2014年12月25日木曜日

スパイスカフェにてクリスマスコースを食す

たいして忙しくもないくせに多忙なフリをして、
このところブログが若干滞っておりまする。
渋谷のユーロスペースでフランス映画「やさしい人」

http://tonnerre-movie.com/index.html

を観て、良かったよ〜という感想を書こうと思いつつ、
ちょうど上映終了となってしまい(まだこれからの映画館もあります)。
他にも、スーパーマーケットのBGMにつられてクリスマスソングの鼻歌を歌うのは
決まってオヤジであるという私のリサーチ結果や、
試食販売の人に「べったら漬け、持ってきてるんですけど???」と
スルーした私を信じられないという非難が混じった声色で言われ、
べったら漬けはいつからそんな地位を確立していたのかという案件、
あるいは久しぶりに徹夜で飲み明かして(といっても酒に弱いのでたいして飲んではいない)
朝帰りした後、やたらにお腹がすく、ああ、なるほど、
眠りが足りない分、体は生命の危機を感じて食欲に走るのだと思い至ったこと、
あるいは、電車に乗ったら、こんなふうに手袋が残っていて、


いったいどうしたらこうなるのだろうと思った等、
まったく取るに足らない今日この頃でありました。



本日のお昼に、私は押上のスパイスカフェへ、
クリスマスの特別コースをいただきに行ってきました。
今年上半期の私の仕事であった、レシピ本『SPICE CAFEのスパイス料理』
での労いといいますか、あるいは
どうせクリスマスを一人寂しく過ごしているに違いないという慈悲のお心からか、
伊藤シェフがご馳走してくださるとのこと。
その代わり、「ビシビシと厳しい批判をしてくれ」という
SMプレイのアフターフォローが条件であります。



1品目は「山羊ミルクのパンナコッタ パラダイスシードの香り」。
パンナコッタはシェーブルチーズのような酸味はなく、まろやかなコク。
パラダイスシードとはガーナ産のしょうが系スパイスだそうで、
花のような香りと、かんだ後にはピリッとした辛味もあっておもしろい。


2品目は「温野菜のサラダ   コリアンダー、フェンネル、ディルの香り」。
野菜は長野のアトリエノマド産。
いつもは使っていないトリュフにもチャレンジしたいとのことで、
墨田区のお隣、台東区のフレンチ「オマージュ」の荒井シェフをご紹介し、
仕入れにご協力をいただいたもの。


スープは「バターナッツ   アニス、カロンジ、シナモンの香り」。
カロンジというのはニゲラとか俗称でブラッククミンとも呼ばれるスパイスで、
これがよくマッチしていた。
スープに動物性のブイヨンやクリームを使用していないので
スープ自体はあっさりめだが、スパイスとの相性を楽しむという点では
それでいいのではないか。




魚料理は「真鯛 バナナの葉包焼き」。
カスリメティ(フェヌグリークの葉)とシナモンの香りをまとわせた上品な美味しさ。


肉は「放牧赤牛のグリル」。
伊藤シェフが出張料理教室で出会った、
高知県室戸の赤牛をスパイスとヨーグルトでマリネしてからグリル。
つけ合わせは室戸の無農薬レモンのインド風スパイスピクルスと、
サヴォイキャベツのスパイス炒め。


そしてカレーは写真上から
「放牧赤牛の煮込みカレー」「カニミソカレー」「イカワタカレー」。
お客さんの反応は、イカが一番好評だったとか。
私は牛・イカ・カニの順だな。


小さなデザートとして
「濃厚なチョコレート スターアニスとサフランのジェラート添え」。
チョコレートは焼きたて。右下のオレンジ色のものは金柑のコンポート。
スパイスがちりばめられて楽しげ。


更に「苺のショートケーキ」も登場。
ショートケーキといっても結構なビッグサイズ。
アットホームな雰囲気ですな。

ワインも少しずつ3種いただき、最後はコーヒーで締めていい気になっていると、
伊藤シェフから「タダでは帰さない」「褒め言葉は無用」と
ムチを要求されたので、ペチペチという程度に叩いてきました。

昼夜とも今年のクリスマス(12/21〜25)はこちらのコース(6300円)を提供。
残念ながら本日で終わりですが、ご興味のある方は来年にぜひ。
きっと、よりパワーアップした内容になっていることでしょう。




2014年12月12日金曜日

シェフ105号発売!!



『シェフ105号』冬号、昨日完成しました!
書店売りは12月25日です。
直販は昨日より承っておりますので、よろしくお願いします!! 
表紙は「新世代のシェフによる明日のスペシャリテ」に登場いただいている、
オテル・ド・ヨシノ 手島純也 氏のジビエのトゥルトです。
巻頭特集「一人の厨房」では、TeF、レストラン・エクアトゥール、シェ・ウラノを取材。
第2特集「新たな味の発見、コンディマン」ではランベリー ナオト・キシモト、
ブラン ルージュ(東京ステーションホテル)、moriのコンディマンを多種紹介しています。
グランシェフはヌキテパ、ル・ジャルダン・デ・サヴール、
他にフランス料理店はジョンティ アッシュ、オオハラ エ シーアイイー、
ラ・ベ(ザ・リッツ・カールトン大阪)、セルトウキョウ、プロヴィナージュ、レストラン セビアン、ビストロ ポンヌフ、アベー、ビストロ・デ・シュナパン、パレスホテル東京、
リベルテ・ア・ターブル・ドゥ・タケダ、アムール、レストラン メイ、銀座シェ・トモ、
ル・ブルギニオン、ル・ヴァンキャトル、クロスダイン(ホテルメトロポリタン)、
イタリアンはビッフィ・テアトロ。
「地方のレストランを訪ねて」は高松のトモシロイノウエ、
「マダムインタビュー」はトレフ ミヤモトを掲載。
掲載店の皆様、ご協力ありがとうございました。



2014年12月7日日曜日

ヨセミテにやられスウェーデンに癒される

昔、群馬方面に取材に行った際、
せっかくだからついでに尾瀬でも寄ってみっか、と
その辺を歩いている人に「すいません尾瀬はどっちでしょう」と
聞いたら「その格好で行く気か?」と目を丸くされた。
尾瀬なめんなよ、ということらしい。

そのイタイ経験をなぜ今回生かせなかったのだろうか。
MacBookAirにヨセミテを入れてしまった。
うかつだった。
私はWord2008を使っているため、これは対応しておらず、
一応使えるものの、動きがものすごく遅くなってしまった。
Wordとは関係ないけど、フォルダの色がどぎつい蛍光の水色で目に悪い。
その一方、iPhoneにかかってきた電話をPCで受けて
ハンズフリーで話せるという便利な機能もあるのだが、
それも知らんかったので、
両方で着信音が鳴り出した時にはあーた、びっくりたまげたサー。

広大なヨセミテ国立公園の山麓を、軽装であてもなくさまようハメになっとるのだ。
知人に聞くと、ダウングレードがどうの、
Word2011評価版でどうの、タイムマシン使っていなんすか?等、
アドバイスをもらうも、
言ってる内容を理解するのに時間を要するというか
理解する気がないというか。

途方に暮れているところに、器が届いた。
少し前にネットで購入したものだ。



こちらはスウェーデンのロールストランドの小ぶりなティーポット。
側面のウロコ模様がアクセントになっている。
1970年前後のヴィンテージ品だが、キレイな状態。
茶漉しがついておらず注ぎ口が大きいので、料理のソースポットにも使える。
この雰囲気、私には紅茶よりもコーヒーのイメージ。
コーノ式ドリッパーがちょうどぴったりのっかるので、
一人の来客時にコーヒーをいれるのに使おう〜。




ついでにもういっちょ、買ってしまった。
こちらも同じくスウェーデン製。
バターナイフつきのボウルスタンド。
ブランド名や年代は不明だがそんなに古くはなさそう。
バター不足の折、こんなにたっぷりの容器にバターを入れることはなさそうだけれど、
何かディップでも作って入れたらいいかも。


いいなあ、器の世界は。
40年以上もの時を経た異国の地のモノが今こうして私の手の中にある。
お茶をいれて注ぐその行為にアップもダウングレードもありはしない。

そんなふうにしばし、器たちに癒された私であるが、
目の前のパソコンは相変わらずヨセミテにあり、遭難中なのだった。
器は買っても、最新のWord購入には二の足踏みっぱなし。
ディップ&パンの食事にコーヒーもいれるから、
その代わり誰かぁ〜助けておくれぇぇぇー。








2014年11月29日土曜日

聖者たちの食卓



http://www.uplink.co.jp/seijya/

渋谷のアップリンクでこちらの映画を観てきました。

舞台はインド北西部の黄金寺院。
ここでは、階層に関係なく、巡礼者や旅行者たちに
毎日10万食が無料で振る舞われているという。
それも500年以上の歴史があるのだ。

