2012年10月27日土曜日

ときどきふと。

父が高齢のため、車を手放した。
超安全運転タイプだったが、少し前に軽い接触事故を起こしたらしい。
相手は歩行者だが、こちらはノロノロ状態だったので
幸いにもかすった程度で済んだ。
子供が寝ている間にオムツを急いで買ってこようと
いきなり角から飛び出したのだという。
警察が来るのを待っていたら、その角の家の老婆が様子を見に出てきた。
一度引っ込んでまた出てきた時には、
皮をむいた梨をお盆にのせており、まあどうぞ、と言われたそうな。

その出来事とは別に、前々から父親より
お前は長らく車の運転をしていないのだから
もうしないほうがいい、免許証は身分証明として使えと言われている。
娘が交通事故を起こすのがよほど心配らしい。
母親は、まあしかし、ペーパーじゃあもったいなかったわねえ、と言う。
いや、私、ペーパーではないよ、確かに長らくまともに運転していないから
車庫入れや縦列駐車は怪しいけど、運転自体は別に普通にできるよ、
昔はよく運転してたじゃん、と言っても、
そう?でももうムリよ、とにべもない。
ぅぅ〜なんでムリと決めつけてんだよ〜、
ホントは沖縄へ旅行に数回行ってレンタカー運転してんだぜ、
近所のビバホームで軽トラ借りて(知ってました? 車貸してくれるんですよ! )
家まで重い荷物を自分で配達したことも2回あるんだぜ、
と言って名誉挽回したいのだが、
親に隠れて煙草吸ってる子供みたいなもんで、
挽回どころか余計な騒ぎになるので言えないのだ。
根拠のない「アタシできるもん」としか思われていない。
何歳になっても、親から見たら子供は子供なのだな。

ちなみに原始人ワタナベ。
車もやはりマニュアルのほうが身体になじんておりますデス。
原始人気質は血筋ゆえ、親の車がずっとマニュアルだったもので。
逆にオートマでの体験数は数える程度のため、未だギアがどういう順で
並んでいるのかイマイチ覚えておりませぬ。
(えっ、何か今、ドン引きされている?)
でも運転は大丈夫だってばー。

20代の頃、アピシウス総料理長だった今は亡き髙橋徳男シェフの
料理講習会のため、シェフと食材などを車に乗せ、仙台まで行ったことがある。
行きは私の上司が運転し、帰りは私が運転した。
途中、サービスエリアで飲み物は何にするか髙橋シェフに聞くと「ボク、ビール」。
ビール、ビール・・あれ? 売ってないな、ってそりゃそーですよね。
帰り道、シェフはずっと寝ていたはずなのだが、
東京に着くと「あんた、スピード出し過ぎ!!」と言われてしまった。


家のすぐ近くに教習所がある。教習が終わるとこんな放送がかかる。
「お疲れ様でした。最初からうまくできる人はいません・・・」
慰めの言葉。最初はみんなうまくできない、車に限らず何だってそうかもしれない。
それが、どのあたりから、どのようにして差が出てきて、
その結果、自分はうまくできる人になるのか、あるいはできない人になるのか。


私が教習所に通っていた時、心理テストみたいな適正チェックがあった。
教官が読み上げる質問に対して、イエスかノーかにチェックを入れる。
「人に割り込まれるとカッとなる」とか
「誰も見てなければまあいいやと思う」とか
イエスにしたら明らかに不適正と言われるに決まっているようなものばかり。
しかもその読み上げ方が百人一首みたいな妙な節まわしで言うもんだから、
笑いをこらえるのに必死だった。
「ときどきふと〜、死にたくなる」
どういうつもりなんだ、いったい。

しかしさ、生きていたら、たまに死にたくなるような時もあるじゃないか。
ときどきふと〜という表現が、
メランコリックでポエティックな響きで私は気に入った。
思い詰めるよりもさりげなく、だからこそ狂気との紙一重な雰囲気。
正直にイエスにしていたら、免許もらえなかったんだろうか。


