2012年3月28日水曜日

勉強して





20代の頃、どういうわけか古伊万里が好きだった。
骨董といっても、若い小娘が小遣いで手を出せる範囲である。
ウン十万円もする初期伊万里なぞ夢のまた夢、というか夢にすらも
出てこない別世界であり、私が買っていたのは古伊万里とも呼べない、
幕末の伊万里の染付の安物で、小皿やなます皿がせいぜい。
それでも、5客まとめてとなればそれなりの値段になる。

やや無理をして買っていた、と思う。
器にかぎらず、あの頃は何かにつけ背伸びしていた。
童顔で実年齢よりも若く見られたため、なめられないようにと
3〜4歳上に言ったりしていた。
ブランド品には興味がなかったが、
10年は着られるカシミアのセーターやコートなど、
ちょっと無理をしてでも、質の良いものを買うようにしていた気がする。
そうした感覚は、私だけではなく、時代の風潮でもあったように思う。

鶴岡・彦根・長野・石川など、地方へ仕事に出た際、
その土地の骨董屋に立ち寄って眺めるのが楽しみだった。
店主はたいてい、あっさりとした感じの年配男性であったと記憶する。
何があっさりなのかというと、骨董のイロハもわからぬ小娘が
やや緊張しながら入ってきたからといって、
小馬鹿に見下すふうなこともなく、さりとて愛想が良いというほどでもなく、
あるいは無理に売りつけようという商魂したたかなふうでもなく、
どこか拍子抜けするほどに淡々としているのだ。
京都の有名店なんかだと、少々いやみな感じを受けたこともあったが、
地方のひっそりとした佇まいの骨董店の店主は、
こちらが聞けば説明してくれ、じっくり見ていれば黙ってお茶を淹れてくれる。
大人扱いされていると感じ、なかなか心地良いものだった。

東京ではほとんど買ったことがないのだが、
20代の頃のオフィスは乃木坂にあったため、乃木神社の骨董市を時々のぞいた。
何を買ったのかは思い出せないが、ある日、値段を聞いた時に言われた言葉だけ
今でもはっきり覚えている。相手は30〜40代くらいの男だった。
「じゃあ、勉強して5000円」
私はその時、勉強するという言葉の意味を知らなかった。
「勉強させてもらいます」と言われたなら、わかったかもしれないが、
その人は「勉強して」と言ったのだった。
どういう意味か考えあぐね、こう受け取った。
「君はまだ若いし骨董のことを何も知らないだろうから、
ここはひとつ、勉強代と思って5000円払いなさい」
なんてことを言うのだ? ひょっとして3000円くらいのものなのに、
身銭を切って学ぶ、ということのために5000円につり上げられたのか?
悔しい。地方の骨董店の主は大人扱いしてくれたのに。
アタシって結構見る目あるかも〜とか思っていたのに。
あんただってそんなに年寄りじゃないじゃない。何を偉そうに勉強しろだなんて。
などと一人心の中で間違った解釈をして憤慨した。
しかし私は「なるほど。いいでしょう、そうしましょう」と
つとめて冷静に答えた。
おっしゃる通り、謙虚に受け止め、勉強に励みますよ、
という意思表明をしたわけだが、ボラずにまけて欲しいと
言う勇気がなかっただけかもしれない。
相手にしてみたら、「勉強させてもらいます」「うむ、よかろう」では
ただのタカビー(←当時の表現にあわせてます)である。
まあ、ボラずにまけて欲しいと言っていたなら、
ますますトンチンカンなのでまだマシだったか?

あれから長い年月が流れた。
伊万里への熱はいつの間にか冷めている。
当時ほどには無理をしなくても一生モノのセーターを
買えるはずなのに、使い捨てのような服のほうが増えている。
年齢を上に言うことなどありえず、まわりもその点には触れてこなくなり、
常にモザイクがかかるようになった。
そう、小娘は、気づけば自身が年代物になってしまった。
値打ちが少しはあるのか、ただの時代遅れのガラクタか。
結局たいして「勉強する」ことなくここまできてしまい、
見る目を養っていないので、わが価値がちっとも見極められない。



・・・と、どこかのPR誌などで見かける文化人風味で今日は書いてみました。

2012年3月25日日曜日

放置プレイ

スーパーでの、食材の話である。
次第に迫るレジを前にして、心変わりする往生際の悪い人がいる。
今日見たのは、レジ脇の栄養ドリンク剤の棚の上に置かれた、
30%引きシールつき、あんぱん。
並んでいる間、今一度カゴの中を見回す。
30パー引きにひかれてついついカゴに入れたはいいが、
ちょっと待てよ、今夜はこれからすき焼きだ、しかしこのパン、
よく見たら消費期限が今日までじゃないか、無理だ、食べられない、
しかし元の売り場にわざわざ行って戻すのは面倒だ、
間もなく自分の番なのに並び直したくない、
しゃあない、ここでさよならしよう。
といった感じだろうか。

レジ前に限らず、各売り場でも、本来の居場所とは異なる
場所に捨てられた食材たちを見かける。
例えば、生ひじきやワカメなどの海藻売り場に、
惣菜コーナーで売っているひじきの煮物パックがあった。
犯人は、どうにもこうにもひじきが食べたかったんである。
惣菜で手軽に済まそうと一度は思ったのである。
しかし、生ひじきを後から見つけ、惣菜に比べたら価格も安いため、
ここはいっちょ、がんばって自分で作ってみるか、と思い、
惣菜を捨てたのだろう。
勇気を出して自炊への一歩を踏み出したことは良いことなのに、
元の惣菜売り場まで戻るくらいのことがおっくうでは、
果たしてちゃんと作ったのか、アヤシイ。
青じそノンオイルドレッシングでもかけてそのまま食べたんじゃないか?

