2012年9月28日金曜日

柔軟剤

洗濯機のフタを開いたら、昨日洗濯したまま干し忘れの服が。
もうボケが始まっているのか?
脱水して時間をおいたものは変な匂いとシワがついてしまっているので
やり直さなければいけない。アホー。

近頃、やたらに柔軟剤の匂いがする男が増えている気がする。
汗臭い男は好きではないけど、ダウニー男もそれはそれで奇妙な気分になる。
なんでかな。
たとえ良い香りであっても、
その人の家庭生活の匂いを嗅がされていると感じるからかも。
そういえば、小学生の時、いつも洗剤の匂いがする男の子がいた。
過保護な感じの母親だった。

今や空前の芳香性柔軟剤ブームだが、
タオルの吸水性を長持ちさせるには本当は使わないほうがいいらしいですね。
私は気分次第で使ったり使わなかったり、だ。
使う場合にも、匂い過ぎないよう、使用量はおそらくかなり控えめ。
それでもボトルの注ぎ口付近や洗濯機の投入口がネトネトになり、
手にも匂いがついてしまう、あれ、なんとかならないのかしら。

よその国に降り立つと、その地ならではの匂いを感じることがある。
私はスペインのマドリードに行くと
オートバイの油臭さと、人々から発せられる「ある一種」の香りを感じる。
みんな同じ香水をつけているのか?と最初は思ったが、
おそらく衣類用洗剤あるいは柔軟剤だと思う。
スペインの国歌には歌詞がないことで知られるが、メロディにのせて、
「フランコ、尻の白いフランコ、
   奥さんは彼の尻をアリエールで洗うから」
と、かの独裁者を皮肉る替え歌がある。
なのでアリエールの可能性もアリエール?

現地に住む日本人の話によると、
あちらは水質のせいで、衣類がすぐにゴワゴワに傷んでしまうのだそうだ。
洗剤がうまくすすげないのか、あるいはゴワゴワがイヤで柔軟剤をたっぷり使い、
それで匂いが強く残るのだろうか。
ちなみにスペインやイタリアの主婦は、
下着のパンツや靴下にまでアイロンがけするのが普通らしい。
最も嫌いな家事ナンバー1がアイロンがけと言われる日本では
考えられないことだが、それもひょっとして
ゴワゴワ度がすごいため、取り込んだままでは着心地が悪いせいかも?

そういえば最近、アイロンかけていないなあ。
昔はシャツが好きだったので週末まとめてかけるのが習慣だったけど、
いつの頃からか、アイロンいらずのアッパッパーな服がほとんどになり、
ハンカチも昔はアイロンが必要だったのに、タオル地ばかりになり。
あ。ハンカチと言えば(今は少なくなったかもしれないけど)
欧米人はハンカチで鼻をかむじゃない?
あれ、どうやって洗濯しているのだろうか? 普通に洗濯機に入れるの?
それでちょうど衣類が糊づけされたりして。

2012年9月22日土曜日

自覚症状

最近どうも体調が良くない。
頭部がボワーッと膜が張ったような感じ、
飛行機の上昇時のような、空気の圧力を常に感じている状態。
痛くはないので我慢できないというほどではないのだが
愉快ではない。どうしたものか。

20代の頃、突発性難聴になりかけたことがある。
その時の耳の症状がどれほどだったかよく覚えていないが、
ともかく調子悪くなって会社近くの知らない耳鼻科に駆け込んだ。
(この話は過去にミクシィで書いたので以下その時のコピーでお許しを)


おじいさん先生だった。 
耳の検査をするということで、ヘッドホンをして、 
ラジオのような検査機を真ん中の台に置き、先生と向かい合う。 
「音が聴こえたら返事して」 
「・・・・・」 
しばらく待ったが何の音もしない。 
「ん? どう?聴こえない?」と先生。 
「はい、聴こえません」 
「どう?もう聴こえる?」 
「いえ・・」 
「いくらなんでももう聴こえるだろう、え?」 
って先生、そうちょいちょい話しかけてきたら、 
聴こえるものも聴こえないじゃないか!!! 
しかし、本当に何も聴こえない。 
「ええっ??? これでも????これでも聴こえないのかーー???」 
と驚愕の表情で怒鳴るじいさん先生。明らかに引きつっている。 
えらいことになってしまったという顔。 
「き、聴こえませんっっ!!!なんにも聴こえません!!!!」 
叫ぶ私。どうしよう、私どうなっちゃったの? 
仕事は? 入院とか? ひょっとして手術? 手術したら助かるの? 
不安が一気に押し寄せてきた。 
そしたら先生、 
「あっ、コンセント入ってなかった」 
「・・・・・・」 


