2013年9月28日土曜日

もしもあと1週間で

仕事の合間に表参道のスパイラルマーケットに立ち寄った。
20代の頃、ここは憧れの
オサレーな店の一つで、
いつかはこんな素敵なモノたちに囲まれて暮らしたいと
妄想しながら店内を徘徊するのが楽しみだった。
今はそんな浮ついた気分はまるでない。
ということは、オサレーライフを実践しているんだろうか?
いや、ただ単に年をとっただけだな。
時折プレゼントを買ったり、CDをチェックする程度で
未だたいして買い物せずに徘徊するだけなので、
オサレーライフへの道のりはまだ遠い。

店内を一周半し、今日も特に何も買わず。

しかしその後の仕事まで20分ほど半端な余裕があった。
試食試飲を控えているため、カフェでコーヒーというのもちょっと。
スパイラルビルをご存知の方ならすぐわかると思うが、

しばしぼんやりしたりメールチェックなぞするのに好都合な
ベンチというか椅子が並んだ窓辺のスペースがある。
そこにとりあえず座ってみたら、一つあけて隣に座っていた、
顔の幅が狭くメガネをかけたアラフォーくらい?の外国人の男が話しかけてきた。
英語はできるか?と聞くので
できない、スペイン語なら少し、と答える。
できない、だけではなんだかかっこ悪いというか、
見栄を張って、
聞かれてもいないのに、スペイン語ならという言い訳をつけているのが
いじましい。

すると、その人はスペイン語に切り替えて話してきたではないか。
対応を断ったつもりなのに、ええっ?あら?そうなの。
ならばこちらは必死にスペイン語耳に切り替えて聞き取らないと。
たいしてできるわけでもないのだからにぃー。

自分はスチール&ムービーのカメラマンだ、
世界各地を回って、たった一つの質問をして、
その人の母国語で答えてもらう、というドキュメンタリーを作っているところだ、
協力してもらえないか?とのこと。
彼はイギリスからやってきたが、出身はブラジルだそうで、
だからポルトガル語と近いスペイン語もできるという。

そういう企画についてどう思うか?と言うので、

なるほどとても興味深いですねえ、でもすいませんねぇ、
私は時間があまりなくてこれから仕事に行かなきゃでムニャムニャ・・・
答えていたら、ipadを手渡された。
気づけばもうビデオカメラをまわされている。

おそらく翻訳機にかけたものだろう、ipadの文面は
おおよそわかるにはわかるが、奇妙な日本語になっていた。
それをまず指摘すると、スペイン語で正しい質問内容を言ってきた。


「あなたがもし、あと1週間で死ぬとわかったならば、
 何をしますか? それはどうしてですか?」

1つだけ共通の質問と聞いた時に、おそらくは、
一番大切なものは何ですか、とか、
あなたにとって愛とは何ですか、とか、
あるいは死についての質問だろうと予測したので、驚きはしない。
それに、この質問自体、わりによくある質問とも言えるし。

それでも、やはり、パッとは答えられない。
でも、でも、ビデオは回り続けているから、恥ずかしい。
早く答えなくちゃ。

どんなふうにしゃべったのか、よく覚えていないけれど、
「おそらく、特別なことはせずにいつもと変わらない生活を送ると思う。
 ただ、もう少しだけ、丁寧に過ごし、まわりのみんなに優しくしたい」
というようなことを答えたと思う。

どうしてか、は言うのを忘れた(正しくは、言えなかった)。
彼は日本語がわからないので、私が言い終えたと思って録画は終了。
これをドキュメンタリーに使用することを許可するとかたぶんそんなことが
書かれた短い文面にサインとメールアドレスを書くよう促された。

彼は日本に着いて2日目、私が最初の回答者らしい。
が、初来日ではなくもう5〜6回くらいは来ていると言うので、
だったら日本語が少しは話せるべきでは?
チクリと言ったら、確かに、でも難しくて・・・ってさ。


この質問に対する回答として、リアルを追求したならば、
何をするか・したいかよりも、
恐怖とか悲しみが先立って気が狂いそうになるかもしれない
と言うほうが自然な気もする。
エリザベス・キューブラー=ロス『死ぬ瞬間』で有名な
否認と隔離→怒り→取引→抑うつ→受容というプロセス。
それを1週間で、いや最初の数日で受容の境地にまで至って、
残りの数日を何かやりたいことをやって過ごす、なんて
とうていできそうにない。

何もできず悶え苦しんで(あるいはただ呆然として)死んでいくだろうと
答えるのもアリではあるだろうが
でも、今ここではそんなリアル感はおそらく求められていない。
質問は「何をするか?」だけれど、それは「自分はどうなると思うか」よりも
「どうしたいか」という希望を指しているんだろう、たぶん。


