2013年2月24日日曜日

おひなさまを飾る


今年もやってきた、ひな祭りの季節。
私は父方では初孫にあたり、また3月7日生まれのため、
庶民な家としては豪華な七段飾りのひな人形が贈られた。
私にとってひな人形は、女の子の節句というより
自分の誕生日祝いの飾りという感覚だった。
誕生日会を行っていた小学時代は欠かさず7日までは出しており、
結果、今こうして嫁に行けていない。
ああ、7日に生まれたばっかりに。違うか。

成人になってからは、わがひな人形はしまい込まれ眠り続けていたのだが、
数年前、両親が一軒家の実家を売り払って小さいマンションに移り住むことになり、
私が置いてきた本やら何やらを整理処分するなか、
ひな人形を託されたというか、引き取ることになった。
まあ別に私の住むマンションがそんなに広いというわけではないのだが、
荷物置き場のロフトがあるからだ。
永遠にしまい込んでおくのはかわいそうだから、
ソファなどを移動させてスペースを作り、自分の手で飾ってみようと思った。
しかし蘇ってくるのは、母と2人で組み立てた子供時代の記憶。
非常に手間がかかるもので、やたらに叱られ、ふてくさりながら手伝っていた。
大人になった今も、一人ではとうてい無理だろう。
というわけで、まいどおなじみ、友達使いの荒さで有名なワタシ、
“食事・酒つき”でH.OとY.Oにボランティアを強制。

この、ひな祭りミッション、気づけば今年で4回目を数えるのであった。
回を重ねるごとに、我々個人の技術及びチームワークのクオリティは上がっていった。
特に昨年の第3回はかなりスムーズだったように記憶する。
今年は、飾る前にすでにコーヒーブレイクをとってしまったせいか、
はたまた、わざわざ細部の写真をDVDに入れておいたのに
それを見なかったためか、やや精彩に欠けた作業だった。
何事も初心不可忘、真摯に向き合わねばならぬ。
それでも何とか1時間半で完成にこぎつけた。


なにしろ、まず、骨組みを作るのに骨が折れる。
2つの階段状の骨をバッテン2つで留めるのだが、
ネジを差し込む溝が細くて指を入れづらいのだ。
次に木の板をのせ、毛氈(もうせん)を敷き、
人形や道具類をポンポンのせればでき上がり、と言いたいが、
冠だの刀だの装飾品はすべてバラバラになっており、
一体一体着せていかなければならない。これが非常に手間。
冠がすべりやすくて、あご下でヒモがうまく結わえられない、
ジイさん(左大臣)のヒゲが邪魔だの、
五人囃子の担当楽器が混乱し、「っていうか、オレ、大鼓じゃないしぃ」などなど。
当時のトリセツもちゃんとあるのだが、これがまたひどくて、
微妙に人形のポーズが違ったり、絵が小さ過ぎて細部が見えない。
加えて、ウン十年前のものであるから、すべてにガタがきており、
骨組みはサビ気味、毛氈はなぜか縮んでいる、
小道具の細工がぽろりとはがれたり、美白命のお顔にシミが出ている人もいたり。
今どきのひな人形ってどういう仕組みになっているのだろうか、
変わらず装飾を一つ一つ着けなければいけないのだろうか。
骨組みはもっと簡単でさびないものになっているだろうか。
もっとも、今どきはもう七段飾りなど買う人は少ないに違いない。

未だ私には冠の装着はできず、友達任せ。
ましてや子供の手ではできるわけもない。
その昔、母がピリピリしていたのも、今となってはわからなくはない。
あの時代の母親たちは、今の私たちのように
友達を呼んで手伝ってもらう、といった感覚はなかった。
母は実質一人で組み立てるしかなかったのだ。
「昔、一緒に組み立てたわよね」と、母は懐かしげに言う。
私にとっては苦痛だった思い出が、
母の中では楽しい思い出になっているようだ。
まあ、それなら、良かった、と思う。




2013年2月16日土曜日

友人のお仕事

編集者友達のM.Kさんのお誘いで、
「薬膳ハーブ酒ソムリエ」講座のプレス体験会に行ってきました。
自由が丘にある「ソフィアフィトセラピーカレッジ」の代表で
フィトセラピストである池田明子さんが、
フィトセラピー(植物療法)の理論を広めるために、
薬膳ハーブ協会を発足し、薬膳ハーブ酒ソムリエ認定コースを開講。
第1回講座は6月18日に行われるそうなので、
興味のある方はHP(coming soonだそうですが、http://yakuzen-herb.com/
や、池田さんのブログ(http://ameblo.jp/ikeda-akiko/)などご覧下さいませ。

