2013年12月24日火曜日

ミスター・ピーナッツとクラリス・クリフ


こちらのマグカップを買ったアンティーク屋さんを再び訪問した。

http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2013/05/bourn-vitasweet-dreams.html


私が希望を出していた品を、
アメリカへ買いつけに行ったついでにいくつか見つけて仕入れてきた
という知らせが来たからだ。
アメリカのキャラクターで私が好きなのはガンビーとミスター・ピーナッツ。
どちらもキモカワ系である
(ガンビーはまだしもミスターはカワの要素は限りなく少ないが)。

今回入荷しているのはミスター・ピーナッツ。
この店というかサロンというかは、
イギリスの優雅なアンティーク食器や銀器などを主なアイテムとしており、
そのようななかで、不敵な笑みを浮かべるミスター・ピーナッツのグッズが
置かれたコーナーは明らかに異質であり、常連客は商品を眺めるうちに、
ミスターの視線を感じ、ギョッとおののいているらしい。


昼前に訪れたため、軽く食べていきなさいよ、と
バゲットサンドイッチ1切れとリーフサラダ、卵料理、紅茶が提供された。
これで何も買わずに帰る勇気は私にはない。
ミスターのソルト&ペッパーとマグカップを買うことにした。
他にも2、3のミスターアイテムがあったのだが、
そんなにいくつも類似のものはいらない。
が、いずれ私がそれらを買い取らないかぎり、
ミスターはあの位置で永久に不滅です、となり、
マダムたちが訪問するたびに、恐怖や不快感を与えてしまうことになるだろうか。




いただいた卵料理はイギリスの老舗陶磁器ブランド、
ロイヤル・ウースターの“エッグ・コドラー”で提供された。
これは、器の内側に油脂をぬり、卵を割り入れ、塩・こしょうをし、
好みでベーコンなり何なりをちょいと入れてフタをしめ、
湯煎で10分ほど火入れするとでき上がるものだ。
コドラーとは、coddle(卵などをとろ火でゆっくり煮る)から来ている。


最近イギリスにも買いつけに行き、いい状態のものを多く入手したという。
エスプレッソカップサイズと湯のみサイズがあり、柄もいくつかある。
これは朝食にいいですねえ。
卵を溶いてから入れればフラン(茶碗蒸し)になるのではないか。
プリンだって作れるだろう。
では、と小さいサイズ2個を購入。




調子に乗った私は、室内を引き続き物色。
日本の厚切りトースト(←嫌い)は入る余地のない、
イギリスの薄いトースト(←好き)をはさむためのスタンドや、
尖ったフォークつきのピクルスジャーなんかも、いつか欲しいなあ。


ふと、手をのばしにくい棚の下の奥のほうに無造作に重なっている皿が、
「見て見て、ここにいるよ」と私を呼んでいる。
パッキンにはさまれて全体は見えず、縁の一部だけなのだが、何かとても気になる。
「あのー、あそこにあるお皿は?」
女主人は、どれどれ、とご本人もちょっと忘れかけていたような様子で
その皿を引っ張り出した。
「あら、これはクラリス・クリフよ〜はっきり言って、いいお皿よ」
よく見つけたわねえと、肘でこのこの〜と突かれる。
クラリス・クリフはイギリス女性の陶器デザイナー、
アール・デコのインパクトある色彩で手描きされた作品が有名で、
本国では大変評価が高く、高値がつけられているのだが、
スージー・クーパーがダントツ人気の日本ではあまり知られていないという。

直径20cmのケーキ皿で、3枚ある。
この皿は手描きの強烈なデザインではなく、穏やかな緑色と金色で、
皿の縁の直線と花びらのようなレリーフがとても美しい。



「これを買ったのは10年くらい前、本当はお皿が目的ではなくて、
これをのせていたケーキスタンドが欲しかったのよ」
再び奥から引っ張り出してきたのは、折りたたみ式の三段シルバースタンド。
使わない時はコンパクトに収納できる。
売り物にするつもりはなかったが、もし欲しいなら安く譲るとのこと。

ミスター・ピーナッツの2アイテムにエッグ・コドラー2個、
ケーキ皿3枚そしてどうせならケーキスタンドも・・・
合計すると、結構な出費である。
でも、買わずに後悔したくない。ええい、買っちまおう!!

というわけで、
奇しくも(自分への)クリスマスプレゼントのようなものとなりました。
そんなつもりじゃないけどもね。


このケーキスタンド、よくよく見ると、小さな刻印に
「NAAFI    NAVY ARMY&AIR FOUCE INSTITUTES」とある。
イギリスの海陸空軍のための厚生機関で作られたものらしい。
なるほどそのため貴族的ではなくシンプルで質実剛健なデザインなわけだ。
(でもしかし、軍人たちも午後のお茶なんぞしていたということだよなあ)
可愛らしい皿と対照的な組み合わせがおもしろくてますます気に入った。


2013年12月17日火曜日

お嬢様の自転車は・・・

いつものように、喫茶店でスペイン語の先生を待っていたら、
となりに若い男1人と中年の男2人が座った。
私は予習に集中していたが、耳には勝手に会話が入ってきてしまう。
どうやら、タクシーの運転手が交通事故を起こし、
大学生にケガをさせてしまったらしい。
私はあくまで予習に没頭していたが、
単語をそらんじる際に一瞬顔をあげると、
ギプスでかためられた右腕が目に入った。
中年男の1人は保険会社の人で、
もう1人はおそらくタクシー会社の担当者(加害者本人ではない様子)。
テーブルには文明堂のカステラか、菓子折が置かれている。
私は電子辞書で単語を調べてはノートに書きつける作業を決して怠りはしないが、
耳にはまだゆとりがあるようで、情報が同時進行で入ってくる。

保険員「で、その時に乗っていた自転車ですが、おいくらくらいでしたか?」
学生「2カ月くらい前に買ったばかりだったんですけど、8万ちょいです」
保険員「全治4週間ということで、バイトもその手じゃできないですよね、
失礼ですがこれまでだいたい月いくらくらいもらっていたんですか?」
学生「そうですね、22、3万くらいですね」

はぁ〜。8万の自転車に22万のバイト代、すごいもんだねえ、近頃の学生は。
どのくらい働いたらそれくらい稼げるのだろう。
そして、それが保険で補われるらしく、請求のための書類を渡している。

保険員「ではまた後ほど、詳しくは先日のようにご実家のお父様に電話して・・・」
学生「はい、ボク、こういうのよくわからないんで、親に伝えてもらえれば、
親がボクに説明してくれますんで」
保険員「ちなみにお父様はおいくつでしたでしょうか?」
学生「52、3くらいです」

お父様が噛み砕いて説明してくれたらボクはわかるようになるのか。
バイト代も父親の年齢もなぜか下ヒトケタは2、3とリンクしている。
そして、私は父親とそんなに大きな年の差がないというか、
この青年が私の子であってもおかしくはないのだなあ。



あれは私が20代、すでに社会人で一人暮らしを始めたばかりの頃。
仕事の帰り、地元の駅に着き、路上の自転車置き場に行くと、
ガードレールと、管理人の小屋、そしてわが自転車が
ぐっちゃりとひん曲がっていた。
一目で、車が突っ込んだ事故の跡とわかる。

