2012年4月28日土曜日

山田のおばさん

近所の歩道を歩いていたら、
晴れ渡る青空に、糸のついたオレンジ色の風船が飛んでいるのが見えた。
ああ、誰か子供が手を離してしまって、
はるか彼方へと吸い込まれていくのだなあ、と思っていたら、
どういうわけか、ヨロヨロ〜っと降りてきて目の前に落ちた。
糸の先端に何か紙がくくられている。
これはもしや、子供からの手紙ではないだろうか。
この風船を拾った人は返事を下さい、みたいな。
春の空からふいに舞い降りてきた天使のメッセージ。
何だかちょっぴり幸せな気分。
よ〜し、返事、書いちゃおうかしら。ふふ。

私はそれを拾い上げ、ヒモをといた。
ちょっぴりドキドキ。
丸まった紙を開くと、なかには大人の字で一言。

山田のおばさん

私はしばし呆然とした。
呆然とする以外、どうしろというのだ。
だって、山田のおばさん、だよ。
いったいぜんたい何だっていうんだ。
私は、山田のおばさんと文通しようとしているのだろうか。
山田のおばさんが何か危険な目に今、まさに遭っており、
SOSを出すために風船を放ったのだろうか。
あるいは、山田のおばさんにこの風船が届きますように、
という超ピンポイントな願望を託して誰かが放ったのだろうか。
いや、放つつもりはなかったとすると、
何かイベントで、この風船は山田さん、こちらは田中さん、と
配られたのだろうか。しかし山田のおばさん、などと書くだろうか。
風船の糸を持ちやすくするため、手元にあった適当な紙に
巻きつけたのかもしれない。
しかしそのメモ書きは、山田のおばさん・・・が何なのか?

だめだ。とても手に負えない。
自分の想像力の欠如に苛まれそうだ。
再び糸を紙に巻き、そのへんの手すりにくくりつけ、
足早に立ち去った。
何も見なかったことにしたい。
妙な衝撃のあまり、写真を撮る余裕などなかった。


2012年4月24日火曜日

拾われる才能

みなさま、まいどおなじみ、落とし物の女王でございます。
もしもこの世に遺失物コンテストがあるならば
「名刺入れ(&ときどき財布も)部門」で堂々優勝すること間違いなし。
絶対の自信あり。他の追随を許さず。
何しろ、どうでもいいものは決して落としません。
さまざまな荷物を抱えながら、無意識にして見事なまでのセグメント。
これをひとつの才能と言わずして何と言うのだろう。

数年前、仕事で南米に行った際、
経由のロサンゼルス空港で名刺入れを落とした。
上着はむろん靴まで脱いでの身体検査で落としたのだ。
帰国後、現地の警察からメールが来て、預かっているという。
かなり使い古した名刺入れだったので、
それ自体は別にもういらない、とも思っていたのだが、
どういうわけか、その中に運転免許証も
入れてしまったようで、なんとしてでも返してもらう必要があった。
結果、フェデックスで輸送され、5000円近くの出費。
開いてみたら、中にあったのは運転免許証ではなく、
パスポート更新用に撮った顔写真の余りだった・・・。

やはり数年前、フランスへ出張の際、
小雨の早朝、家を出て、片手にカサ、片手にスーツケースで駅まで歩いた。
空港まではとなり駅から直行バスに乗る。
しかし、ひと駅分電車に乗るのがしんどくなりタクシーに乗った。
そこで、お財布がないことに気づく。
タクシーに乗ったまま家に戻ると、今度は鍵もない。
は? どういうことだ?
とりあえず上階の大家さんに鍵を開けてもらい入る。
お財布は、ない。時間もそろそろ、ない。
クレジットカード1枚を取って、再びタクシーへ。
車窓から歩道に目を凝らすと、コンビニの前でキラリと光る鍵を発見!
もしやと思い、コンビニに入ってお財布のことを聞くと、
ちょうどレジ前にいたカップルが、今、交番に届けたという。
おそらくコンビニの外付け防犯カメラには、
ハーフコートのポケットから、鍵と財布を落としながら
横切る私が映っていただろう。
まったく気づかない、これも何か才能のような気がするが、
この時の教訓から、海外に行く時はタクシーを家に呼ぶ、
大事な物はポケットに入れない、と決めました。

