2016年5月29日日曜日

映画三昧

この頃、ヒマになった私は、3週間で6本の映画を観てきた。

映画館によってはすでに上映が終わっているもの、
試写会につき上映はまだこれからのものなど混ざっている。
各サイトでの予告動画を観ればおおよその内容はつかめるのと、
それ以上のネタバレになるといけないのでいずれも詳細を話すことは避ける。



「ノーマ、世界を変える料理」  http://www.noma-movie.com






「2ツ星の料理人」  http://futatsuboshi-chef.jp


  


この2つは仕事に関わりがある料理系映画。
「ノーマ」はドキュメントであり、
「二ツ星」ではセリフなしの脇役の料理人は本職だそうで、
どちらも厨房の臨場感が味わえる。

が、二ツ星の場合、シェフの破天荒さは描けていても、
彼がどれほどの才能のある料理人であるか、という点が薄いのが残念だ。
エスニックな店を食べ歩いて研究したり、市場に通ったりといったシーンはあるのだが、
彼自身の料理の発想や優れた味覚などは描けていない。
最先端の料理テク(といってもまったく新しくもない真空調理も含まれるのだが)を
鼻で笑うならば、
クラシックなテクでいかにすごい料理を作る人なのかを見せて欲しかった。
料理を描く。それは本当に難しいことなんだな、と思う。

ノーマは、移民である主人公が、素材に乏しい土地で、いかに料理を創り、
自身のアイデンティティーを確立するか、という点がおもしろい。
しかし、そこに「世界のベストレストラン」での首位争いを絡め、
映画の宣伝などでもそこが強調されるのが、私としてはつまらない。
ノーマに限らないが、シェフたちはそうした批評なんぞ気にしない、
ミーハーな客たちなんぞクソ喰らえだなどと言う一方、
それらなしでは世界的に有名になることや高級店を維持することは難しい。
実際には気にせずには生きていけないという矛盾を抱えることになる。
そのことも描いているという見方もできなくはないかもしれないけれど、
矛盾にさいなまれているという表現にはなっていない。





「孤独のススメ」  http://kodokunosusume.com


    


「オマールの壁」 http://www.uplink.co.jp/omar/




この2つはまったく世界観の異なる映画であるが、
私にとっては、ある種の共通項を感じ、とても胸に響いた。
それは「人は自分の思い込みや枠組みで何かをとらえ、
それを信じ、執着する力は非常に強く、なかなか抗えない(あるいは気づいていない)。
結果、人との関係に誤解や軋轢が生じ、孤独を深めていく」ということだ。
「孤独」の場合は、そのしがらみから解放されていく様子が描かれ、
「オマール」の場合は最後まで悲劇となっている。

「孤独」は、予告動画ではコミカルでユーモラスな映画をイメージさせるが、
そして、実際にも確かにそういった要素はあるのだが、
私は映画の後半になると、まるで予期せず鼻血がたらーっと出るような感じで
涙が流れ落ちた。
これはいったいどういう意味の涙なのだろうか。
悲しいとかせつないというのとも違う。
自分もしがらみや偏見にとらわれている、という気づき、
もっと自由になればええじゃないか、という開放感のような。

「オマール」はパレスチナ問題を扱っているが、
政治的な社会映画というよりも、普遍的な人間のドラマと感じた。
主人公は幾度もの拷問に耐え抜くが、その動機や、
信頼するものの根拠自体は脆弱である。
それに気づいた本人が言う「信じられないことを信じていた」。
本当に考えさせられる映画だ。