派出所が目と鼻の先だったので、とりあえず行ってみた。
「あのー、そこに駐輪していた私の自転車が・・・」
「ああ、君の自転車か。この人がやっちゃったの」
泥酔して机に突っ伏している30代くらいのサラリーマンを指差して
警察官は呑気にそう言った。
するとそこに、身重の奥さんが血相を変えて飛び込んできた。
「ちょっと、やだあ、あなた〜どうしちゃったのよ!!」
半泣きの妊婦と、どうかしちゃった夫。
なんだ、この、寸劇風な世界は。
はたまた“警察密着24時”なんかで見かける光景。
さて、私はどんな役まわりか、ここは一つ、ヒステリックに怒るべきか?
が、後日、保険会社から連絡が行くから
とりあえずいったんお帰り下さい、というあっけない結果に。
奥さんは私に平謝りし、「お嬢様を家までお送りしないと」と言うが、
何しろ相手はお腹が大きいし、かなり動揺しているし、
お嬢様って響きは何だかちょっといい気分うふふで、
「私は大丈夫ですから」と断った。
いつもならチャリで突っ走る人気のない夜道を20分かけて歩いているうちに、
やはりお嬢様は送ってもらうべきだったのでは、
どうせならパトカーに乗りたかったと後悔した(乗せてくれるのか?)。

この件を母親に話すと
「保険会社から電話があったら、自転車は新しいと言いなさい」
そんなに新しくはなかった気がするが、
大人の世界はそういうものなのかとよくわからない私は言われた通りにした。
すると後日、保険会社から再び電話がかかってきて、
「当社が査定したところ、数年は経過したものと思われます。
 が、加害者側より、全額弁償するとのことですので、
 新しい自転車を購入後、領収書をお送り下さい」
嗚呼、かーさんよ、汚れちまった悲しみに。金の斧をやっちまったぞよ。


そんなことを思い出していたら、
彼らは打ち合わせを終え、中年2人が先に去っていった。
青年はスマホで(おそらく今の出来事を親に)メールしてから席を立った。
左手にはコーヒーカップ、右手のギプスには菓子折の袋をぶら下げて。

入れ替わりに高齢の男性が座った。
コーヒーを飲みながら、老人は持参したせんべいをテーブル下に隠しつつ1枚食べ、
続いて羊羹も食べた。

私の先生がやって来た。本日の社会勉強はおしまい。



2013年12月13日金曜日

シェフ101号発売!!



先週に続き再びの宣伝ですんません。

『シェフ101号』冬号が昨日完成しました。
書店売りは12月25日ですが、直販はすでにスタートしていますので、
どうぞよろしくお願い申し上げます!! 

特集「新生ロオジエの可能性」
どこよりも早く、オープン前に取材。
ダイニング、厨房、シェフ、全スタッフ、

そしてもちろん料理、すべてを掲載しております。

第2特集 「『古典』を再考する」
「古典」とは一体何をさし、それをどのように学び、発展させているのか。

古典料理の名著案内、古典に対する考え方を聞くインタビューでは
オテル・ド・ヨシノ(手島氏)、銀座レカン(高良氏)、

サラマンジェ・ド・イザシ・ワキサカ(脇坂氏)、
シャトーレストラン ジョエル・ロブション(渡辺氏)、
TOMOSHIRO INOUE (井上氏)、フロリレージュ(川手氏)、
ラ・トゥーエル(山本氏)、レストラン バカール(石井氏)
にお聞きしました。
フランス料理の歴史年表と、今なお継承されている古典料理例3品もご紹介。


この他、カーヴ・ド・コンマ、GINZA TOTOKI、

キュイジーヌ[s] ミッシェル・トロワグロ、カランドリエ、
グリグリ、アップステアーズ、ラ・プティ・シュシュ、レジョン、
シャンブル・アヴェク・ヴュ、ラ・フェット ひらまつ、
アルカナ東京KARATO、ル・ヴァンキャトル、
レストラン イリエ ル ジョワイユー、デュバリー、
ラパルタメント ディ ナオキ、オーベルジュ・ドゥ・リリアーヌ、
リベルターブル、ノリエット、
ステファン・パンテル氏、ルカンケを掲載しております。
ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。




2013年12月6日金曜日

dancyu1月号

まいど、宣伝でございます。
本日発売の『dancyu』1月号(プレジデント社)。
こちらの巻頭特集で、1本だけですが、取材・執筆を担当させていただきました。
取材先は先日、35歳未満の料理人コンテスト“ RED-U 35 ”で優勝した
レストラン ラ フィネスの杉本シェフ。
テーマは甘海老で作るビスクです。

フリーになってから、こうした一般向けの料理雑誌の仕事は初めてだったので、
独特の言葉の表現にやや戸惑いつつも、楽しくやらせてもらいました。

どうぞよろしくお願いしま〜す。


http://www.president.co.jp/dan/







2013年11月23日土曜日

モミの木

子供の頃、童話『マッチ売りの少女』が好きだった。
作者はデンマークのハンス・クリスチャン・アンデルセンだ。
この人はすごい心配性で、まだ死んでいない人が間違って埋葬されたという話を聞き、
自身が寝る時には枕元に「死んでいません」と書いた紙を置いていたんだとか。
貧しい家に生まれ、容姿などのコンプレックスが強く、自信がないわりに、
好きな女性にはラブレターの代わりに妙な自伝みたいなものを送りつけたり、
今で言うところの空気読めない性格で、生涯独身だったらしい。
いいねえ〜ますます興味がわくなあ。

人魚姫、親指姫、みにくいあひるの子、裸の王様などもこの人の作品だ。
そこまで有名ではないのだが『モミの木』という作品があり、
このたび、小宮由氏訳による『モミの木』がアノニマ・スタジオより発売となりました。
挿絵は、マリメッコのデザイナーでもあるサンナ・アンヌッカさん。
布張り、金箔押しの装丁、ステキな本に仕上がっております。定価2200円(税別)。
大人のための絵本として、プレゼントにいかがでしょう。 
あらすじは・・・さすがはアンデルセンらしく、
ハッピーハッピールンルンルン、のわけはないのでして。
人生とは、を考えさせられるものです。
「今、この時をどう感じ生きるのか」
詳しくは・・・買って読んでみようじゃありませんか。





2013年11月17日日曜日

ただのウナギの頭

今日は美容院に行ってきた。
そこには2年程通っている。
30代のカップルの美容師が経営しており、
当初は一人がつききりでシャンプーから会計まで担当する方式だった。
つまり店内には最大でも店員2人と客2人だけ。
ガチャガチャしておらず、
他のお客との兼ね合いで待たされるようなこともなく、
繁忙なはずの日曜が直前のタイミングでも予約が取れ、
ここ大丈夫なのかしらん?とやや不安になりつつも、
私の担当のオーナーお兄さんの腕前はなかなか良くて、気に入っている。

しかし最近になって、若い見習いスタッフが入った。
お笑い芸人のサバンナの高橋って人にやや似た男の子だ。
静かにニコニコして、ちょっと気弱で頼りなげなタイプ。
そして今日は、更にもう一人、若い女子スタッフも加わっていた。
おや。人気が出てきたのか?
これで、次第に雑な扱いされるようになったらザンネンだなあ。
出会った頃は〜こんな日が〜来るとは思わずにいた〜♪
にならないよう祈るばかりだ。

しかしそれにしても、美容院でのトークというのものは
どこでもワンパターンなのだろう。
エリアのランチの店情報か、
この頃の天気について(暑さ寒さ、雨、地震)か、
時期によっては夏休み冬休みの予定。
こちらが広げている雑誌に出ている企画の内容をひろってか。
あるいは、「髪伸びるの早いですねえ」と言われ
「そうなんですよー」と答えるか。
つまらんのお。
美容師たちは、もう少し話術を磨く訓練をすべきではないか。
過去に通っていた美容院の担当者は、
トークが得意だと本人は思っているふうだったが、
ただ単にノリが軽いだけで、むしろそういうほうがタチ悪い。
アホらしい話にこちらが気遣って「ですよね〜っ」と
ノリを合わせたりしているのだから。
かといって、こちらから自分のプライベートの話をあれこれするのもメンドイ。
日頃おしゃべりな私だが、意外にも美容院ではなるべく雑誌に集中して
トークの気遣いをせずに済むように努めている。
まあ幸いにも、今のオーナーはペラペラしゃべりかけてくるタイプではなく
そこそこの定番話で済んでいるので、イライラはしないが。