ダイジェスト版でのハーブ酒の歴史や効果等のお話を聞いた後、
いざ、薬膳ハーブ酒作りも体験。
エキナセア&エルダーフラワー+ウォッカと、
フランボワーズ&ローズ&ローズヒップ+ウォッカの2種。
2週間から1カ月ほど漬けた後に漉し、好みで炭酸等で割ったりして飲めば、
風邪や疲労回復、美肌などの効果が期待できるそう。
ふふふ、来月が楽しみだわ。




M.Kさんは、池田さんの新著『DVDつき 心と体を癒す 手のひらマッサージ』
の編集を担当。
足ツボマッサージは世間的にもすでに定着している感があるけど、
あくまでプロの手に委ねるもので、
友達や家族同士でちょいとやるってもんではないですわね。
それに比べ、手のマッサージだったら、トライしてみたい気軽さがあるし、
足の裏みたいに飛び上がるような痛さではなく、
ソフトなタッチでハンドケアできるからいいかも!
ありそうでまだそんなに出ていないジャンルの本、
DVDまでついて1300円(税別)、やるなあ〜。
不調に効くツボもいろいろ載っている。
私なら、首・肩こりに目の疲れのツボだな。
自分でやるor人にやってあげる、どっちも載っているけど、
やっぱり一番は・・・人にやってもらうのがいいな。 
持つべきものは友。
マッサージの学校に通って技を持つY.Oさま、
ワタナベのここ(両手)空いてますよ〜、よろしく♡



https://www2.shufunotomo.co.jp/webmado/detail/978-4-07-287310-6



2013年2月10日日曜日

自分へのご褒美

「自分へのご褒美」って何を買いますか?
いつからこういう言葉が流布したのでしょうかね。
ようは、贅沢にお金を使う時の言い訳でしょ。
って言っちゃあ、身もフタもないざんすか。

私にとって、自分へのご褒美は何だろう。
例えば宝石や高級時計などの装飾品には興味がないし、
そもそもそんな高価な品を買える財力がないのと、
そこまで自分を褒められるようなビッグなことをしていない。
ビッグなことをして儲けた人は、
おそらく税金対策などでお金をどんどん使わなきゃ、という感覚で
高価なものを買うんじゃなかろうか。
毛皮とか別荘とか自家用ジェット機とか、島を丸ごと買うとか?
島といえばその昔、さだまさしが島を買った話題があったが、
あれは確か、ソロになって最初のヒット曲「雨やどり」の印税で買ったとか。
ああ、こんなベタな発想&昭和なニュースしか思い浮かばない、
貧乏人&昔人間な我が身が哀しい。

ようするに言いたいのは、金持ちが豪華なものを買うのは
自分へのご褒美とは違うだろうということだ。
あくまで庶民が、自分の労働や苦労に対して、ごくろーさんと
平常の自分の物差しからすると少しだけ背伸びするものを
自分のお金で購入する、それが自分へのご褒美ですよね。

女性だったら、エステ・ファッション・グルメが、ご褒美の代表科目だ。
つまり、美か美味。
一方、男の人はどんなご褒美があるのだろう?
パソコンとかカメラなどの機器?車?腕時計?高級ワイン?
ダメだ、この方面も私にはよくわからない(&昭和な発想)が、考えてみたら、
身近な男性で「自分へのご褒美にこれ買ったんだ」と言った人を見たことがない。
男の人は、そんな言い訳などせず、買えるお金があって買いたい欲望があるなら
黙って買うのかもしれない。
すると、女には、贅沢に対する何らかの罪悪感があるのか。
親や夫のお金を使って自分だけ贅沢するからというならまだしも、
自分で稼いだお金であっても、だ。どうしてだろうか。
しかし、言い訳するわりには、ご褒美のタイミングはけっこう頻繁だ。
罪の意識なんて本当はなくて、
気分を高めるための自己演出かもしれない。
収入が増えたからということではなく、
最近忙しい日々が続いたから、ストレスで疲れが溜まっているから、
ちょっとだけ潤いたい、気分転換したい、それがご褒美。
黙って買うよりも、ご褒美という名の熨斗だかリボンだかをつけて手にしたほうが
楽しみが倍になる、というような。
罪悪感のスパイスもあえて加えてみるSM感覚。
そういう感覚、男の人にはないだろうか?

