2012年7月28日土曜日

聞き書きオリンピック

オリンピックですな。
78歳の外国人記者がいて、
過去のオリンピック取材でメモしたノートは200冊を超える、
みたいなことを今朝のNHKのニュースでやっていた。

数年前、フランス・ブルターニュでの取材。
現地の年配カメラマンと組んだ。
彼は日本人と身近に接することが初めてでよほど物珍しいらしく、
私がシェフにインタビューしたりメモを取っている姿を
横からちょいちょい撮影したり、
取材中にも何かにつけ話しかけてくるのだった。
天候が不安定なので、晴れているうちに外観など撮っておいて
くださいね、とお願いしているのに、肝心のシャッターチャンスは逃して
「今は雨降ってきたからダメだねえ」などという。

「君が一生懸命メモを取っているそのノート、素晴らしいね。
宝みたいなものでしょう。今までのものはちゃんと
ナンバリングしてとってある?」
私のイライラが頂点に達していた時に、彼は呑気にもこう聞いてきた。
彼からすると、私の殴り書きの文字はまるでアートに見えたのかもしれない。
私は(フランス語の通訳を介してだけど)
「ノンノン、ナンバリングなんてしたことないし、
終わったら読み返しもしないし、どこにやったか、捨てちゃったかもね」
と素っ気なく答えた。肩をすくめたりなんかして。
彼は首をかしげ、寂しげな表情で「なぜ? そうすべきだと思うよ」と言った。

実際のところ、彼に言ったことは本当だ。
あえて意識的に捨てはしないものの、大切にとっておいているのではなく
たまたまどこかにしまいっぱなしなだけだ。
今年の春、会社が引っ越すことになった時、
引き出しから取材ノートが大量に出てきた。
彼の言葉が頭をよぎったけれども、すべて捨てた。

メモ帳はこれでないとダメというこだわりはある。
A6サイズで縦めくりのワイヤーリングタイプ。
これが私にとっては一番書きやすいのだ。
これでないとダメなのだ。
しかし、世間的には売れ筋ではないのか、意外と売っていない。
縦型というのがまず少数派で、あってもA7とかB7なのだ。
そのため、見つけたら5冊10冊と買いだめする。
最近、ますますその存在が希少になっている気がする。
困ったなー。

取材中、メモを取っていると、
相手もどういうわけか一緒にノートの中を見つめる。
整理できていないカバンの中を見られているようで、落ち着かない。
また、厨房で調理の様子を見ながらメモを取る場合、
ノートを見ているわずかの間に
シェフは塩を振っていたりして、見落とす恐れもある。
そのため私は、視線をノートにあまり落とさず、
相手の顔や調理している様子などを見つめたまま
メモを取る技を身につけた。
近年はスタッフに取材の大半を任せて
えらそーにふんぞりかえっていたので、腕が相当に落ちており、
ああアタシの現役は終わったのか?感が強いのだが、
35歳前後の頃、私のメモスピードは確かにピークだったように思う。
録音なんてしない。テープ起こしの時間がもったいない。
だから、もしもオリンピックに「レシピ聞き書き」部門があったら
金メダル候補選手になれる(なれた)のではないかと思う。

飛行機に乗っていて、急病人が出た、乗客の中に医師はいないか?
というシーン、何回か体験がある。
ある時など、私のとなりの新婚カップルが医師&看護師、
通路をはさんで私のとなりの人が急病人、という事態に遭遇した。
トイレから戻って来たらそんな騒ぎになっており、
私はお邪魔状態で席に座れず、傍観。
幸いにも寝不足によるめまい程度だったらしく、すぐにおさまったが、
その後、客室乗務員はカップルに至れり尽くせりのサービス、
もちろん、私をはさんで(飛ばして)、である。
着陸したら何かサービスをする、というような話までしている。
ふん。看護師の女は騒動の間、一度も席を立っていないんだぞ。
なんもしていないんだぞ。
(2人の会話やCAとのやりとりで看護師だとわかった)
男だって脈取ったくらいだぞ。
なんかイヤな感じのカップルだったぞ。
断じてジェラシーじゃないぞ!
ああ、こんなことは起きないだろうか。
著名なシェフが機内で急に具合が悪くなる。
「お客様の中にお医者様と料理記者はいらっしゃいませんか??」
シェフは苦しみの中、万が一のことを考え、
自分のレシピや料理への思いを何とか語っておきたい、
口述筆記できる者はいないか?と。