前回行った際、その前日の天気が急転したという定番話の流れから、
私はその時、滅多に行ったことのない秋葉原にいた、
メイドカフェのメイドがビラを配っていた、と話し、
「メイドカフェっていったい何が楽しいんでしょうかねえ?」(私)
「わからないですよね〜」(オーナー)
という、たいして盛り上がらないキャッチボールが交わされた。
オーナーが何とはなしに、見習いサバンナ高橋に
「行ったことある?」とふったら、
意外にも「ええ、まあ」という答えが。それも何回かあるらしい。
ついでに、キャバクラもある、とまんざら嫌いじゃない様子。
へえぇ〜このサバンナくんがキャバクラねえ〜
オーナーも「そ、そうなの?」とびっくり顔(思わず手が止まっとるぞい)。
私は話を飛躍させ、じゃあいっそ、お座敷遊びなんかどう?興味ある?と聞いた。
冗談のつもりだった。
しかしサバンナくんは「ああ、できることなら経験したいですね」と真面目に言う。
オーナーが「いくらかかるかわかって言ってんの?」と呆れたように聞くと、
サバンナくん「わかんないですけど・・・10万とかですかね?」と
まるっきり見当違いでもなさそうな(私は知らないけど)、
なおかつ彼の立場からしたら不相応な金額をさらっと言う。
なんだろうかね、草食系の極みふうな男の子によるこの発言は。

今日のサバンナくんは、私のとなりの人の髪にパーマ液を塗りながら、
小学校の時の学芸会で、演し物がスイミー(レオ・レオニ作)だった
という話をしている。
「それで何の役をやったんですか? 」というお客の問いに、
「ウナギの頭です。ただの通りすがりみたいなもんです」
とサバンナくんはニコニコして答えている。

決して目立つタイプの人ではないのだが、
それこそただの通りすがりみたいなタイプなのだが、
何かこう、妙な印象を残すのである。ウナギの頭だもんなあ。



2013年11月10日日曜日

食材偽装ネタのごった煮風

なんだかもうわけがわからないことになっている食材偽装のニュース。
悪質なケースもむろんあるだろうが、それはどうなのか?というものまで
マスコミは躍起になって「ここでも!」「こんなことも!」と騒いでいる。
「騙された、許せない」と返金を求める消費者も相当の数にのぼるという。

私はホテルやレストランを擁護するつもりはないけれど、
例えば芝海老というものを、ではそれまで消費者はどこで獲れるどんな海老だと
認識していたのだろうか?
東京湾で獲っていると信じていたのに!!と思っていたのだろうか。

実は海外の養殖物のバナメイ海老が使われていた、
養殖物には抗生物質や漂白剤の残留の問題があり、
客の健康が損なわれる恐れがあるのだ、
といったことを書いているジャーナリストもいるが、それは話がズレてやしないか?

伊勢海老ではなくロブスターだった、というのも意味がよくわからない。
伊勢海老も(狭義では違うけども)広義ではロブスターの一種であるし、
オーストラリア産の高級伊勢海老だとしたらそれは偽装とは違うと思うし、
ロブスター=オマール海老のことなのであれば、
オマール海老だって高級素材としての価値があるのだし、
伊勢海老とオマール海老は身質が違うから
何も嘘ついて書く必要もないしなあ。
そのへんの泥沼で釣ってきたザリガニでも出したんだろうか。
(ちなみに、ザリガニも美味しいものはあります)


一連の報道に出てきているかどうか知らないが、
海老と言えば、手長海老はどうなんだ。
手長海老のグリルとかリングイネといったメニューをよく見るが、
本来の手長海老は淡水に生息する別の海老であり、
正確に言えばアカザ海老だ。
通称として手長海老の呼び名がメジャーになってしまっている。
アカザ海老は国産特有の品種で実は伊勢海老より高い海老だが、
海外の近縁種(どこどこアカザ海老といった名前)で
そこまでは高くないものが入ってきているので、
そこそこの値段で提供できている。
比べなければ海外産でも結構美味しいものだ。
「手長海老と表記されていたが、実はアカザ海老だった」
「アカザ海老と表記されていたが、実は輸入品だった」
と糾弾するのか?


しまいには、フレッシュミルクは市販の牛乳だった、
手づくり風ハンバーグは機械で作っている、
おふくろの味の定食は中年男性コックが料理、と
もうお笑いのネタにされるところまできている。

こうなってくると、そろそろ
グランメール風(おばあちゃん風)やボンファム風(良妻風)あたりも危険か。
「シェフの気まぐれサラダと明記しておきながら、
 実際には事前に真面目に内容を考えて作っていた」
というニュースが伝えられてもおかしくない。

「偽装か?の問いに誤表示と言い張るホテル」
単調な切り口で問いただしても、身を守りたい側はそりゃそう答えるだろう、
偽装の数を声高に言っても、それはもうただある種のお祭り騒ぎを
煽るだけになってしまう。
街頭インタビューで「あのホテルは信用していたのに裏切られた気持ちです」といった
回答ばかりを放映するが、答えているその人は何回くらいそこのホテルで食事を
した経験があるのか、他の意見を言う人は本当にいなかったのか。
悪質であるものの見極めと、そこを正確に突く問い方を
マスコミは学ばなければならないのではないだろうか。
私の立場としては、消費者とシェフ双方の、
食材に対する認識を高めるための情報を発信していきたいと思う。








2013年11月4日月曜日

もてなし・なし

このところ、とある会報誌の仕事で、
居酒屋系の店のリサーチと取材をやっている。
はっきり言って、ダメだこりゃ、な店が実に多い。
何がダメって、電話の応対である。
何度電話しても、「オーナーが留守なんで(ガチャ)」とかね。
電話するたび「折り返し電話するから」と言いつつまったくこない。とかね。
こちらの質問に対して、ものすごく面倒そうに冷たく答える。とかね。
多数店舗を手広く経営する企業であっても、
その本社の広報窓口が広報として機能しておらず、
はあ?へぇ? という対応だったり。とかね。

こちらは別に有料で何かしようというのではないし、
リサーチと言っても時間のかかるアンケートをするわけでもない。
2、3の確認事項とともに、それがあてはまっていれば取材を依頼する、
というものである。もちろん忙しい営業時間帯をはずして電話している。
何もメディアに対してへつらって欲しいわけではなく、
何らかの理由で断られるのは仕方ない。
が、節度を持って電話している人間に対して、
もう少しそちらも節度ある対応ってものがあるでしょうに、と
あたしゃ言いたくなるのでございますよ。
過去、フランス料理店相手に仕事していた時には
そんな目にはほとんど遭わなかった。
媒体名や肩書きなどのせいか。
見知らぬフリーライターの社会的地位が
それだけ低く見られているということだろうか。

しかし、あなたたちは接客業を生業としているのではないのかい?
人をもてなすプロが、いくら客の問い合わせではないからといって、
メジャーではない媒体だからといって、
そう露骨に素っ気なくあしらうのはなぜなのだろう。
飲食店検索の画面にツラツラと並ぶ、
“おもてなし第一” “細やかなサービス”的なコピーに偽りあり、だ。


