2012年8月22日水曜日

私のトルコ 

スパイスの話の時に言ったかもしれないが、
この頃、中東料理に興味がある。
エルサレム駐在の記者の友人がいることも影響している。
たまにファラフェル(ヒヨコ豆のコロッケ)や
ババ・ガヌーシュ(茄子のディッブ)なんかを作る。

そんな折、知った「私のトルコ」コンテスト。
料理、写真、その他いくつかの部門があり、
料理はもちろんトルコ料理を自作するもの。

http://www.turkeycenter.co.jp/yarisma/contest7/

私はトルコ(中東全般)に行ったことがない。
せいぜい日本国内のトルコ料理店で数回食べた経験だけだ。
が、果たして「これが私のトルコ料理よ!」と
ドヤ顔できる日本人はどれくらいいるのだろう。
そう多くはないのでは?
ひょっとしてこのコンテストは競争率が低く、優勝を狙えるかもよ?

そんな思惑を抱いたのだが、コンテスト内容を見ておののいた。

方法は3段階。まず第1選考は自分で作ったトルコ料理の写真とレシピを送り、
それに通過すると、第2選考にて、自宅で作った料理を会場に持ち込み、
審査員に試食してもらう。
それを突破した人たちが、最後の戦いとして、
事前に知らされた指定のトルコ料理を審査員の前で作るのだ。
なんと、プロのコンテスト顔負けではないか。

そもそも「私のトルコ」料理とは、
いったいどんなものを指すのかがよくわからない。
つまり、第1第2の審査において、どんな料理を作るべきか。
「私のトルコ」というくらいだから、
何か自分なりの思い入れやオリジナリティが求められるような気がするが、
私は、私のトルコなるものをまだ持ちあわせていない。
持ってはいないが、「みんなのトルコ」だったらできるのかと言えば、
もっとハードルが上がる。
私が「これは私のトルコだ」と言い張れば、
それは誰が何と言おうと、間違いなく私だけのトルコであるはずだ。
誰のものでもない、誰にも邪魔させやしない、
おお、まだ見ぬいとしのわがトルコよ!

加えて、驚くのはその入賞商品の中身だ。
料理部門優勝者には、トルコの旅(ビジネスクラス往復チケット+ツアー)、
これはわかる。
しかし、もし第2位になった場合は、
3カ月のトルコ語レッスン+トルコツアー、
第3位は1年間のトルコ料理レッスンなのだ。
ええ? どうなんでしょう、この内容。
武者震いせずにはいられない。
生半可な気持ちでコンテストに参加してはいかんのだ。
だって、トルコ語レッスンですよ。
1位は勉強なしでビジネスクラスで旅できるのに対し、
2位だと勉強が必要なのだ。しかも飛行機のチケットについては
何も触れられていないので、ひょっとして往復の旅費は自腹か?
中東料理を知りたい身としては、
3位のレッスンはありがたい話なのだが、1年となると覚悟がいるような・・・。

・・・と、まあ、できもしないクセに、
入賞した場合の妄想ばかりしているのであります。

そして今日は、「イラン式料理本」という映画の試写会に行ってきたところです。

http://www.iranshiki.com/

あんまり話が長くなるとイランので
(いつもブログが長いねとの指摘を受けるので)
この映画の感想はまた別の機会にでも〜。

・・・と、いつものように呑気な話をしているが、
昨夜、トルコの隣シリアで日本人ジャーナリストの山本美香さんが
銃撃により死亡という悲報があったばかりだ。
料理はある意味、生や平和の象徴であり、
私はそちら側から何かを伝えていきたい者ではあるが、
ただ単に中東料理を知るだけでなく、
複雑な過去の歴史と悲惨な現実がそこにあることにも
もっと目を向けていかなければ、な。


2012年8月16日木曜日

チーズ号


無人探査機「Curiosity」が火星に着陸して、その画像を流す。
すごい時代ですな。
ところで、Curiosityとは好奇心という意味だ。
なかなか良い響き&意味の言葉ですよね。
これまでの宇宙探査機にも、さまざまな名前がつけられてきた。
メッセンジャーとか、スプートニク、パイオニア、
ディーブ・インパクト、ボイジャー、ガリレオなどなど、
時代と行き先が何かごっちゃになっちゃってるけど、
まあともかく、それなりにふさわしい名前がつけられている。

先日、5km程離れた所に住む母から自転車を譲り受けた。
電動アシストつきを購入して、
これまで使っていたものが不要になったから、という。
好意はありがたいが、私が住む街はどこへ行くにも坂道で、
自転車を乗るのに向いていない。
そりゃ、ブルーノとかライトウェイとかの
こじゃれた自転車だったら、
坂道もなんのその、欲しいなあと思う。
しかーし。オカンのお古は、
かなり年季の入ったオンボロママチャリ。
しかもえんじ色・・・。
そのため、私から欲しいとは一言も言っていないのだが、
むしろ、いらないよ、と数回断ったつもりなのだが、
「あったら絶対便利だって」の一点張りなので仕方なく引き取った。

そんな訳で最初から可愛くない存在であるのだが、
この自転車に書かれた名前というかブランドというかを見て、私は脱力した。





私のようにフランス料理業界に関わりのある人間でなくとも、
このフランス語を理解できる人は結構多いのではないでしょうか。
フロマージュって。あーた、自転車のクセになんでチーズなんだ?