1週間の命かー。
3日だったら、もっとやりたい放題、
ハチャメチャなことしたいと思うかもしれないが、
1週間はそこそこ時間があるような気がする。
それに、果たしてハチャメチャって何なんだろうか。
日頃やったことのないことを傍若無人にやって快楽を得たいのか、得られるのか?
(死への恐怖を紛らすための行為という意味ではありえるかもしれないけれども)


なんか違うよな。
やり残したと思うことは、そんな突拍子もないことではなくて、
英語がしゃべれるようになるとかオサレーライフみたいな、
いつかそのうちにとナマクラしていたことではなかろうか。
でも、それを実現するには1週間では足りない。
また、それは何が何でもやりたかったのか、欲しかったのか、
というとそうでもないかもしれない。
あるいは、ハチャメチャではないけれども、
生まれ変わらなければできないような願望はある。
しかしそれは命の長さとは関係がない。
だから、結局いつもと変わらない日々を過ごす、と答えたのかな。
今考えると、誰もいない、どこか広大な美しい景色の中で過ごす、のもいいかな。

1週間では足りないけれど、と思う願望は、
じゃあどれくらいの時間があればできるのだろう。
ひょっとすると、一生も1週間もある意味、同じかもしれない。


2013年9月25日水曜日

シェフ100号発売!!

とうとう。ここまで来ました。
『シェフ100号』
長い間、ご支援ありがとうございます。
200号目指してがんばりマス。
ので、100号買って下さい。


2013年9月14日土曜日

エルサレム旅日記6(終)

エルサレム旅日記1
http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2013/09/1.html

エルサレム旅日記2
http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2013/09/2.html

エルサレム旅日記3
http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2013/09/3.html

エルサレム旅日記4
http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2013/09/4.html

エルサレム旅日記5
http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2013/09/5.html




9月7日(土)

旅も終わりだ。
帰りの飛行機は12時20分発。
たまたま、記者氏はトルコへオリンピック開催地選考結果発表の取材に行くことになり、
イスタンブールまで同じ飛行機に乗ることに。
空港での出国審査が心配だったので心強い。
彼のオフィスのスタッフが車で空港まで送ってくれるし。

いつものようにホテルの部屋の窓を開けると、
今日は裸男はいなかった。
さよなら。


出国審査の第一関門は空港の車用ゲート。
もしここでスルーできても空港内で確実にチェックがある。
逆にここで車から下ろされ、わきにある小屋で検査を受けたならば、
荷物にシールが貼られ、空港内での細かいチェックはパスになる可能性が高い、と記者氏。
そうか、ならばとっととここでやってくれたらいいかもしれない。
と、心の中で願ってしまったせいなのか、3人とも下ろされ、
パスポートとケータイを取り上げられる。
ライフル銃をぶら下げた兵士が、
ミッフィー人形がついた私のアイフォンを手にしている。
コワイんだかカワイイんだかよくわからない。

一人ずつ順番に小屋に入る。
スタッフ、記者氏、そして私は一番最後だった。
スタッフはパレスチナ人だ。
そのため、ここでチェックされるのは必然のことだった。
彼は淡々と受け入れているように見えるが、
その心中を想像すると、私は哀しくなった。

呼ばれてなかに入ると、記者氏もそこにいた。
私一人ではさすがにかわいそうと彼らは思ったのだろうか?
荷物を検査機に通している間は椅子に座っていろと命令される。
ゲートを通る身体検査、そしてまた椅子に座れと言われた気がして座ったら、
記者氏が「いや、スーツケースを開けろと言ってる」。
あら、やだ、えへへ。間違えちゃった。って、
へらへら笑っている場合では全然ないね。

探知機?で中を探られる。特に火薬類がないか調べているらしい。
コワイというよりも、中身をぜんぶ出せとか言われたら
なんだか恥ずかしいなあ、と思う気持ちのほうが勝っている私。

なんとか第一関門を突破。
61と書かれたシールをペタペタと貼られる。
さあ、どうよ、私は61で合格した人間だぞ。
もう文句は言わせないぜ。

空港内の荷物検査の機械の前に並ぶ。
一般的には、ここで、いわゆる質問責めに遭い、
人によっては機械を通すチェックだけでなく、別のスペースに連れて行かれ、
スーツケースの中身を入念に調べられるという。
しかし私は61番合格者だ。
検査官は小さい(歌手の)プリンス風。
私と記者氏のパスポート2冊を手にして、
それを何度も何度も意味不明なくらいにめくりながら、
どれくらいイスラエルに滞在していたかだとか、質問してくる。
2冊一緒に持っているもんだから、しまいにはたくさんスタンプが押された
記者氏のパスポートを見ながら、その内容を私に質問してきたりして、
このミニプリンス、使えないヤツではないか?という気がしてきた。
その後も、何かいったん機械の裏にいる上司らしき人に判断を仰ぎに行っては
またもどってきて一つ質問し、またあっちに行って、をくり返す。
ヘンなの。パスポートにまた違うシールを貼られる。
機械を通し、記者氏は終了。やはり61番が効いているようだね。
そして私も・・・