しかし、少数ではあるが、親切に対応してくれる人もいることはいる。
きちんと的を得た回答をしてくれる人、あるいは
いかにも人と接するのが好きといった感じで、
それこそ見ず知らずの今初めて電話をしてきた私に対して、
むしろ話が脱線しつつ長くしゃべり込んできたりして、
(それはそれである意味、ちょっと困るのだけれども)
でも、そんな人にあたるとホッとする。
無意識にもついつい親切心がにじみ出てしまう、
その資質を持っていることこそが接客業には必須ではないだろうか。

ちなみに、サービスの語源はラテン語で「奴隷」から来ている。
ホスピタリティはホスピスなどでも使われるように
「(お客に対しての)保護」が語源だ。
私が言っていることは、ホスピタリティやサービス以前の、
マナーレベルでなっとらん、ということなのだが。



2013年10月28日月曜日

いろんなもの食べなきゃ

エルサレム旅日記1で、トルコ航空の機内食、
間違って、ベジタリアンオリエンタルミールを選ぼうとしていたと書いた。

http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2013/09/1.html


この時はそれがどんなものがわかっていなかった。

アジアンテイストの野菜料理かと思っていた。
後で調べてみると、
菜食主義で、なおかつ
五葷(ごくん)と呼ばれる食材(にんにく、ニラ、ラッキョウ、玉ネギ、ネギ)は
とらない人をオリエンタル・ベジタリアンというのだそうだ。
もともと東洋の仏教信者の食事からきているらしい。
ビーガン(動物性食品を一切とらない、乳製品やハチミツも。vegetarianからvegan)は
知っていたが、オリエンタル・ベジタリアンは知らなんだ。
他にも、ラクト・ベジタリアン(乳製品はとる)、
オボ・ベジタリアン(+卵)、ラクト・オボ・ベジタリン(+乳製品・卵)、
フルーツやナッツ、トマトなど、それを食しても植物自体の生命を奪わないものだけを
食べるフルータリアンという主義者もいる。


私の友人(女)で、逆に野菜をまったく食べないという人がいる。

子供の頃からで、ときにはがんばって口にしてみたこともあるが、
本当に吐きそうになって身体がまるで受けつけないという。
私は野菜不足がしばらく続くと不調になるが、
彼女はとらずに今日まで40年以上生きてきて、
それで特に問題が(今のところ)ないのだから、
そういう身体の人もいるのが事実なのだ。

自分は何タリアンであるかな。

オバタリアンなぞという、山田くん座布団全部持って行きなさい的な
昭和ベタなことは言いませぬ(←言ってるよ)。
まあ何でも食べるので、オムニボア(雑食動物)ですな。
肉だけ、野菜だけ、フルーツだけ、ではたぶん、耐えられない。
ついでに、“何とかずくし”みたいな単一素材のフルコースも好みではない。


イスラムにおける食の規律では

(食してよいものはハラール、ダメなものはハラーム)、
豚肉、血液、酒、カニ、カエル、カメなどは
食してはいけないことになっている。
海老やイカ、タコ、貝類などはダメではないが、
基本的には食べないらしい。
ユダヤ教の規定はカシュルートといい、
豚や血液、馬、甲殻類、イカ、タコ、貝類などが禁じられている。
乳製品と肉の組み合わせもダメ。

食べてはいけないものが多々決められている人生ってどんな感じだろう。

どんなもこんなも、すべては神の教えであり、
何の疑いもなく、背くこともないのだろうか。


先日、ホテルで取材していた際の話。
外国人客は鉄板焼きや寿司が好きだが、
しかし、例えばピチピチ生きた海老などを見せて
その場で調理するのは要注意、人によっては完全に拒絶するとのこと。
生きていなくても、尾頭つきの舟盛りなんかも苦手な人が多いようだ。
(むろん外国人全員ではない。国や宗教等によっては平気な人もいる)
まあ、日本人も、本当のところ、暴れているのを焼くところを見たり、
踊り食いみたいなことをみんなが喜んでいるかというと、
そんなこともない気はするが、ほ乳類や鳥類に比べたら、
魚介が生命を絶たれる瞬間に立ち会うことは比較的、大丈夫だろう。
どちらも命の重さにかわりはないはずだが、
動物の場合、人間に近い血肉を持っているがゆえ、
かわいそうという情のようなものと気持ち悪さの両方が入り交じって
屠殺場面はむろんのこと、毛をむしったりはいだりなどの解体も
見たくない人のほうが多いはず。


アメリカ在住で、いま、仕事を組んでいる日本人料理研究家にそのことを話したら、

「どの土地でも海に近く新鮮な魚介が手に入る日本と異なり、
 アメリカでは1日かかっても到達しないような内陸の地が多くあり、
 鮮度は当然落ちるため、切り身の冷凍品などが主になる。
 また、趣味の釣り人口が日本は多いが、アメリカではライセンスが必要。
 そうした環境では、尾頭つきの魚は見慣れていない。
 一瞬で仕留めるハンティングと違い、長い断末魔のような状態を見るのは
 食欲減退の何ものでもない」とのこと。
なるほどなあ。

ちなみにホテルの窓からは築地市場が見えた。

築地ツアーは相変わらず外国人客に大変人気があるらしい。
マグロ解体なんかはイヤじゃないのだろうか。
ピチピチ跳ねたりしないから平気なのかな。
自分の口に入る食べものを見に行くというよりも、
ジャングルクルーズのようなアトラクション感覚なのかもしれない。

そんなことをあれこれ考えていたら、
帰りに寄ったスーパーで、
小さな女の子がお菓子を買いたいと駄々をこねていた。
ダメよ、と言う母親に、女の子は
「いろんなもの食べなきゃ大きくなれないんだよっ!!!!」
と叫んでいた。










2013年10月21日月曜日

飛び出す絵本はいかが?

子どもの頃、飛び出す絵本、好きでしたねえ。
今どきは、ポップアップ絵本とか、しかけ絵本というのですが。
ストーリーよりも、いったいどういうしかけになっているのだろう?と
その構造のほうが気になって、ついつい紙を引っぱりこわしてしまったりして。

大人になっても、絵本っていいものですが、
特にしかけ絵本は、さすがにもう乱暴に扱うことなく、
いい子にして見られると思うので、
雨でおそとに出るのがおっくうな日など、
のんびり眺めるのにもってこいでございましょう。

オススメはこちら、私が編集者として仕事させてもらっている、
アノニマ・スタジオより発売してる2冊です。
『オセアノ号、海へ! 』『ナマケモノのいる森で』
タイトル通り、ひとつは海、もうひとつは森を舞台にしたもので、
そのシチュエーションならではのしかけに、
おお〜!! なるほどねえ〜と感心すること間違いなし、
子供よりもむしろ大人のほうがより楽しめる絵本です。




しかけの様子はネタばらしになるのでお見せしたくないけれど、
お子さんや友達にプレゼントしたいから知っておきたい、という方は
こちら「絵本ナビ」さんに詳しく出ているのでどうぞ。

http://www.ehonnavi.net/ehon/90224/オセアノ号、海へ!/

http://www.ehonnavi.net/ehon/82979/ナマケモノのいる森で/



2013年10月14日月曜日

なべころ坂

人生には三つの坂があるといわれている。
上り坂、下り坂、そして、まさか。( ̄∇ ̄) 