映画は終始、セリフなし、主役も脇役もない。
食事がどんなふうに用意され、提供されているかをひたすら見せている。
人々のざわめきや、アルミの食器の当たる音などの喧騒の中に
観る者も身を置いている感じ。
しゃがみこんで、ペティナイフひとつで大量の玉ネギやにんにくを切り、
器用にチャパティをのばしてパンパンッとせんべいを焼くようにひっくり返し、
風呂サイズの大鍋で豆を煮込み、
敷物の上にずらっと座った人々の食器に、お玉で次々とよそい、
床にこぼしながら飲み水を次々と注いでいく。
食べ終えた人々が一斉に立つと、床の汚れをモップで一気に拭き取り、
また次の人たちが座り・・・・
水を汲人・運ぶ人、食器を洗う人・じゃんじゃん投げてまとめる人
などすべてが人海戦術。最新の機械は何もない。
淡々とスピーディーにこなしていくその様子はまさに圧巻。
はあ〜すごい、なんだこの世界は?
ほんとにこんなことが行われているの?という感じだ。
ダイナミックさに圧倒させられながらも、それでいて神聖で静寂な感覚にもなる。
いわゆるグルメ映画ではまったくない。
どんな料理かということよりも、食べるための準備と片付け、
その儀式にも似た一連の流れをひたすら見せる。
そう、まさにこれは儀式だ。
そして、儀式とは、何も特別な宗教的行事や非日常の場で行うものではなく、
私たちの日々の暮らし、3度の食事もまさに儀式なのだなあと思った。


2014年11月19日水曜日

食べる人

食べる人がいる。
私は食べない。食べられない。
あなたは食べる人?
何を?

電車の中で人目もはばからず耳や鼻をほじる人がいますね。
耳をほじる人のおそらく半数は、その指先のニオイを嗅ぎます。
鼻をほじる人のおそらく半数は、取り出したモノを食べますね。
これまでに何人も見てきましたからね、事実である。

帰りの混雑した電車で、
立っている私の目の前に座っていた若い女子。
肩につくかつかないかくらいの黒髪ストレートを七三分け、
メガネをかけ、大きなバッグを膝にのせ、その上で本を広げている。
垢抜けない地味な大学生といった感じ。
特にどうということもないはずだった。
しかし、彼女は本のページをめくる人指し指をおもむろに鼻の穴に突っ込み、
取り出して口に入れた。

爪をかむ女は見るけれど、鼻ほじり&食べる女というのは珍しい。
たいていは男だ。
さらに、その先の行為は想像を絶するものだった。
鼻のモノをひとしきり食べた後、爪を歯と歯の間に入れ、
そこに詰まっているらしいモノを取り出してニオイをかぎ、それを食べた。
前側の歯から何も取れなくなったのか、奥歯にまで着手し、
同様の所作を繰り返す。
時折、古巣の鼻に戻りつつ、たまに耳も加えつつ、
髪の生え際、頭頂部へとまさに食指が動いていく。
まるで指先についたケーキの生クリームを舐めるかのように、
美味しそうに食べている。
まるでバラの花の香りをかぐように、ニオイを堪能している。
視線はあくまで本に落としたまま。

自分から出た分泌物をまた自分で食べる1人リサイクル。
サルが毛づくろいしながら食べているのはノミではなく、
塩分を含むフケのようなものらしい。
彼女も天然の塩分を無意識に欲しているのか。



私は自分の胃がざわつくのを感じながらも、
どうして彼女は食べて、自分は食べないんだろうかと思った。
よく、幼い子は鼻をほじって食べるが、
その行為は恥ずかしい、汚いものだと教えることでやらなくなると聞く。
自分はそのようなクセがあって直されたかどうかは覚えていないが、
少なくとも物心ついてから今に至るまで、
本当はやりたいけど恥ずかしいからやらないわけではない。
いくらでも人に見られずやるチャンスはあるのであり。
食べ物じゃない、汚いモノだから、に尽きるわけだが、
あんなふうに堪能している姿を目の当たりにすると、
ひょっとしてすごく美味しいのではないか、
試さずに無理だと思っている自分はただの食わず嫌いではないか、
一生経験せずに終わっていいのか、という気さえしてきた。


さすがにもうこれ以上ほじれるところはないだろうと思ったが、
彼女はメガネの中に指を入れ、まつ毛の粘膜をなぞり始めた。
そんな掘り出しモノがあったのかと感心しつつ、
私の乗り換え駅に着いたので、その次の行為は見ないようにして降りた。
やっぱり、経験せず終わろう。



2014年11月7日金曜日

ミスターと言えば?

クイズ100人に聞きました。
「ミスターと言えば?」

ミスター・ジャイアンツ。あるあるあるある〜
ミスター・ドーナツ、ミスター・チルドレン、ミスター・ビーン、
ミスター・イトウ、ミスター・ミニット、ミスター・マックス、
ミスター・ロンリー・・・・

とまあいろんなミスターが知られているが、
私にとってのミスター、それは「ミスター・ピーナッツ」に他ならない。
以前にもブログでご紹介しているが  ↓

http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2013/12/blog-post_24.html


好きなんである。
いわゆるアメリカの企業モノってジャンルの一つで、
1906年創業のプランターズのキャラクター。
何と言ってもその不気味さが、いい。
特に初期の頃ときたら、泣く子も黙るシュールなオッサン顔だ。
顔はオッサンで、シルクハットにステッキ、片眼鏡という紳士グッズを揃えながらも
レギンスをはいた細い足と、
女物のようなツートンのタップダンス用?シューズの奇妙なバランス、
ナッツのカーブによる腰のラインが艶かしい。
年代を追うごとに変化しており、
50年代くらいまではオッサン風味が濃かったのだが、
60年代以降はかわいく若々しいスマートな青年?に変身、そのどちらも好きだ。
(ヒマができたら年代別の顔の分析と批評をぜひやりたい)

↓こちら同社ホームページ。Historyをご参照あれ。
http://www.planters.com/history.aspx


↓軽快なステップを踏むミスター
https://www.youtube.com/watch?v=j_b3c0driO4



↓女を虜にするミスター

https://www.youtube.com/watch?v=B8RTadXWHyQ


しかし2010年からの現代バージョン、これはアカン、いただけない。
まるで別物。服着ちゃってるし。
今の顔のほうがむしろ私にとってはコワいかも。 ↓



(昔のミスター・ピーナッツが)好きとはいえ、
コレクターな性格ではないので、ほとんどグッズは持っていない。
が、つい先日、思わずポチッと買ってしまいました。
そして今、届いた。
ジャーン。70年代のデッドストックの腕時計。
なかなか手に入らんよ〜おそらく。




長らく腕時計というものをつけたことがないんだけど、
久しぶりにつけてみるかな、あるいは、カバンに入れて持ち歩こうかな。
使うのがもったいない気もするけど、使わなきゃ意味ないもんね。
 


2014年10月29日水曜日

朝も夜もありゃしない

仕事帰りの電車、駅と駅の間あたりで急ブレーキ。
1本先の電車が駅のホームで人身事故という知らせ。
車内はそこそこ混んでおり、私はドアの前に立っていた。
その状態で15分程停まったまま。
結局、電車は前の駅にバックすることとなった。
前の駅に着いてドアがあくと、大勢の人がホームに降りたが、
それでも車内の座席の大半は埋まったまま。
おそらく座り組は終点近くまでの長旅派で、
意地でも運行再開を待つしかないのだろう。
よくある、お詫びとお待ち下さいをくり返す放送は神経を逆なでするが、
どういうわけかこの時は放送が何もなく、やけに静かな車内で、
それはそれで不気味なものであるなあ。

さあて、私はどうしようか。
最寄り駅まであと10駅ある。
空いている席を見つけて待つか。
同じ沿線を利用している人から、
「1時間以上動かないと駅員が言ってる」という情報がケータイに入る。
改札の駅員に聞くと、ここからは何も良いアクセスがないので、
まずはとなり駅まで歩き、そこからK駅行きのバスに乗り、
K駅からは折り返しの下り電車が出るとのこと。
となり駅まで歩いた時点でケータイの電源は切れ、私のスタミナも切れた。
ケータイが切れていると時間もわからないが、おそらく22時30分頃。
改札で同様に案内されている人が多くいたので、きっとバス停は長蛇の列だろう。
時間潰しと自分へのチャージのため、目の前にあったファミレスに入った。

店内はかなり混雑していた。
となりは、田舎のホストみたいな若い男と若い女子。
ホストくんは丁寧語で彼女にあれこれ質問したり、
髪型をどうするといいといったアドバイスをしている。
何らかの商売に勤務するにあたってのオリエンをしている模様。
何らかのという業態部分が、私にはわからない。
「頭が小さくてほっそりしているというのが条件だったんですよ。
洋服や靴はもちろんこちらで用意しますから」
とまるでモデルのスカウトマンのようなことをお兄さんは言ってるのだが、
どう見ても(チラ見だけど)ファッション業界の人ではないのだよな。
ガールズバーってやつかな?
すると、彼女は「ちょっと最近太ってきたかも」と体型を気にしている様子。
「じゃあ立ってみましょうか」と、二人して立ち上がった。
私は彼女と横並びの位置のため、向かいの彼しか視界に入れられない。
「あっ。えーっと、そうですねえ。・・・もうちょっと痩せよっか?」
お兄さんの言葉はまるで私に向けられているような気がして、思わず下を向く。
「足のサイズはいくつですか?」
「24.5です」
「えっ? 結構あるんだね・・・」
 なんだかテンション下がってきているお兄さん。
「私は23.5ですけど!」と言いたくなるのをおさえるアタシであった。