2012年10月21日日曜日

衣替え




















このところなんだかとっても忙しくて、スラムと化していた我が家。
散らかるのってホント、簡単ですよね、あっちゅーまだ。
こんな時にもし、ヨネスケが突撃してきたらどうしたものか。
ようやくこの週末、お片付け。
そして、気づけばもう間もなく冬ではないか、
どうりで今までの薄い布団では寒いわけだよな(って鈍すぎ?)。
というわけで衣替えも。

そもそもなんで衣替えってしなければならんのだろう。
スペースがない、の一言に尽きるのではないか?
広いクローゼットがあれば、そこに春夏秋冬、並べておけばいいのだから。
IKEAの大きな棚かなんかでね、ピシーっと。ずらーっと。
それができないから、仕方なく収納ケースにしまったり、
奥のものと手前とをチェンジしたりしなければならないのだ。
『あなた』の小坂明子は、もしも家を建てたなら
どんな収納スペースにしたいか、歌っていないか。
いないね。収納はロマンチックじゃないからね。
しかし、小さな家で暖炉まで作っていたら、
収納スペースはおそらく確保できていない。
収納問題がクリアしないとお洒落な家にはならんのですよ。

我が家の場合、まず小さいクローゼットがあって
コートやジャケット、パンツなど吊るすタイプのものは
すべてそこに収納、それ以外のセーターとかカットソーなど
たたむタイプはオープン棚みたいなものに収納している。
その棚にはオンシーズンの服を入れるのでいっぱいで、
オフシーズンのものや、圧縮袋に入れた布団はロフトに収納してある。
なので、衣替えとなると、いちいちおろさなければならず面倒なのだ。
ああ、あと何年、私はこうしてロフトの階段を昇降できるのだろうか、
と老後の不安までよぎってくる。

冬物はカサがあるから、棚はすぐにいっぱいになる。
並べて、改めて眺めて見ると、
♫どの棚見ても同じだな〜(チューリップのメロディで)。
いつもいつも同じような色やテイストのものを買ってしまう。
違う服を着ていても、人からは着たきりスズメに見られるのだ。
断捨離して新風を吹き込みたいところだが、
この冬は貧乏なので(今までが金持ちという意味ではない)
服は買えない。
まあでもたいした悩みではない。
ファッションにそれほど興味がないもので。

整理ついでにCDをブックオフへ売りに行った。
うちのCDの棚は200枚強程度の収納スペースなのだが、
そこに入りきらないCDが何十枚かに増えたら、
その分を処分することに決めたのだ。
何枚かは50円で、あとはすべて1枚たったの5円。
お小遣い稼げず期待ハズレなことのがっかりというよりも、
制作者側の気持ちになって、
自分の作品がタダ同然で扱われるのかと思うと
ちょっぴり哀しくなった。
私が作っていた本は、古本屋で半額くらいで売られているらしい。
CDに比べたらまだマシのようだ。


2012年10月15日月曜日

音楽の記憶

レコードからCDに移り変わる時代、
こんなペラペラのケースのちっぽけなものにすべてとって変わるとは思わなんだ。
レコードかCDかは好みで選ぶんだろう、
自分は当面レコードだけどなあ、くらいに思っていた。
なんせ、ジャケットが小さくなるのがさびしかったもので。
古いヤツだとお思いでしょうが(by 鶴田浩二)
ちなみにケータイもそのノリで、初期の頃はケータイ嫌い派が2〜3割いたので
それはずっと続くものと思っていたら、
いつの間に誰もおらず一人置いていかれたわけだが。
しかしレコードに関しては、気づけば私もCDがあたり前になっていた。
なんでかな。音がどうのというよりも、
傷つけないよう、気を遣ってジャケットからレコードを出し入れしたり、
プレーヤーにセットするのが面倒になっただけなのかも。
それでも昔は「CDを買いにレコード屋へ行く」としばらく言っていた気がするが、
いつからそう呼ばなくなったのだろう。
タワーレコードよりHMVに行くようになってからか。
でも、「CD屋に行く」とは言わず「HMVに行く」と
言っていたのではなかろうか。
何? ひょっとして格好つけてた? 「新星堂」じゃダメなの?
ああそうだ、忘れてしまっていたが、
「六本木WAVE」が好きでよく行ったものだったなあ。