いや〜「なべころ坂」なる名前の坂があるとは知りませんでした。
これぞまさしく、まさか! である。
うん?そういう意味ではない?
まあまあ、いいじゃありませんか。

なべころって、なんなんだそのふざけた名前は。
ワタナベとしては、一度見ておかねばならない。
というわけで、行ってみました。

場所は目黒区中目黒4丁目、祐天寺から近い。
このあたりは坂道が多く、
ここがなべころ坂か?いやここか?と勘違いしそうになる坂がいくつかある。


あったあった。坂上に解説が書かれていた。
なんでも、その昔(っていつなのか?)、
鍋が転がるくらい急坂であったことからその名がつけられたそうな。
なるほどね〜、と素直に納得。できないのが私の悲しい性分。
鍋が転がるくらい、という表現は、果たして適切なんだろうか。
もともと丸っこいものだから、そんなに急坂でなくても転がりそうな気もするが。
なんで茶碗坂とか桶坂ではなかったのか。
答えは風のなか〜by ボブ・ディラン。

が、もうひとつの説があり、道に粘土(赤土層)が露出した状態を
このあたりでは「なべごろ」と呼んでいたそうで、そこから変化したとも。
こちらのほうが信憑性が高い気がするが、
鍋がコロコロのほうが日本昔ばなしっぽくておもしろいから、
やっぱり鍋が転がる坂と思うことにしよう。

勾配15%の表示。それも結構な長さがある。
たまたま坂の上に出たから良かった、上るのは少々難儀だろう。

まさかな「なべころ坂」をワタナベが転がるように下りてみましたとさ。
めでたし、めでたし。(人生下り坂とか不吉なことは考えません)

追伸: 坂のふもとには、「中目黒大使公邸」なる立派な建物が。
    世には多くの何とか大使が存在するが、まさか中目黒限定の大使がいて
   こんなにゴージャスな所を与えられているのかーとびっくり。
   鍋の形をしたゆるキャラ「なべころりん」と共にただいま中目黒のPR活動中。
  (もちろん信じないように。各国の大使公邸が集まっているんだそうな) 







2013年10月7日月曜日

秋浅き、となりは何をしとんのじゃ。

今日は1日家で仕事。
朝、窓を開け、新鮮な空気を取り入れる。
庭のオリーブの木は今日も元気だ。
スズメだけでなく、なんだろう、シジュウカラ?みたいなのも
やってきて鳴いている。
キジシロの野良ネコが悠々と横切っていく。
キンモクセイの香りをのせた風がカーテンを軽くゆらす。
ああ、秋ですねえ。

さあて、やるぞー。とパソコンに向かう。すると。

ギャーハハッ!!!!!!!

あんっ? また始まったのか?
勘弁してよ〜。

となりのクソババアである。
あら、いやだ、ワタクシとしたことが、言葉がお下品でした、
となりのご婦人宅から、とんでもない奇声が響いてくるのでございます。

昨年くらいだったか、新婚夫婦に子供ができて引っ越し空いた隣室に
このご婦人が入居した。
入居する少し前の頃、やはり自宅で仕事をしていたら、
見知らぬ中年男と若い女が私の庭先に台車やら土の入った袋やらを置いて、
となりの庭先にレンガを積んで花壇を造り始めた。
うちの庭はちょっと変わっていて、
テラスの先にコンクリートの小径のようなスペースがあり、
隣家と区切る壁はテラス部分までしかない。
だから、野良ネコがその道を通り抜けられるのだ。
しかし一般の道路には面していない内庭みたいな向きのため、
よその人が歩くということはありえない。
その小径までがそれぞれの家の占有スペースとなっている。

花壇を造っていることで、となりに引っ越してくるとわかったわけだが、
なにゆえアタシの庭にいろんなものを置いているのか?
自分たちのテラスの範囲内に置くのが当然ではないか。 
私は庭に出て、苦情を言った。まず一言挨拶があるべきでは?と。
すると、男は慌てて謝り、荷物をどかしながら、
「引っ越して来たらすぐ挨拶にうかがうと思いますので」
と言う。思いますので??
彼らはガーデニングの業者で、住む人ではなかった。

たまたま別の用件で不動産屋に連絡することがあったため、
ついでにこの件を報告した。
すると、不動産屋は、それはいけませんねと言いつつ、
「おとなりは元女優の方がセカンドハウス的に使うためお留守のことも
  多いとは思いますが」
と(他に2、3のことを含め)聞くつもりもなかった個人情報がダダ漏れだ。
ふーん、ガーデニング業者にわざわざ頼むくらいだ、さすが元女優、
お金に余裕がおありなのね、きっと。
しかしこんな何もないただの住宅街にセカンドハウスねえ?

それからしばらくして、となりに人の気配を時折感じるようになった。
が、何週間何カ月経っても、とうとう挨拶には来なかった。
そのため、未だ元女優の顔を知らない。
世間知らずの若者ならいざ知らず、いい年をした女性が
隣人に引っ越しの挨拶をしないとは驚きだ。
私が真面目すぎるのかしらん。

というわけで、スタートから印象が良くないんである。
そこに加えて、この頃、ティーパーチーだか、
元女優を囲んでファンクラブ交流会だか知らないけど、
婦人仲間数人がドヤドヤとやってきては騒ぐのである。

たまにならいい。節度ある談笑ならそんなには気にならない。
あるいは頻繁であっても、窓を閉めてやっている分には、そうそう聞こえないはずだ。
ところが、おとなりは窓全開、そして数十秒に1回大爆笑、
しかもそれが数日に1度くらいの頻度で行われ、午前中から長い日は夕方まで続く。
いったい何がそんなにおもしろいのか?うるさいを通り越して不気味ですらある。
仕方ないからこっちが窓を閉めるハメになるのだ。

しかし耐えきれず、不動産屋にチクッた私。それが2週間前。
すぐに注意するとのこと。
先週はほとんど昼間自宅にいなかったので様子はわからず、
明けて今日、月曜日に、またしても爆笑ティーパーチー開催! なのだ。
キンモクセイの風は、品のない中年女たちの笑い声でトイレの芳香剤に成り下がった。
アタシの秋を返せー。

再度、不動産屋にチクる。
窓を閉め、BGMのボリュームを気持ち大きめにする。
イヤホンにすれば完全に外の音をシャットアウトできるだろうが、
それだと私の場合イマイチ仕事に身が入らない。

心地良い秋を奪われたので、もいっかい夏に逆戻りしようっと。
BGMはこちら、Booker T、Jamaica Song(CMで有名)が入っている「Evergreen」。




明日も自宅で仕事なのだが、果たして大丈夫だろうか。
もしまたウルサかったら?
こちらも負けずに布団叩きで布団叩きながら「か・え・れ」ってやってみるか。
隣人戦争はこうして起きるのでしょうね。




2013年9月28日土曜日

もしもあと1週間で

仕事の合間に表参道のスパイラルマーケットに立ち寄った。
20代の頃、ここは憧れの
オサレーな店の一つで、
いつかはこんな素敵なモノたちに囲まれて暮らしたいと
妄想しながら店内を徘徊するのが楽しみだった。
今はそんな浮ついた気分はまるでない。
ということは、オサレーライフを実践しているんだろうか?
いや、ただ単に年をとっただけだな。
時折プレゼントを買ったり、CDをチェックする程度で
未だたいして買い物せずに徘徊するだけなので、
オサレーライフへの道のりはまだ遠い。

店内を一周半し、今日も特に何も買わず。

しかしその後の仕事まで20分ほど半端な余裕があった。
試食試飲を控えているため、カフェでコーヒーというのもちょっと。
スパイラルビルをご存知の方ならすぐわかると思うが、

しばしぼんやりしたりメールチェックなぞするのに好都合な
ベンチというか椅子が並んだ窓辺のスペースがある。
そこにとりあえず座ってみたら、一つあけて隣に座っていた、
顔の幅が狭くメガネをかけたアラフォーくらい?の外国人の男が話しかけてきた。
英語はできるか?と聞くので
できない、スペイン語なら少し、と答える。
できない、だけではなんだかかっこ悪いというか、
見栄を張って、
聞かれてもいないのに、スペイン語ならという言い訳をつけているのが
いじましい。