さて、本日は渋谷ヒカリエのメディア向け公開日だったので
見に行ってきました。何人もの方たちと名刺交換するうちに、
いちいちバッグにしまうのが面倒になり、
とうとう禁断のポケットへ入れてしまったのであります。

渋谷ヒカリエを出て、次の訪問先にて、
名刺入れがないことに気づく。
またやってしまった。あれほどポケットには触れるな、
ポケットは恐ろしいやつだ、ポケットって思っているより浅いんだぞ、
と肝に命じたはずなのに。

とりあえず渋谷ヒカリエへ電話してみようとケータイを取り出すと
見知らぬ番号からメッセージが。
「貴女の名刺入れを拾いました、郵便で送ります」

栄えある名刺入れ部門優勝の他に、
特別賞としてパーカー賞もあることを
今、思い出した。このパーカーは過去2回、
別々の場所で落とし、いずれも歩道のポールに干されてあった。

落とし物クイーンは、拾われるクイーンでもある。


2012年4月22日日曜日

木を買う女

昨日今日はフェスティバル、春の祭りだ。
パン祭りではない。
パン祭りは個人的に平常時にも不定期開催しているので
もはや祭り感は薄い。
近所のJAで年1回春祭りが開かれるのだ。
模擬店なども出るが、私のお目当ては植木市。
昨年は震災の影響か開かれず、残念な思いをした。

自分は花の咲く木が好きだということに近年、気づいた。
花もいいけれども、花の咲く木のほうがもっと惹かれる。
しかしネコの額のテラスに大地はない。
木にはかわいそうな鉢植え暮らしを強いる。
すまないが私のために生きておくれ。

好きではあるが、ちっとも知識はない。
この木なんの木気になる木と心の中で歌いながら
植木市であれこれ物色する。
ハッピに地下足袋の60代とおぼしき職人が声をかけてくる。
「奥さん、いいでしょう、その木。ほら、奥さん、この株の太さを
見てみなよ、枝分かれの形もいいしね、奥さん・・」
いったい何回、奥さんを連発するのだ。
嗚呼、もうどうひっくりかえっても、
お姉さんとは呼ばれないのか。
別にお姉さんと呼ばれてもうれしいわけじゃないけどさ。
それにしても、いつも思う、日本では、
他人を呼ぶ時の言葉がどうしてないのか、と。
マダムとかムッシュみたいな言葉がさ。

仕方ないから、左手を頬にあて、右手で左肘を支える
主婦の決めポーズで、「そうねえ、どうしようかしらあ」と
奥さんを演ずる。案ずるより演ずるが易し、だ。

植木屋は2軒が出店していた。
となりの植木屋のものも物色する。
上に上にと向いた小さくけなげな葉と、
すくっとした立ち姿が美しい小振りの木に目がとまる。
ナツツバキ。
「これ、いいでしょう、娑羅の樹って言われているやつね」
と、こちらは50歳くらいの職人。6月頃に白い花が咲くという。
よし、これを買おう。
「配達もするよ、庭に植えるのはだんなさんにやってもらってね」
・・・・。木を買う独身女はこの世にいないのか?
「だんなはいないんですけどね、庭でもなくて鉢植えですが」
「あ・・・。まあ、その、ちょうどいいじゃん、小振りだからさ」
大きな木を買っていたら、どうフォローしてくれただろうか。

1軒目の植木屋で、もうひとつ、この木なんの木気になる木があった。
利休梅。やはり白い花で、こちらはすでに咲いている。
しかし大きな1本は売約済み、もう1本は小さ過ぎた。
他にないか聞くと、
「あるある。この週末の祭りが終わったらさ、
車でうちの畑案内するから、そこで奥さんの好きなの選べばいいよ」
そうすることにしたが、この職人からあと何べん、
奥さんと言われることになるのだろうか。
今さら違うと言うのもナンだし。
やはり、何事も嘘をついてはいけないですね。
ついた覚えはないんだがな。
そしてもし、違うと言ったら、どう呼ばれるのか。
「お客さん」とか「お宅」とか?
 「お姉さん」は・・・木を畑まで買いに行ったりしないのだ、きっと。



2012年4月13日金曜日

アメリカンコーヒー

今、私は"アメリカン"について考えている。
どれくらい考えているかというと、
歌手のサーカスが
スカイ・ブルーの上空でコバルトの風になり、
feeling in America ♪ になるくらいである。
あるいは、杏里がマリン・ブルーのパーカーを着て
思いきりアメリカンになるくらいと言っても過言ではない。
ちなみに両者が異なるのは、
サーカスはあなたからのエアメールを受け取った側で、
杏里はあなたへ送った側であることだ。
ということは杏里がサーカスに送ったのか?