そうしてしばらく一人バーチャル面接で時間を潰した後、バス停に行くと、
まだ長蛇の列で、車内はギュウギュウ詰め、
自宅についたのは深夜0時30分くらいだった。


実家の父の見舞いに行き、この一件を話した(ファミレスの話はしていないが)。
父は退院後、何とか普通らしき生活を送っているが、
半年前の父とは明らかに違う、弱った老人になってしまった。
「まったくさ〜月曜の朝とかならまだしも、水曜の夜に飛び込むってどういうアレかね。参ったよ」
と、深い意味なく私は話した。
すると父は言った。
「いや、オレはわかるね。入院して一番きつかった時、死のうと考えたから。
 死にたいとなったら、朝も夜もありゃしない。自殺とはそういうものだ」



2014年10月19日日曜日

雑草を食べる

今日は、かわしまよう子さん
『ブータンが教えてくれたこと』著者(アノニマ・スタジオ刊/編集アタシ)の
イベント「たのしい、おいしい、朝草ごはん」が
蔵前の「in-kyo」で行われるということで伺いました。

沖縄在住のかわしまさんが、現地で摘んできた雑草を使った、
チヂミや白和えなどの料理とお粥。酵素ジュースや月桃茶なども。
雑草は、ヨモギにハコベ、ナズナ、カキドオシ、ハルジオン、
タンポポ、ヤブガラシ、スベリヒユ、ギシギシなど。
いずれも、思っていたよりもクセがなく、優しいお味でございました。
それから昭和人間には懐かしい数珠玉、ハト麦のようにお茶になると知りびっくり。





↓こちら、かわしまさんお手製の月桃茶。ショウガ科で、ポリフェノールが豊富。
葉の茶は知っていたけど、乾燥させた実は初めて(写真は参考として生の状態のもの)。
テイクアウトでも購入しました。




かわしまさん筆頭に、15名程の参加者は雑草に興味がある人たちとあって、
スリムな方がほとんどたったわ。

つい先日、仕事帰りの電車で、私は優先席前に立っていた。
すると、前に座っていた初老男性が「座りますか?」と私に席を譲ろうとした。
とっさに「いえいえ大丈夫です」と私。
即レスした後、今起きた出来事は何だったのか、ゆっくり反芻してみる。
この、初老男性は、いま、アタシになんとゆーたのか?
なんでアタシは席に座るべき人とみなされたのか?
貧血で倒れそう? ノン。体をケガしている? ノンノン。
確かにもはや堂々たる中年だが、いくらなんでも老婆にはまだ早い、
ましてや相手は初老だ。
残るは一つしかない。
というか、上記の理由は最初から浮かんでいない。
確かに私はチュニックを着ていたのでね。
そっかそっか、妊婦に見えるくらい、若く見られた、わーい。
とボジティヴにとらえてみようか。
だけんどもよ、少なくとも目立たない妊娠初期ではなく、
中期以降に見られたということですよね?

自分の人生に「太る」の文字はないと信じて疑わなかった若き日々。
今年は自宅で料理の試作をすることが多く、あまり歩いていなかった。
気づけば、新陳代謝急降下。体重は人生最大級を記録中。
年齢と合わせて関数のグラフでも書いてみるか。
しかし、いくらなんでも妊婦レベルってことがあるかいな?

神様からのお告げかもしれませんね。
とりあえず月桃茶を飲みながら、今後の傾向と対策を考えてみる。
このままじゃイカン。





2014年10月9日木曜日

「味覚の一週間」まもなく

フランスで20年以上前から行われている味覚の食育活動「味覚の一週間」。
日本でも2010年からスタートし、年々活動の輪が広がっている。
現地では10月第3週、日本では10月第4週、
つまり今年は10/20〜26がその期間にあたる。

http://www.legout.jp


私は、このイベントの一企画「味覚の食卓」のレシピ編集を担当させて
いただきました。
各地の参加店(今回は66店)において、そのお店で提供されている料理1品の
レシピをカードにして、期間中訪問したお客さんに配布するもの。
“塩味・酸味・苦味・甘味・うまみを意識して味わってみてください”
というメッセージが込められています。
参加店のリストがサイトにまだアップされていないのですが、
おそらく来週くらいには出ると思うので、
ご興味のある方、ぜひお近くのお店へ。
また、レストラン関係の方で、来年参加ご希望の方は
私までご連絡くださいませ。



ところで、アマゾンで注文していたこちらの本が昨日届いた。






わ〜キレイな本だな、心が弾むぜ。
スペイン語なので辞書引きながら読むことになるんだけども。
色相環のように書かれているのは食材名。
これ以外、分厚い本の中身は文字オンリー。
食材と食材の組み合わせに関する解説がされている辞典みたいなもので、
例えば1ページ目は、
チョコレートとアボカド、チョコレートとアプリコット、
チョコレートとアーモンド、チョコレートとアニス、チョコレートと・・・
といった具合。
ポピュラーな好相性の調理例だったり、
チョコレートとトマトといった意外な組み合わせ
(しかしメキシコではこういう考えがされている等の解説)だったり。
味覚の想像力を広げるのに役立ちそう。





2014年9月29日月曜日

5人目

今年の秋は9月27日にやってきた。
朝起きて、窓を開けた時に、金木犀の香りを感じたら
秋が始まったな、と私は思う。
最寄り駅の前の街路樹はイチョウで、
普通は実らない雄の木が植えられることが多いようだが、
どういうわけかここはほとんど雌の木らしく、
そこらじゅうにギンナンが散り落ち、
通行人や車によって潰され、強烈な匂いを放っている。
(拾い集めている人も時々見かけるけれども)
ベチャベチャで、駅までの道も一苦労だ。
しかしこの匂いは昨日今日に始まったわけではなく、
でもいつから始まったのかは、よく覚えていない。
秋の始まりを告げるにはあやふやだし、心地よくない。
一方、金木犀はある日、涼しく乾燥した空気に乗って、
最初はフッとさりげなく、でも確かにその日を境に一斉に香り出すのだ。
イチョウの一斉シグナルは落葉。
黄色いふかふかのじゅうたんが現れると、本格的な冬だな思う。


春は木の芽時、おかしな人が増えるとよく言われる。
では、秋はどうなのだろうか? 

昼間の電車に乗り、角の席に座って、少しウトウトしかけたら、
何か大きな声がしてハッと目が覚めた。
対面側の座席、私の斜め前くらいの位置に、
メガネをかけ、スポーツ用のフィットする服を着た、
ビバンダム(ミシュランのキャラクター)みたいな体つきの男が座っており、
一人なのに大声で話している。
まるで電話で受け答えしている話し方なのだが、
電話を持ってはいないし、耳にイヤホンなどもつけていない。
その男の異様さを察知して人が寄りつかないのか、
あるいはたまたまそうだったのかわからないが、男の両隣には誰も座っていない。
一方、私の座っている側はまあまあ席が埋まっている。
「うん、うん、ああ、それで? 次の駅で、うん、なに? 爆破? 
   爆破が起きるんだな。それで、5人死ぬと」
大変な事件が間もなく起こる、
その情報を冷静にキャッチしているデカ長といった感じだ。
しかし、爆破予告と共に被害に遭う人数をぴったり予告するというのはあまりないような? 
「爆破で、5人死ぬんだな? 1・2・3・4・5」
と、男は向かいの席に座る人を左から目で追い、順に数え始めた。
最後の5というのはどうやら私である。
はて、これはどうしたもんだろうか。

デカ長は私たちを見捨て、次の駅で降りていった。
とりあえず爆破は回避されたようである。
秋も秋でまた、おかしな人はやはりいるのであるねえ。


2014年9月21日日曜日

ロールプレイング

一昨日と昨日の2日間、私は↓こちらへ取材に行っておりました。

http://www.fbo.or.jp/?p=1005


セミファイナルに残った24名の唎酒師が、
ロールプレイング審査とプレゼンテーション審査により10名にしぼられ、
決勝では、同日開催された日本酒祭りに来ていた人たちも見学ができる
公開審査により、世界一の唎酒師が決定されるというもの。
私はこの団体の会報誌の編集を担当している。
そのため、仕事を差し置いて詳しい内容をここで書いてしまうわけにはいかない、
よって、まあ、脱線話を少々。

