2014年1月22日水曜日

昨日の続き



今日は朝10時〜夜10時まで、カレーカレーカレーの撮影。
なんと、今日1月22日は「カレーの日」なんですってよ。
すごい偶然!!

カレー食べまくりでただいま帰宅。
もちろん全身スパイスの匂いまみれ。
口直しに、昨日作ったキャラメル・ポップコーンとチョコを食らう。
ああ、またしても深夜に。


真夜中のナッツ

深夜に甘〜いキャラメル・ポップコーン、
ドライフルーツとナッツ入り2色チョコレート、
ハーブとカイエンペッパーのピリ辛クルミ。
あかんやろー、TPO的に言って、いま食べちゃあかんやろー。

とめてくれるな、おっかさん。
これは立派なお仕事なのさ。

というわけで、引き続きの試作&試食中であります。
昼間は別の仕事で外出していたので、試作スタートしたのが9時。
だもんでこんな時間(12時すぎ)になってしまい。
家の中は、キャラメルやらローズマリーやら、
いろんな匂いが立ちこめています。
ほんとはもう1品作る予定だったけど、もう今夜は限界だなあ。
誰か洗いものやってくれないかなー


そして明日は1日中、レストランでカレーの撮影。
先週の撮影では10時間立ちっぱなし
ぶっ通しでスパイス料理撮影の後(トイレに行くのも忘れていた)、
帰宅してから服に消臭スプレー2回してもスパイスの匂いがなかなかとれなかった。
明日も同じだな。もっとすごいかな。





2014年1月15日水曜日

私はダイナマイト

お正月が明けてから今日まで、
ほとんど毎日、自宅に一人こもっております。
食う寝る洗う出す、人間としての必須の営み時間以外、
(+食料が尽きた時のスーパー買い出し)
PC前の椅子から一歩も動いていません。
あまりの運動不足に、このまま筋肉が硬直して椅子と一体化したらどうしようかと
時折いてもたってもいられなくなり、
家の中をデューク更家風に歩いてみたり、
しまいには立ったままPCを打ってみたりして、
♪ひそむようにほほえんだら、私はダイナマイト〜
と、ふられ気分でRock'n RollのTOM★CAT状態。
大丈夫か? 言ってる意味がわからない。

仕事があるだけありがたいと思え、なのだが、
レシピ本2冊の編集と『シェフ』の〆切、もう1本別の酒関係の編集仕事、
これらの山場が1月に集中してしまい。
人が書いた原稿何十本の修正、レシピの校正などなど。
やってもやっても終わらない〜。
家には一応机もあるのだが、なぜか落ち着かず、
たいていはスペースの広いダイニングテーブルでやっている。
会社の事務机でやるのとでは何か身体への負担が違うのか
(やっぱり椅子やライトが違うしね)、はたまたヨワイ(齢)のせいか、
ここ半年で視力がどんどん低下しており、
メガネがすっかり手放せなくなってしまった。


レシピ本2冊のうち、1冊はいま、校正&試作の時期。
掲載するそのレシピで本当にちゃんと作れるのか、
書き方に不備はないか、1品1品検証してみるのだ。
よって、PCのTOMの合間の「食う」には「作る」も含まれている。
ただの試食ではないので、2つのタイマーと計量器と計量スプーン、温度計を駆使し、
きっかりレシピ通りに作る。
うちは郊外で近所に友人は住んでおらず、ひょいとお裾分けができない。
そのため、一人で帆立のベーコン巻きを5個一気に食べ、
サワークリームたっぷりのディップを食べ、チリ(コンカン)を食べ、
カレー風味のナッツを食べ・・・(まだまだ続く)
料理の結果をPCに打ち込み、著者にメールして相談・調整し、
また作って食べて・・・。
体重計は無情にも恐ろしい数字を表示している。
食っちゃ寝じゃなく、食っちゃ座って仕事だけど、
身体にとってはおんなじなのですねえ(むしろ睡眠不足でもっと良くないか)。