ともかく、私もアメリカン気分なのだ。
略さないでいうと、私が気にしているのは、
アメリカンコーヒーとはなんぞや?
ということである。

某コーヒーチェーン店でレジ前に並ぶと、
「アタシ、アメリカン」とオーダーする人たちを時々目にする。
どうも、アメリカンを注文するのは中高年(の女性)に多い気がする。
サーカスのファンだからということでは、
おそらくないだろう(何人かはいるかもしれないけども)。
「寝る前にコーヒー飲むと眠れなくなっちゃうのよね」
とか言う人に多い気がする。憶測ですが。

つまり、アメリカンコーヒーは薄めのコーヒー、というイメージがある。
量が多いので、お得感がある、というのもあるかもしれない。

改めて調べてみると、アメリカンに対する定義が
いろいろあることがわかった。
整理すると、こうなる。

アメリカの歴史において、
イギリスの植民地時代は紅茶が飲まれていたが、
1773年のボストン茶会事件を機にコーヒーが飲まれるようになった。
やることなすこと何でもビッグなアメリカである。
コーヒーもマグカップでがぶ飲みできるよう、
浅煎りの豆を粗挽きにし、多めの湯でたっぷり煎れるのが習慣となった。
苦味は少なく、酸味が強めであるのが特徴。
しかしそれを、アメリカ人たちはアメリカンコーヒーとは呼ばない。
ただのコーヒーである。
なれども日本人としては、アメリカで飲まれているコーヒー
=アメリカンコーヒーと呼ぶようになった。

日本において、そうしたアメリカ的な浅煎り豆を
アメリカンローストと名づけて販売する店が '60年代に出てきた。
このアメリカンローストで淹れたコーヒー、
それが日本におけるアメリカンコーヒーの発祥だとする情報もある。
ちなみに、世界的な焙煎度合の専門用語は、
最も浅い順からライト(ロースト)、それからシナモンで、
中煎りはミディアム、ハイ、シティ、フルシティ、
深煎りはフレンチ、イタリアンとなる。
アメリカンローストというのはシナモンとミディアムの間くらいで、
この言葉も日本独自だそうだ。

一方、別の方向性として、
アメリカで飲まれている薄めのコーヒーのイメージをもとに、
中煎りを薄めに抽出する、あるいは普通に抽出した
コーヒーを後から湯で割る、そうしたものもアメリカンと
呼ばれているのが現状である。
コーヒーの見識者?愛好家?たちはそのヘンが許せないらしく、
「アメリカンコーヒーはお湯で薄めたコーヒーだと
勘違いしている日本人が非常に多いが、それは大きな間違いだ!!」
と憤っている。

気になったので、某コーヒーチェーン店に聞いてみました。
すると回答は「中深煎りで淹れたコーヒーに熱湯を加えたもの」とのこと。
つまり、見識者たちの言う大きな間違いの方式を採っているのである。
しかしですよ、私は別にチェーン店から何がしか渡されて擁護するわけでも
なんでもないのだが、渡されればそれはそれでアレなのだが、
そもそもアメリカにはアメリカンコーヒーなるものは存在しない、
なのに「アメリカンコーヒーはそんなんじゃない!」って
ムキになるのもちょっとヘンでは?
「あの人はそんな人じゃないのよ」って言ったところで、
あの人なる人物はそこにはいないのである。
幻を愛したの、とここでまた杏里登場である。

手で1杯ずつ淹れるマスターがいる昔ながらの喫茶店では、
"アメリカで飲まれている浅煎りコーヒー" を忠実に
出しているかもしれない。
しかし、そういう喫茶店だと、
ナポリタンとか厚切りトーストなんて
いうのもメニューにあったりしますね。
ねえマスター(友情出演/清水健太郎)、そっちは邪道でいいのですか?