すると、その人はスペイン語に切り替えて話してきたではないか。
対応を断ったつもりなのに、ええっ?あら?そうなの。
ならばこちらは必死にスペイン語耳に切り替えて聞き取らないと。
たいしてできるわけでもないのだからにぃー。

自分はスチール&ムービーのカメラマンだ、
世界各地を回って、たった一つの質問をして、
その人の母国語で答えてもらう、というドキュメンタリーを作っているところだ、
協力してもらえないか?とのこと。
彼はイギリスからやってきたが、出身はブラジルだそうで、
だからポルトガル語と近いスペイン語もできるという。

そういう企画についてどう思うか?と言うので、

なるほどとても興味深いですねえ、でもすいませんねぇ、
私は時間があまりなくてこれから仕事に行かなきゃでムニャムニャ・・・
答えていたら、ipadを手渡された。
気づけばもうビデオカメラをまわされている。

おそらく翻訳機にかけたものだろう、ipadの文面は
おおよそわかるにはわかるが、奇妙な日本語になっていた。
それをまず指摘すると、スペイン語で正しい質問内容を言ってきた。


「あなたがもし、あと1週間で死ぬとわかったならば、
 何をしますか? それはどうしてですか?」

1つだけ共通の質問と聞いた時に、おそらくは、
一番大切なものは何ですか、とか、
あなたにとって愛とは何ですか、とか、
あるいは死についての質問だろうと予測したので、驚きはしない。
それに、この質問自体、わりによくある質問とも言えるし。

それでも、やはり、パッとは答えられない。
でも、でも、ビデオは回り続けているから、恥ずかしい。
早く答えなくちゃ。

どんなふうにしゃべったのか、よく覚えていないけれど、
「おそらく、特別なことはせずにいつもと変わらない生活を送ると思う。
 ただ、もう少しだけ、丁寧に過ごし、まわりのみんなに優しくしたい」
というようなことを答えたと思う。

どうしてか、は言うのを忘れた(正しくは、言えなかった)。
彼は日本語がわからないので、私が言い終えたと思って録画は終了。
これをドキュメンタリーに使用することを許可するとかたぶんそんなことが
書かれた短い文面にサインとメールアドレスを書くよう促された。

彼は日本に着いて2日目、私が最初の回答者らしい。
が、初来日ではなくもう5〜6回くらいは来ていると言うので、
だったら日本語が少しは話せるべきでは?
チクリと言ったら、確かに、でも難しくて・・・ってさ。


この質問に対する回答として、リアルを追求したならば、
何をするか・したいかよりも、
恐怖とか悲しみが先立って気が狂いそうになるかもしれない
と言うほうが自然な気もする。
エリザベス・キューブラー=ロス『死ぬ瞬間』で有名な
否認と隔離→怒り→取引→抑うつ→受容というプロセス。
それを1週間で、いや最初の数日で受容の境地にまで至って、
残りの数日を何かやりたいことをやって過ごす、なんて
とうていできそうにない。

何もできず悶え苦しんで(あるいはただ呆然として)死んでいくだろうと
答えるのもアリではあるだろうが
でも、今ここではそんなリアル感はおそらく求められていない。
質問は「何をするか?」だけれど、それは「自分はどうなると思うか」よりも
「どうしたいか」という希望を指しているんだろう、たぶん。


1週間の命かー。
3日だったら、もっとやりたい放題、
ハチャメチャなことしたいと思うかもしれないが、
1週間はそこそこ時間があるような気がする。
それに、果たしてハチャメチャって何なんだろうか。
日頃やったことのないことを傍若無人にやって快楽を得たいのか、得られるのか?
(死への恐怖を紛らすための行為という意味ではありえるかもしれないけれども)


なんか違うよな。
やり残したと思うことは、そんな突拍子もないことではなくて、
英語がしゃべれるようになるとかオサレーライフみたいな、
いつかそのうちにとナマクラしていたことではなかろうか。
でも、それを実現するには1週間では足りない。
また、それは何が何でもやりたかったのか、欲しかったのか、
というとそうでもないかもしれない。
あるいは、ハチャメチャではないけれども、
生まれ変わらなければできないような願望はある。
しかしそれは命の長さとは関係がない。
だから、結局いつもと変わらない日々を過ごす、と答えたのかな。
今考えると、誰もいない、どこか広大な美しい景色の中で過ごす、のもいいかな。

1週間では足りないけれど、と思う願望は、
じゃあどれくらいの時間があればできるのだろう。
ひょっとすると、一生も1週間もある意味、同じかもしれない。


2013年9月25日水曜日

シェフ100号発売!!

とうとう。ここまで来ました。
『シェフ100号』
長い間、ご支援ありがとうございます。
200号目指してがんばりマス。
ので、100号買って下さい。


2013年9月14日土曜日

エルサレム旅日記6(終)

エルサレム旅日記1
http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2013/09/1.html

エルサレム旅日記2
http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2013/09/2.html

エルサレム旅日記3
http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2013/09/3.html

エルサレム旅日記4
http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2013/09/4.html

エルサレム旅日記5
http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2013/09/5.html




9月7日(土)

旅も終わりだ。
帰りの飛行機は12時20分発。
たまたま、記者氏はトルコへオリンピック開催地選考結果発表の取材に行くことになり、
イスタンブールまで同じ飛行機に乗ることに。
空港での出国審査が心配だったので心強い。
彼のオフィスのスタッフが車で空港まで送ってくれるし。

いつものようにホテルの部屋の窓を開けると、
今日は裸男はいなかった。
さよなら。


出国審査の第一関門は空港の車用ゲート。
もしここでスルーできても空港内で確実にチェックがある。
逆にここで車から下ろされ、わきにある小屋で検査を受けたならば、
荷物にシールが貼られ、空港内での細かいチェックはパスになる可能性が高い、と記者氏。
そうか、ならばとっととここでやってくれたらいいかもしれない。
と、心の中で願ってしまったせいなのか、3人とも下ろされ、
パスポートとケータイを取り上げられる。
ライフル銃をぶら下げた兵士が、
ミッフィー人形がついた私のアイフォンを手にしている。
コワイんだかカワイイんだかよくわからない。

一人ずつ順番に小屋に入る。
スタッフ、記者氏、そして私は一番最後だった。
スタッフはパレスチナ人だ。
そのため、ここでチェックされるのは必然のことだった。
彼は淡々と受け入れているように見えるが、
その心中を想像すると、私は哀しくなった。

呼ばれてなかに入ると、記者氏もそこにいた。
私一人ではさすがにかわいそうと彼らは思ったのだろうか?
荷物を検査機に通している間は椅子に座っていろと命令される。
ゲートを通る身体検査、そしてまた椅子に座れと言われた気がして座ったら、
記者氏が「いや、スーツケースを開けろと言ってる」。
あら、やだ、えへへ。間違えちゃった。って、
へらへら笑っている場合では全然ないね。

探知機?で中を探られる。特に火薬類がないか調べているらしい。
コワイというよりも、中身をぜんぶ出せとか言われたら
なんだか恥ずかしいなあ、と思う気持ちのほうが勝っている私。