もう1冊のレシピ本は昨年12月から撮影を始め、正月を挟んで間もなく再スタート。
ようやく外に出られるのは嬉しいが、その準備もしなくちゃ。



私はスタイリストではないけれど、予算の都合で結局そういうこともやる。
撮影には、食器のレンタルもあるのだが、そこへ見に行ったり、
借りたり返却したりがどうも面倒で、ついつい自腹で買ってしまう。
これまでどれくらい買ってきたのやら。

目は悪くなるわ、運動不足だわ、体重増加だわ、お金は持ち出しだわ、で
まあなんという仕事であろうか。
それでも辞めないのは、やっぱり、好きなんだろうかなあ。





2014年1月8日水曜日

銀杏の教え

1日に実家へ帰った時、母は茶碗蒸しに入れるための銀杏を電子レンジで加熱していた。
爆ぜやすいのはわかっているが、この日の銀杏は
新年祝いの中華街の爆竹か、はたまた西部警察の爆破シーンか、
周富徳も渡哲也もびっくりな、激しい爆発ぶり。
「電子レンジ壊れちゃうんじゃないのぉ?」と私。
直火で煎って塩振ったほうが旨いのになあ、とも思っていた。


片手分ほどの銀杏を分けてもらい持ち帰った。
酒の肴に食べようと、私もチンをした。
いつもは鉄の小さなフライパンで焼くのだが、
なぜだろう、何となく電子レンジにかけた。
電子レンジで加熱する場合には紙袋に入れるのが一番いいのだが、
なぜだろう、何となく耐熱容器に入れた。
すると、実家で見たのと同様のバイオレンス状態に。
取り消しボタンを押し、取り出してみると、
いくつかは火が入っていたが、まだ半分以上は変化なしだった。
再びオン。
すると、西部警察は火薬2倍のスペシャル版となり、
ドッカーンの後、パリーンときた。
パ、パリーンとはなんだ?
恐る恐るドアを開き、のぞき込む。
おーい、誰かいるかー?
暗闇の現場に踏み込むワタナベ刑事。
内部の天井についていた、
コイルを包むガラス管のようなものがバリバリに割れており、
銀杏の肉片が飛び散って張りついている、まさに惨劇の場。


首を引っ込め、とりあえずドアを閉め、
 〽 そして、僕は途方に暮れる〜♪ by 大沢誉志幸
と鼻歌で歌ってみる。
クールポコの「やっちまったなあ」ではないところがね、昭和のせつなさね。

肝心なことをまだ告白していない。
この電子レンジ、新品、買いたてホヤホヤ、
数回しか使っていなかったのでありまする。
それまでの電子レンジは11年使ってきた。
まだ壊れてはいなかったのだが、
かなりボロくなってパワーも弱くなっていたため、
(↓こんな出来事もあったため)
http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2013/06/blog-post.html

もう取り替えてもバチは当たらないのではないか、
ちょうど新年になるし、と思い購入、
今までのものは粗大ゴミで捨てたところ。
やはり、壊れていないものを捨てたバチが当たったんかな。


子供の頃から、いつだってそうだった。
取り返しのつかないミスは、たいてい、その直前にうっすらと
「ダメなんじゃないかなあ」「やっちゃうんじゃないかなあ」
という思いが脳裏をかすめるのだった。
それなのに、どういうわけか流してしまうというかやってしまう、そして失敗する。
わかっていて、なぜ学習できないのだ?

新年早々、銀杏大爆発で目が覚めた。
もう過ちは犯すまい。
「銀杏は電子レンジにかけない」と年頭の誓いをかたくたてました。

・・・いや、銀杏の教えはそういうことじゃないと思うんだが。


2014年1月2日木曜日

実家&SALE

正月の帰省。
帰省といっても私の両親が住む家は30分圏内、
昨日1日の夕方にひょいと行き、夕飯を一緒に食べ、
しばらくテレビを見て戻ってきた。
毎年そんな感じで、実に私はそっけない娘だ。