はい、すいません、アホで不謹慎な妄想で。


自分の取材ノートがこれまでに何冊だったかなんて
知らないし興味もない。それ自体は別に宝ではない。
大切なことすべてを記事に書ききればいいのだから。
レシピ聞き書き選手権なぞないし、たいした自慢にもなりはしないし、
人の生死に関わりもないこともわかってる。

それでも。やっぱり、何か人の役に立ちたいんだろうな。
宝は、メモ帳の中ではなく、自分の中に刻まれる何か、なのだろうな。

下がA6、上がB7。最近はこのメーカーもB7主体になっているようだ。


2012年7月21日土曜日

絵日記


何十年か前の今日、私が小学生になり、
初めての夏休みを迎えた日。
朝7時に起きたらしい。
その前の冒頭ページに、
"おやくそく"として朝6時起床・夜8時就寝と
自分で時計に印をつけてあるので、
いきなり寝坊か?
ラジオ体操はどうしたんだ?
ヒモをつけたカード(裏側にはグリコの広告がプリントされていた)
を首にぶらさげて、ビーチサンダルをはき、
寝ぼけまなこで近所の公園に集まって、
ラジオ体操第一までなんとなく嫌々やり、
第ニで変なポーズをするところで必ず子供たちは笑った。
終わるとハンコを押してもらい、
このカードを最終的には課題の一つとして
学校に提出しなければならない、
かなり強制的なものだったと記憶しているのだが。

夜も9時、と朝に合わせたのか1時間遅れだ。
しかしそれにしても当時は10時間くらい寝るものだったのか〜。
今の子は遅くまで起きているとよく聞くが、
私の時代と比べ、やがて後の成長に対する
どんな違いがあるのかないのか。

夏休みしょっぱな、でんでんむしである。
当時は虫に触れることができた。
弟を脅すくらいに自分のほうが得意だったようだ。
いつ頃からダメになったのだろう。
でんでんむしは殻部分があるから何とかセーフにしても、
カマキリやセミは絶対無理だ。 

最初にして1度しかつけたことのない絵日記帳。    
庭でビニールのプールに入って遊んだ、
アイスを食べた、花火を見に行った、
など、ごくごくありきたりな子供の夏の日々。
一つの絵と、わずか50文字程度の文で、
その日の出来事を集約できた。
今は睡眠時間が半分程度で、起きている時間が相当増えたのに、
あの頃の長い1日を体感できない。
いろんなことをやっているようで、
これぞという出来事が描ける日は案外少ない。
大人には大人の、ありきたりで幸せな日々があるはずとは思うけれども。

2012/7/21    
きょう、わた
しはへやをそ
うじしました。
てんきがわる
いのでせんた
くはできませ
んでした。た
べすぎでなや
んでいます。

2012年7月16日月曜日

秘湯とひゆ 粋といき

思い込みで読み間違いをして恥をかく、
誰しもそんな経験の一つや二つ、ありますよね。

私が未だ忘れない間違いの一つは、
秘湯を「ひゆ」だと思い込んでいたこと。
この仕事の駆け出しの頃、なぜだか銀行のお偉いさんと
高級フランス料理店でお食事をすることになり、
そこで温泉の話になった時、
「"ひゆ"巡りなんかもいいですね」とか何とか私は言ったのだった。
「えっ? ひゆ・・・ひょっとして"ひとう"のことかな?」
アタシはマチャアキのごとく、テーブルクロスを
さっと引き抜いて頭からかぶりたい心境でございました。

それから、もう一つ。
車の免許を取って間もない頃、
バイト仲間で車の整備士の男の子が助手席で
私が運転をしたことがあった。
ガソリンがきれそうなことに気づいた私は、
「あー。もうメーターが限りなくエンドに近づいてる!」
すると彼は大笑いし、「え?今なんて言った?」
といじわるにももう1回言わせやがった。
EmptyのEマーク、てっきりEndだと思っていたのだ。

仕事の関係者で年配男性が、
「粋」のことをよく"すい"と言うのが前々から気になっていた。
なぜ"いき"と言わず"すい"と言うのだろう。
確かに「純粋」などで"すい"とも読むが、
"いき"を意味する際には、私の中に"すい"という感覚はない。
そのため、この人は読み間違いしている、あるいはわざと
業界風(何の業界だ?)に言ってるのか、くらいに思っていた。