ティーン時代(←ってなんかこっ恥ずかしい言い方だ)、
初めてまともに自分で買ったレコードは
大瀧詠一の「A LONG VACATION」だったと記憶する。
なんでこれを選んだのか、よくわからない。
そんなに好きだったわけでもなかったと思うが。
ある日、家に帰ると、応接間の大きなステレオ(コンポの前時代は
やたら大きい時代でしたよね)に向かって弟が正座していた。
しかし音楽はかかっていない。
「何してんの?」
弟は振り向いた。泣いていた。
「ごめんなさい、お姉ちゃんのレコード掃除してあげようとして・・・」と
致命的なレベルの傷が入った私のロンバケを手にしていた・・・。
いつもバトルの絶えない姉弟ではあったが、
この時ばかりは不憫になり、怒れなかった。


近年はもっぱらAmazonで購入している。
便利だし、安くなりましたよねえ、ほんとに。
中古レコード屋やレンタルなぞに行っていた時代からしたら、
信じられないくらい。
そして、なんといってもiTunesが便利だ。
パソコンにすべてのCDを落としておけば、
いちいちCDを出し入れせずに
音楽を流しておけるのだもの。iTunesだもの。
無線でスピーカーに飛ばせるし。
自分のiTunesを見ると、全部を流すのに11.7日かかると出ている。
結構な量ですなあ。



でも音楽って不思議だ、一度聴いたメロディは覚えてしまう、
タイトルや歌詞は覚えていなくても
イントロを聴けばメロディは口ずさめる。
しかも何千曲も。
10日以上の曲がiTunesに入っていても、
それがシャッフルモードでいきなり流れても、
あれ何この曲?などとは決して思わないのだ。
クイズ・ドレミファドン!の高島忠夫もびっくりだ。
歌詞だって、例えば松田聖子の歌など、
別にiTunesには入っていないし
普段歌いもしないが歌える(ただし古いものに限るが)。
自分がまだ生まれていない昭和初期の歌もかなりの数で知っている。
ナツメロのテレビなどを見て覚えてしまったのだろう。
昭和初期ではないけど、知る人ぞ知る
バーブ佐竹の青いゴムゾーリだって歌えるぞ。
これってしみじみすごいことだなあと思う。
いや、ゴムゾーリじゃなくて。
英単語は一つ覚えるのも苦労する。
人の名前や数字はちっとも頭に入らない。
毎日いろんなことをどんどん忘れていく。
しかし、音楽は覚える気がなくても忘れない。

ならば。世の中のすべてにメロディがつけばいいのにな。








2012年10月9日火曜日

神保町の異邦人

先日、用事があって、神保町に出向いた。
約束の時間までしばらくあったので、そのへんをぶらり。
ご存知の通り、この界隈は古本など書店が連なり、学生街でもあるため、
東京のカルチェ・ラタンと称される。
軒先に積まれた全集などを物色する老人や学生、
そして時刻は13時近くだったので、
首から社員証をぶら下げたサラリーマンやOLたちが
ランチを終えてオフィスへ戻るタイミング、
あるいはそのへんのベンチで軽食を食べる人たちなども
まだ多くいて、街はにぎやかだった。
10月に入ったというのにまるで真夏のような太陽、
けれども日陰では、涼しく乾いた空気が密やかに流れ、
確かにもう秋が来ていることを感じさせる。

私は一人。ああ、この感覚。
パリかどこか外国の街を一人歩いている時の感覚に非常に近い。
というかほとんど同じだ。
私は今、ここ神保町で異邦人なのだ。
もちろん海外と違って日本語で通じるわけだが、
とりあえず誰とも言葉を交わしていない。
まったく初めての土地というわけではないものの、
滅多に普段は来ないため、
この街の地図を、流れを、しきたりを、知らない。
私が長年通勤していた青山とはまるで世界が違う。
それはある意味、完全な共通言語を持っているわけではないと
言えるのではないか。
不慣れな街はいくらでもあるが、
古本屋が立ち並ぶ独特の雰囲気と、
その風景を珍しくもなくあたり前として
日々を営んでいる人々の中に
もう会社員ではない私は一人いて、
加えて偶然にもヨーロッパに似た天気だったため、
そうしたいくつかの条件が重なって、
私は異邦人だった。