あっちへ行け!と奥の検査コーナーを指示された。
ああ無情。61番効果なし。
Why? と言っても、首をヨコにふられるばかり。

スーツケースの中身を、先ほどと同じような棒状の探知機でしつこく探る。
今度は小分けした荷物一つ一つを開けてその棒を突っ込む。
いやだなあ、化粧ポーチから下着入れまで全部だよ。
お土産の中から怪しいと思われるスパイスや、充電器などを別にはじいて、
それはそれでしつこくチェックする。

なんとか終わり、さあもうこれでOKね、と思ったら、
今度は手荷物チェック。記者氏はパスだが、私はつい立ての裏へ呼ばれる。
スーツケースの重量がオーバー気味だったので、手荷物にバスソルトをいくつか入れていた。
スパイスのようなただのビニール袋ではなく、
ちゃんと商品としてパッケージされたものだ。
それを持ち込めない、置いて行けと言うのだ。
あたしゃ、いい加減キレてしまいまして。
ナンデナノカ? ナンデコレモンダイアル? ワタシワカラナ〜イ、
ワタシイヤダ、ダタラスーツケースモテコイ、コレソッチイレルヨ。
という感じに相手には聞こえているだろうが、訴えた。
すると、3人の担当者が集まって、どうのこうのとヘブライ語でやり出し、
最終的には、OK、ハバナイストリップ!! と言われた。
何がハバナイストリップじゃ。ふん。

記者氏いわく、首相と同じ飛行機になった時レベルのチェックでしたねえ、とのこと。
あたし、峰不二子と間違われたのかしら。
3時間前に着いているのに、もう買い物する時間はあまりなくなっていた。

しかし、続きはまだあった。
パスポートコントロールで、担当者は、私のパスポートを見て、私を見て、
パスポートを見て、私を見て、パスポートを見て、私を見て・・・・を
10回以上くり返した。私はどんな顔をしていればいいのかわからない、
あまりにしつこいので、モデルみたいに1カットずつ表情を変えてみたくなった。
そして、となりの壁をたたき、もう一人が顔だけ突き出して、
二人がかりでパスポート&現物の見比べを始めた。
ああそうですよ、私のパスポート、自分で言うのもなんだけど、
かなりいい感じに撮れているんですよ。
そして今の私は、飛行機の長旅に備えてノーメイクだ。
「他に顔写真のついた身分証明証か何か持っていないか?」
車の免許証があったのでそれを差し出す。
免許証の写真は非常にダメな感じで私は気に入っていない。
「OK」
1秒でパスとなった。
心が折れました。

「そんな違うかねえ?なんかおかしい、今の私の顔?」と記者氏に聞いたら
私の顔を見ることなく「別に・・」と言われた。
もう、悟るより他ない。


帰国し、最初に知ったニュースは、オリンピック開催地が東京に決まったこと、
そして、記者氏が配信した、イスタンブール敗れる、であった。

スーツケースを開けると、知らないボールペンがそこにあった。
空港の検査官の置き土産である。










エルサレム旅日記5

エルサレム旅日記1
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エルサレム旅日記2
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エルサレム旅日記3
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エルサレム旅日記4
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9月6日(金)

フリータイム最終日。記者氏が死海へ連れていってくれるという。
エルサレムの中心から死海のビーチまでは車で小1時間。
バスもあるが便数が少なく何かと不便な地なので、ありがたや〜。





道中、小高い丘に建て売り住宅のようなものが並んでいるのが見える。
「あれがいわゆる入植ですよ」
ヨルダン川西岸のパレスチナ人の地区に、
イスラエル(ユダヤ人たち)の家が建設され続けている。
中東和平交渉は果たしてどうなっていくのだろう。







景色は荒涼とした大地に変わっていく。
遊牧民のバラックのような家が時折姿を見せる。
道沿いの土産物屋には観光客用のラクダもいる。
海抜ゼロの表示。
死海は更にマイナス約420mに位置する。
ちなみにエルサレムは800m超だ。










さほど観光化されていないビーチに案内してもらう。
向こう岸はヨルダンだ。
暑さのピークの8月を過ぎており、また、午前中のため、気温は39℃、
しばらくは耐えられるレベルではあるが、長時間はキツいな。
水辺に降りる手すりは、塩と泥とサビが混ざったネトネト状態。
足だけ浸かってみる。水は生温かい。
舐める。強烈。塩分濃度30%。


帰りはオリーブ山に寄り、岩のドーム方面を眺める。








午後は再び旧市街へ。
結局、毎日通ったけれど、飽きない。
ここはユダヤの正月やイスラムの安息日であっても比較的多くの店が開いている。














一昨日見た、居眠りの布屋のオヤジが、まったく同じ姿勢で寝ていた。
靴修理屋?のオヤジは一心不乱に眉毛やヒゲのお手入れをしている。


そうそう、今回の旅で、私は「鏡をやたらにじっくり見る男」を8人くらい見た。
あるカフェでお茶していた時には、
テイクアウトの料理を待つ間に壁一面ある鏡のなぜか同じ位置で
じぃーっと自分の顔を見つめる男が連続3人いた。
ブティックのショーウィンドーのガラスに向かって、あれこれポージングしている男も見た。
何だこの傾向は。ナルシスト?

