2012年11月23日金曜日

新たな絆

「お元気ですか?」
「ええ、まあ何とか」
お裾分けしたいものがあり、以前住んでいた家の大家さんに久しぶりに電話をした。
今住んでいる所から数駅の距離で、二世帯住宅の1階に私は住んでいた。
2・3階が大家さんの住まいで、奥さんは偶然にも元編集者、ご主人は作家、息子さんが一人。
1階部分だけとはいえ、一軒家であるのにはかわりなく、門や玄関扉までの階段もあり、
住み心地は快適で、私は11年そこに住んでいた。
大家さんと一緒の家なんてうっとおしいのでは?と人から聞かれることもあったが、
彼らは普段は決して干渉せず、それでいて、私が風邪で高熱の時には車で病院に連れていってくれたり、雪が降った翌朝にはもう玄関の階段が雪かきされていたり、
“妙齢のお嬢さん”がトイレットペーパーを買って持ち歩いている姿は忍びないからと
定期的に差し入れてくれたりした。

引っ越すきっかけとなったのは、
息子さんが結婚を機に1階部分に住みたいということで、
いわば、私は退居させられた形になるのだが、
その目的のために家を改築したと入居時に聞いていたし、
私もそろそろ環境を変えようかなと思っていたところだったので、
さしてショックでも迷惑でもなかった。
しかし大家さんはご夫婦揃ってある雨の夜、私の玄関先で、本当に言いづらそうに、
申し訳なさそうに「あくまで相談なのですが」と話し、私が即答で承諾すると、
ホッと胸をなでおろしていた。
最後の2カ月分の家賃をタダにしてくれたうえ、敷金は全額返金、恐縮したのはこっちのほうだ。

電話の返答に、ややムリがある響きがあったのが気になったが、ともあれ、
駅前の喫茶店でお茶でもということになった。
「お久しぶりです、みなさんお元気ですか?」
と私が再び呑気に社交辞令としてたずねると、
奥さんは「実は・・・3月に主人が亡くなったんです」と言い、目を潤ませた。
まだ65歳、肺がんと診断され半年で亡くなったという。
痛みに苦しみながらもまったく弱音をはかず、
最後の頃は緩和のためのモルヒネのパッチも断り、
幸せな人生だったと言葉を残して逝った。
彼の希望で、生前には兄弟にも知らせず、葬式は奥さんと息子さん夫婦で行い、
後日に近親者に知らせたという。
それには、彼の複雑な生い立ちが深く関わっており、
そうした話も奥さんは私に話してくれた。
晩婚の2人は結婚式も披露宴もしていないが、見かねた周囲の友人たちが
パーティーをセッティングしてくれた、と、その時の写真を見せてくれた。
「今こうして改めて見ると、彼、かなりハンサムだったんだなあって。
私、ものすごい嬉しそうにデレデレしちゃってるわね」と照れながら涙ぐむ奥さん。
そこに写っているご主人は、本当にいい男であり、
それから20年30年経って私が知っている彼も、その頃の面影のある、素敵な人だった。
自分の美学を持ち、知的で、他人を蔑まない謙虚な人だと私は感じていた。
「彼は私より年下なんだけれど、男女は平均寿命差があるから、
ちょうど同じ頃に死ねるよと結婚の時に言ってくれたのにね」
今は少しずつ遺品の整理をしているが、書き遺した原稿には手をつけられていないし、
骨は海にまいて欲しいと言われているが、まだその決心ができないという。
ふとした時に涙が流れてしまう、“時薬”はなかなか効かないものですね、と。

私は、自分でもびっくりするくらい、喫茶店で号泣してしまった。
しかし、私と元大家さんとの交流は、本当の意味での交流は、
今日、始まった気がする。



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