しかし、ある時知った。
歴史的に見て、上方は"粋=すい"、江戸は"いき"だということを。
彼は京都人であり、私は横浜人である。

では、"すい"と"いき"は同じ意味なのか。
今ではほとんど同じ意味として使われているが、
正確には違うらしい。
九鬼周造の『「いき」の構造』を読むと、
"いき"というのは「媚態」と「意気地」と「諦め」から成り、
これは「性・武士道・仏教」ともつながってくるという。
って、何言ってんのかわからないかもしれないが、
(実際、結構難しい本ではあるので私もまだ理解できていないけれど)
「媚態」(性)はもろちん異性関係のことである。
媚態と聞くと女がこびへつらうようなイメージがあるのだが、
九鬼はそうは言ってない。
男女間における緊張をともなった二次元的態度、つまり
お互いを意識し色気に惹きつけられ、近づき、さぐりながらも、
交わってはおらず、どこまでいっても平行線である、
それが"いき"ということらしい。
「意気地」(武士道)は、まさに意気=いき。
武士は食わねど高楊枝とか、宵越の銭を持たぬといった江戸っ子の気概。
世のためにひと肌脱ぐといった道徳精神や、
異性に対して媚態でありながらも、状況次第ではプライドを持って
突き放すような反抗も含まれる。
そして「諦め」(仏教)は、執着しない、あっさり、すっきり、
それがつまりは野暮が洗練されて垢抜けているということ。

一方、西の"すい"は、赤白の華やかな着物であったり、
茶道や花柳界に通じていること、純粋に突き詰めている行動を指す。
逆に、江戸の"いき"は灰色や褐色・青色をベースに
縦縞(ここにも二元性が象徴されている)といったシブい着物であり、
突き詰める(=執着する)のは野暮とされる。

なるほどねえ。
おや? ひょっとするとアタシってば、"いき"な女ではなかろうか。
グレーだの青だのの服が多いし、
どこまで行っても平行線な関係、意地を張る、結局は諦める・・・。
得意のパターンである。そっかそっか。"いき"なんだな。
しかし、いきって・・・結構キツイもんだなあ。
ああ、いーや。アタシはまだ「いきがっている」=野暮なんだ。
結構、執着して往生際悪いもんなあ。
媚態ってのもまったく自信がないしなあ。
縦縞というより横縞(こちらは野暮とされる)だよなあ。
だけど、そもそも"いき"に生きたいのかな?

よーわからんので、結論なしに、
読み間違いの話にもどって終わりたいと思います。
(突き詰めないのが"いき"だから〜ということで)
先日、深夜に女友達Y.Oとチャットしていた時、
彼女からの最後のメッセージを見て、
私は衝撃を受け、一人激しく動揺した。

じゃあ、私はこれからアタルのビデオを観て寝ます。

ええっ? これから「アダルトビデオを観て寝る」って・・・?
そんなことを、まるで歯を磨いて寝るくらいの自然さで言うとは?
(※アタル・・SMAP中居くん主演のテレビドラマのタイトル)

2012年7月11日水曜日

王子ブーム

王子といえば? ともし聞かれたなら、
私の頭に真っ先に浮かぶのは「家具は村内、八王子」であるが、
古過ぎ&ローカル&王子の意味違いにより、
一蹴されるから、言わない。
ちなみに次点候補としては「王子サーモン」「王子製紙」だけど、
これもそっと胸の奥にしまっておく。

どうやら王子ブームはまだ続いているようですね。
今日、ティファールの新作発表会に行ったところ、
「洗濯王子」なるお兄さんが登場し、
新製品のアイロン実演を見せたのだった。
すでにこの方はそこそこ世間で知られているそうで、
今日のような場合は別名の「アイロン王子」となるらしい。
ハンカチ王子に始まり、今では料理や収納、
そして洗濯、アイロンにまで王子がいるとは。

おおよそ今どきの王子のイメージは、
後ろから前に流したレイヤーカット(って言うんですかね?)ヘアで、
顔はあっさり優しく、清潔感があり、
ちっともワイルドじゃないぜぇ〜なタイプ。
何かのジャンルに長けているが、これがオッサンだと
「達人」とか「プロ」と呼ばれるわけで、
若さ(実年齢というより見た目)は必須条件。
額に汗し、必死の努力でその道を極めている苦労感は
まったく出さず(元々あるのかは不明)さらりとスマートにこなす。
甘いスマイルでアドバイスしてくれる中性的な存在。
崇めているようで、"坊ちゃん"にも似た小バカにしている感が
そこはかとなく漂う気がしなくもない。
従来、女の仕事とされた家事分野だからか。
肉体労働系には王子とはつけられないだろうけど、
頭脳系もまた、王子とは呼ばれないのではないだろうか。

