友人H.Oが昨日、引っ越しをした。
私が今の家に引っ越す時、彼女は泊まりがけで手伝ってくれた。
なので、今度は私が助っ人に、
なんならざる蕎麦片手に積み上げ(フロマージュ号に乗って)、
岡本信人になって(あれは岡持ちか)届けるぞ、
と行く気満々だったが、
荷物がそんなにないから人手はいらんとのことで招集かからず。
お役に立てず、残念。
近々、渡辺篤史の建もの探訪をしたいと思っている。
実家で暮らしていた頃は引っ越しを経験したことはなかった。
一人暮らしで家を出た時からは計4回。
まあそんなに多いほうじゃないですよね。
葛飾北斎なんて93回引っ越したらしい、多い時は1日で3回とか。
どんだけ身軽なんだ、敷金礼金なぞもなかったんだろうねえ?
私も実家を出る時は、ほとんど荷物がなかったので、
友人で酒屋の娘であるM.Sの家の軽トラを借りた。
2回目もやはり業者には依頼せず、友人Y.Mに手伝ってもらった。
振り返ってみると、いつも友達に助けられ、安上がりに生きてきたのだねえ。
3回目はさすがに荷物が増えており素人ではキビシイため、赤帽に依頼した。
そして4回目は初めて引っ越し業者に依頼。
4回とも7〜8月だったため、私にとって、引っ越しはまさに汗だくのイメージだ。
1度ガス業者を呼ぶのを忘れ、水シャワーを浴びたことがある。
たとえ真夏で汗だくでも、水はかなりツライということを知りました。
4回目の引っ越し業者のお兄さんは3〜4人いたと思うが、うち2人は未成年だった。
今住んでいるマンションは外壁が真っ白で角がすべて丸くなっており、
おそらくは地中海のリゾートをイメージしたデザインなのだが、
彼らの一人が開口一番「へえ〜・・・なんつーか、カマクラみたいな家っすね」
鎌倉???・・・・ あっ、雪のカマクラね!!
彼は地中海の白い街並なんて知らないのだろう。
人は、自分が知っている世界の中から言葉を引き出すのだなあと改めて感じた。
しかし彼がそう言ったおかげで、私もこの家はもはや地中海ではなく
カマクラに見えてしまうのだった。あたしゃ、雪ん子か。
引っ越しではないのだが、赤帽の思い出がある。
最初に勤めた編集プロダクションで、
よく言えばインテリアのスタイリストもどき、実状はパシリの仕事をしていた。
例えば、撮影のたびに東急ハンズだのインテリアショップだのに借り出しにまわる。
ある時、赤帽に同乗し数店をまわり、家具などの大物をピックアップすることがあった。
昼時になると、赤帽のおじさんは「美味しい天丼の店があるんだよ」と
場所は覚えていないのだが、とにかく私を連れていってくれた。
初めて見る特大の海老がのった天丼。2000円近くしたような気がする。
それをおじさんはごちそうしてくれた。
当時の私にとっては、とんでもなく高級品だ。
そもそも本来ならばこちらが経費で昼を用意する立場ではないか。
しかし会社からはそこまで言われておらず、世間知らずの私はわかっていなかった。
あのおじさんの日当はいくらだったのか。1万円にもならないくらいでは?
2人で4000円の昼食代では、儲けは半分になってしまったのではないか。
今でもたまに思い出し、感謝の気持ちがこみあげるのだった。
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