2015年7月23日木曜日

夏の夜の夢

今までの私なら、身を横たえて1分ともたずに眠りに落ちるのに、
暑さのせいなのか、この頃、寝つきが悪い。
ようやく寝られたかと思うと、2時間ばかりで目が覚めて、
何かこう、もんじゃもんじゃしている。

昨夜は30分経っても1時間経っても眠れなかった。
本を読もうかと思ったが、それでますます目が冴えるのも困る。
そこで、どういうわけか、遠い昔の子供時代の夏の思い出を
年齢順に追ってみようと思い立った。

一番古い記憶は、2歳と4カ月。
私は赤いイチゴのアイスを食べながら祖母とどこかを歩いている。
記憶はその一瞬のみで、
もちろん夏だとか2歳だったという自覚はないのだが、
7月に弟が生まれる際、私は祖父母の家にしばらくあずけられたという話を
のちに聞き、あの記憶はその時のものに違いないと思う。
私は昼時分になると、
「おばあちゃん、そろそろお昼にしようか」と
大人の口ぶりで言っていたらしい。
それも自分の記憶ではないし、
直接知っている祖母は、もうこの世にはいない。


幼稚園の時の夏休みで記憶にあるのは、
肝油ドロップを一缶いっぺんに食べてしまったことだ。
普段は幼稚園で1粒しかおやつにもらえなかった肝油、
あのざらついた表面の舌触りと、中の少しかための甘酸っぱいゼリーの味わいたるや、
私には魅惑の食べ物だった。
おそらく、夏休み1カ月分として幼稚園で販売していたんだろう。
食べたいものを食べたいだけ食べるわがままな弟と違い、
長女の私は我慢をする子だった、はず。
なのにあの時はなぜ止まらなくなってしまったのだろうか。
親は怒るというより、子供が死んじゃうんじゃないかと大騒ぎになった。
が、全部おしっこで出るから大丈夫だと言われたらしい。
今でもごくたまにドラッグストアで肝油ドロップを買うのだが、
あの頃の味とはどうも違う気がする。
しかしどう違うか、はうまく説明できない。


小学3年の夏、近所の友達で一人っ子のKちゃん家族の車に私も同乗し、
大磯ロングビーチに行った。
今にして思えば、彼女の家はごく平凡なサラリーマンの家だったが、
いかにも一人っ子らしいKちゃんの自由奔放な振る舞いや、
江ノ島日帰りや伊豆の民宿を選ぶ我が家と違って大磯ロングビーチという
ハイカラトレンディな選択をする彼女の家に対して
私はなぜかお金持ちを見るような視線を送っていたのだった。
帰りの車で彼女は乗り物酔いし、卵サンドイッチを吐いた。
私はもらいゲロしないよう、鼻で息をするのを止め、
遠くを眺めて気をそらすのが精一杯だった。
くねくねの箱根の峠でもあるまいに、お嬢さんはこれだから困るなあ、と思った。
自宅に着くと、我が家は跡形もなくなっていた。
それまで平家だったのだが、2階建てに建て直すことになり、
この日は解体の日だったのだ。
家を建てている夏の間、近所のアパートで仮暮らしをした。
そこからわずか数メートルのところに私営のプールがあり、
私はシーズン券を首からぶら下げ、水着のままタオルをはおって毎日通った。
ある時、Kちゃんも一緒に行くことになり、
彼女とうちのアパートで着替えていると、私の母が部屋に入ってきた。
「いやーん、おばちゃんったらぁ」と
彼女はまだ板状の胸元を隠して甘い口ぶりで言った。
そのませた態度が私には死ぬほど恥ずかしかった。
私は彼女のことが実はそんなに好きではなかったのだろう。
なのになぜ、よく遊んでいたんだろうか。
彼女は今頃どうしているだろう、あのままいけばエロい熟女路線のはず。


小学5年の夏、生まれて初めて、子供たちだけで映画館に行った。
女子2人、男子2人。
映画は「スーパーマン」だった。
いつも一緒に遊んでいる男子ではないのに、どうして誘われたのだろうか。
私はフリルがついた水色のワンピースを着ていた。
胸元にはひまわりの刺繍があったと思う。
紙コップのジュースを男子はごちそうしてくれた。
別に好きでもない男子だったけれど、だからこそ、
私はちょっぴり大人になったような気がした。