あとはどんな王子が考えられるだろうか。
同じテーマで王子がかぶる、という事態は避けなければならない。
洗濯王子が何人もいてはマズイだろう。
そうなると、王子はより細分化されていくより道はない。
全日本王子協会が結成され、名前の登録管理が行われるかもしれない。
裁縫王子(ミシン部門と手縫い部門それぞれ配置可能)、
靴磨き王子(あだ名はシャイン・〜)、包丁磨ぎ王子(トギー・〜)、
冷蔵庫整理王子(クール・〜)、常備薬王子、安眠王子、
風呂掃除王子、LED王子、漬け物王子、カビ取り王子、
虫退治王子、ゴミ捨て王子・・・

さあ、今ならまだ間に合うかも! あなたはどの王子になる?




2012年7月7日土曜日

ラテンといえども

これは授業のテキストではなくスペインの新聞"EL PAIS"の切り抜き。
通勤の電車内自習用だったので最近はやっていない。

今月で丸7年になる、スペイン語学習。
エライじゃないか、アタシ。
ここまで続いた趣味的なものは他にない。
とはいえ、以前は週2でやっていたのが最近は週1がやっと。
最初の2〜3年はそれなりにがんばっていたが、
この頃は予習も復習もしていない。
授業に行くまでの電車の中と、
先にカフェに着いて先生を待つ30分間に
大慌てでテキストの中のわからない単語を電子辞書で引く。
なので当然、ちっとも上達していない。ってエバルナ。
実はこのブログと同時にスペイン語版(内容は別の話で)
も立ち上げたのだが、1回きりで続いていない。
情けないったりゃありゃしないねえ。

先生は在日ウン十年の60代スペイン人男性。
"陽気でオープン、情熱的、歌って踊ってオンナ好き"
などというのがよくありがちなラテン人に対するイメージだが、
実際には決してそんなことはなく、人それぞれ、
むしろ意外とおとなしく真面目でシャイな人や
ネガティヴな人も少なくないということを、
私はスペイン語を習うようになってから知った。

ある時、カフェでレッスンを受けていたら、
流暢な発音を自慢するかのように
バカでかい声で英語を教えている日本人の女講師がいた。
席はだいぶ離れているにも関わらず筒抜けである。
一方、わがL先生は元々声が小さい。
「ウワァオ、グゥ〜ッ、イッツナイス〜」
(↑他にもなんかベラベラ言ってたけどそれは再現できない)
みたいな奇声にかき消されてしまう。
しばらくは我慢していたが、どうにもこうにもひどい。
先生も小声で「ウルサイデスネエ」と言う。
私は立ち上がった。すると先生は怯えた目で私に
「ドコイク?」と聞く。
アゴで「アイツ」とゼスチャーしたら
先生は必死で首を横に振り、「ヤメナサイヤメナサイ」。
しかし、私はウワァオ女に注意してやった。
中指立てて悪い言葉の一つや二つ吐き捨ててみたかったが、
そこはその、ヤマトナデシコですからね、もう少しお上品に注意しましたですよ。
席に戻ると「アナタハニホンジンジャナイネ、ボクニハデキナイ」。

最近知り合いになった、webデザイナーは偶然にも
アルゼンチン人男性(スペイン語圏)である。
欧米流に、私は早速「A-san(Aさん)」とファーストネームで呼び、
メールの冒頭もそのように書く。
1回くらいはつい勢いで呼び捨てで送ったこともある。
ところが彼は私に対し、毎回「Watanabe-san」と書いてくるのだ。
スペイン語の場合、丁寧な「あなた」とラフな「君」では
それぞれで動詞が違う。
L先生に対し、私は「君」呼ばわりでメールを書き、話す。
日本語ではもちろん敬語で話しているので、
先生にタメ口きくのは最初、気が引けたのだが、
スペインではあたり前で、むしろ丁寧な「あなた」だと、
よそよそしくて冷たく感じる、と先生から言われたのだ。
だから、たいていの人はすぐに「君」にして欲しいと思っている、
はずなのだが、Aさんは私に対し「あなた」のほうで書いてくる。
なので、私もそうしているが、今さら名字のR-sanに変えるのも
どうかと思い、そこだけはラフなままだ。
つまり、
「こんにちは、太郎。あなた様にデータをお送りしますので
ご確認の程よろしくお願い申し上げます」
と言ってるのと同じだ。どう思われているだろうか?