なんとか第一関門を突破。
61と書かれたシールをペタペタと貼られる。
さあ、どうよ、私は61で合格した人間だぞ。
もう文句は言わせないぜ。

空港内の荷物検査の機械の前に並ぶ。
一般的には、ここで、いわゆる質問責めに遭い、
人によっては機械を通すチェックだけでなく、別のスペースに連れて行かれ、
スーツケースの中身を入念に調べられるという。
しかし私は61番合格者だ。
検査官は小さい(歌手の)プリンス風。
私と記者氏のパスポート2冊を手にして、
それを何度も何度も意味不明なくらいにめくりながら、
どれくらいイスラエルに滞在していたかだとか、質問してくる。
2冊一緒に持っているもんだから、しまいにはたくさんスタンプが押された
記者氏のパスポートを見ながら、その内容を私に質問してきたりして、
このミニプリンス、使えないヤツではないか?という気がしてきた。
その後も、何かいったん機械の裏にいる上司らしき人に判断を仰ぎに行っては
またもどってきて一つ質問し、またあっちに行って、をくり返す。
ヘンなの。パスポートにまた違うシールを貼られる。
機械を通し、記者氏は終了。やはり61番が効いているようだね。
そして私も・・・

あっちへ行け!と奥の検査コーナーを指示された。
ああ無情。61番効果なし。
Why? と言っても、首をヨコにふられるばかり。

スーツケースの中身を、先ほどと同じような棒状の探知機でしつこく探る。
今度は小分けした荷物一つ一つを開けてその棒を突っ込む。
いやだなあ、化粧ポーチから下着入れまで全部だよ。
お土産の中から怪しいと思われるスパイスや、充電器などを別にはじいて、
それはそれでしつこくチェックする。

なんとか終わり、さあもうこれでOKね、と思ったら、
今度は手荷物チェック。記者氏はパスだが、私はつい立ての裏へ呼ばれる。
スーツケースの重量がオーバー気味だったので、手荷物にバスソルトをいくつか入れていた。
スパイスのようなただのビニール袋ではなく、
ちゃんと商品としてパッケージされたものだ。
それを持ち込めない、置いて行けと言うのだ。
あたしゃ、いい加減キレてしまいまして。
ナンデナノカ? ナンデコレモンダイアル? ワタシワカラナ〜イ、
ワタシイヤダ、ダタラスーツケースモテコイ、コレソッチイレルヨ。
という感じに相手には聞こえているだろうが、訴えた。
すると、3人の担当者が集まって、どうのこうのとヘブライ語でやり出し、
最終的には、OK、ハバナイストリップ!! と言われた。
何がハバナイストリップじゃ。ふん。

記者氏いわく、首相と同じ飛行機になった時レベルのチェックでしたねえ、とのこと。
あたし、峰不二子と間違われたのかしら。
3時間前に着いているのに、もう買い物する時間はあまりなくなっていた。

しかし、続きはまだあった。
パスポートコントロールで、担当者は、私のパスポートを見て、私を見て、
パスポートを見て、私を見て、パスポートを見て、私を見て・・・・を
10回以上くり返した。私はどんな顔をしていればいいのかわからない、
あまりにしつこいので、モデルみたいに1カットずつ表情を変えてみたくなった。
そして、となりの壁をたたき、もう一人が顔だけ突き出して、
二人がかりでパスポート&現物の見比べを始めた。
ああそうですよ、私のパスポート、自分で言うのもなんだけど、
かなりいい感じに撮れているんですよ。
そして今の私は、飛行機の長旅に備えてノーメイクだ。
「他に顔写真のついた身分証明証か何か持っていないか?」
車の免許証があったのでそれを差し出す。
免許証の写真は非常にダメな感じで私は気に入っていない。
「OK」
1秒でパスとなった。
心が折れました。

「そんな違うかねえ?なんかおかしい、今の私の顔?」と記者氏に聞いたら
私の顔を見ることなく「別に・・」と言われた。
もう、悟るより他ない。


帰国し、最初に知ったニュースは、オリンピック開催地が東京に決まったこと、
そして、記者氏が配信した、イスタンブール敗れる、であった。

スーツケースを開けると、知らないボールペンがそこにあった。
空港の検査官の置き土産である。










エルサレム旅日記5

エルサレム旅日記1
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エルサレム旅日記2
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エルサレム旅日記3
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エルサレム旅日記4
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9月6日(金)

フリータイム最終日。記者氏が死海へ連れていってくれるという。
エルサレムの中心から死海のビーチまでは車で小1時間。
バスもあるが便数が少なく何かと不便な地なので、ありがたや〜。





道中、小高い丘に建て売り住宅のようなものが並んでいるのが見える。
「あれがいわゆる入植ですよ」
ヨルダン川西岸のパレスチナ人の地区に、
イスラエル(ユダヤ人たち)の家が建設され続けている。
中東和平交渉は果たしてどうなっていくのだろう。







景色は荒涼とした大地に変わっていく。
遊牧民のバラックのような家が時折姿を見せる。
道沿いの土産物屋には観光客用のラクダもいる。
海抜ゼロの表示。
死海は更にマイナス約420mに位置する。
ちなみにエルサレムは800m超だ。










さほど観光化されていないビーチに案内してもらう。
向こう岸はヨルダンだ。
暑さのピークの8月を過ぎており、また、午前中のため、気温は39℃、
しばらくは耐えられるレベルではあるが、長時間はキツいな。
水辺に降りる手すりは、塩と泥とサビが混ざったネトネト状態。
足だけ浸かってみる。水は生温かい。
舐める。強烈。塩分濃度30%。


帰りはオリーブ山に寄り、岩のドーム方面を眺める。








午後は再び旧市街へ。
結局、毎日通ったけれど、飽きない。
ここはユダヤの正月やイスラムの安息日であっても比較的多くの店が開いている。














一昨日見た、居眠りの布屋のオヤジが、まったく同じ姿勢で寝ていた。
靴修理屋?のオヤジは一心不乱に眉毛やヒゲのお手入れをしている。


そうそう、今回の旅で、私は「鏡をやたらにじっくり見る男」を8人くらい見た。
あるカフェでお茶していた時には、
テイクアウトの料理を待つ間に壁一面ある鏡のなぜか同じ位置で
じぃーっと自分の顔を見つめる男が連続3人いた。
ブティックのショーウィンドーのガラスに向かって、あれこれポージングしている男も見た。
何だこの傾向は。ナルシスト?

それから、やたらに男同士が道端でしゃべっているという印象が強い。








あてどころなく気ままに歩いていると、子供が近寄ってきて、
「どこへ行きたいのか?」と英語で聞いてくる。
迷ってはいない、ただ歩いていたいのだと言っても、しつこく聞いてくる。
「行きたい所へ案内する、少しお金をくれれば」と言い出す。
エルサレムは、かなり英語が通じる土地だ。
こんな小さな子供たちさえ、生きるため、英語を覚えるのだな。



記者氏おすすめの店「アブ・シュクリ」でフムスを再び食べる。
たっぷりのフムスに、ファラフェル3個、トマトとピクルス、ピタパンが2枚ついてくる。
缶ジュースをつけて25シェケル。

ここのフムスは、マヨネーズのコクにも似た味わいとなめらかさ。
客が帰った後、店員は皿をバケツに入れ、手つかずのピタパンは別に回収している。
次の客に出すのだろう。
ということは私のこのピタパンも、そういうことだ。




私が店を出た途端、店員は掃除を始めた。
閉店ギリギリガールであった。良かった。





昨日までの3日間、旧市街で見かけた日本人はあの青年だけだ。
しかし今日は、若い男女のグループや、学生らしい男2人組も見た。
パッと日本人とはわからないのだが、手に持つ『地球の歩き方』で確認ができる。
外国人からすると、ひょっとしてあれは日本語の聖書だと思われているのではないだろうか。

オーストリアン・ホスピスの前では、昨日にも増して兵士の数が多い。
何かあったのだろうか、観光客たちが注目している。
しかし、彼らの雰囲気は和やかだ。
プロのカメラマンと思われる欧米人が夢中で彼らを撮っているので、
なんとなく私も負けていられないと一緒になって撮る。
あっちはいいレンズ、こっちはただの標準レンズだけどさ。
意外とカメラ向けても怒られないのねえ。