今の親の家は私が生まれ育った家ではないので、
なつかしいとか落ち着くという感覚はない。
どこか一歩引いた視線で、
年取った両親の暮らしぶりを眺めている。

昔から変わらないことの一つが、
我が実家はほとんど暖房をしない、ということだ。
コタツはつけているがおそらく一番弱だ。
食事時、コタツから出て食卓に着く際に、
台所の湯気だけで暖を取っていることに気づく。
寒いと訴えると、私にだけ電気ストーブがあてがわれた。
私が一人暮らしを始めてまだ数年くらいの頃、
友人が幼い子供を連れてうちに遊びに来た際、
子供にやたら厚着をさせていた。
「だってあんたんち寒いからさあ」
その頃はまだ、実家の習わしが抜けていなかったのだろう。
ちなみに夏は夏で、冷房は滅多につけない家だった。
そうしたおかげで、丈夫な身体になったのかもしれない。
が、今はエアコンの暖房と足下の電気ストーブと両方つけている、
もう実家の習わしは受け継いでいない。
友人が我が家に来るのにアラスカ行きみたいな格好しなくてもいい。


これはおそらくうちだけではない気がするのだが、
母親というのは、なぜか、茶碗蒸しをちょっと得意げな態度で出す。
あの世代の母親にとって、茶碗蒸しは家庭料理のごちそう分野の代表格であり、
「す」が入らずなめらかにできたことが喜びなのだ。
台所に立つタイプの父親の場合のそれは、マグロの刺身である。
今日のは特に当たりだぞ、と、自分の目利きの良さを誇りながら、
サクを切り分けている。


テレビの録画予約表を何気なく見ると、
父親がセットした洋画番組がずらり。
独身時代の父は、会社の帰り、週2〜3回映画を観ていたらしい。
「ラーメンが30円だったな、映画館はいくらだったのか覚えていない」
いま、調べてみると、昭和30年代で70円前後。
しかし父が通っていたのは安い名画座オンリーなので、50円くらいか。
会社近くには何軒もの名画座があったので事欠かなかったそうだ。
どんな映画を観たのだろう、何が特に好きだったのか、いつも一人だったの?
仕事で人にインタビューすることが常な私なのに、
なぜか親には、何となく聞けない。

テレビにアイドルの嵐が出ている。
「私は嵐よりSMAPのほうがいい」と母。
「SMAPの誰が好きなの?」
「みんな好き。あっ! そうだ、中居くん、まだ独身よ」
どういう意味でしょう、中居くんを私におすすめしているのか。
ちなみに中居くんだけじゃないですけどね、独身者は。

あと何回、こうしてたわいもない会話で過ごす正月があるのだろう。
そう思うと、今のうちにもっといろんなこと聞くべきでは、
と思わないわけでもないが、
知らなかった話を、もっと深い話を、たくさん引き出したからといって、
それがだから何なんだろうかとも思う。
親の知らない私の顔がたくさんあるように、子供の知らない親の人生はある。
親孝行のため、という意味では、根掘り葉掘り聞くことよりも、
いつものようにたわいもない話をしたり、
親が話したいと思っていることをただ聞いてやればいいのではないのかな。
と、わかったふうなことを書いているが、
実際には茶碗蒸しと刺身をほめるという最低限のことすらできていないのだった。



今日2日はセール初日、数駅隣のショッピングモールに行き、
1店だけ買い物し、帰ってきた。
レジは長蛇の列、1店が私には限界だ。
並んでいる間、またいつもの人間観察でヒマつぶし。

女たちの多くはセール時の戦闘服を心得ている。
バッグは斜め掛けできるタイプで両手を自由に、
歩きにくく暑いロングブーツではなくショートまたはペタンコ靴。
とりあえず透明のセール用ビニール袋に品を収集し、
並んでいる時間を利用して最終吟味。
そうして列の道中脇の棚に放置された離脱品の中からめっけもんを拾う人あり。
ケータイで別の店にいる仲間と会場の状況を報告しあっている人もいる。

列には男性の姿がチラホラ。
奥さんや彼女の代わりに並んでいるのだ。
よく耐えられるなあ、あるいは耐えられるにしても
恥ずかしくはないのだろうかなあ。
しかし、イライラじれている様子はなく、
「お〜いママ、もうすぐだよ」と、
向こうの鏡の前で服を当てて見ている奥さんに手を振っている。
こんな時、私はサザエさんのフネみたいな気分になる。
波平には決してそんなこと頼めないし、頼む考えすらそもそも浮かばない。