それから、やたらに男同士が道端でしゃべっているという印象が強い。








あてどころなく気ままに歩いていると、子供が近寄ってきて、
「どこへ行きたいのか?」と英語で聞いてくる。
迷ってはいない、ただ歩いていたいのだと言っても、しつこく聞いてくる。
「行きたい所へ案内する、少しお金をくれれば」と言い出す。
エルサレムは、かなり英語が通じる土地だ。
こんな小さな子供たちさえ、生きるため、英語を覚えるのだな。



記者氏おすすめの店「アブ・シュクリ」でフムスを再び食べる。
たっぷりのフムスに、ファラフェル3個、トマトとピクルス、ピタパンが2枚ついてくる。
缶ジュースをつけて25シェケル。

ここのフムスは、マヨネーズのコクにも似た味わいとなめらかさ。
客が帰った後、店員は皿をバケツに入れ、手つかずのピタパンは別に回収している。
次の客に出すのだろう。
ということは私のこのピタパンも、そういうことだ。




私が店を出た途端、店員は掃除を始めた。
閉店ギリギリガールであった。良かった。





昨日までの3日間、旧市街で見かけた日本人はあの青年だけだ。
しかし今日は、若い男女のグループや、学生らしい男2人組も見た。
パッと日本人とはわからないのだが、手に持つ『地球の歩き方』で確認ができる。
外国人からすると、ひょっとしてあれは日本語の聖書だと思われているのではないだろうか。

オーストリアン・ホスピスの前では、昨日にも増して兵士の数が多い。
何かあったのだろうか、観光客たちが注目している。
しかし、彼らの雰囲気は和やかだ。
プロのカメラマンと思われる欧米人が夢中で彼らを撮っているので、
なんとなく私も負けていられないと一緒になって撮る。
あっちはいいレンズ、こっちはただの標準レンズだけどさ。
意外とカメラ向けても怒られないのねえ。






旧市街を出たところで、中年の男に声をかけられた。
真っ黄色のTシャツを着て、松崎しげるレベルに日焼けした、暑苦しいタイプ。
facebookに日本人から友達申請がよく来るのだが、この日本語を訳してくれないか、と言う。明らかに胡散臭い。スマホをちらっとのぞき、それはスパムだと伝えると、
私は大阪でしばらく暮らしたことがある、ヘブライ語、アラビア語、英語、ドイツ語、イタリア語が話せる、日本語を少し教えて欲しい、こうしたコミュニケーションが好きなのだと言う。
大阪で暮らしたことがあるんだったら、カタコトの日本語を知らないはずはないだろう。
何が目的だ? さあて、ここからどう逃れようか。
強烈な西日の下、ただでさえ暑苦しい存在感のなのに、ものすごい接近度だ。
私は無意識にどんどん後ずさりしている。
明日は死海のほうへ行くのだが、一緒にどうか、案内しよう、ときた。
友達と約束があるから、と言うと、何時頃終わる?と言う。
オールナイトだからダメだ、と私も何を言ってんのかよくわからないが、
ともかくそんな感じで何とか振り切った。


最後の夜は、記者氏と女性記者の3名で、
ホテル近くで珍しく開いていた「CHAKRA」に。
http://www.chakra-rest.com




ここは東京でも通用しそうなこじゃれた店だ。
イタリアンテイストが加わっているが、カルパッチョにはザクロ、
アイスクリームにはタヒニをかけてあるところなどはこの地らしい。

女性記者の話で驚いたのは、イスラエルは遺伝子組み換え作物が奨励されているということ。
彼女は「パレスチナのほうがナチュラルな作り方で、不格好であっても美味しくて安いのでそちらへ買い出しに行く」とのことだ。
あとで、モンサント(アメリカの企業で世界中の遺伝子組み換え作物を牛耳っている)のHPを見たら、確かにイスラエルでの活動が出ていた。
ユダヤ教についてまだほとんどわかっていない私なのだが、
遺伝子を操作することは神を冒涜することにはならないのだろうか。
まあ、ならないからやってるんだろうねえ。


エルサレム旅日記4

エルサレム旅日記1
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エルサレム旅日記2
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エルサレム旅日記3
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9月5日(木)

ひょっとして・・・と、うっすら予感していたが、的中した。




向かいの裸男は、今日はシャツを着ていた。
新年の祝日だからだ。正装なのだ。
でも、仕事はしてはいけないはず。
毎日パソコンに向かって何をしているのだろう。株のディーラーとか?