と、まあドリフのコントを経た後、
しかしやはり聴覚が落ちているということで
ぶっとい注射をお尻に刺されたのだった。

またそんな目に遭うのだろうか。
あの時は、過労・ストレスだと言われた。
確かに仕事に追われていた。
しかし、今はそんなことないはずなのだが。

昨日、近所の耳鼻科に行ったところ、
「鼓膜に問題なし、耳垢もなくキレイ」
(↑たとえ耳の中であってもキレイって言われるのは
乙女心をくすぐられますわね♡)
前夜、耳の中から大きなクルトンが出てきて
これのせいでおかしかったんですよ、と医者に言われる夢を
見ていただけに、ホッとした。

聴覚テストも問題なかった。
「耳自体に問題はないので、ストレスや寝不足、
何か精神面での関係かもしれませんね」

今の世の中、何かはっきりしない不調は
みんな「ストレス」「精神的問題」と診断される。
ストレスねえ・・・そうなのかなあ。
一昨日、久しぶりにものすごく落ち込むことがあったので
ストレスといえばストレスかもしれないのだが、
この空気圧迫症状はかれこれ2週間くらいは続いているのだ。
寝不足か?についても、会社勤めしていた時に比べたらむしろ増えている。

とにかく早くなんとか治したいものだ。
こういうはっきりしない症状の場合、
西洋医学の薬は役に立たないと思う野生派の私は、
例えば整体などに頼る。
今日は久しぶりに酵素風呂に行ってみた。

おがくずの中に埋め込まれると、カブトムシになった気分。
閉塞感の恐怖。個別の檜風呂はまるで棺だ。
熱いことよりも動けないことのほうがツライ。
10数分なんとか耐え、わらび餅になって出る。
シャワーの後も、しばらく汗が出続ける。
今日は特別に顔と首肩のリンパマッサージもやってもらった。
「うわ〜、私、何百人って人の肩触ってますけど、ワタナベさんは
 相当ひどいほうですよ、これはかなりツライでしょう!!!」と驚かれた。
一緒に行ったM.Sはそうは言われていないので、
誰にでも言う営業トークではないようだ。
(その後はなぜか韓流ドラマの魅力について嬉々と語られた。
 アタシがその話にのってくるオバさんに見えたのだろうか?)

確かに、美容院などでもよく言われる。ものすごいこってますねえ、と。
昔からそうなので、自分ではこんなもんかと慣れてしまっていた。
頭や耳がボワーッとするのは、ひょっとして肩こりのせいか。
ストレスも肩こりも、本人の自覚症状が薄いことに問題があるか?

2012年9月17日月曜日

10年寿命

友人M.Sの家のお風呂の給湯器が10年を超え老朽化で壊れ、
業者に修理依頼して直るまでに1週間かかったという。
夏とはいえ、水シャワーはすぐにギブアップ、
実家へお風呂をもらいに行ったりして大変だったらしい。
加えて、同じく2002年製の冷蔵庫も壊れて買い替えた。
4人家族、冷蔵庫なしでは生活できない。
じっくり好みの製品を吟味している余裕はなく、
在庫があってすぐに配送可能な中から選ぶしかなかったという。

壊れてからでは遅いのだな、生活家電は。
さて、わが家は大丈夫なのか?
冷蔵庫、だいぶ長く使っている気がするが・・・
扉の内側を見たら、1998年製だった。つまり14年か。
世間的には、冷蔵庫の寿命は10年くらいらしい。
じゃあうちのは人間でいったら100歳くらいなのか。
まだ壊れてはいない気がするが、明日ダメになってもおかしくはない。
省エネとか節約とかの点からしても買い替えたほうがいいのだろう。
ついでに電子レンジは?と思ってみたら2002年。
こちらもいい勝負だ。
うーん、どうしよう。誰か買ってくれませんかねえ?サプライズ大歓迎よ。
そういえば30年以上前、レツゴー三匹の「目方でドーン!」という番組がありましたね。
素人夫婦が参加、家電などの家財道具から欲しいものを選んではかりにかけ、
奥さんの体重と誤差がわずかであれば獲得できるというもの。
じゅんちゃんが「お願いかなえてね」と胸に腕を交差させている姿が脳裏に浮かぶ。
重さがわかっていたのは、最後の微調整に使う焼きノリの缶と石けんだけだった。
あれ、もし今やったなら、みんな簡単にピタリ賞になるだろう、
だって、事前に希望商品の重さを調べて計算しておけばいいのだから。
当時はそういう情報がなかったのだろうか?
それをやっちゃおしまいよ、という暗黙のルールがあったのかしら?
あ。しかし冷蔵庫は一般的な女性の体重よりはるかに重いから、
目方でドーン!のアイテムにはなかったか。
夫が欲しい商品を一つ一つ持ち上げて予測していたものね。
のどかな時代だな。