ロールプレイング審査とは、会場にテーブルや椅子を設置して
客席に見立て、お客(審査員)からの質問に対し、
的確に(更にはより気の利いた内容で)答えられるか、
会話をしながらもサービスする手や動きはスムーズか等が審査される。
私は24名全員の審査を見学したのだが、
お酒に関する説明やサービスは比較的できているのに対し、
お客を迎え入れて着席させ、メニューを渡すといった一般的な接客が
今ひとつな人が目立ったことが気になった。
おそらく西洋式のレストランよりも居酒屋などで働いている人が多いのだろうな。
椅子を引いたり女性を優先するなど、日頃行っていないのだろう。
しかし場の設定はナイフフォークが並び、ワイングラスに酒を注ぐレストラン仕様だ。
世界大会であるため、アメリカやアジア圏から来た選手もいて、
さすがに彼らはそのへんのことは慣れた所作だった。

決勝大会の公開審査においても、同様のロールプレイングが行われた。
壇上でスポットライトを浴び、大勢の観客が見つめるなか、
彼らの心境を想像すると、こちらまでドキドキしてくる。
せめて観客の眼光2つ分だけでも減らしてあげたくなり、
メモ帳に視線を落としてしまう。

だって、アタシも経験があるんだもの。
(ポアポア〜ンと白い煙インサート、回想シーン)
あれは、某ファミレスのアルバイト。
まだ私が制服のミニスカートのワンピース(7号サイズ)を着られた時代。
社内規模ではあったけれども、サービスコンクールが定例で行われていた。
客席で接客を担当する係と、店内誘導及びレジ係のペアで各店舗より出場し、
地区予選からスタートして、最後は全国大会へと勝ち進んでいく方式。
私が勤務していた店からは、
レジ係はいつも冷静沈着なベテランのN先輩、そして接客係は
どういうわけか私が出ることになってしまった。
指名したのは、地域の店舗数店を統括するDM(ディストリクト・マネージャー)だ。
決して私のサービスが秀でていたわけではないので、
コンクールでも度胸がありそうだというその一点だけで買われたのだろう。


ちがうちがうそうじゃそうじゃない(by鈴木雅之)
その一点とはどこにもありはしない、勝手なイメージだ。
当時、ロールプレイングなんて言葉も知らなかったが、
そんな寸劇みたいなことを人前でやるなんて、とんでもハップンなんであるよ。
しかも、勤務していた店は、過去にそのコンクールでそこそこいい所まで
行った功績があり、そのプレッシャーまでかけられている。


細かいことは覚えていない。思い出したくないからかもしれないが。
覚えているのは、お客から「タバコを買ってきて」と言われたこと。
私はどこまでの演技をすればいいのかよくわからず、
本当にそこに自販機があるとイメージして、
小銭(もちろん実際には何もない)を入れて、銘柄をちょっと探すフリをし、
ボタンを押し、下から取り出す細やかなパントマイムをしたのだが、
周囲で見ている審査員たちになぜか失笑された。
次に「店長を呼んで」と言われ、しかし店長は不在ということになっており、
私は自分で何とか対応しようとしたが、うまくいかなかった。
(名前と電話番号を書いてもらい、後ほどご連絡しますと言えばよかったらしい)
隣町の店舗でこの審査が行われたのだが、
同じ店のバイト仲間がその他のお客役というシチュエーションで周りの席に座っており、
何がイヤって、身内に見られていることが恥ずかしくて
すっかりテンパってしまったのだった。


敗退後、DMは私に「ワタナベがあんなにあがるとは思わなかった」と言った。
ちなみにこのDMは別のある時、「ワタナベは将来どんな仕事に就きたいのか?」と
聞いてきたので、「編集者になりたい」と答えたら、
「フンッ。現実はそんな甘いもんじゃないよ」と鼻で笑われた。
いろんな意味で、人を見る目がないDMであった、ということになろーか。




2014年9月11日木曜日

シェフ104号発売!!





『シェフ104号』秋号、本日完成です! 
書店売りは9月25日です。
直販は本日より承りますので、よろしくお願いします!! 

特集は、定番からの進化シリーズで「サーモン」料理です。 
ラ・メゾン・クルティーヌ、モノリス、エミュ、
ラ ターブル ドゥ ジョエル・ロブションに製作いただきました。

好評のグランシェフはミチノ・ル・トゥールビヨンとオー・プロヴァンソーです。

新連載「マダムインタビュー 私流サービス論」では
オー・コアン・ドゥ・フーに取材しています。

この他に、サンス・エ・サヴール、ル・ブション、エッサンシエル、
シグネチャー(マンダリン オリエンタル 東京)、レストランKAIRADA、
ル・ジュー・ドゥ・ラシエット、アニエルドール、ビストロ デザミ、
ビストロコンフル、ビストロ雪が谷、レストランパフューム、
レストラン バカール、コラージュ(コンラッド東京)、ル ボークープ、
シュマン、カシーナ カナミッラ、Restaurant UOZEN、オマージュ、
パティナステラ、HATAKE AOYAMA、アクアヴィット、
ドミニク・コルビ氏を掲載しています。


ご協力ありがとうございました。

2014年9月4日木曜日

初訪・小豆島

(前回のブログの続きとして。
 父の件、ご心配おかけしました。おかげさまで小康状態になったため、
 とりあえず退院できました。発作が起きないことを祈るばかりです)


小豆島に行っておりました。
半分仕事で半分遊び、いや、仕事にかこつけてのほとんど遊びで。


『SPICE CAFEのスパイス料理』の著者、伊藤一城シェフの知人で
フリーの編集者である神吉(かんき)邦弘氏が橋渡し役となって、
小豆島のUmaki Campにて出張料理教室が行われることになったのだ。

↓Umaki Campはこんなところ

http://umakicamp.main.jp/

私は別に同行する義務はなかったのだが、
まあ、アシスタントがいたほうが何かと便利じゃろうと。

伊藤シェフと神吉氏は成田からジェットスターで片道約5000円。
私は羽田からANAで、早割を利用してもその約3倍強のお値段。
くぅ〜なんという価格差だ。
私が朝イチの成田発の便に乗るには、前夜から成田入りしなければならない。
ビジネスホテル代を足してもまだ安いのだけれども、
なんだか大げさになってしまうので諦めた。

高松の港で合流し、高速艇で45分。
天気予報では、雨と雷マークが出ていたのだが、
島に降り立つと、南国の強い日差しに出迎えられた。


現地コーディネートをしてくださったのは大塚一歩氏。
ウマキキャンプに入る前に、小豆島の名産の一つ、醤油の蔵に連れて行ってもらう。
こちらは「ヤマロク醤油」さん。

http://yama-roku.net





濃厚な香りがぷわーんと漂う。高さ2mの杉樽がずらりと並ぶ姿は圧巻だ。
100年以上前と変わらぬこの環境には、樽の壁面や土壁などそこらじゅうに
無数の酵母菌やら乳酸菌やらが着いており、それが美味しい醤油を造り出すのだそうだ。


アートの島というと直島のイメージが強いが、
プロジェクトは瀬戸内の各島なので、ここ小豆島でも
あちらこちらで作品が見られる(ウマキキャンプもその一環だ)。
ドライブしながら、何だあれは? を発見するのが愉しい。



続いて魚の卸業者へ。
シェフはここで小アジと活ワタリガニを購入。イベントで使ってみるらしい。
写真の魚はベラ(買っていないけど)。


関東ではあんまり価値がなくて釣り人にも捨てられたりしている魚だと思うが、
瀬戸内のは美味しいらしい。
店のおじさんが「バーベキューやるならこれがちょうどええ」と
何度も何度もそう言ってすすめるのだが、
私たちはBBQをやるとは一度も言ってないんですけどねえ。
どうちょうどええのか、聞きそびれた。


見所の一つ、中山地区の棚田を眺めつつ、



「HOMEMAKERS」を訪問。

http://homemakers.jp/

こちら、三村ご夫妻が、有機野菜を栽培&販売、
古民家の自宅を改修してカフェも営んでいる、オシャレファーマーである。
ここでもシェフは、イベントに必要な野菜や、
必要じゃないけど欲しくなっちゃった野菜をあれこれ購入。










会場入りするやいなや、準備にとりかかる。
シェフの指示のもと、私は、買ってきた数十匹の小アジのセイゴや内臓を取り、
スパイスをミックスしたペーストに漬け込んだり、米3キロをといだり。
ウマキキャンプはガラス張り、半オープンエアのような建物で、
火を使っていると温室状態、たちまち汗びっしょりに。
普段は冷房の中でヌクヌク、いや、冷え冷え状態に慣れているため、
これほど汗をかいたのは久しぶりである。
手ぬぐいを首に巻きたくてたまらない(けれど持っていないのでタオルハンカチを
濡らして首裏にはりつける)。
お気に入りのエプロンがターメリックで染まってしまいショックだが
そんなことも気にしていられない、あっという間に開始時間となった。