世の中の安物製品には往々にして意味のない横文字が
ロゴデザインとして使われている。
この自転車を製造する会社も、何かネーミングというか
飾りの横文字を入れようと考えたのだろうが、
で? で、どうしてFromageになったのだ?
どうせダサイにしても、HelloでもLoveでもLuckyでもHolidayでもPicnicでも、
なんかそれ相応の言葉があるでしょうに。
そのへんは使い古されていて使用できないとかなのか。
しかしそんな商標ってほどのものでもあるまい。
オリジナリティにこだわりたかったのか。
ひょっとすると、スマイルからの連想でチーズ、
チーズだとつまらないからフランス語にしたら、
という勘違いなエスプリを効かせてみたとか?

よく見ると、Fromageの下にはこうも書かれている。

 le choix

これは選択という意味である。チョイスである。
つまり、「チーズ   選択」と書いてある自転車である。
私はチーズは大好きだが、チーズ選択と書いてある自転車はイヤだ。
母はこの自転車が「チーズ」号であることは知らない。
それを訴えたところで、私の困惑はとうてい理解してもらえず、
そのことでさらに悲しみは増すばかりだろう。
チーズ号のせいで、親子断絶の危機にもなりかねない。


まあ、どうでもいいことだとはわかっている。
もし私がこれに乗っても、誰もロゴまで見ちゃいない、
見てもたいして気にもとめないってこともわかってる。
私が引っかかっているのは、人に見られる恥ずかしさではない。
(いや、厳密に言えば、もし盗難などで、警察とやりとりして
特徴を聞かれた際に、Fromageです、って言わねばならない
のだろうから、それは恥ずかしい。盗まれやしないだろうけど)
どうしてよりによってFromageにしたのか、ただただ、
制作者の意図が知りたいのだ。
深い意味なんてなく適当に、あるいは
何かに書かれていたものをそのまま写し取ったのかもしれないが、
そこまで意味のないネーミングって、
むしろかなり難しく勇気のいることだと思うのだが。

ちなみにもしCuriosityと書かれていたらどうなんだろう。
それはそれで困惑するかもしれない。
火星を見に行くからCuriosityでいいけれども、
近所を走るのに、好奇心って、ウザイ。
だったら、自転車としてふさわしいネーミングってなんだろうか。


2012年8月10日金曜日

文集





もしも私がある日、犯罪者になったとして、
何が気になるかというと、
昔の写真だの文集だのを出されて、
私の人格を報道で分析されることである。
子供時代に文集でこんなことを書いていたから
やはり今こういう犯罪を犯すに至る人格なのだと
結びつけられるのはいかがなものか。
そのことを考えると私は犯罪に手を染めることはできない。
それでいいじゃないか、ということではあるのだが。

じゃあ逆に、私はいったいどんなことを書いていたのか。
人に公開されることにおびえるくらいなら、
いっそ自分で先に公開してしまえばいい。
先日載せた小1の絵日記とともに、文集類も残っていた。
とりわけ恥ずかしいものとして、上に掲載したのが小4の時の文集だ。

この時の文集では、ほとんどの子が「春になったら」という共通タイトルの詩か、
あるいは夏休みに友達と遊んだことや運動会などの思い出話、
担任の先生に対する思い、といったものを書いているのだが、
どういうわけか、私とあと一人だけが自作の物語をのせている。
ちなみにもう一人も女の子で、お金持ちにもらわれた捨て子の話である。

私の処女作?「ハンバーグとキュウリのぼうけん」。
ワタナベ容疑者は、すでにこの頃から食べ物に執着しているんですね、
と取り上げられるに違いない。
実際にはそんなことはなく、むしろこの頃までの私は偏食・少食で
給食も苦痛だったくらいだ。

なぜ、ハンバーガーなのだろうか。
何も記憶にないが、おそらく当時は現代と違い、
それほど身近な食べ物ではなかったので、憧れだったのかもしれない。
しかし物語に出てくるのはマクドナルドではなく、本田さんである。
当時、そんな個人店のハンバーガー屋などなかったはず。
しかも個人店でありながら、できあいのハンバーガーが
トラックで届けられている。本田さんは手抜き商売なんである。
よくわからないが若いお姉さんがふくろをあけている、
中身はバラバラのキット状態で、組み立てだけその場で行う方式なのか。