朝食はほぼ一昨日のように戻ったが、温かい料理はない。
コーヒーマシンには布がかけられている。エレベーター同様、お休みだ。
仕方ないのでポットのお湯でインスタントを溶く。
日本人カップルは心なしか、倦怠期を迎えている様子。
男は食事しながらケータイをいじっている。女は黙々と食べている。
正月になることを知らなかったのだろうか。

最初の2日、ホテルは閑散としていたのだが、
昨夜からは家族連れが多く泊まっているらしく、
フロント前をいつ通っても、ソファに大勢の人が座ってワイワイしていた。
何をしているのかはよくわからない。ただワイワイしているだけである。
ホテルの前の通りにあるベンチにもいつも家族連れが座っており、
子供たちは着飾っていた。




ユダヤ教徒たちはみな、嘆きの壁へ初詣に行くのだ。
滅多に見られないチャンス、私も行くぞ。




神社で言うところの手水舎。



おお〜集まっているな。
正月は撮影が禁止なので、この距離からが限界。
新年の祝いに、人々は角笛を吹く。
ただやたらにプゥープゥーと鳴っているだけであまり風情はないが。
何やら歌を歌って踊っている人たちもいる。
家庭では、リンゴにハチミツをつけて食べるのが習わしだそうだ。
ひょっとしてハウスバーモントカレーはここからヒントを得たのか??と
思ったけど、違いますね、バーモント州からだものな。




昼からは、イスラエル博物館。









紀元前3世紀頃、現存する世界最古のヘブライ語聖典の写本をはじめ、
2000年前のエルサレムの50分の1模型や、各国のシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)内部、
考古学的なコレクション、加えて現代アートや写真などもあり、見ごたえ充分。
庭はイサム・ノグチのデザインだ。

じっくり堪能したのは良いが、気づけば足が棒になっていた。
嘆きの壁からここ博物館までは数キロ離れているが、
私は何を張り切ったのか野山越えて歩いてきていた、その疲労がドドッときた。

併設するカフェやスーベニールショップは正月休み。
ほんとはこの後、ホロコーストにまつわる博物館「ヤド・ヴァシェム」にも
行きたかったのだが、やはり休み。
手持ちの水が少なくなっており、お腹も減り、私は生命の危機を感じていた。
とりあえずタクシーでホテルに戻ろう。

博物館前に止まっているタクシー数台は白タクではなかったと思う。
乗るなり、ハナ肇似の運転手は「ベツレヘムは行かないのか?案内するよ」と
話しかけてきた。断ると黙ったが、私はその時、しまったと思った。
あまりに疲れていたのと、話に気をとらわれ、
メーターのチェックをしていなかったのだ。
いつもなら、乗る前にだいたいいくらかかるのか聞くか、
メーターが動いているかチェックをするのに。
これはボラれるなあ。
ましてや今日はタクシーは開店休業、みんなヒマそうにしているから
私のようないいカモを見つけたらできるだけしぼり取るに違いない。
ホテルにはすぐについた。
いくらよ?と聞くと、運転手は遠くを見て「50」と言った。
ウソを言ってる人の態度そのものだ。
ダメ男に手切れ金を冷たく要求され、別れる女のような私。
アル・パチーノ(若い時の)だったら100あげたかもしれないのに。
相手はハナ肇だ。あっと驚く為五郎だ。
あとで記者氏に聞いたら、25か30かってとこでしょうとのこと。
倍くらいにボラられたのかークソーと思ったけれど、
50シェケル=1350円だ。まあ、かわいいものか。



ホテル近くで唯一開いている2、3のファストフードの中で、
一番マシそうと思った店で、シャクシューカをテイクアウト。26シェケル。
目玉焼き入りピリ辛トマトソース。アボカドと香草のディップとバゲットつき。
味は、まあ、こんなもんでしょう。





夕食は今夜も東エルサレムへ。
高級ホテル「THE AMERICAN COLONY HOTEL」のダイニング、テラス席。
雰囲気は確かに高級感あるんだけども、サービスはやっぱり粗かった。


ムサッハン。パンの上に、玉ネギと松の実、鶏肉のローストがのっている。
スマックという、日本のゆかりにも似たスパイスがまぶされている。
ああ、スマックを買い忘れたとこの時、気づく。
パンとの組み合わせが今ひとつよくわからない。
焼き汁のスポンジ的役目かとも思うが、汁気はほとんどないのだ。