突然壊れたら一番困るものは何だろう?と考えると、
冷蔵庫より洗濯機のような気がする。
食べ物はしばらくの間ならばどうにかなるが、
洗濯ができないのは非常に困る。
近所にコインランドリーがあることは最近発見したのだが、
なんかちょっと苦手だ、衛生面が心配だ。
スニーカーまで洗う人がいるというじゃないか。
うちの洗濯機は引っ越し時に購入して、まだ4年。
どうか長生きしておくれ。
(ちなみに、その前のものは11年使用)
それにしても、昔の人はすごいな、洗濯をすべて手でやるなんて。

大半の家電は長く使っている一方で、パソコンはどうだ。
ちょうど冷蔵庫を買った頃じゃなかったかな、
5色のiMacが世に出て、購入したのは。
その後に2回買い替えている。
14年の間に3台目、私からしたら頻繁だが、
世間的には少ないほうなのだろう。

ケータイに至っては、会社を辞めたこの春に
生まれて初めて購入、かつiPhoneなので、
とうとういわゆる普通のケータイは体験せず。
ギネス級の変人と称されていた私も、
いいえ世間に負けた〜♫(byさくらと一郎)、
果たして、このiPhoneはいつまで使えるのか、使うのか。

今朝、新聞を見ていたら、ルンバが発売されて今日で10周年という広告。
へえ〜、もうそんなになるのか。ルンバの寿命ってどれくらいなんだろう。
奇しくもそのすぐ近くの編集記事には
日本の首相として初めて小泉純一郎が北朝鮮を訪問、
国交正常化に向けた日朝平壌宣言に署名して今日で10年、とある。
こっちの10年は最初から壊れたままちっとも進展がない。



2012年9月12日水曜日

夏の肌

自分は人一倍、蚊に刺されやすいと思っていたが、
世に言う蚊に刺されやすい体質というものには
どうも今ひとつあてはまっていない。
どうやら、刺されやすいのではなくて、
刺されると炎症しやすく、その跡がなかなか消えない体質なのかもと思い直した。
いったん刺されたらもうおしまいなので、
いかに刺されないようにするか、がポイントになる。
そのため、家の中にいても、なんかやられそうだという
予感がする時は、蚊取り器をつけた上で
更に虫除けのローションを手足に塗るのだ。
虫除けを塗るたびに、
私の脳裏には『耳なし芳一』が浮かぶ。
そう、あの恐ろしい物語である。
お経を書きそびれたがゆえに、いや、
ローションを塗り忘れたがゆえに
そこをめがけて蚊が突進してくるのではないか?
あいつら、ほんと抜け目ないから。
しかし、虫除けローションは匂いもイヤだし、
肌にもよくはないので、顔はむろんのこと首周りなどには
あまり塗りたくはない。
だから、首から上なし芳一状態を覚悟しなければならぬ。
でも、さすがにそんなとこに蚊が飛んできたら、
普通は刺される前に気づくのでは?
そーですよねえ。じゃああれか、
私の場合、蚊の存在に気づくのが鈍いのが問題か。
遠い昔、友達と民宿に泊まった夏休み、
朝起きたら、お岩さんになっていたことがあった。
別の年にはいかりや長介になっていた。
どうだろうか、ここまで体を張って、
愉快な旅の思い出を仲間に提供する芸人気質。
いやいや、本人はそんなつもりは毛頭ない。
うら若き乙女の顔が長介だ。だめだこりゃ、泣きたいに決まってる。

どうも、夏は子供の季節という感じで、
やけにノスタルジックな気分になるのは私だけだろうか?
(なので最近のブログはそんな話が多いのだ)
そこには、さまざまな匂いや感触が付随する。
蚊取りならば、もちろん昔は金鳥の渦巻き線香。
あの線香と今どきの化学的な蚊取りと、
どっちが体に毒かね?どっちもでしょうな。
さすがにワンプッシュでOKなどというタイプは恐くて使ったことがない。
蚊に刺された時の薬は、各家庭によって
ムヒ派、キンカン派、ウナ・コーワ派に
分かれていた。うちはムヒときどきウナ派だった。
たまに友達の家でキンカンを借りると、
その強い刺激と匂いに悲鳴をあげたものだ。
(爪で十字に跡をつけていたから余計に)
お風呂上がりのベビーパウダーの匂いとサラサラした感触は
何とも心地良かった。(シッカロールとか天花粉などと呼んでいたが、
シッカロールは和光堂の商品名であり、J&Jのベビーパウダーとは別商品なのだ)
それから、カーマインローションね。
日焼けした後は、母親が持っている資生堂のカーマインローションを
塗ることが許されており、何かちょっと大人っぽい行為のような気がしたものだ。
まったく日焼けに向いていない肌質なのに、
毎夏、屋外プールへ通い、海では無理矢理焼いて火傷状態になり、
パジャマやタオルケットがほんの少し肌と擦れるだけで激痛に悶え、
眠れない夜を過ごしたっけ。