2本とも、いずれもう1回観たい。



「ハロルドが笑うその日まで」  http://harold.jp







「海酒」 http://shortshorts.org/2016/program/aj-2/





「ハロルド」は、かなり期待して観に行ったのだが、
予告動画以上のものが得られず、残念。
もっと笑いをちりばめて欲しかったなあ。

「海酒」はメディア試写会で観てきた。
15分のショートムービーで、主演は又吉直樹氏とミッキー・カーチス氏。
海酒という酒を出すバーが主な舞台。
なんとも不思議な映画だったが、それより何より私が感じたのは、
「隔世の感」ってヤツである。
試写会に同席した、原作の小説家 田丸雅智氏や監督の吉岡健氏はどちらも1987年生まれ。
例えば、原作を書く際、
「僕はその時まだ学生で、バーというのものに行ったことがなかったのでネットで調べた」と言う。
メニューは出るのか、バーテンダー?マスター? 何と呼ぶか、
その前に、まず主題となる海に対してかけ合わせるモチーフとなる言葉も
ネットで探したと。

はぁーーー。そうか。そうなんだ。そういう時代なんですね、本当に。
これから、私は誰に向かって何を表現していけばいいだろうかなあ。

試写会の帰り際、
「扇風機が回っている部屋で、しかし主人公はハイソックスを履いていたり、
  風が吹いている浜辺でウチワを扇いでいたりするのが何だか不思議でした」
と感想を監督に直接伝えたら
「あっ、そこんとこ気づいてくれました? うれしいなあ」と言われた。
隔世の感、少し縮まったか。


ちなみに、この映画は、
来月行われる「ショートショートフィルムフェスティバル」で上映される映画の1本。
世界各国より集められた最新ショートムービーが
いくつかの会場で日替わりで1部門につき数本立てで無料上映される。

 http://shortshorts.org/2016/

早速、4部門の予約を入れた。
なので、来月もまた映画三昧になりそうだ。










2016年5月1日日曜日

友人の息子

「了解、明日の夜行くね〜息子一人だけど、よろしく」

本当は友人3名が自宅に来る予定だったが、
事情により前日キャンセルとなったため、
私は、別の友人を誘ってみた。
たまには息子くんも一緒にどうぞと確かに私が言ったのだけれど、
まさかの息子一人とは。
母親である友人は別件があって来られない、
息子に聞いたら一人で行くと言ってるとのこと。
最後に彼に会ったのは小学5〜6年かそこら、それが今や大学生である。
ハタチを過ぎた青年が一人、私の家にやって来て、夕飯を共にする。
いったい、どんな会話をすればいいのだろうか?

私は、坂口良子か多岐川裕美、田中裕子、志穂美悦子あたり(1980年代当時)の
素敵な大人のお姉さんの役回りか。
いやいや、親子の年の差があるのだから、
それでいて私には子供がいないので、
桃井かおりとか萬田久子系か。
いやいや、宮本信子、野際陽子、いしだあゆみ、
なんならもう水森亜土、森光子、黒柳徹子くらいまで
ひょっとしていっちゃってるのだろうか。
泉ピン子、十勝花子、佐良直美、水前寺清子あたりの
キャスティングは避けたいところだ。

しかしまあ、息子だけ行かせる母親も母親なら、
10年ぶりのたいして知らない一人暮らしのオバハンの家に
一人で行こうと思う息子も息子である。
新種の肝だめしなんだろうか。

料理も、いったいどんな嗜好なのか知らないが、
当初の友人たちを想定したものを出すより他ない。
母親に聞いたら、食べられないものはレバーで、お酒は飲めないという。


翌日の夜。
約束した通り、隣り駅通過のタイミングでYくんからラインが来たので、
駅まで迎えに行った。
冷たい風が吹く中、電車はすでに2本来たが、彼はあらわれない。
若い男が2〜3人、近くにいることはいるが、昔の面影が感じられないし、
こちらをチラリとも見ないから違うのだろう。
いったいどうしたのだろうか。
春だというのにスマホを持つ指がかじかんで震える。


15分後、ようやく彼からラインが届く。

います? 
                            はい、いますよ。
中央口ですよね?
                            正しくは正面口です。
ドトールの前にいるんですけど?
                            ドトールはここにはないんですけど?