ここではお酒をオーダーできたので、運転手ではない私はイスラエル産ワインを。
またしてもグラスにたっぷり注がれる。


ミントティーは、ティーバッグを後から入れて紅茶仕立てにするのがこちら流。
しかしリプトンってどうなの? 高級ホテルなんだから、ねえ。

近くから、アザーンが聞こえてくる。礼拝の時間か。
どことなく、石焼き芋の歌に似ている。
記者氏いわく、朗々と美しい歌声の
名人クラスもいれば、
イマイチなのもあるらしい。
今夜のはどうでしょう、鐘1つ、か。

エルサレム旅日記3

エルサレム旅日記1
エルサレム旅日記2



9月4日(水)    

6時半起床。 昨日と同様、朝一番に窓を開ける。
長袖のパジャマでも少し肌寒いひんやりとした空気。
まだ薄曇りだが、しかし雨の心配をする必要はない。

ここは、夏場の降水量ほぼゼロなのだから。
街の様子を眺めるとともに、お向かいの裸男を確認する。
いや、まず
裸男を確認してから街の順か。
朝からキモイものをなぜ見るのか、私はかなりの変態なのだな。

身支度を終え、7時半近くに1階のダイニングに行くと・・・
あれれ、開いていない。
「朝食か?」とフロントが聞く。
「今日は朝食はやっていない、明日のための準備があるので。
 代わりにバウチャーを出すからワンミニッツ待って」
なぬー。あの朝食が食べられないとはザンネンだ。
近くのカフェで食べて来いと言う。
クオリティ下がるだろうなあ・・・チッ。

そもそもそんなの予約時には聞いてねーぞー。
前からわかっていたくせに。
いくら明日から正月とはいえ、いったい何を今から準備するのか。
じゃあ残り3回のあたしの朝食はどうなる? などと言いたいことはいろいろあったが、
明日の朝食は?の一言に省略してみた。
「明日からは大丈夫」だと言う。ほんとかね?

で。
ワンミニッツっていうのは、確か1分という意味ではなかったか。
フロントの目の前のソファで、
カップラーメンができ上がるくらい待ったけど音沙汰なしだ。
あのー、バウチャーは? と聞くと、
紙切れにささっとサインして渡された。
ワンミニッツどころか、ワンセコンドである。
いったい何の時間だったのか? 
くれくれと手を突き出してフロントに詰め寄らなかったのがいけないのか。
よくわからん。
わかるのは、やはりちっとも謝りはしないってことだ。
もっと自己主張しないと、ここではソンするな。


ホテル斜め前のカフェ。
厨房もサービスも、わりにイケメンなお兄さんたちである。
しかし相変わらず、愛想が今イチない。
サービスのお兄さんのTシャツの腰あたりからスボンのお尻あたりにかけて
朝一番なのになぜかもう薄汚れているが、
それくらいはもう見慣れて何とも思わなくなってきた。


朝食の心配は杞憂に終わった。




あらー、美味しそうじゃないの。
どれどれ。ケシの実のついたパンは温められて香ばしく、
これにいろいろなディップ(コリアンダー、トマト、オリーブ、バジル)や
デーツのコンフィチュール、クリームチーズをつけて食べる。旨い。

グラノラをトッピングしたヨーグルトともう1種チーズ、
大ぶりのピーマン、キュウリ、トマト。
タイムやローズマリーがちろっと振ってあるなど、さりげない香草づかい。
それからシンプルな薄焼き卵、コーヒー、絞りたてのオレンジジュース。
いいね、明日もここでいいな。

同じホテルの日本人カップルもやってきた。
昨日の朝もホテルのダイニングで見たのだが、
女は今日もまた、『地球の歩き方』を持ってきている。
男は常に空咳と鼻すすりをして落ち着きがない。
なんか、好きじゃないタイプの二人だなあ。


旅の後半が正月に入ることは、実は旅の予約をした後に知った事実だった。
記者氏に連絡したら「あっ! そうでした」と忘れていた。
ちょっとぉー。
明日から土曜の安息日までの3日間、ユダヤ関連の店はすべて閉まってしまうので、
買い物するなら今日のうちだ。あさって金曜はイスラムの安息日でもあるし。
ちなみにもしあと1週間ずれていたら、
9月14日は贖罪の日(ヨーム・キプール)という祝日で、
街のすべて、空港も含め完全にストップするらしい。
いろんなところで、私はギリギリラッキーガールである。


昨日行ったマハネー・イェフダー市場へ再び。
女性記者に教わった、コーヒーショップ兼スパイスの店へ買い出しだ。
炊き込みご飯のもとのようなミックススパイス、肉や魚に振るスパイス、
メルローワインの風味をつけた塩、唐辛子、ローズティー、
皮がかたくないドライデーツなどあれこれ買い込む。
量り売りなのでいったいいくらになるのか見当がつかない。
結果、1万円。いい値段いってしまったあ(汗)。
ここの店は、ぼったくりはしないらしいので、信じるしかない。
ちなみにエルサレムの物価は、パレスチナ側は安いらしいが、
このあたりは東京とほとんど変わらないか、物によっては少し高いくらいかも。