参加者は20名。募集時にはすぐに定員となりキャンセル待ちも出ていたという。
(昼に訪問した三村夫妻も参加している)
島の人たちだけでそう簡単に集まるものなのか、不思議な気がした。
更に驚いたのは、参加した人たちがとっても好奇心旺盛で積極的なこと。
最初からシェフにあれこれ質問したり、反応が明快、和気あいあいムード。
東京とは明らかに違うなあ。
蚊が多く、蒸し暑かったり、こちらの準備不足で不手際があったり、
という状況だったので、もし私が参加者側の立場だったら、
きっと不快に感じて顔に出してしまったのではないかと思うが、
そんなイヤミな人は皆無だった。
参加者同士、顔見知りが多かったということもあるようなのだが、
一人一人が個性的で魅力のある人たちなのだ。

情報にあふれる東京と異なり、
地方では、貴重なチャンスをできる限り有効に使いたいという思いが強いのかもしれない。
全員に聞いたわけではないのだが、島出身よりも他からの移住者のほうが
ひょっとして多いようだった。
島で暮らしていると、こんなふうになるのかあ、
なんだか羨ましい。
シェフのデモンストレーションの後は、4班に分かれてチキンカレーの実習。
ますます会場は盛り上がっている。
事前にシェフが仕込んでおいたワタリガニカレーとサンバル、
私も手伝ったアジのスパイス焼きなどと共に試食いただいた。
最後は皿洗いまで参加者が分担して手伝ってくれて、まったくもぅ、
ヒデキ、感激!!である。








翌日は、大塚氏の案内で、いろんなところを巡った。ありがたや。
こちらは碁石山から見た瀬戸内の風景。



知らなかったが、小豆島内だけで八十八カ所霊場があり、
歩きだとちょうど1週間のお遍路コースになるという。
四国のそれは規模が大きくて、そう簡単にトライできそうにないが、
1週間ならちょうどいいかもしれない、と少々惹かれる。
実際、小豆島お遍路女子だかガールだかの動きもある。
しかしどうだろう、私はそのガールの範疇なのか?
もはやリタイア組に入れてもらうほうがしっくりするのではないか?

碁石山は第二番の霊場、こうした山岳霊場が多いのが小豆島の特徴だそうだ。
ここには天然の洞窟(岩屋)があり、波切不動明王が祀られている。
住職の奥さんが、前夜の料理教室に参加していた方でびっくり。
護摩焚きしてみませんか?と誘われ、
シェフと神吉氏と私の3人でやっていただくことに。
個別の祈願が書かれた木の棒を自分で一つ選ぶ。
風光明媚な土地と、人々の優しさに触れ、
ピュアだか開放的だかの気分になっていた私は「良縁成就」を手にしていた。
しかし手にした途端、我にかえり、恥ずかしくなった。
キサマ、護摩ガールのつもりか?
辱めはまだ続く。その木に自分の名前と数え年を書けという。
いきなりそこにいる人たちみんなに、私の年齢(数え年だからプラス1歳)を
公表することになってしまった。
ぜんぜんガールじゃないってバレた。
そこにいる人たちの中で(住職夫妻やアテンドの大塚氏も含め)私が一番年長者だ・・・。
けれど、私は別に今まで詐称していたわけじゃないのだからね、
ナンだバカヤローと荒井注になる。

更には、ハンニャハラミタ云々・・・と、
住職夫妻が実に見事なハモりのお経を洞窟内に響き渡らせる神聖で感動的な祈祷において、
3人各自の名前と数え年、祈願タイトルを唱えられた。
洞窟に響き渡る我が願望、我が歳。嗚呼。
荒井注を越えて無の境地になるより他に道なし、と。

木がメラメラと燃える炉に手をのばし、その手で自分の体を撫でる。
ここで、私はハタと気づいた。
なぜ、父の健康祈願をしなかったのか。
自分の強欲さに心底びっくりした。
不動明王さん、ゴメンナサイ。
追加で、いや、さっきのは取り消しでいいから、
ここはひとつ、家内安全でお願いしますっ!!



塩の工房にも行きました。
小豆島は、醤油よりも塩の製造の歴史のほうが古いのだが、
今では作られなくなり、たった1軒しかない。
「塩屋  波花堂」さん。その名も“御塩(ごえん)”という塩を手作りしている。


こちらのオーナー、蒲ご夫妻は外からの移住者で、つまり歴史ある老舗ではなく、
ゼロからのスタートで40年ぶりに小豆島産の塩を復活させたそうだ。
なんと、こちらの奥さんも昨夜のイベントの参加者のお一人であった。
まさに“ごえん”だなあ。

↓ちょうど、つい最近、無印良品で販売されるようになったらしいです。

http://www.muji.net/lab/blog/shodoshima/025270.html


小豆島といえばオリーブが有名。
でも、純粋な小豆島産オリーブで作られたオリーブオイルの販売は時期が
限られているし、すぐに売り切れてしまう。
年間通して販売されているのは、海外から輸入したものだ。

↓こちらは、スペイン・アンダルシアから移植された樹齢1000年以上のオリーブの木。
 東日本大震災の翌日に小豆島に到着したそうだ。
 背丈はそんなに高くないのだが、がっしりこんもりとしており、青い実がなっていた。



それから、そうめん。
大塚氏のお宅で出された、奥さんお手製のそうめんのジェノヴェーゼがとっても美味しくて。
真似したい!と思った。
普通のそうめんよりも太く、ツルッとした舌触りとモチッとした弾力が何とも心地良い。
↓こちらの製品の太口タイプを使っているそう。

http://www.kinosuke.net

パッケージがオシャレで(お値段も高級)、
東京では自由が丘のTODAY'S SPECIALや渋谷ヒカリエなどで販売されている。


製造場も訪問したが、そうめんが作られるのは乾燥して晴天の多い冬場だそうで、
残念ながら見られず。繁忙期は明け方3時から作業するんですってよ。



まだまだ旅の報告はあるのだが、そろそろ疲れましたのでこのへんで失礼します。

夕日が沈むまで、ぼんやり眺める時間が、贅沢でした。




2014年8月15日金曜日

父の涙

前回のブログをアップしたその時、ちょうど電話が鳴った。
夜の9時半くらいだった。
相手は母ではなく、病院の看護師だった。
「お父さんがまた喀血しまして、担当医からお話があるので、
 お母様と一緒にこれから来ていただけないでしょうか?」
病院に駆けつけると、父は再び喀血しているらしく、
看護師の垣根の向こうでえづく声が聞こえる。
私たちは、そのとなりの小部屋で医師の話を聞く。
担当医は過去に父が通院していた時の主治医とは違うようで、
私よりもずっと若いお兄さんだ。
カーボン式のノートに病名や症状を書く、その字の丸っこさといい、
風邪気味なのか、時折鼻をすすりながら「実は〜」を連発して説明するその雰囲気は、
まるで、インターネットの加入手続きか何かを行う販売員のようだ。

今夜が峠だと言われるのかと思ったが、そうではなかった。
しかしホッと一安心、はできなかった。
長年、非結核性抗酸菌症という病を患っており、抗生物質が効かなくなっていること。
(結核と異なり、人から人への感染はないが、今や完治可能の結核に比べ、
 非結核性はズバリと効く単一の薬はまだない)
肺全体に出血が見られるので、どこか一部を切り取る手術をすれば治る
というものではないこと、いつまた喀血が起きるかは予測不能、
問題は、もし大量の喀血が起きた場合には、窒息死するということです。
その時はしばらく苦しくてかわいそうですが、
ただ、数分で気を失います。


つまり、知らせが来ても間に合わないわけですね?
などと、私は意外に冷静に質問しているなあ、と私が思う。
なぜ先生は鼻をすすっているのだろうかなあ、とも思う。
こんな小さな部屋なのに、まるでとなりの部屋にいる父にも聞かせたいのか、
と思えるくらい、やたらと声がでかいセンセーだなあ、とも思う。
感情というものがわいてこない。

がんなどと異なり、余命何カ月です、とは言えない状態。
今日か明日かもしれないし、あるいは来年かもしれない。
峠などはなく、一発ドカンでさらばの地雷だ。
そして、致命傷には至らずとも、軽い爆発は今後も頻繁に起きる。

部屋から出ると、父は容態が落ち着いたようで、眠っていた。
母と私は終電に乗った。
「これから、どういうふうにしようか? 見舞いの体制というか・・・」
「うん、大丈夫、今度からはちゃんとシルバーパス、下駄箱の上に置いとくから」
噛み合っていない。
母はシルバーパスを持って出るのを忘れ、切符を買ったことを悔やんでいた。
こんな時でも、そんなことを考えられるのだ、人は。

終電は3駅手前止まりだったので、
そこからはタクシーで親の家に行き、私は初めて泊った。
いつ着ていたか記憶にないくらい昔の私のパジャマが出された。
実家を売り払って両親がここに移り住んだ数年前、
相当のガラクタを処分をしたはずなのに、
なぜこのパジャマは持ってきたのだろうか?