だいいち、アメリカのコーヒーは豆が浅煎りではあるが、
たっぷりのお湯で淹れている=薄いのもまた事実のはず。
「薄いのではなく浅い」じゃなくて「浅いし薄い」だ。
私の知識みたいなもんだ。
日本の軟水だと、浅煎りはより酸味が出やすいと聞いたことがある。
しかもたっぷりの湯で淹れていては、
ますます美味しくない味になる恐れもあるんじゃなかろうか。
薄めのコーヒーを飲みたいならば、
中煎り以上で濃いコーヒーを作って、
それを割ったほうが美味しいかもしれない。
そうそう、エスプレッソを湯で割ったカフェアメリカーノなんて
メニューもあるではないか。

ちなみに、カフェインの量は焙煎度合が深いほど少ない、よって、
浅煎りのコーヒーはむしろカフェインの量は多い。
けれども湯がたっぷりなら薄まるだろう。
逆に深煎りはカフェインが少ないが、焙煎でカサが減る分、
使用量は増えるので、実際には少ないと言えないかもしれない。
でも、チェーン店では中深煎りを割っているのだから
やはり少なめだろう。なんだかまたこんがらがってくるが、
オバサマたちはそのへんの事情を知ってオーダーしているのだろうか。
あるいは、feeling in America で、
思いきりアメリカンしたい時に飲んでいるのだろうか。




2012年4月5日木曜日

赤と青で春が来た























この時期、洋服屋の店頭には、
パステルカラーのスカーフを巻いたマネキンが立ち、
BGMには矢野顕子の春先小紅がかかっている(ような気がする)。

春=パステルでしょ、
というフェミニンな押しつけに毎年違和感を感じる。
キレイ色が嫌なのではない。
なんで冬にキレイ色の服をもっと売らないのだろうって思うのだ。
冬は暗いから暗い服、春は明るいから明るい服、
そんな迷彩服的思考、つまらん。
冬の灰色の空と澄んだ空気を背景に、キレイ色の服はきっと冴えるのに。
春も、パステルピンクとかパステルグリーンみたいな、
自然の色を取り入れることで逆に不自然が際立つような色じゃなくて、
もっとビビットな色も売ればいいじゃないか。

そんなふうにダダをこねても、もう冬は終わっちゃった。
春のモードはどうしたものかのぉ?
と思っていたら、美しい発色のエプロンを見つけた。
スウェーデンのLinumというブランドのもので、素材は麻55%、綿45%。
赤と青。2色をいっぺんに買った。
どっちにするか迷って、というよりも、
この2つを並べた時のコントラストが気に入ってしまったから。

キレイ色の服を身にまとえば心も軽やかに弾む。
さあ、出かけましょうよ!!
って、エプロンつけてどこへ行く気なのかアタシは。しかも2枚。




















2012年4月1日日曜日

ピカピカの

あなたも私も。彼も彼女も。
その人もこの人も。
あんな人だって、
みんなピカピカの1年生だった。

担任の先生はなぜか涙ぐみながらキャベツの千切りを食べてみせたので、
ああ、先生もホントはキライなのに無理しているんだな、悲しませちゃいけないと思った。
大人になってから先生に再会する機会があり、その時のことを聞いてみたら、
「子供がキライなものを無理矢理食べさせなければいけないのがかわいそうに思って」いたんだそうだ。


結局、"すちわです"にはならなかったが、
そもそも"すちわです"が何なのか、おそらく
よくわかっていなかっただろうし
"すちわです"になりたいと思っていたことなど覚えていないが、
確かに私がピカピカの1年生になった時があった。

体に合わない重いランドセルに子供はウキウキするのに、
大人はちっぽけなことさえ、背負わされたと
舌打ちするのはなぜなのだろう。

大人だって毎年春はピカピカの1年生だ。
あなたも、私も。

とりあえず、ウキウキすればいいのだ。うん。


入学式の夜、父親に「どうだった学校は?」と聞かれ、
「担任の先生はゴミ山先生って言うんだよ」と報告した。
本気でそう思っていた。小宮山先生ごめんなさい。