新市街の写真を撮りながらブラブラ。
エルサレムはネコが非常に多い。いたるところにいる。
カメラを向けて近づいても、逃げるどころかモデルばりの目線だ。
オープンエアのテーブルの下には、まるで鳩がパンくずを狙うようにネコがいて、
ひとけのない裏路地に入ると、生まれて間もないような子ネコが何匹もいる。
そして裏路地は、ネコのせいか、いや、人間のものも含まれているような、
おしっこ臭いところが多い。











新市街は一応しゃれた商店街だが、しゃれていると言っても
日本で言えばどこか小さな地方の街レベル。



なとなく視線を感じてそちらを見ると、
昨日、旧市街で会ったイタリア出身アイルランドのおじさんがそこにいるではないか。


やあ、また会ったね。
スパイスの袋を両腕にぶら下げた私を見て、
ははーん、女性は買い物好きだからね、と笑う。
おじさんは今日も一人だ。私も一人だけど。
通りで披露しているギター弾きの音色を楽しんでいたと言う。
ホテルではなく友達の家にしばらく滞在しているらしい。
2回会ったからまた3回目もあるね、と再び握手して別れた。
今日も乾いた手だった。
3回会うことは結局、なかった。


旅の間中、私は記者氏のオフィスを休憩所代わりにして、
どこかへ行っては立ち寄り、
今、見聞きしたことを彼に伝え、仕事の邪魔をした。

この時は、ちょっと時間があいたというので、
ワインショップに連れていってもらう。
ワインも買いたいけどねえ、1本で1kgになってしまう。
代わりにワインの本を購入。




パレスチナの女性の手作り民芸品の店にも連れていってもらった。
店員の女性は、私が物色している間、目の前でじーぃっと見続けている。

接客してくれているのか、しかし笑顔がないので監視されているのか、
わからず落ち着かない。






イスラエルの公用語はヘブライ語(ユダヤ人)とアラビア語(アラブ人)だ。
街の看板には、ヘブライ語・アラビア語・英語の順で表記されている。
海外に行ったならば、最低限「こんにちは」「ありがとう」くらいは現地の言葉で
言えるようにしたいものだし、そうしてきたけれど、ここではそれが難しい。
ヘブライ語でこんにちはは「シャローム」、アラビア語は「アッサラーム・アレイコム」、ありがとうは「トダー・ラバー」と「シュクラン」。
シャロームとシュクランはシンプルなので覚えたのだが、
それぞれ違う言語であり、イスラエル対パレスチナという大きな問題を背負っているので
混ぜてはいけない。
ましてや、相手がどっちの人なのかを瞬時に判断して言うことなどなかなかできない。
そのため、結局、ハロー、サンキューとなってしまう。


午後は旧市街へ。





昨日は見ていない聖墳墓教会を訪れる。






すごい訪問客の数。それも、私のような物見遊山ではなく、
巡礼目的の熱心な信者が圧倒的だ。
入口からすぐの所にある赤い大理石板は、
イエスの亡骸に香油を塗った場所とされている。
教会内は広く、一番人気はイエスの墓で、
その他、各宗派がそれぞれ管理しているという聖堂がいくつもある。




階段を降り奥へ奥へと進むと、人の波が途切れ、
薄暗い中、一人の男の信者と私だけになった。
その人はややくたびれたスーツを着て、裸足で歩いてた。
聖堂の前でひざまずき、唇を石の地面にあて、祈り、
またそのとなりの聖堂へとくり返していた。
足の裏は真っ黒になっていた。
私は、その人の邪魔をしないように、でも少し後からついていく形で、
祈ることなく、祈ることの意味を考えながら、見て回った。


十字架を背負ったイエスが最初につまづいたといわれる曲がり角には
オーストリアン・ホスピスがある。
ここは、ザッハ・トルテやシュトゥルーデルなどのウイーン菓子とコーヒーが
庭園で味わえる異空間だという。
あまりの暑さでとてもスイーツを食べる気にはなれないが、
少し落ち着いてコーヒーが飲みたい。
が、どうやって中に入るのかがわからない。
高い塀に囲われ、入口の扉は閉まっているのだ。
休みなのか? 諦めるかあ。
いや、待てよ、しばらく様子を観察していたら何かわかるかもしれない。
このあたりはいつも兵士が多く立っている。
この人たちに聞いたら教えてくれるのかなあ。
すると、旅行者らしい欧米人が、扉脇のブザーを押して入っていった。
なーんだ。「山」「川」的な暗号を言ってるふうでもないので、
誰でも押せば鍵が自動的に開くのだな。
扉に近づこうとした時、私の目の前を、知っている人が横切って人混みに消えていった。
行きの飛行機で寝ていた日本人の男だった。