粉売り場で、豚肉が投げ捨てられていたのを見た。
なぜ、ここで? 私はしばし腕を組み、パイプをくわえて推理した。
ははーん。わかったぞ。
犯人は最初に、お好み焼きを作ろうと決めた。
見たまえ、豚肉はバラ肉スライスだ。
豚バラをカゴに入れた後、粉売り場に来た。
そこで、ふと、お好み焼き粉の脇の、たこ焼き粉が目に入ってきた。
たこ焼き、ふむ・・・たこ焼きもいいな。
しかもたこ焼き粉は今月値引き品になっている。
じゃあ、たこ焼きにしよう。
それじゃ、たこ買わなくっちゃ、豚はもういらん。
というわけだ。
しかしこの犯人の罪は重い。
生鮮食品を常温売り場に捨てたのだから。

そんな洞察力鋭いワタクシも、首をひねる事件に遭遇した。
現場はお菓子売り場。
ポッキー(正確にはプリッツ)の横に、同様にたてかけられた、えのき茸。
わからない。犯人はいったいどんな心境の変化の結果、
ここにえのき茸を捨てるに至ったのか。
どんなに考えてもわからない。
プリッツのパッケージ写真と、えのき茸の容姿が似ているから、
なのかもしれないが、だからそれが何なのか。
プリッツを見る。カゴに入れたえのき茸を思い出して取り出す。
えのき茸を食べようと思ったけど、やっぱ、プリッツのほうがいいかな?
・・・ないだろう、その代替え案は。
えのき君、あなたはそういえばプリッツに似ているね、2人ともシュッとして。
プリッツと一緒にいるほうが、あなたにとっては本当は幸せなのかもしれない。
さよなら、末永くお幸せにね・・・

何を言ってるのか、ワトソンくん。
これはもう、放置プレイとしか考えられないのだった。


2012年3月22日木曜日

ホワイトスティルトンのアップルパイチーズ


昨日、私は東京23区最高峰の山の登頂に無事成功した。
愛宕山である。標高26m也。
そこにある、ナチュラルチーズの草分け的ショップ、
「フェルミエ」の本間るみ子さんに久しぶりに会う。
フェルミエは1986年創業。当時は渋谷にあったが、'97年に愛宕山に移転。
レストランへの卸しはむろんのこと、東急東横のデパ地下や札幌店と展開しながらも、
昔から変わらぬ手作りのニュースレターを発信するなど、
農家製という意味の屋号の雰囲気を失うことのない、
フロマージュへの愛情が伝わってくる店だ。

本間さんはチーズにまつわる本を何冊も執筆されている。
一番売れた本は?と聞くと、辞典のタイプだという。
写真が豊富で、わかりやすく解説され、
1冊あれば事足りると思わせるものが、やはり受けがいいのだろう。
「私個人は、旅のエッセイなどを読むのが好きなので、そっちも
おすすめしたいですけどね(笑)」(本間さん)

行間を読む愉しみ、を知らない人が増えている気がする。
などと、ビジュアル主体の本を手掛けている私が言っても
今ひとつ説得力がないが、インタビュー記事等、
自分なりに心をくだいてきたつもりであるし、そうした記事と
写真との両立をはかりたいと思い続けてきた(いる)。
「これからも、まっとうなものを丁寧に作り続けていって」
と励まされ、うれしかった。 

さて、今回、新たに食したのは、
「イギリス製ホワイトスティルトンのアップルパイチーズ」。
スティルトンは、フランスのロックフォール、
イタリアのゴルゴンゾーラと並ぶ世界三大ブルーチーズだが、
ホワイトスティルトンは青カビをつけないタイプ。
ブルーベリーやレモンピール、マンゴーなどの
ドライフルーツを混ぜ込んだデザートタイプ
として売られている。
アップルパイと名づけられたものは、
パイ生地がついているわけではないが、
ドライのリンゴとレーズンが入っており、
シナモンが表面にまぶされている。
食感はホロホロとして、
味わいはリンゴの酸味がしっかりきいている。
チーズケーキ程はしつこくない。
なので、ついつい、どんどん食べちゃって、
まあ、あたしったらどうしましょうって
一応1回くらい独り言を言ってみるのだけんども、
手は止まることを知らない。



フェルミエ












岡田さんは男か

取材を終えたスタッフに、
「レストラン◎◎の広報は今も岡田さん?」と聞いたら、
「あ、いいえ、全然違いますね、女性ですから」と言う。
スタッフは、前の担当の岡田さんとは面識がない。

岡田さんっていう人は男性と相場が決まっているのだろうか。
全然違うという強い否定は何を意味しているのだろうか。
山田でもないし髙田でもないし、ましてや岡山なんていうふうに
似た名前の人では全然ない、という意味か。
しばし考えたけども、よーわかりまへん。
ちなみに岡田さんは女性なのだが。



2012年3月18日日曜日

どしたの?

