悩むことがある。
そうは言ったものの、調理を見ずして取材記事がまとめられ、
それが世に出て、実際に売れている。つまりそれで良しとされている。
私がやっていることよりも、そっちのほうが世間的には支持率が高いとなれば、
いったい私は何のためにやり通す気なのだろうか。
細かく裏を取る作業に何か意味はあるのだろうか。
と、たまにフテクサレル。


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