私にとってのご褒美に話を戻そう。
私の場合、職業柄“美味しい”に出会う頻度が高く、
日頃からエンゲル係数が高いので
グルメがご褒美とは言えないかもしれない。
美容は確かにそうかもしれないが、もはや年齢的にいって
ご褒美レベルでは間に合わない、必要経費のような気もする。
(実際にはあんまり投資していないけど)



今日、この青いトラのマグが届き、さっそくコーヒーをいれて飲んでいる。
このマグは、イギリスのホーンジーというメーカーで、
1975年に作られたヴィンテージ。
いつもチェックする北欧系ヴィンテージを扱うサイトで出ており、
美しい青色と、カワイイというより若干イラッとさせられる
つぶらな瞳に魅せられ、ポチっとしたのだった。

そう、しいて言うなら、私のご褒美は、
ヴィンテージのテーブルウェアを買うことかな、と。
ポットやジャグなどの陶磁器、ホウロウ鍋など、
数千円からせいぜい2万円以下のものしか買わないので、
お金持ちな方からしたら微々たるものでしょうけど、
マグカップなぞすでにいくつも持っていて必要ではないのに、
加えて古いものなので、かんにゅう(釉薬のヒビ)やキズがあったりで
コンディションが必ずしも良くないかもしれないのに、
デザインで買ってしまう、まさしく私にとっては贅沢品だろう。

ちなみにこのブログのトップに写っている青い細長いホウロウ鍋は
ダンスクのベイキングパン。
1960〜70年、生産国はフランスでデザイナーはデンマーク人だそう。
パンとかミートローフに使うものだが、私はハンドタオル入れに使用。



同じくダンスクで黄色の平たいベイキングパンも持っていたりする。



ブログ著者の顔に使っているのは、スウェーデンのジィ・ガントフタというメーカーで、
アニタ・ニールンドというデザイナーによる、こしょう入れ。やはり'60年代のもの。

ついでだから他にもいくつかご紹介。

デンマークのロイヤルコペンハーゲン「バッカ」シリーズの花瓶。60年代。
古伊万里に影響受けているブランドゆえ、和の世界にもなじむ雰囲気。

左はイギリスT.Gグリーンのコーニッシュウェアのジャグ、
右はデンマークのLyngby(リュンビュー)のポット。

スウェーデンのロールストランド。今はイッタラの傘下にあるそうだ。

私は、ブランド自体にはあまり興味がない。
なので今も一つ一つの名前がパッとわからず、
器の裏を見たり元のサイトを見たりして書いている。
熱心なコレクターではなく、統一性もなく、
あくまで見た目で惹かれるものを時々買うだけだ。
今回、青いトラを買ったのは、どういうご褒美でなのか?
と問われると。
うーん。ないなあ、特に。
ビッグなことをしたわけでもなく、儲かってもおらず、
多忙で疲れているからでもなく。
欲しかったから、黙って買ってしまった。
つまり、男前ってことかー。
(ろーひと言わんといて! )

2013年2月5日火曜日

マカロンからのアルゼンチン

昨日は、ホテルニューオータニにてピエール・エルメの菓子新作発表会。
ホテルに開業して15周年になるという。
エルメとえばマカロン。4月から月替わりで1種ずつ計8種類の新作を販売予定。
うち3種類程が(ベーシックなもの数種とともに)試食できた。
4月のマカロンはグリオットとレモン果汁、トンカ豆で
桜の花の味を生み出したという“ジャルダン・ジャポネ”。
はーん。なるほどね。
グリオットはチェリーだから当然、チーム・サクラであり、
レモンの酸味で爽やかさを出したのか。
桜の香りの特徴的な成分クマリン(熊の愛称ではない)、
これはトンカ豆からも抽出される成分なのだ。
どれどれ。ふむー。桜の花の味かあ。そうか、そうなのかあ。
桜の塩漬けほどのインパクトは感じられないなあ。
まあ、目指す着地点はそっちじゃないんでしょうけども、
フレッシュな桜の花の香りってそもそも我々は明確に知っているだろうか?
クマリンは塩漬けにすることで初めて抽出されるというし(特に葉)、
桜の花の香り成分はローズとも類似するらしいから、
びみょーな感じがしました。
あとは確かアニス系の成分も桜の花に含まれていたと思うので、
アニスを少し加える手もあるかなって、余計なお世話ですね。

その他、食べてみたかったがダミーだけでザンネンだったのが
“リンゴ、ミント、キュウリ&ルコラ”味や“抹茶、ジロル茸&レモン”等。
どんな味でしょうねえ。




マカロンはもはや菓子の領域を超え、
食べるモードのアイコン、遊べるグッズと化している。
私個人はマカロンはそんなに好きではないけどな。
フカっとしてモチっとしてしつこめのクリームをサンドしたものであれば
ダックワーズが好きだな。
試食でマカロン4〜5個、その他にガトー数種、
アイスやチョコレートデザート等食べたので結構キツい(あたり前か)。
ちなみに、菓子研究家とか菓子主体のライターの方たちは
こぞってヒジョーに細身の体型だ。なんでなんだろう?