母と床を並べるなど何十年ぶりだろう。
カチカチと音のする時計がうるさいが、
耳が遠くなっている母には気にならないのか。
私は一睡もできなかったが、
背を向けた母から寝息が聞こえ始めたのも、明け方近かった。

それが土曜の夜。
あれから今日まで、とりあえず父の状態は落ち着いている。
決して贅沢をしないうちの親は、本当なら大部屋にいるはずなのだが、
集中治療室に入った後、大部屋のベッドに空きがなくなったため、
今は個室にいる。病院の都合なので、差額は払ってくれるらしい。
ラッキーじゃん、と言うと、そうでもないらしい。
一日中、壁か天井を見続けて頭がおかしくなりそうだ、
大部屋ならば、人間ウォッチングをして少しは気を紛らせられるだろうから、と。
テレビも個室なら見放題なのに見る気がしない。
ラジオは電波の入りが悪い。
読書好きなのに、数行読んではやめてしまう。
点滴やら血中酸素濃度計やらが常に体についており、
足腰がめっきり弱々しくなったため、廊下を散歩することもできない。
入院すると、途端に認知症まっしぐらになる人が少なくないと聞く。
この調子では父も危うい。
私はどうにかして、それだけは阻止したいと思い、
クロスワードパズルや、ペン習字練習帳(父は習字を習っていたため)、
よりぬきサザエさん(戦後の話だから)、
東海林さだお氏のエッセイ(料理をする父に昔あげたらおもしろがったので)など
気軽に楽しめそうなものをベッド脇に置いた。
本当はDVDプレーヤーで映画を見せるのがいいのではと思うが、
機械の操作や充電など、ややこしいものは無理そうだ。

今日、父の病室に、孫が来た。
バツイチである弟の息子である。
離婚でもめ、基本的に弟は息子に面会できない。
が、父の状況が状況なので、弟が連絡を入れたところ、
弟とは別に、彼は彼でジイちゃんを見舞いに行くという。
そのため、今日、彼に会うのは弟を抜いたジジババと私の3人。
かれこれ10年以上ぶりの再会だ。
私が病室に近づくと、すでに甥っ子が中にいてジジババと話しているのが
わかったため、しばらく3人での時間にしようと思った。
20分程、廊下で待った後、私も中に入った。
幼児だった甥っ子は、高校2年になっていた。
優しそうな男の子だ。
彼にはほとんど記憶がないが、ジジババは超がつく程の孫バカだった。
特にジジはそうで、また、甥っ子も特にジジのことを慕っていた。
そんな思い出話をしていたら、
父は「会いに来てくれて、こんなに嬉しいことはないよ」と泣き出した。
ホロッときたというより、大泣きだ。
私は、おそらく、生まれて初めて父が泣く姿を見た。

そんなに嬉しかったんだ。
それはよかったね。何かと親を困らせてきた弟だが、
父を喜びで泣かせる孫という存在をこの世に生み出した、
その1点だけで、帳消しになるんじゃないか、と思った。
私にはそれをしてやることはできなかった。



2014年8月9日土曜日

朝の電話2

一昨日、再びの朝の電話が鳴った。
母からだった。
前夜のメールでは、うまく行けば、
月曜あたりに退院できるかもという話だった。
「今、病院からなんだけど、お父さん、大量に喀血してね、集中治療室入った」
朝の電話は心をざわつかせるが、
朝4時前に病院からの電話で呼び出された母はもっと驚いただろう。

「喀血って何それ・・・」
「前からちょいちょい喀血はあったんだけどね」
「ええっ?」
本当にうちの親は何も子供に報告しない。
前々から肺の病を患っており、今入院している病院に通院していたのだという。
腎臓系の疾患で入院したのだが、
呼吸器科のいつもの医師に主治医が切り替わった。

「とりあえずもう大丈夫になったから、あんたは今は来ちゃダメ」
と言い残し、電話は切れた。
私は自分が幼稚園児くらいに思えた。

昨日、実家へ母の食事を届けた。
それを食べた後、一緒に病院に行くことにした。
昨日はダメだと言った母も、やはり一人の見舞いは心細かったのだろう。
父は、無数の管を通された状態で横たわっているのだろうか?
どんなふうに声をかければよいのだ?

集中治療室にはもういなかった。
その近くの病室に移されたところで、
父は点滴や酸素の管などをつけてはいるものの、自分の足で立っていた。
ホッとする母。
この2〜3日の出来事を私に報告する父。
すでに母から聞いている内容。一言一言を発するのがのろい。
しかし、父はしゃべりたいようなので、じっとただ聞いた。
久しぶりにまじまじと見つめ、父はこんな顔だっただろうか、と思う。
自分の中の父親は、おそらく50代くらいの頃のイメージで
とまっているような気がした。


トイレで大量に血を吐いた時に、つい流してしまったが、
「なんでそこでナースコール押してくれないのか、血を見たかった」
と看護師に言われたという。
人の汚物を観察したり処理したり、体を拭くなどを
厭わない看護師たちに、尊敬と感謝の念に堪えないと父。
「ほんとに。赤の他人なのにねえ」と私が相づちを打つと
「身内だってできないよ、おまえには無理」と言う。
その通り、私には看護師の仕事などまったくできないと思うが、
もしも親が要介護となったならば、どうなのだろうか。
無理ときっぱり言われ、集中治療室に来るなと言われ。
子供に迷惑かけたくない一心なのだろうけれど、
この子なら、まかせてもきっとやってくれるだろう、
という信頼がされていないような気もする。

入院の書類に、保証人として私は捺印した。
どんなことがあっても、どんなささいなものでも、
人の保証人にだけはなってはいけないと両親から口うるさく言われてきた。
それがいま、初めての保証人、初めて親の保証人になっている自分。
朝の電話にビビっている場合じゃないのだよな。




2014年8月2日土曜日

朝の電話

一日の中で最も健全な空気に包まれている朝にかかってくる電話は
どうして不吉な予感がするのだろうか。
昔の黒電話に比べたら、電子メロディ音はそれほど怖くないけれど、
それでも、なぜか、ドキリとさせられる。
昨日の朝の電話は母からだった。
「あのね、お父さんが夕べ、救急車で運ばれて・・・」
普段と違う、ゆったりとおだやかな口調が、怖さを助長する。
次の言葉を聞くまでの1秒かそこらの間、
私は「死んだのか。ある日突然、こんなふうに親の死がやってくるのか」と思った。
ベタなドラマのワンシーンのようだった。

結局、命に関わる程ではなかった。
熱中症とはまた違う病状ではあるが、ある種そのようなもので、
体力が回復するまでの間、入院ということらしい。
入院するにあたり、関係者3人の電話番号を病院に登録する必要がある、
それで万が一、私のほうにかかってきてびっくりするといけないと思い知らせた、という。
もし連絡先の登録がなかったら、おそらく昨日の電話はなく、
退院後の報告だったに違いない。
うちは、そういう家である。

そのため、まだ病院には行ってない。
父の身の回りの世話は母が行っているので、
私は後方支援担当として、母のための食事をいろいろ作り、弁当にして届けた。
父用に、小さいブーケと、100円ショップで購入した花瓶代わりのグラスを母に託した。
大げさなこと、贅沢を嫌う父なので、あえてささやかにしている。

どういうわけか、ブーケをほどき始める母。
「何しているの? まさかここで花瓶に挿して持っていくんじゃないでしょうね?」
「えっ ? あ、これ、お父さんにあげるの?」
私は家に着いて開口一番、「これ、お父さんに」と言ったのだが
それが母の耳には聞こえていなかった。
しかし、母の日でもないのに、ましてやこんな時に、
実家にブーケを花瓶つきで持っていくことをなぜ不思議だと思わないのか。

病院から入院に必要な物リストを渡され、それに従って持って行ったのに、
父は「こんな物いらない」とフォークやら何やらをはねのけたと言う。
そのため、花なんぞ不要の極みと、母は無意識に感じていたのかもしれない。


来週また弁当を届ける日があるならば、母にも花を買っていくかな。
私には、そのくらいのことしかできない。
優しい言葉をかけることができない、娘というより無骨な息子のよう。
朝の電話がないことを密かに祈りつつ。
でも、いつの日か、そう遠くない日に、その朝はやってくるのだ。





2014年7月25日金曜日

フレンチトーストとお好み焼き

世の中の子供たちは夏休みに入ったこの頃。
私の朝の日課は、庭のブルーベリーを10粒程摘んで
ヨーグルトに入れて食べることである。
春に購入したブルーベリーの木 ↓ が、実ったのだ。
(秋だと言われていたがやっぱり夏じゃんか)

http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2014/04/2014.html

市販に比べると小粒ではあるのだけれど、ちゃんと甘い。



気分は優雅な軽井沢の別荘ってな感じだが、
蚊に刺されるんである。
今朝も足首周辺を数カ所一気に攻められた。
(庭には虫除けグッズを置いているが効果なし)
O型・デブ・汗かき・高体温の人が蚊に刺されやすいと聞く。
しかし、A型・ガリガリ・汗かかないタイプの子供だった頃から
私はよく刺される。
今朝、刺された直後、薬を塗ろうと足に近づけたら、
まだ蚊がジュルジュル〜とすすっている最中だと気づき、
慌てて叩いたらべっとり血がついた。
自分の血だろうけれど、気色悪い。
私の場合、おそらく、蚊にやられていることに気づかない鈍さが
刺されやすさの原因なのだな。あるいは太ったからか。
ちなみに、蚊を見つけたら叩くのではなく、
手で風圧をかけて包み込むように覆うと、蚊は一瞬気絶するらしい、
そのスキにティッシュでつまむなりすれば汚れずに済むのだそうだ。
とはいえ、屋外ではそうもしていられんので、
虫除けスプレーをして出るしかない。
ブルーベリー摘みも一苦労であるな。