相変わらず、私営プールに通っていた。
帰りに食べる、チョコクランチバーアイスがたまらなく好きだった。
監視員をしていた大学生のお兄さんに憧れていた。
水面からざーっと上がって、お兄さんに近づいていく私は、
イメージ的には浅野ゆう子かアグネス・ラムで、
南佳孝のモンロー・ウォークが鳴り響いていた。
私がにっこり微笑むと、お兄さんも微笑み返してこう言った。
「鼻クソついているよ」
水から出た勢いで鼻水が垂れていた。
プールに飛び込んで死んでしまいたいと思った。


結局、子供時代の夏の思い出をいくらなぞらえても、私はまだ眠れなかった。
家を建て直す前のエアコンがなかった時代、暑くて寝苦しい夜には、
タオルケットをマントのようにして、
月光で壁に映る自分のシルエットをモンスターに見立てて遊んだ。
あるいは、涼しい場所を求めて、廊下で寝たりしていたこともある。
40年くらい前の話だ。


どうか今夜は眠れますように。



2015年7月10日金曜日

シェフ107号発売!!





いけね、いつもの宣伝を忘れとった。
『シェフ107号』夏号、すでに販売中です。

巻頭特集は「調理技術競演 火入れの裏技公開」です。
アンドセジュール、アムール、ル・ジャルダン・デ・サヴールの各シェフに
テクニックを公開いただきました。
グランシェフはホテルメトロポリタンエドモント(中村氏)とアラジン(川崎氏)。
夏のスペシャリテはラ・ベカス、Edition Koji Shimomura、エサンス、
オーグードゥジュール ヌーヴェルエール、レストラン ヒロミチを掲載。

「新世代のシェフによる明日のスペシャリテ」は
ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション(関谷氏)、
「プロのためのマルシェ」のテーマはトマトで、
料理はボウ・デパール 青山倶楽部(蜂須賀氏)に依頼。

他に、アニス、コントワール ミサゴ、resonance、グリ、リエゾン、
ビストロ ヌー、ラ トゥール、コポン ノープ、リストランテ ナカモト、
Salt by Luke Mangan、パレスホテル東京、シェ オリビエ、
銀座オザミデヴァン本店などの皆様にお世話になりました。

よろしくお願いいたします。





2015年7月1日水曜日

中国・煙台の旅4終(グルマン世界料理本大賞)


中国・煙台の旅1

http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2015/06/1.html
中国・煙台の旅2
http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2015/06/2.html
中国・煙台の旅3

http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2015/06/3.html



4日目(6月11日)


帰国日。一人で朝食。

昨夜、部屋に置かれた朝食券は2枚だった。

ドリンクを取りにちょっと席をはずしただけで、

ここのサービススタッフはそそくさと皿を下げてしまう。
「まだ食ってる途中でしょうが!!」と、田中邦衛やったろか。


昨日のワイナリーで出会ったフランス人シェフたちもこのホテルだったようで、
ダイニングで再び会ったので、軽く挨拶を交わす。
すると、もっさりとあごひげをたくわえ、ひょろりとした外国人が
私のテーブルにやって来て、
「君はスペイン語、話せるのか?」「ちょっといい?」と、前の椅子に腰掛けた。

彼の存在は初日から気づいていた。
どこの国の人なのかはわからないが、
仙人のような風貌で目立っていた。
何かいつも一人で鼻歌を口ずさみ、体を何となくクネクネさせていた。


彼はバルセロナの人だという。
“ SEITAI ” (整体) の伝道者らしい。
整体のパイオニア、野口晴哉の教えを学び、広めている。
KATSUGEN” (活元)について、彼は語り出した。
無意識の体の動きやゆがみ、それを感じ取り、治癒力を高める、といった話を。
なるほど、だからいつも体をクネクネさせていたのか。
(そういえば私も以前に『整体入門』を読んだ気がするが、
本はどこへやってしまったかな・・・) 
私が関心を示していたためか、
彼は私にSEITAIの本をプレゼントしてくれるという。
緑色の万年筆で、表紙の裏にメッセージを書いている。

lleva éste libro, como un licor destilado por el tiempo, 
vuelve al árbol de donde nació.