小さなキュウリの子(ピクルスのことだろう)とハンバーグの母親、
遺伝子の法則を完全に無視した奇妙な親子関係と、父親の不在。
残りのパンとからし(マスタードという言葉はまだ知らなかったのか)が
何であるかは言及していないツメの甘さ。
子どもは未体験の不安や恐怖をあらわしているのに対し、
なぜか自分の運命を知っており、なお動じない母親の不可解さ。
購入者は田沢さん、本田に田沢と名前が半端にかぶっているのも気になる。
田沢さんはなぜハンドバッグなんかにハンバーガーを入れるのか。
(まさかハンドバッグとハンバーガーの言葉を重ねたわけじゃないでしょうねえ)
そして、そこから逃げ出すところが物語の山場であるはずなのに、
ただ逃げ出した、とかなり内容が雑になっている。2ベージ目は誤字も目立つ。
だんだん書くのが面倒臭くなってきたのではないか。
極めつけは最後、
「田沢さんは今ごろなにしてるでしょうね」
「きっと親子の気持ちわかったでしょうね」
とよくわからない含蓄めいたオチ。知るかっ!
微笑ましいというより、むしろイラッとさせられるじゃないか。
更には、シュールすぎる絵。
キュウリの子がすでに思春期くらいに成長している。
(キュウリのイボでニキビ顔?)
"ハンバーガー" って工夫ゼロのキャッチコピー、ひ、ひどすぎる。
 突っ込みどころ満載である。
いかようにも、犯罪者の私の人格形成へとつなげられてしまう気がするが、
どうか一つ、ご勘弁願いたいものである。
たかだか10歳の子どもがたいして深くも考えず書いたものなんですからね。


しかし。犯罪うんぬんはないにしても。
例えばピカソのような天才は幼少期にすでに完璧な絵を描いている。
モノを書く仕事という点で、ハンバーグとキュウリのぼうけんの
クオリティ(の低さ)が今の私につながっていると見るのは
あながち間違ってはいないのかもしれない。
嗚呼おそるべし、文集。ちょっと悲しくなってきた。

2012年8月2日木曜日

はだける

あのー。柔道に関する知識がないもので、
おかしな質問かもしれないのですが、
どうして柔道衣というものは、あんなに、
はだけやすいデザインのままなのでしょうかね?
前身頃2つを帯でとめただけで、エリをぐいぐいつかまれたら
すぐにはだけてしまうのは当然ではありませんか。
もっとはだけにくいデザインの柔道衣、考えられないのかな?
考える気ないのかな?
せめて甚平さんというか作務衣みたいにしたらどうなの?
いっそ、つなぎ服にするとか。ダメ?
乱れがひどいと審判が直せって指導する、
選手は帯の下へむりやり押し込むけど、
根本的にきっちり着直さないと無理じゃないかなあ。
あのシーンを見るたびに、中学の不良少年が「ワイシャツ入れろ!」と
生活指導の教師に叱られてしぶしぶ入れているイメージと重なる。
入れても入れてもなんか知らないけど出てきちゃう。
旅館で浴衣着て寝た翌朝みたいに、
帯だけ腰に残っちゃってて気持ち悪くはないのかな。
礼節を重んじる武道なのに、他のどのスポーツより
だらしない格好になるというのがどうも不思議だなあと。

なんとなく、外国人選手のほうが「はだけ度」が高いような。
男子の場合、ロシアのなんとか選手みたいに
ものすごい胸毛ご開帳状態だったりする。
だから、ひょっとするとアレは裏技ではないのか?
つまり、あの毛皮をダイレクトに押しつけられたら、
汗の臭いと相まって、かなりダメージを受けるのではないか?
日本人は不利ではないか?  
それを狙って、あえて増毛している選手はいないか?

ちなみに「はだける」は「開ける」と書き、
目や口を大きく開くことも「はだける」と言うらしいが、
普通そんなふうには使わないですよね。
はだの響きが肌っぽいからか、やっぱり体の前側が見えちゃう現象のイメージだ。

「開ける」という字のイメージで言えば、
自ら率先してはだける「露出狂」という人種がいますね。
何年か前、パリのモンマルトルの裏道を昼間一人で歩いていたら、
私をささーっと追い越して、縦列駐車の車の影に入り込んだ男がいた。
その前を通ると、下半身を指さして見ろ見ろとやっとる。
惜しむらくは、その男はコートを着ていなかったことだ。
ただズボンをおろしている、無防備な幼児みたいに。
スマートさに欠け、変態としての卑怯度が低い。
やはり露出狂の正装としてコートは必須アイテムではないか。
それもきちんとしたトレンチコートでないと。
映画「ふたりのベロニカ」で、露出狂が出てくるシーンがある。
一見するとコートを着た紳士であるのに、突然前をはだけて・・・
このギャップこそが露出狂の真価だろう。
(しかし、この映画におけるこのシーンの意味は今ひとつわからんかったのだが。
まあ、そもそも露出狂自体、理解不能なので、その不条理さにおいて意味があるのか)

知人女性が街を歩いていたら、
派出所の前に立っていたお巡りさんが
「おねえーさーん!!ちょっとちょっと」と呼び止めたそうな。
なんだろうと思ってそばに近寄ると、
内緒の話をするようなゼスチャーで
「社会の窓があいてますよ」
言葉が古すぎることもさることながら、
女の人に使う言葉なんだろうか?
ともあれ、地域の治安維持のため、
お巡りさんはそんな部分も管轄内なのですねえ。