肌のほてりが鎮まり、汚らしく皮がむける頃、
きっぱりと夏は終わったものだったが、
日焼け止めと虫除けで防御している今は
夏の終わりになんとなく締まりがない。




2012年9月6日木曜日

憧れ

親戚の男の子に、25年ぶりに再会した。
母方の年の離れたいとこの子供にあたる。
男の子といっても今ではもう立派なオジサンであり、
そのオジサンよりだいぶ年上の私は・・・むにゃむにゃ。
25年前に我が家に泊まったのが1度きりの出会いだった。
なので、親しかったわけではないのだが、
妹をもつ彼からすると、年上のお姉さんは憧れだったそうで、
何か強く印象に残っていたらしい。
「お姉ちゃんに教わった(トランプの)スピード、
 あれからものすごいやりまくりましたよ」
私は覚えていないが、お姉さんヅラして、
そんな遊戯を伝授していたのか。
何かもうちょっと上品な遊びはなかったのか。

幼い頃は毎年、夏休みや冬休みに母の田舎へ帰省した。
私も年上の兄弟がいないため、田舎のいとこのお兄ちゃんが憧れだった。
弟と奪い合うようにしてお兄ちゃんにまとわりついていた。
あれは小学2〜3年くらいだったか。
お兄ちゃんの部屋で2人きり、おはじきをして遊んでいた。
(おはじきって!! 昭和初期か?)
彼を独り占めしている女の幸せを噛みしめていたんである。
何か禁断の遊びをしているくらいの気分である。
(あくまで、おはじきなのだが)
しかし、幸せはそう長くは続かない。
舞い上がっていたせいか、冷え込む冬だったせいか、
私は小用を催したのだ。
お兄ちゃんの部屋は離れの2階にあり、
トイレは、庭をはさんで建つ母屋まで行かなければならなかった。
離れというのは、母が娘時代に住んでいたものすごく古い田舎家で、
1階には農耕機具置き場やかまどの土間があり、
2階からは、ほぼ直角の恐ろしい階段を降りなければならない。
行くのが非常におっくうであった。
この楽しい時間を終わらせたくなかったし、
何より、憧れのお兄ちゃんに「トイレに行きたい」と
言うのが恥ずかしかった。
そのため、正座している足を何度もモジモジ組みかえては
必死で我慢した。
しまいには、何も気づかず無邪気に遊んでいる
お兄ちゃんが恨めしくもなってきた。
こっちがこんなに切羽詰まっているのに、
大人の男(おそらく中学生)として察して
リードしてくれたっていいじゃないのよ。
んもぅ、鈍い人ね!

もういよいよ限界となった。
まあそんな行きたいわけでもないけど
遊び疲れてきたからブレイクタイムね、
くらいのノリで「ちょっとトイレ」と伝えたような気がする。
部屋を出た途端、いつもは怯える急階段もダッシュで駆け下り、母屋へ。
トイレのドアを開け、ホッとした私は・・・

万事休す。
トイレの中にいながらにして&小学生でありながら、
粗相をしてしまったのだ。
当然のことながら、家族親戚みんなに知られ、
お兄ちゃんは弟とともに私のことを冷やかし笑った。
トイレと言えないばかりに、これほどの辱めを受けることになるとは。

親戚の男の子がその田舎へ遊びに行く頃には、
もうみんな私たちは大きくなってしまい、
子供たちが大勢で集まるにぎやかな夏休みはなくなっていた。
だから彼にとっては何の楽しい思い出もないらしい。
私は、憧れのお兄ちゃんと、やはり20年以上会っていない。
いつの日か再会した際には、あの事件を覚えているか聞いてみようか。
彼にとってはきっとどうでもいいことだろうから、
覚えていないんじゃないかな。
ま、これに限っては私にとっても抹消したい出来事だし。

憧れる側は勝手に憧れ、トランプだのおはじきだののディテールまで
覚えているが、憧れられる側は何も覚えていない、そんなもんだ。
憧れる側は思い込みが激しく美化しすぎている分、
月日が経ってからその人に会った時の落胆もひどいもの。
ということは、先日会った彼は私にがっかりしたかもね。
だって25年だ。思えば遠くに来たもんだ。