この本を日本へ持っていって。
時間により蒸留された酒のように、
(この本は)生まれた木へと戻る。








しかし、なぜ整体の人がグルマンに?
「妻に同行してきたんだよ」
彼の目線の先を見ると、ぽっちゃりとした女性が、仲間2人と食事をしていた。

朝食の後、彼女とも話をした。
彼女の作品は、手書きのレシピ冊子。
製本も自分で行い、50部程度ずつ作って手売りしているという。
ブックデザイン賞でグランプリを取ったようだ。
彼からは本をもらっていることだし、ならばこちらはシリーズの1冊を買うことにする。





彼らとの出会いのおかげで、
昨日からの後悔の念が消えた。
そうなんだよな。
いつだって旅は、自分の人生に影響を与える人との出会いが
必ずあるのだ。




チェックアウトする前に、ホテルの近所を少し散策した。
ほとんど何もない場所だが、スーパーを発見。
お土産になるようなものはないだろうか。

さすが食用油のコーナーのボリュームたるや。 
うやうやしくプラスチックケース入り、牛乳石けん良い石けん。
突っ込みどころ満載。
「安全におじけづく刀を剃ります」
逆立ちしても書けないコピー、
元の言葉は何なのか想像するも難しすぎておじけづく。
1本980円、高級ですね。

店内をくまなく見て回ったが、どうしてもお土産が見つからないので

腹いせに?くだらない写真ばかり無断で撮って出てきた。
女性店員たちは集まっておしゃべり、私のことなど気にしていない。





さすが、二輪の車道が広い。
みんな布を前につけている。日中はかなり暑いので、朝晩の冷え対策か?
車の激しい往来の真ん中、人が横断歩道に対し直角に歩いている。
我はゆく〜昴な生きざま。



ホテルに戻り、チェックアウト。
タクシーを頼むと15分待ってという。
そうそう、初日に空港で迎えてくれた女の子は、
このホテルの土産物店(買いたくなるようなものはない)の店員だった。
私がロビーのソファーに座ろうとすると、

彼女はだらりと肘掛にもたれかかってスマホをいじっていた(働かないのかよ?) 。
「何しているの?」と聞くので、
「タクシーを待っている」と答えると、怪訝そうな顔をした。
そうか、そもそも今回はグルマンの送迎つきという話だったのだ。
帰りだって本当は送ってくれるはずなのだ。
「もしあなたが空港に連れて行ってくれるならうれしいけど」
すると、彼女はどこかへ電話をかけ、20分待てるかという。
フライトの時間まで余裕があり、どうせ15分待つところなのだし、
こちらは問題なしだ。

その後、彼女は消え、彼女から頼まれたという
でかい男がやってきて、私はその男の車に乗り込むことに。
見た感じタクシーではないようだが、空港に着くと、
ちゃーんと154元(3080円)の領収書がどこからともなく(機械音なく)出てきよったワイ。
55.5kmとかって細かいことも書かれているから、やっぱり個人タクシーなのだろう。
4元はまけてくれたけどさ、
先に帰国したシェフからは110元だったとすでに聞いていたので、800円ソンしたー。
タクシー運転手の言う「No English」ってある意味、いい手だよなあ、
交渉のしようがないのだもの。
まあ、タクシー会社のタクシーの多くは窓全開でエアコンなし、
一方この個人タクシーは完備されているから、その差か。
彼女の怪訝そうな顔や役回りはいったい何だったのか、は謎。


帰りの飛行機では、韓国人CAから何か韓国語で質問され、
「ん?」という顔を私がしたら、中国語でくり返し質問された。
わずか3泊の旅にして、すでに私はまるで日本人に見えない風貌になっているのかしら
と思ったが、煙台から仁川への便に乗る日本人はさほど多くないのだろう。
事実、仁川から成田の便では、機内食サービスの際、
私を含め日本人と思われる乗客に対しては「コチュジャンイリマスカ?」と
いちいち聞いていた。
ちなみに、そのCAはコーヒーポットを片手に、
「コイデゴジャリマス」を連呼していた。

私のとなりの席はポロシャツにチノパンのラフな格好をした中年男性で中国人風。
その人は席に着くなりテーブルにノートを広げ、ものすごい複雑な数式を解いていた。
時折、参考文献を取り出して見ては、フムフムとうなずいている。
マクローリン、ラグランジュ・・・
数式の合間に見られる文字は、さっぱりわからないが日本語である。
そして食事時になると、コチュジャンを受け取り、
肉にたっぷりかけてグチャグチャにご飯を混ぜ込んでいた。
まあ、アジア人であることは確かではある。