異邦人は限りなく自由で無責任で孤独だな。

そんな、淋しくも愉快な感覚にひたっていたら、
目の前に取り壊し中のビルがあらわれた。
上部をざっくりとえぐられた建物と、
黒く煤けて階層だけが残っている建物と。





















どれくらいの築年数だったのか知らないが、
おそらくはそんなに古くはないだろう、
少なくともヨーロッパとは比べものにならないはず。
やはりここは東京なんだな。
どうして壊しちゃうのかな。
そうこうしているうちに新しい建物は完成し、
人々はそれまでの風景をあっさり忘れるだろう。
つくっては壊して、人は何をしているのだろう。

写真を撮る私を、ガードマンが訝しげに見ている。
意外なものにレンズを向ける、それもまた異邦人ならではだ。

続いて私は適当に書店に入った。
たまたまそこは建築専門の書店だった。
新刊・古本が混在、そのセレクトや並べ方に
門外漢ながらも店のこだわりが感じられた。
最近はついネットで購入してしまうことも多いが、
書店の魅力は何といっても、書棚をぼんやり眺めるうちに
ふいに1冊が目に飛び込んでくる出会いだ。







『やわらかく、壊れる』(佐々木幹郎 著/みすず書房)。
サブタイルとは   都市の滅び方について  とある。
著者は、未来=廃墟を重ねつつ、ノマドの眼で世紀末東京をつぶさに観察・・・
まさに今の私の感覚にぴったりの本ではないか。

異邦人は土産を入手し、小旅行を終えたのだった。




2012年10月3日水曜日

聞かざる

相変わらず耳がしっくりこない。
特に朝起きて午前中がよくない。
あるいは複数の人が話す輪に入る時なども調子が悪い。
聞こえてはいるのだが、何か耳が詰まっているような
違和感がつきまとう。重い耳鳴りのような。
耳自体に問題はないと病院で言われているので
ある種のストレス症状なんだろう。
先日の耳鼻科で、私が聴覚検査室から出てきたら、
90を越えたおばあさんが診察室にいて、
付き添いの娘らしき人が
「元気は元気なんですけどね、耳は遠いけど」
と話していた。医者は
「まあ世の中、聞こえないほうがいいことのほうが
 多いかもしれませんしね」
と受け答えをしていた。

そんな折、今日は朝から電話で怒鳴りまくってしまった。
お〜コワイね、私。
その人にはずっと辛抱強くつき合い、我慢してきたのだが、
とうとう耐えきれず。いい加減にせんかい! と。
キレている私に怯え、だったら謝る、という態度に
ますます腹が立つ。そして後々まで気分が悪く落ち込む。
ほんと、世の中、聞こえないほうがいいことが多すぎる。
だからこんな症状になっちゃったんかな。
体調って後からあらわれるものだから、今日のツケが
来週あたりにまわってきて悪化してたら、どうしてくれよう?

ああ、ほんとはこんな愚痴話をするつもりではなかった。
失礼しました。
優しさに溢れるいつものワタクシに戻ろう(え? 何か異論でも?)。
今、行われている「ラテンビート映画祭」のお知らせをする気でいたのだ。
9月27日より10月5日まで、新宿バルト9で、
10月4日から10日まで、横浜ブルク13にて、
スペイン&中南米のさまざまな映画が上映されております。
私は「Perú Sabe」を、チーム荒井商店とともに観に行ってきました。
エル・ブジのフェラン・アドリア氏がペルーを訪れ、ペルーの有名シェフ、
ガストン・アクリオ氏の案内で市場や料理学校などを巡るドキュメント。
かのフェラン・アドリアがペルーへ!? という部分が注目されがちだが、
そこはわりとどうでもいい気がします、私は。
それよりも、多彩なペルーの食材、複雑な人種により生み出された料理、
貧しさゆえ料理に活路を見い出す国の情勢、
そのあたりを知るのに良い映画だと思います。
横浜で明日10月4日と7日に上映されます。

http://www.hispanicbeatfilmfestival.com/