旧市街を出たところで、中年の男に声をかけられた。
真っ黄色のTシャツを着て、松崎しげるレベルに日焼けした、暑苦しいタイプ。
facebookに日本人から友達申請がよく来るのだが、この日本語を訳してくれないか、と言う。明らかに胡散臭い。スマホをちらっとのぞき、それはスパムだと伝えると、
私は大阪でしばらく暮らしたことがある、ヘブライ語、アラビア語、英語、ドイツ語、イタリア語が話せる、日本語を少し教えて欲しい、こうしたコミュニケーションが好きなのだと言う。
大阪で暮らしたことがあるんだったら、カタコトの日本語を知らないはずはないだろう。
何が目的だ? さあて、ここからどう逃れようか。
強烈な西日の下、ただでさえ暑苦しい存在感のなのに、ものすごい接近度だ。
私は無意識にどんどん後ずさりしている。
明日は死海のほうへ行くのだが、一緒にどうか、案内しよう、ときた。
友達と約束があるから、と言うと、何時頃終わる?と言う。
オールナイトだからダメだ、と私も何を言ってんのかよくわからないが、
ともかくそんな感じで何とか振り切った。


最後の夜は、記者氏と女性記者の3名で、
ホテル近くで珍しく開いていた「CHAKRA」に。
http://www.chakra-rest.com




ここは東京でも通用しそうなこじゃれた店だ。
イタリアンテイストが加わっているが、カルパッチョにはザクロ、
アイスクリームにはタヒニをかけてあるところなどはこの地らしい。

女性記者の話で驚いたのは、イスラエルは遺伝子組み換え作物が奨励されているということ。
彼女は「パレスチナのほうがナチュラルな作り方で、不格好であっても美味しくて安いのでそちらへ買い出しに行く」とのことだ。
あとで、モンサント(アメリカの企業で世界中の遺伝子組み換え作物を牛耳っている)のHPを見たら、確かにイスラエルでの活動が出ていた。
ユダヤ教についてまだほとんどわかっていない私なのだが、
遺伝子を操作することは神を冒涜することにはならないのだろうか。
まあ、ならないからやってるんだろうねえ。


エルサレム旅日記4

エルサレム旅日記1
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エルサレム旅日記2
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エルサレム旅日記3
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9月5日(木)

ひょっとして・・・と、うっすら予感していたが、的中した。




向かいの裸男は、今日はシャツを着ていた。
新年の祝日だからだ。正装なのだ。
でも、仕事はしてはいけないはず。
毎日パソコンに向かって何をしているのだろう。株のディーラーとか?


朝食はほぼ一昨日のように戻ったが、温かい料理はない。
コーヒーマシンには布がかけられている。エレベーター同様、お休みだ。
仕方ないのでポットのお湯でインスタントを溶く。
日本人カップルは心なしか、倦怠期を迎えている様子。
男は食事しながらケータイをいじっている。女は黙々と食べている。
正月になることを知らなかったのだろうか。

最初の2日、ホテルは閑散としていたのだが、
昨夜からは家族連れが多く泊まっているらしく、
フロント前をいつ通っても、ソファに大勢の人が座ってワイワイしていた。
何をしているのかはよくわからない。ただワイワイしているだけである。
ホテルの前の通りにあるベンチにもいつも家族連れが座っており、
子供たちは着飾っていた。




ユダヤ教徒たちはみな、嘆きの壁へ初詣に行くのだ。
滅多に見られないチャンス、私も行くぞ。




神社で言うところの手水舎。



おお〜集まっているな。
正月は撮影が禁止なので、この距離からが限界。
新年の祝いに、人々は角笛を吹く。
ただやたらにプゥープゥーと鳴っているだけであまり風情はないが。
何やら歌を歌って踊っている人たちもいる。
家庭では、リンゴにハチミツをつけて食べるのが習わしだそうだ。
ひょっとしてハウスバーモントカレーはここからヒントを得たのか??と
思ったけど、違いますね、バーモント州からだものな。




昼からは、イスラエル博物館。









紀元前3世紀頃、現存する世界最古のヘブライ語聖典の写本をはじめ、
2000年前のエルサレムの50分の1模型や、各国のシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)内部、
考古学的なコレクション、加えて現代アートや写真などもあり、見ごたえ充分。
庭はイサム・ノグチのデザインだ。

じっくり堪能したのは良いが、気づけば足が棒になっていた。
嘆きの壁からここ博物館までは数キロ離れているが、
私は何を張り切ったのか野山越えて歩いてきていた、その疲労がドドッときた。

併設するカフェやスーベニールショップは正月休み。
ほんとはこの後、ホロコーストにまつわる博物館「ヤド・ヴァシェム」にも
行きたかったのだが、やはり休み。
手持ちの水が少なくなっており、お腹も減り、私は生命の危機を感じていた。
とりあえずタクシーでホテルに戻ろう。

博物館前に止まっているタクシー数台は白タクではなかったと思う。
乗るなり、ハナ肇似の運転手は「ベツレヘムは行かないのか?案内するよ」と
話しかけてきた。断ると黙ったが、私はその時、しまったと思った。
あまりに疲れていたのと、話に気をとらわれ、
メーターのチェックをしていなかったのだ。
いつもなら、乗る前にだいたいいくらかかるのか聞くか、
メーターが動いているかチェックをするのに。
これはボラれるなあ。
ましてや今日はタクシーは開店休業、みんなヒマそうにしているから
私のようないいカモを見つけたらできるだけしぼり取るに違いない。
ホテルにはすぐについた。
いくらよ?と聞くと、運転手は遠くを見て「50」と言った。
ウソを言ってる人の態度そのものだ。
ダメ男に手切れ金を冷たく要求され、別れる女のような私。
アル・パチーノ(若い時の)だったら100あげたかもしれないのに。
相手はハナ肇だ。あっと驚く為五郎だ。
あとで記者氏に聞いたら、25か30かってとこでしょうとのこと。
倍くらいにボラられたのかークソーと思ったけれど、
50シェケル=1350円だ。まあ、かわいいものか。



ホテル近くで唯一開いている2、3のファストフードの中で、
一番マシそうと思った店で、シャクシューカをテイクアウト。26シェケル。
目玉焼き入りピリ辛トマトソース。アボカドと香草のディップとバゲットつき。
味は、まあ、こんなもんでしょう。





夕食は今夜も東エルサレムへ。
高級ホテル「THE AMERICAN COLONY HOTEL」のダイニング、テラス席。
雰囲気は確かに高級感あるんだけども、サービスはやっぱり粗かった。


ムサッハン。パンの上に、玉ネギと松の実、鶏肉のローストがのっている。
スマックという、日本のゆかりにも似たスパイスがまぶされている。
ああ、スマックを買い忘れたとこの時、気づく。
パンとの組み合わせが今ひとつよくわからない。
焼き汁のスポンジ的役目かとも思うが、汁気はほとんどないのだ。

ここではお酒をオーダーできたので、運転手ではない私はイスラエル産ワインを。
またしてもグラスにたっぷり注がれる。


ミントティーは、ティーバッグを後から入れて紅茶仕立てにするのがこちら流。
しかしリプトンってどうなの? 高級ホテルなんだから、ねえ。

近くから、アザーンが聞こえてくる。礼拝の時間か。
どことなく、石焼き芋の歌に似ている。
記者氏いわく、朗々と美しい歌声の
名人クラスもいれば、
イマイチなのもあるらしい。
今夜のはどうでしょう、鐘1つ、か。