思い込みで読み間違いをして恥をかく、
誰しもそんな経験の一つや二つ、ありますよね。
私が未だ忘れない間違いの一つは、
秘湯を「ひゆ」だと思い込んでいたこと。
この仕事の駆け出しの頃、なぜだか銀行のお偉いさんと
高級フランス料理店でお食事をすることになり、
そこで温泉の話になった時、
「"ひゆ"巡りなんかもいいですね」とか何とか私は言ったのだった。
「えっ? ひゆ・・・ひょっとして"ひとう"のことかな?」
アタシはマチャアキのごとく、テーブルクロスを
さっと引き抜いて頭からかぶりたい心境でございました。
それから、もう一つ。
車の免許を取って間もない頃、
バイト仲間で車の整備士の男の子が助手席で
私が運転をしたことがあった。
ガソリンがきれそうなことに気づいた私は、
「あー。もうメーターが限りなくエンドに近づいてる!」
すると彼は大笑いし、「え?今なんて言った?」
といじわるにももう1回言わせやがった。
EmptyのEマーク、てっきりEndだと思っていたのだ。
仕事の関係者で年配男性が、
「粋」のことをよく"すい"と言うのが前々から気になっていた。
なぜ"いき"と言わず"すい"と言うのだろう。
確かに「純粋」などで"すい"とも読むが、
"いき"を意味する際には、私の中に"すい"という感覚はない。
そのため、この人は読み間違いしている、あるいはわざと
業界風(何の業界だ?)に言ってるのか、くらいに思っていた。
しかし、ある時知った。
歴史的に見て、上方は"粋=すい"、江戸は"いき"だということを。
彼は京都人であり、私は横浜人である。
では、"すい"と"いき"は同じ意味なのか。
今ではほとんど同じ意味として使われているが、
正確には違うらしい。
九鬼周造の『「いき」の構造』を読むと、
"いき"というのは「媚態」と「意気地」と「諦め」から成り、
これは「性・武士道・仏教」ともつながってくるという。
って、何言ってんのかわからないかもしれないが、
(実際、結構難しい本ではあるので私もまだ理解できていないけれど)
「媚態」(性)はもろちん異性関係のことである。
媚態と聞くと女がこびへつらうようなイメージがあるのだが、
九鬼はそうは言ってない。
男女間における緊張をともなった二次元的態度、つまり
お互いを意識し色気に惹きつけられ、近づき、さぐりながらも、
交わってはおらず、どこまでいっても平行線である、
それが"いき"ということらしい。
「意気地」(武士道)は、まさに意気=いき。
武士は食わねど高楊枝とか、宵越の銭を持たぬといった江戸っ子の気概。
世のためにひと肌脱ぐといった道徳精神や、
異性に対して媚態でありながらも、状況次第ではプライドを持って
突き放すような反抗も含まれる。
そして「諦め」(仏教)は、執着しない、あっさり、すっきり、
それがつまりは野暮が洗練されて垢抜けているということ。
一方、西の"すい"は、赤白の華やかな着物であったり、
茶道や花柳界に通じていること、純粋に突き詰めている行動を指す。
逆に、江戸の"いき"は灰色や褐色・青色をベースに
縦縞(ここにも二元性が象徴されている)といったシブい着物であり、
突き詰める(=執着する)のは野暮とされる。
なるほどねえ。
おや? ひょっとするとアタシってば、"いき"な女ではなかろうか。
グレーだの青だのの服が多いし、
どこまで行っても平行線な関係、意地を張る、結局は諦める・・・。
得意のパターンである。そっかそっか。"いき"なんだな。
しかし、いきって・・・結構キツイもんだなあ。
ああ、いーや。アタシはまだ「いきがっている」=野暮なんだ。
結構、執着して往生際悪いもんなあ。
媚態ってのもまったく自信がないしなあ。
縦縞というより横縞(こちらは野暮とされる)だよなあ。
だけど、そもそも"いき"に生きたいのかな?
よーわからんので、結論なしに、
読み間違いの話にもどって終わりたいと思います。
(突き詰めないのが"いき"だから〜ということで)
先日、深夜に女友達Y.Oとチャットしていた時、
彼女からの最後のメッセージを見て、
私は衝撃を受け、一人激しく動揺した。
じゃあ、私はこれからアタルのビデオを観て寝ます。
ええっ? これから「アダルトビデオを観て寝る」って・・・?
そんなことを、まるで歯を磨いて寝るくらいの自然さで言うとは?
(※アタル・・SMAP中居くん主演のテレビドラマのタイトル)
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