朝食、ベリー、といえば、
このところのパンケーキやフレンチトーストのオサレ朝食ブーム。
たっぷりのベリー類による化粧の施しがポイントなのだろう。
夏休み、フレンチトースト、というキーワードにすると、私には思い出がある。
小学5年の夏休み、私は自由研究の課題を「料理」にした。
2学期が始まり、各自が研究発表をする日。
私はフレンチトーストとミルクセーキをみんなの前で実演した。
その2品を選んだのは、海外の薫りのする、オサレな料理を披露したかったのだろう。
(注/オロナミンC使用のオロナミンセーキではない)
人前で解説しながら料理を作るのは難しい。
出来はそこそこという感じで満足のいくものではなかったと思う。

私の他にもう一人、料理を課題にした子がいた。
八百屋の娘で、小5にしてすでに子だくさんのおかみさんのような貫禄がある子だった。
彼女はお好み焼きを作った。
付け焼き刃ではない、こなれた手つきだった。
そして最も衝撃だったのは、トッピングに砕いたポテトチップスを加えたことだ。
私のフレンチトーストは、どこかのレシピ本をただ真似て作ったものである。
もちろんブルーベリーなんぞは当時存在せず、プレーンなタイプだ。
彼女のお好み焼きのその斬新さ、オリジナリティに私は圧倒された。
別に勝敗を競うものではなかったが、たまたま二人だけということもあり、
私の中では完全に白旗をふっていた。

元々、親しい友達ではなかったが、
彼女は中学に上がると、不良仲間に囲まれた女番長のような存在になり、
近寄りがたかった。
その後の行方は知らない。
本当の子だくさんの母となって、
オリジナルのお好み焼きを焼いているだろうか。





2014年7月17日木曜日

めぐり逢わせのお弁当






インド映画『めぐり逢わせのお弁当』試写会に行ってきました。

以前に行った試写会も、やはりインド映画でお弁当をテーマにしたものだったけれど、
↓ 

http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2013/05/blog-post_25.html


スタンリー〜は子供たちのお弁当物語であるのに対し、
今回の映画は大人の男女の物語である。


http://www.lunchbox-movie.jp

これ、なかなかおもしろかった。
あらすじはHPをご覧いただければだいたいご想像つくと思う。
夫が冷たく、孤独を抱えている30代くらいの主婦。
妻を亡くし、早期定年退職を前にした孤独なサラリーマン(経理担当)の男。
誤配送された弁当を介して手紙をやりとりするようになる。

映画のパンフや告知ビデオ等では
「誤配送の確率はたったの600万個にひとつ」をキャッチフレーズに
奇跡の出会いを強調しているけれど、そこははっきり言ってどうでもいい。
むしろそこを強調されると、現実にはあり得ないんじゃんと興ざめする。

単に男女の密やかな恋愛沙汰、情事の物語というのではない。
手紙をやりとりするなかで、より一層、孤独な自分を見つめ直すようになる。
それがいいのだ。
例えば、いよいよ実際に会おうとなった時、
男は自分の加齢臭にふと気づき、会うのをためらう。
待ち合わせのランチの店には行くのだが、
ソワソワとして男を待つ、まだ若く美しい主婦を遠くから見て、声をかけずに終わる。

意を決して店にでかけるまで、
主婦が映る場面のほとんどは、キッチンで料理をしているか、
洗濯機の前で夫の洗濯物の匂いをかいで浮気を確信しているか、
夫と互いに背を向けて寝るベッドの上か、
ダイニングテーブルで手紙を見ているか、だ。

一方、男のほうは、会社のデスクか、昼飯を食べるテーブルか、
通勤の満員電車、そして一人暮らしのマンションでタバコを吸うベランダ。

その小さな世界で、メールと異なり1日1通しかやりとりのできない手紙に
書かれた言葉を反芻するようにして、これまでの人生とこれからや、
自分の性格について考える。
いろんなことを、変えてしまいたいような、でも変えられないような。

そうした心境を丁寧に描いているのが良かったのと。
料理も興味深い。個別に入れたおかずをタワー式にセットするお弁当箱。
食べる時は1枚のプレートにおかず各種を取り出して混ぜながら食べるのが、
いかにもインドらしい。
『SPICE CAFEのスパイス料理』にも載せているチャパティ、
これをガスコンロに直置きしてプクーッと焼くシーンがある。
私は本のレシピを全品試作した際、ほとんどが問題なくできたのだが、
このチャパティ(とインド式フライドオニオン)だけは、
なんとか及第点か?という感じで、納得のゆくものはできなかった。
映画では、真ん中が見事に膨らんでいたが、
私が作るとどうもイマイチなのだ(忘れていた悔しさ再び。また挑戦するぞ!)



2人以外にこの映画でいい味を出しているのが、
主婦が住むマンションの上階に住んでいるおばさんと、
男の部下(退職した後を引き継ぐ若者)だ。
おばさんはいつもキッチンの窓辺から聞こえる声だけで姿は見えない。
主婦が料理をしていると、その匂いで足りないスパイスを言い当て、
適当な量を鍋に入れようとすると、まるでそれを見透かすかのように、
正しい量をアドバイスしたり。
部下はドジでお調子者で、男が食べている弁当を分けてもらうなど厚かましく、
イラッとさせる存在なのだが、満員電車の中でアタッシュケースを開き、
そのケースの中で野菜をみじん切りにするとか、ちょいちょい笑わせてくれる。
男も最初は毛嫌いしているが、少しずつ心を許していくのである。


8月9日より、シネスイッチ銀座などで公開だそうです。




2014年7月3日木曜日

タマス・ウェルズ


先日お伝えした、『SPICE CAFEのスパイス料理』のイベント、
おかげさまでcookcoopのほうは申し込みが定員に達して
キャンセル待ちの状態だそうです。

http://cookcoopstudio.doorkeeper.jp/events/12804


代官山蔦屋のほうは、こんな感じでフェアのコーナーを設けていただきました。



こちらのイベントはまだ募集中だと思います。

http://tsite.jp/daikanyama/event/003931.html



と、表題とまったく関係のない宣伝をしたところで。

先日、タマス・ウェルズのライヴに行ってきました。
以前に行った↓ギジェルモ・リソットのライヴと同じ教会で行われる予定だったけれど、
 http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2013/06/guillermo-rizzoto.html

周辺から騒音の苦情が出て、ここではもう音楽ライヴを行えなくなったらしい。
それで、結局、神谷町の光明寺というところになった。
キリストから仏教に改宗か。
(次はモスクか、とMCでタマスさんもゆーとりました)

本堂の仏像をバックにして(観客からすれば正面に見据え)、
彼&メンバー3人は靴下の状態で歌と演奏を行い、
観客も同様に靴を脱いでカーペットの上に直座り。
妙な世界観でございました。

あ、タマス・ウェルズって、ご存じですかね?
もっとメジャーになってもいいと思うのだけど。
生で聴いたのは初めてだったが、ホントにいい声だった。

http://republik.jp/archives/1406

とっても良かったのだけれど、後半、尻の痛さには参った。
座布団していないと、あんなにも痛いとは知らなんだ。
床ずれの恐ろしさを垣間見た気がした。
加えて、どういうわけかワタクシはタマスさんの立ち位置の目の前に座ってしまい、
ずっと下から見上げるという状態。
寺のライヴはまさに苦行なのでありました。

タマスさんは地味なチェックのシャツを着ていた。
バンドのメンバーの一人も同じくチェックのシャツで背中を丸めて暗かった。
メジャーになっていないのはこのあたりの華のなさが要因か。
ちなみに私もタマスさんと似たようなチェックのシャツを着ていた。
だから何だということはない。


2014年6月26日木曜日

エロイフルーツ

昨夜は、スペインから来ている友人たちと
新宿三丁目の立ち飲み屋で一杯飲んできた。
もう少し正確に言うと、以前、スペイン取材でお世話になった、
フードコーディネーターのAさんという人がいて、
彼女はアメリカ系なのだがバルセロナを拠点にしており、
2〜3年に1度くらいの頻度で日本のガストロノミックツアーを企画し、
シェフなど料理関係の人たちを引き連れてやって来る。
築地市場や合羽橋、料亭や料理学校で和食のテクニック講座など
盛りだくさんな内容で、昨夜は言わばB級Izakaya体験である。
メンバーは私や他の日本人関係者も入れて全部で10人ほど。
2年前の冬に来た時には、合羽橋と浅草巡り&ウナギ屋でのランチに同行した。
その時のメンバーの一人が今回も参加していた。
西郷隆盛である。いや、武蔵丸か。
とにかくその二人を想像してもらえればほぼ間違いない、という人である。
西郷は新たな仲間を引き連れており、
その仲間も外国人力士の誰かに似ている(こちらはざっくりな紹介ですみません)。
西郷と力士は、その見事な太鼓腹に、
豚の串焼き&ビールをするするとおさめていく。
このままエンドレスに食べ続けられるように見えた。