夜は、アルゼンチン大使館で映画の試写会。
「LA CIFRA IMPAR」(奇数の暗号)1962年、マヌエル・アンティン監督作品。
世界45カ国を旅した経験を持つ(特にスペイン語圏に詳しい)
フリーライターの女性に誘われてくっついていった。
ちなみにこの方、ハンドキャリーという仕事もしている。
ハンドキャリーは言わば正規の運び屋?
車の部品等を緊急に輸送したい際、それを持参して届ける仕事だ。
まるでバイク便のような感覚で、海外へひとっ飛びしてくるのである。
彼女はこれまでに海外で死にそうな目に幾度も遭っており、
そんな時、恐怖よりもどうやったら切り抜けられるかを冷静に考えるという
強靭な精神の持ち主。
よって、他の人が避けがちな治安が悪い国&英語の通じないスペイン語圏にも
スケジュールさえあいていれば二つ返事で行く。
最近もメキシコやらインドやら行ってきたばかり、
加えてライターの仕事でガイド本執筆のための旅もある、
おかげでマイルがいつもたまりまくっている
(からそれを消化するための旅にも行く)んだって。

さて、なんの前情報なく映画を観る。
そこで知る、字幕は英語で日本語はないことを・・・。
大使館の一室で映画館のような段差がないため、幕下位置の字幕は見えづらく、
古いモノクロ映画なので字自体かすれ気味。つまり、よく見えない。
ちょっと〜まいったなあ〜。
え?はい?  はいはい、そうでした、
そもそも英語わかんないんでした。えへへ。
なのでスペイン語ヒアリングに挑戦だ。

発音は結構はっきりしており、そこそこ聞き取れる。
おお〜良かった!!! ケ・ビエーン(イエーイ)。 

しかーし。なのに、なぜだ? ストーリーがわからない。
登場人物はパリに住むアルゼンチン人の中年夫婦と、
故郷に住む夫の母親、そして夫の兄弟。
母親が夫婦へ手紙をよこすのだが、その内容がよくわからない。
加えて存在自体があやふやな兄弟がちょいちょい出てきては
夫婦とともにわけのわからない行動や言動をおこす。
時間の流れもよくわからない。奇数の暗号って何だ?
ついていけん・・・。

終わった後、ライター女史におずおず聞くと
「言語の問題ではなく、話自体が難解、わからなくて当然」という。
兄弟はすでに死んでいるんだそうだ。
亡霊あるいは妄想の中の人間と現実、過去と現在が境目なく交差しているのだ。
それを聞いた途端、私は「でしょう〜、そうだと思ったのよねえ」としたり顔。
彼女とは違い、スペイン語の理解にも相当問題があったはずだが、
おかげで途中、座頭市顔状態になっていた時間もあったはずだが、
そこらへんのことは闇に葬りました。

帰ってから調べると、映画の原作は
アルゼンチンの作家フリオ・コルタサルの短編「母の手紙」だった。
フリオ・コルタサルといえば、ラテン・アメリカ文学の有名作家の一人。
彼の作品を読んだことはないのだが、
ポッドキャストのスペイン語講座で時折、彼の作品の朗読があり、
そのどれもが摩訶不思議なストーリー(のような気がして)、
あかん、ついていけんなあ、と思っていたので、
またしてもコルタサルにやられたのか!! とびっくり。

この物語に出てくる夫は、兄の元婚約者と駆け落ちして
パリで暮らしている。兄はすでに死んでいるのだが、
母の手紙にはあたかも兄が生きているかのように書かれ、
その亡霊あるいは過去が今の暮らしに入り込んでくる、といった話。
幻想の錯綜、そこはかとない不安感・・・

現実と非現実が区別なく同等に描かれる、
ラテン・アメリカらしい幻想文学「マジック・リアリズム」というヤツですな。
同じアルゼンチンならば『伝奇集』のホルヘ・ルイス・ボルヘス、
ペルーならバルガス・リョサ、そして何といっても有名なのは
コロンビアのガブリエル・ガルシア・マルケス。
私も昔、がんばって大作『百年の孤独』を読んだなあ。
今、引っ張り出して見たら1995年版とあるからもう20年近く前か。
思っていたより分厚くはなかったが、
1ページ2段組みで級数がすごく小さくびっしりなのだ。
スペイン語圏の世界を少しかじっている今、
改めてもう1回読みたいとも思うけど、これじゃ、まず目がやられる。



そして、2009年に出た同作家の『生きて、語り伝える』も持っているが、
こちらは未だツンドク。ページ数676也。
どーするんだ?死ぬまでに読む日は来るのか?

ま、とりあえずは、フリオ・コルタサルの『母の手紙』が収められているらしい
『秘密の武器』(岩波文庫)を買って読み、それからもう一度、
ユーチューブにアップされている映画を観てみようかしら。
「奇数の暗号」の意味、理解できていないし。