母親は何を勘違いしたのか、ここから5駅先の、
私が以前に住んでいた駅名を彼に伝えていたのだった。

                 そりゃ、母さんが悪いよ。
い、急いで戻ります!! 

授業の帰りだったため、待ち合わせは7時半頃と元々遅めだったものが
結局は更に1時間近く後になった。
改札からまっしぐらで私のもとに来てペコペコするYくん。
すぐに私のことがわかったと言う。
一方、Yくんは、色白で、母親似のきょろりと大きな目は昔と変わらないものの、
街中ですれ違ったらわからないかもしれない。
「身長何cmなの?」
「174cmです」
 「へー。ちょうどいいね」
ちょうどいいとはいったい何に対してなのか。
ひょっとして、石田えり、秋吉久美子方向の演出に持っていくのではあるまいな。
「お酒飲めないんだってねー? 」
「いや、まったく飲めないってわけじゃないよ!」
急にタメ口になって少し拗ねているYくん、かわいいもんですなあ。
もはや私は貫禄の太地喜和子の境地まで達していた。
しかし、私もたいして酒が飲めない人間なのだが。

キャロット・ラペ、ラディッシュ&バター、トマトサラダ、自家製ツナ、肉味噌、
パンコントマテ、ゴルゴンゾーラとハチミツ漬けナッツのせカンパーニュ、
ジャガイモとベーコン、コーン、チーズのオーブン焼き、大根と豚バラ肉の煮物、
牛スジカレー、自家製ガリ...etc
料理の半分は作り置きしておいたものであり、
その場で作るものもたいしたものではない。
「なんか酒のつまみ系が多いね、それに
  昨日の今日ってずいぶん急な誘いだけど?」
す、鋭い。が、友人3人の代わりとは言い出せなかった。

Yくんは体育会系ではないので、ガツガツとした食べ方ではなく
静かな居住まいなのだが、気づけばほとんどの料理を平らげてくれた。
(ニンジンだけはあまり食べられないと言って残したところが、まだ子どもっぽい)
更にはご飯をもう1膳いけるというので、
追加のおかずに長芋のソテーとだし巻き卵を作った。
しかし、うっかり、だしと間違えて、ガリを作った時に余った甘酢を卵液に入れてしまった。
妙な味に仕上がった卵焼きを、彼は残さず食べてくれた。

お酒はお互い白ワインを1杯ずつ。
買ってきてくれたシュークリームと紅茶で〆た。

その間、話したことは、
授業のこと、好きな女の子にフラれたこと、それを母親にも話したが、
母親は仕事の愚痴ばかり言っており自分の話はちっとも聞いていないことなど。
私のことは、
「前の家に母と行った記憶がある。タコライスが旨かった」と言う。
私はそのことをすっかり忘れていた。
私が思い出すのは、友人が切迫流産の危険があって一時期入院したことや、
Yくんがまだベビーカーに乗っている頃、離婚して、
シングルマザーでがんばっていた彼女の姿だ。

家では、お父さんの話はタブーだった? と、私は突っ込んだ質問をしてみた。
我がワタナベ家の場合、友人とその息子の状況の逆側、
つまり私の弟は離婚し、彼の息子は元妻側で育てられており、
甥とYくんを重ねて見ているところが少なからずあるからだ。
「幼い頃は時折、父親と面会があったことを今でも覚えている。
 最後に会った時に、何か嫌なことを言われて、それでもう会いたくないと
 僕から母に言ったんだ。話題にすること自体は僕は別にどうとも思わないけれど、
 母がとても嫌がっているから、あえて話すことはない」
例えば公園で、父と息子が楽しそうに遊んでいる光景を目にして
さみしいとか羨ましいという気持ちにはならなかった?
「そういう気持ちではなくて、ああ、僕も将来、
 あんなふうなお父さんになりたいなあって思っていた」


友人の息子との2人の夕飯。不思議なシチュエーションだったが、
乾杯した1杯の白ワインがまるで白湯のような、
そんな、優しい時間が流れていた。