私は、自分のスペイン語能力が相当に落ちていることが情けなかった。
小学3年くらいのレベルが幼稚園まで退化している。
このところ、まともに勉強していなかったら、このザマである。
特に、聞き取りが苦手だ。
質問されているのに気付かず、フンフンとわかったふうにうなずき、
相手から訝しがられる。


女性の参加者がいた。
マドリードにある青果卸会社のゼネラルマネージャーとのこと。
名刺交換をすると、今回の旅のためにこしらえたのか、日本語版になっていた。


こ、これは!!
という私の表情をすかさず察した彼女は言った。
「日本でこの名刺を出すと、みんな爆笑するのよ」
社長さんの名字がエロイさんというらしい。
すでに“エロイ”の意味は日本人から聞いてわかっているとのこと。
スペイン語だとerótico(エロティコ)となり、eloyとは相当に違ってピンとこないのだろう。
日本ではエロティコ的な意味だとは知ったけれど、“エロイ”という言葉は
具体的にどんなシチュエーションでどう使うのか?と
彼女はまじめな顔で私に質問をぶつけてきた。
・・・・む、難しい。

そもそも“エロチック”という言葉自体、普段使ったことがないし、
“セクシー”と“エロイ”はどう使い分けるのだろうか。
“エロイ”というのは、淫らなとかいやらしいというニュアンスが強いのだろうな、たぶん。
しかし書き方が “エロい”だったら完全にアウトだが、
“エロイ”なので、一見そっちの意味とも思わない人もいるのではないか・・・
いや、むしろいっそのこと “エロい”で通したら日本で成功するかもしれない、
名刺の下に書かれたコピーは“エロいフルーツ、エロい人”にして。
フルーツってどこかエロチックなものだし。
(と、使ってみた エロチック。少なくともフルーツにはセクシーとは言わないよな)
でもそんな説明をスペイン語ではとてもできそうにないし。
などと、私は串焼きを食べながら、
近所の歌舞伎町に興味津々で何か卑猥なことを言ってゲラゲラ笑っている
西郷どんを眺めつつ(これぞまさしくエロいですと指し示せばよかったか?)、
エロいとはなんぞや、をあれこれ考えていたのでありました。


ところで、私はAさんに、↓こちらをお土産にあげたら、とても喜んでくれた。

http://www.claskashop.com/shopdetail/000000001399/038/X/page1/order/


で、私は彼女からこれをもらった。



「マニュアルシンキング」という商品だ。
 http://manualthinking.com/ja/

折りたためるシートマップと、貼ったりはがしたりできる各種サイズのシールのキットで、
何かのアイデアやプロジェクトを図形化して整理するツールですってよ。
日本でもオンラインストアで購入可能。
とりあえずアタシは、エロのマップを作成してみるか。
それって、ケーシー高峰じゃないか。




2014年6月20日金曜日

SPICE CAFEのスパイス料理 完成!!




ちょうど2年前の今頃、TBS系の深夜番組「Asian Ace」で、
押上のスパイス料理店「SPICE CAFE」の伊藤一城シェフが
カレー対決で勝利しているのを見た。
東京スカイツリーが開業して間もない頃でもある。
行ってみたいなあと思っていたら、仕事関係の知人から
「ビリヤニの美味しい店があるから一緒に行きましょう」とのお誘い。
それが偶然にもSPICE CAFEだったのであーる。
これは何かご縁があるような気がする。
あるいは、ないのかもしれないけれど、
あると思い込むことで、何かしら結果がついてくる気がする。
私はシェフに出版の話を持ちかけた。


そして本日、その結果が形となりました。
『SPICE CAFEのスパイス料理』(アノニマ・スタジオ刊)。

南インド料理がベースですが、
いかにもインドインドしていないのがこの本の特徴。
例えば、1つのスパイスで、単体の野菜を使って10分でできる料理とか、
レンコンや山イモなど親しみのある和素材がスパイス味に変身、
保存がきくインディアンピクルスなど、
気軽に作れる日々のおかずが盛りだくさん。
カレーは、いつもお店で提供しているものを家庭で作れる量の配合にアレンジ。
スパイスを使っていないデザート(こちらも、いつものお店の味)などなど。


伊藤シェフは、サラリーマンを辞め、
3年半かけて世界48カ国を旅した経験の持ち主。
さまざまな料理との出会いの中、
特に南インドのスパイス料理に衝撃を受けて自分の料理店を開くことを決意、
帰国後、数年のレストラン修業を経て、
実家が所有していた昭和35年築の木造アパートを自分の手でリノベーションし、
まだスカイツリーの影も形ない2003年に開業。
駅から徒歩15分の立地ながら、口コミで予約の取りにくい人気店に。
毎年2月は1カ月店を閉めて、インドへ料理修業に行く。
・・・といった興味深いお話はシェフのエッセイで収録してあります。

発売は7月3日、早いところならば1日くらいには並ぶかもしれません。
どーかひとつ、お買い上げのほどよろしくお願い申し上げます。

それから、7月7日の夜はcookcoop(千代田区紀尾井町)で伊藤シェフによる料理講習会、
15日は代官山TSUTAYAにて、シェフと東京カリ〜番長 水野仁輔氏の
トークイベント(参加条件として同店での本購入が必要です)が決定しました。
それぞれのwebサイトに近日アップされるので(現在はまだです)、
こちらもぜひ参加をお待ちしております。
どちらも当日、私も行く予定です。


cookcoop
http://cookcoop.com

代官山TSUTAYA
http://tsite.jp/daikanyama/event/#date=2014/7



2014年6月12日木曜日

シェフ103号発売!!



『シェフ103号』夏号、本日完成です! 
書店売りは6月25日です。
直販は本日より承りますので、よろしくお願いします!! 

特集「シェフの食材帖」
どんな食材を求め、どのように入手し、どう生かしているのか。
GINZA TOTOKI、TSU・SHI・MI、プレヴナンスに徹底取材しました。


この他、久しぶりのコート・ドール登場です!

そして、ヴァンサン、ラ メゾン ドゥ グラシアニ 神戸北野、ライラ、

ロドラント ミノルナキジン、ブーケ・ド・フランス、アルシミスト、
レストラン ラ フィネス、ビストロ みや乃、レストラン ピジョン、
ビストロシュウ、アヴォロンテ、ランベリー ビス、
レザントレ コウジイガラシ オゥ レギューム、マルノワ、
ブラッセリー ラルドワーズ、Ushimaru、ヒカリヤ ニシ、
スモールワンダーランド、フィリップ・ミル氏、浜田統之氏、
ドミニク・コルビ氏を掲載しています。
ご協力ありがとうございました。

今回は私も久しぶりに取材現場に出まして、
GINZA TOTOKI、TSU・SHI・MI、レストラン ラ フィネス、ランベリー ビスを
担当しております。


2014年6月6日金曜日

芒種に霜焼け


今日はどしゃぶりの中、郊外の酒屋へ取材に行っておりました。
 棒が1本あったとさ〜♪(中略)
 あっという間にかわいいコックさん♫
と思わず口ずさみたくなるような、見事に6月6日な日でありました。
長靴で訪問というのはナンだろうと思い、
普通のローヒール靴で出かけたら、瞬く間に水浸しに。
酒屋の倉庫はマイナス5℃、ちょいとパーシャルフリージングした後、
帰りの電車や立ち寄ったスーパーも「クールクールで夏はクール」状態、
今日は芒種であるというのに、
家に着く頃には冬の風物詩、霜焼けもどきになっていた。
たき火だたき火だ落ち葉たき〜♪だ。
 
と、季節が混乱しているが、今年ももうすぐ半分終わるのだ。
早過ぎやしないか?

部屋の花はミモザから桜、そして芍薬へと移りゆく。
見事な大輪の芍薬は、散り方も大胆、
仕事をしている最中、何となく気配を感じ振り返ると、
ザバッと落ちていた。
花言葉は「恥じらい」「はにかみ」らしいが、どうもしっくりこない。
威風堂々たる姿で、散り際は桜よりよほど潔い。
(実は「威厳」という花言葉もあるんだとか。
 ちょっと、どうなっているのよ、花の子ルンルン?)

どこか動物的ですらある。
と思ったが、
それはただ単に大きな花弁の存在感からそう感じるだけで、
実際の動物の死に際は、おそらく花のようにはいかないのだろう。
花はピークに到達して散るが、
人は、今の時代に生きている人は、ピークがわからない。

 散りぬべき 時知りてこそ 世の中の
 花も花なれ 人も人なれ

と詠んだ細川ガラシャは38歳で命を絶っている。