長年、携わってきた大量の『シェフ』、これまでは会社の机脇の本棚に並べていたのだが、自宅での仕事が今後増えるため、家に置くことにした。一箱30冊くらいの梱包で、土日の夜着指定の宅配で発送。

インターフォンが鳴り、ドアを開くと、そこには肩で息をするジイさんが。宅配のドライバーというより、小さくて浅黒く、目がキョロっとしたジイさんだ。職種としての比較になっていないが。ドライバーのユニフォームは着ておらず、私服とおぼしき作業着姿。フラフラしながらようやく1箱をドサッと置くと、「まだ、あっちに・・ハアハア、あるから。今日は台車忘れちゃってさ」と引き返していった。

2箱目を再びフラついて持ってきながら「どうしたのよ、これ? すごい重いじゃない」という。どうしたのよ、とはいったいどういうことだろうか。宅配業者が、重い荷物だからといって普通「どうしたのよ」と言うだろうか? その、意表をつく言葉に、思わず事情を話している私。すると、ジイさんはニヤニヤしながら「だったら自分で毎日1冊ずつ持って帰ればいいじゃない」と言った。それは私も考えたし、最初のうちはやってもみたのだが、他にも荷物がある日は難しいとか、雨の日は濡れたらイヤだ等々で、途中でギブアップしたのだった。しかしジイさんよ、もし私がそうしたら、あなたの仕事を取っちゃうことになるんだが? 

今夜、また別の荷物が届いた。ドアを開けた瞬間、ジイさんは「どうしたの、寝てたの?」という。えっ?  思わず私はあるはずのない寝グセの髪をおさえてしまった「さっき一度来たけど出なかったからさあ」。ああそういうことか、なるほどねって、ちょっと。出なかったからってなんで寝てると思うのか?夕方に。「いいえ、ちょっと近所に買物に。うちは遅くなる分には大丈夫ですから」と答えたら、「遅いのはオレが困るよ」とニヤニヤしながら立ち去っていった。


なんだろうか、配達員らしからぬその言動。
立ち去るジイさんの後ろ姿を見ながら、私の頭の中では、ピンク・レディーのウォンテッドがかかっていた。といっても出だしの1行目だけであり、決して恋した訳ではない。シワの入ったジイさんの顔がどことなしかジャン=ポール・ベルモンドを彷彿させもしたが、またいつもの私の飛躍しすぎる妄想だ。むしろ若干憂鬱なくらいだ。
しかし、人は意表をつかれると、思わず素の自分が出るものなのだなあと思ったのでした。




すべてお持ち帰り

自宅から駅前へ買い物に出た際、小腹が減ったので、パン屋でサンドイッチを1パック買った。レジのお姉さんはとっても愛想良くこう言った。「こちらはすべてお持ち帰りですか?」2階にイートインスペースがあるのは知ってる。しかし私が購入したのはパッケージ的には一つの商品である。すべてとは? つまり、その、中身一切れ一切れを総合してのすべて、か?「あ、こっちの卵は持ち帰りで、こっちのハムとチーズはここで」といった、細かいニーズに対応できるということだろうか。もしそうだったとしたら、お姉さんはどんなことをしてくれるのか、試してみたい気もしたが、忙しくてサンドイッチ作っているヒマがなかったから購入したのであり、やめといた。おそらくお姉さんはマニュアル通りにお題目を唱えたまでであり、ザンネンながらそのマニュアルに単数形バージョンが入っていなかったのだろう。

チェーン展開しているそのパン屋では、サンドイッチや食パンなどを購入すると必ず、「こちらの消費期限は平成24年何月何日となっております」と言う。なぜ、平成から言うんだろうかなあ?パンなんだから、サンドイッチなら今日明日だろうし、食パンなら数日程度だって、誰でもわかるんじゃないだろうか。そもそも、なぜわざわざ消費期限を伝えるのか、といえば、サンドイッチは一刻も早く食べて欲しいからで、食パンはわりと日持ちするイメージがあるけども、そんな10日も2週間もおいといちゃダメですよ、という気持ちから、ではないだろうか?ならばなおのこと、年間のスケールを感じさせるようなこと言っちゃダメじゃん、と思う。月末じゃなかったら何月さえも必要ないくらいだ。「何日です」とか「今週金曜までに」と言われたほうが、ずっと明快なのに。
気になると言わずにはいられないアタクシは、ずいぶん前に、この件について、パン屋の広報にメールしたことがある。文面は忘れたが、先方からの返事は「貴重なご意見への感謝」「前向きに検討致します」といった、通り一遍のものであった。しかし結局何も変化はない。あくまで「平成何年〜」から言いたいのだねえ。なぜなのだ?