2012年9月1日土曜日

イラン式

前々回の続き。
映画「イラン式料理本」、上映は9月15日〜。
1973年テヘラン出身のモハマド・シルワーニ監督による
ドキュメンタリー作品。
登場人物は彼をとりまく7人の女性。
母、義理母、伯母、妻、妹、友人の母親、母の友人。
彼女たちが料理を作るそれぞれの台所で、
カメラは一カ所に据えたまま動かさず、
淡々とその様子を写す。
乾燥豆と米の炊き込みピラフなど、長時間かかる料理を
長年に渡り黙々と作り続けてきたと思われる母親世代の女性たち。
夕方から作り始め、出来上がるのは夜遅く。
それを男たちはわずか15分程で食べてしまう。
料理にどれくらい時間がかかるか知っているかと問うと
「さあ? 1時間くらいでは」と台所仕事の苦労をほとんど理解していない。
古い世代の中でも、義母はかなり口が立つ人で、料理を作りながら、
姑や夫への不平不満をぶちまける。
こんなに働かされると言いながらも、肉をこねる手を休めることはなく
「機械で作っては美味しくならない。手が美味しくする」のだと言う。
「大丈夫、手は2年前に洗った」などの冗談も。
一方、現代女性を代表する妻は、食材は何一つ出ていない
すっきりコンパクトなキッチンに終始クールな表情で立ち、
悪びれることなく缶詰のシチューを温める。
双子の男の子を育てながら大学に通う妹は、
元々時間がかかる料理に加え、段取りの悪さも手伝って
午前から作り始めた茄子の煮込みが出来上がったのは夕方近く。
その間、子供たちは調理台の上にまでのぼって暴れたりするが
それを注意する彼女の口調はさほど強くない。
なので子供たちはまるで聞く耳を持たない。
ペルシャ絨毯の上にビニールシートを敷き、座って食事をした後、
妹は食器を片付け、ビニールシートの上を台ぶきんで拭きながら
丸めていくのだが、その間、子供たちは父親とじゃれあって遊んでいる。
手伝ってちょうだい、と何回か声をかけるが、父子は無視。
彼女はため息をつくだけだ。
友達の母親という人は、なんと9歳で結婚、もうすぐ100歳になる
小さな老婆で、今はもう料理は作らない。

映画の宣伝情報では「家族が愛おしくなる、美味しい逸品」とあり、
監督のメッセージは「イランの女性たちへの讃歌だ」とある。
うーん・・・。そうかなあ・・・。
私にはそんなふうには受け取れなかった。

つまらなかったわけではない。
知られざるイランの台所の様子や
リアル(なんだろう)な女性たちの声は興味深い。
けれども、ここに出てくる女たちのほとんどは、
不平を言うか、黙々と作るか、諦めるか、放棄するか、
のどれかであり、それを見せられているこちら側としては
家族が愛おしくなるような気持ちにはなれない。
家族の男たちや、カメラのこちら側にいる監督や撮影スタッフたち
(彼らも食事をともにする設定になっている)
の視線はどこか困惑した居心地の悪いようなままで、
だから、彼女たちの讃歌どころか、
本当に理解する気などあるのだろうか、と思わされる。
じゃあ、同性として私は女性たちの気持ちがわかるのかといえば、
それもいろいろわからないことが多く、消化不良だ。 

そして、料理映画という観点からすると、
カメラはキッチンの反対側から動かないので、
かまど付近の様子や鍋の中などは何も見えない。
せいぜい、積極的な義理母がカメラの前に持って来て見せる、
ドルマ(ブドウの葉の包み)やクフテ(巨大な肉団子)くらいだ。
あとは、とにかく米と、スパイスを多種類使うということはわかったが、
新鮮な食材などは出てこない。
そのため「美味しそう!」というシズル感がない。
なんだか知らないが、とにかくやたらに時間がかかる料理ばかりという印象。
中東料理に興味を持つ者として、この点でも欲求不満だ。
もちろん、制作者は中東料理の魅力を披露するのが狙いではなく、
むしろその逆でいいのかもしれないが、
だったら、邦題「イラン式料理本」とはどういう意味なのか?
なぜかしら料理映画というとたいていが、しみじみとした、
愛情のある、癒し系な...etcのPRの持っていきかたを
されがちなのが腑に落ちない。
料理をメタファーに映画を作るのって、
難しいもんだなあとつくづく思う。
ちなみに、イラン国内では、この映画は上映が許されていないそうだ。