私だってもちろん、Aさんに対して友達とは思っていないから、
AさんよりRさんのほうが本来の感覚的にはしっくりくる。
日本人の仕事の相手を名前で呼ぶことはないし、
年下であっても仕事相手であればたいていは敬語を使う。
しかし、相手が外国人であれば、そちらの風習に合わせる。
その気遣い?が自分はいかにも日本人的だと思うが、
Aさんもまた、本当は名前でフランクに呼びたいが
日本のやり方に合わせているのだろうか。
AさんもL先生も、見るからに真面目で、もの静か、
ちっともコッテリ暑苦しい感じがない。
女の子の耳元で「踊り明かそうぜ」なぞ言ったこともなさそうだ。
そういう(ちょっと変わったラテン)人だから日本になじむのか、
あるいは、日本に長くいることでラテンっぽさが抜けていくのか。

逆に、これはまさにラテン男だから?という出来事もあった。
2年前にスペインへ取材に行った時、
バルセロナの現地カメラマンと初めて仕事を組んだ。
初日の昼間、レストラン1軒を取材した後、
私が泊まるホテルまで車で送ってもらった。
その夜はちょうど盛大なお祭りだったので、
その様子を一緒に撮影しに行こう、ということで、
私はチェックインして部屋に荷物を置き、
その間、彼は車を止めてフロントで待っているということに。
誰かが部屋のドアをノックするので開けると
どういうわけかそのカメラマンが
あたり前のようにズカズカと入ってきた。
なんで部屋がわかったのだろうか?
まあそれはフロントで聞いたのかもしれないが、
このホテルは部屋のカードキーを差し込まないとエレベーターが
動かない仕組みなのに、どうやってここまで来たのか?
セキュリティ意味ないじゃん。
そしていったい何しに来たのか?  聞きたいことはいろいろあるが、
それらをスペイン語に置き換えている余裕が私になかった。
とにかく早く部屋を出ようとすると、
「外はすごい人混みだから、そんなに荷物多く持ってると危険だよ」と言う。
外よりあんたのほうが危険ってことはないのか?
私が荷物を減らしている間、
彼は窓の外をのぞいたり部屋をウロウロ探索している。
ジャー。
ん? ジャーって何かしら?
いつの間にヤツは浴室に入り用を足して、何食わぬ顔で出てきた。
ちょ、ちょっとぉぉぉ、アタシだってまだ中を見てもいないのに、
何を勝手に使ってんのよ!! 行きたかったら1階にあるでしょうに!

と、憤慨を表現したかったのだが、結局何も言えなかった。
言葉に自信がないということもあるにはあるが、
たぶん、そのせいだけではない。
L先生よりはラテン度が高くとも、やはり私はラテン女ではないのだ。

その旅で取材したカタルーニャの3ツ星
「エル・セジェール・デ・カン・ロカ」のジョアン・ロカシェフは、
物腰やわらかで静かな語り口、細やかな神経の持ち主で、
これまたラテン的イメージとかけ離れていた。
一方、今はクローズしている「エル・ブジ」のフェラン・アドリアは、
丸い眼を更に見開いて、身振り手振りを交え、
ガラ声の早口でまくしたてるように語るところが
情熱的でラテンっぽいと言えばそうではあるが、
親近感は感じなかった。奇才シェフはこちらを
見つめてはいても、目の奥で何か違うものを見ていた。
エル・ブジで私が食事をしたのは2000年、
生まれて初めてのスペイン訪問でもあった。
その後、彼が来日した際に1回インタビューをした。
更にその数年後、今からは5年程前に、
アンダルシアでやはり短いインタビューをした。
その時に、私は習って2年目のスペイン語を少しだけ披露した。  
「おや、何でスペイン語を話せているの?」と彼が聞くので
「あなたと話すために勉強したんですよ」と言ったら、
「ええっ?」と怪訝な顔をされた。
ラテンなBroma(冗談)を言ったつもりだったのにな。

さて、今日はこれから授業だ。
文法主体で、カジュアルな会話やましてや悪い言葉など
教えてはくれない真面目一筋の先生の授業、
あとどれくらい続けたものか。

しかし私は知っている。
カフェでとなりの席に若い女の子が座ったり、
女性店員が通ったりすると、
先生はすかさずチェックしていることを。
やはりラテンの血が流れている。
え? 男なら国に関係なくみんなそう?