夕暮れ、旧市街を出てホテルに戻る道すがら、すでに正月モードに突入していた。
店がすべて閉まり、ほとんど誰も歩いていないのだ。
しかし不思議と恐いとか淋しい気持ちにはならなかった。
街全体が静寂なら、私の孤独は孤独でなくなる。




ホテルのエレベーターも正月モードになっていた。
ボタンを押すことも労働なのでやってはいけないんだそうだ。
自動的に各階で止まるようになっている。
それも30秒以上じぃーと開いたまま、なかなか閉まらない。
部屋は6階。もちろん下りの場合も、呼び出しはきかない。
この時から丸2日間、私はいったいなんべん階段を上り下りしただろう。
労働してはいけないはずなのに、私は客のはずなのに、
ものすごい労働を強いられたのだ。ユダヤ教徒じゃないからね。

夕飯は、この界隈はどこもやっていないので、
東エルサレム側、パレスチナ人の店へ記者氏の車で行くことに。
ホテルから歩いてすぐの記者氏のところへ向かう際、
スマホの機内モードをオン(完全オフ状態)にした。
それまでは、モバイルデータ通信をオフにして、電話は使える状態にしていた。
ホテルはWi-Fiが使える。街のカフェの多くもこちらはWi-Fiが浸透している。
が、その狭間のタイミングで、時折、ソフトバンクから注意のメールが入っていた。
ようは、こちらの通信会社に自動アクセスしてしまうと高額請求の恐れがあります、
というものだ。
しかし、私は出国前、ソフトバンクの人に、
とにかくモバイルデータ通信さえオフにしていれば、
Wi-Fi以外は勝手につながりはしないと聞いていた。
よく、データローミングをオフにするのが大事とネットで書かれているが、
そこよりも(そこも元々オフにしているけども)、
モバイルデータ通信というやつをオフにすればいいのだそうだ。
だから問題ないはずなんだけど、こちらに来てから何回か記者氏と
電話やショートメールのやりとりをしたので(国際電話状態になるが仕方ない)、
それで注意勧告がくるんだろうか?
ちょっと心配なのと煩わしいのとで、どうせ今から会うのだからと
機内モードオンにしたのだった。

彼に会うと、「さっき電話したけどつながらなかった」。
いくらここが意外に安全だからといって、自ら連絡がとれない状態にすることが
どういうことなのかわかっていますか、と軽くたしなめられた。
はい、そうでした、すいません。

彼の車のガラス窓、前も横も後ろにも、TVの文字が貼られている。
昨日、一緒に歩いていた時に「ここで自爆テロがあった」と言われた。
今朝は、嘆きの壁のほうで投石事件があった。
巻き込まれさえしなければ、一人歩きしていても平気な街だが、
巻き込まれたらアウトなのだよな、やはり。






店は「Pacha」。
http://www.pashasofjerusalem.com/

朝と同様、夜になると少し冷える。が、テラス席で食べることに。
ここでもどういうわけかネコが数匹ウロウロしている。





テーブルいっぱいに並んだアラブ料理の前菜いろいろ。
フムス(ヒヨコ豆とタヒニのペースト、フンムスとかホムスとも言う)、
ムタバル(焼き茄子とタヒニのペースト)、
ババ・ガヌーシュ(ムタバルとほとんど同じだけどちょっと味つけが違う)などを
ピタパンにつけて食べる。
それから、タブーレ(スムールとイタリアンパセリやミントのサラダ)、
ビーツのサラダ、かぶのピクルス、
ファラフェル(ヒヨコ豆のコロッケ)、キッペ(ブルグルと肉のコロッケ)、
チーズの春巻き揚げみたいなもの等。
酒のつまみになるのに、イスラムだから酒は出ない。
レモネードだ。実に健康的。
(いやしかし、レモネードには結構砂糖が入っているし、
 コーラとかジュースを頻繁に飲むことになるからそれってどうなん?
日本みたいにお茶があればいいのにね)


ふと手元の皿を見ると、なんと、ネコの手が皿の縁にかかっているではないか。


コイツが犯人だ。
ちょうど脇が花壇でそれを踏み台にできるため、テーブルに手が届くのだ。
追い払ってもひるまず、猫視??眈々と狙ってくる。
ネコは好きだけども、ここのネコはあんまりかわいくないのよ。




上はマンサフと言って、ナッツなどが入った炊き込みご飯と羊肉に、
ヨーグルト風味のスープをかけて食べるもの。
「僕は好きですが、クセがあるので・・・」と記者氏は気にしていたが、
私も好きだ。旨いよ。
ミートボールのトマトソース煮も食べたけど、
もうこの頃にはお腹がいっぱいに。



アラビックコーヒーで〆めました。

店員が時折、火の玉をぐるんぐるんまわしており、
いったい何のパフォーマンスが始まるのか?と思ったけれど、
それは水タバコに使う炭だった。
チャレンジすれば良かったかな?