2013年4月25日木曜日

マッチのような彼女たちの人生

強烈な個性の声質、並外れた歌唱力の女性シンガーには、
短命だったり不遇だったりな人が多いと感じるのは偏った見方だろうか。


貧しく複雑な家庭環境で、幼い頃から客前に立ち、
やがて酒とドラッグに溺れて・・・などというエピソードをよく聞く。

例えば、私が若い頃に初めて聴いて衝撃を受けたビリー・ホリデイは
少女時代にレイプされ、歌手となって成功してからも人種差別を受け、
酒とドラッグに溺れ、44歳でこの世を去っている。

ジャニス・ジョプリンはやはりドラッグで享年27歳、
恋人の事故死と自身も交通事故に遭い
モルヒネ中毒にもなったと言われるエディット・ピアフは47歳。
「Lovi'n you」の超高音で知られるミニー・リパートンは
別にドラッグとかではないけれども31歳だ。

日本人だったら誰かな。美空ひばりはまあそうかもしれないけど、
私が思い浮かぶのは江利チエミだ。
幼い頃から苦労し莫大な借金など何かと不幸がつきまとい、45歳で突然死。
あるいは、存命だが歌手生命としては断っているのも同然な、
ちあきなおみの謎めいた人生とか。


私が持っているCDの中から、そのようなタイプの女性シンガーで、
おそらく、知る人ぞ知るという、
2人のアルバムをご紹介したいと思います。
まずはこの人、ソウル系のアリス・クラーク、
アルバイムのタイトルも名前と同じ(1972)。















私は音楽方面のプロではないので詳しいことは知らないけれど、
彼女は謎めいたプロフィールで、メジャーなアルバムはこれ1枚くらいらしい。
伸びやかでパワフルだけれどもガンガンと攻めるタイプではなく、
どこか可愛らしい甘さもある声質だ。




そして、こちらはカレン・ダルトンという人の「In My Own Time」(1971)。














この人も2枚くらいしかアルバムを残さず、酒&ドラッグに溺れて死んだという。
ジャンル的にはフォーク&ブルースになるのかな、
12弦ギターやバンジョーを弾きながら、
ある種ビリー・ホリデイ的な、聴く者をそそけ立たせるような声で歌う。
彼女の人生は何も知らずとも、何ともせつなくなってくる。






傑作を残し、壮絶な人生を駆け抜けていった、
あるいは姿を消してしまった人たち。
ソウルフルな歌声の持ち主は、1曲歌うごとに
本当に魂を削ってしまう特殊な肉体の持ち主だったのだろうか。
彼女たちが瞬く間に燃え尽きるマッチなら、
さしずめアタシの人生はチルチルミチル(←古い)か。
ああ、きっとアタシは長生きするんだろうな・・・と思ってしまう。

いやしかし。もう少し調べてみると、
サラ・ヴォーンは享年66歳とやはりちょっと早いが、
エラ・フィッツジェラルドは79歳、ペギー・リーは81歳となかなかのご長寿だ。
ソウルフルといえばアレサ・フランクリン(1942~)、まだ生きてますよね?
同い年のキャロル・キングもがんばっているし、
ヘレン・メリルなんて1930年生まれで、つい最近ブルーノート東京でライヴしている。
若い頃ドラッグに溺れていたというリッキー・リー・ジョーンズ(1954~)も
最近来日ライヴをしているし。

短命多しは、やはり思い込みというか、
そのほうが伝説的でカッコイイからという色眼鏡で見ているせいかもしれませんね。
まあそうすると、
才能があってマッチ的人生、才能があってライター的人生、
才能がなくてマッチ的人生、才能がなくてライター的人生
この4タイプがあるということになりましょうか。






2013年4月18日木曜日

ブルーノート東京 タブロイド(ボブ・ジェームス)




http://saas.startialab.com/acti_books/1045176252/17707/_SWF_Window.html


まいど宣伝でございます。

先日発刊された、ブルーノート東京のタブロイドにて、
ボブ・ジェームス氏のインタビューを担当させていただきました。

今回の趣向は、ブルーノートからちょっとお散歩、
お蕎麦屋さんで日本酒を一杯やるというもの。
フォープレイでのライヴで来日していた時で、
私はお会いするのは初めてでしたが、
へイ〜ボーイ、音をたてて蕎麦をすすってみせてよ、
とソフトな外人虐待というか日本人的慣習強要(通訳つき)をしたところ、
トライしてくれたとても気さくな方でしたよ。
アメリカでワインをプロデュースするくらいお酒が好きらしく、
日本酒ビジネスにも興味津々のご様子。
私が、日本酒業界の人たちとも関係があると伝えると、
メガネの奥の瞳がキラッと光り、
それじゃあ渡さなきゃ、と名刺をくれた。
えっ、結構マジなの? 
ってか、もし私がそっち関係と知り合いじゃなければ
あくまで名刺はくれなかったのねー ┐( ̄ー ̄)┌  
(あ、別に他のアーティストもアタクシのような下々な人間には
 いちいちくれるわけじゃないので普通ですけども)



左利きなので左手(骨?)が墨ベタになっているのだわね、おそらく。
箸の持ち方はあんまりお上手ではなかったけれど
(やっぱり、もり蕎麦って難易度高いのですなあ)、
1939年生まれ、フュージョン系のピアニストとしては
一流なお方でございます、言わずもがな。






2013年4月12日金曜日

BGMがうるさいBGMにうるさい

昨日の昼、仕事の出先で時間がなく何も考えず適当に入った安い和食店。
蒔絵もどき、赤漆もどきをあしらったチープな内装。
まあ、それはそれでよかろう、そういう価格帯の店なのだから。
だけんども、BGM、これがまずかった。
どういうわけか、オールディーズなのだ。それも結構なボリュームで。
ああ、これぞ古き良きアメリカ!! 
おしぼりを出す着物姿のお姉さん、
あなたはダイアナかキャロルかはたまたルイジアナママか。
脇に置かれた日本酒の瓶、これはバーボンの間違いではないか。
せめてジュークボックス?のボリュームをもう少し小さくしてはくれまいか。
どうしてくれよう、味覚の記憶回路を断たれたかのように
海鮮丼としじみの味噌汁を見てもピンとこず、
箸がすすまない(もったいないから食べましたけども)。

なぜそのような音楽を選んだのか。おそらくは
1 店主の個人的趣味
2 よかれと思って選曲している
3 特に何も考えていない
のいずれかになる気がするが、こうして分析してみたところで、
ようするに“ダメ”の一言に尽きるのだ。
ダメって言ったらダメ、お母さん許しませんヨッ!!
音の暴力反対!!

この店に限ったことではない。
常々、私は気になって気になって仕方がないのだ、
店のコンセプトとBGMのミスマッチが。
グリーンと白木の癒し系ナチュラルな美容院でピップホップとかね。
副交感神経と交感神経どっちに働きかけたいのだ?
先日訪れた炉端焼きの店では、異様に立派なスピーカーからジャズが流れていた。
モダンな炉端焼きであえてジャズでお洒落ね、というタイプじゃ全然ない、
昔ながらの泥臭いタイプの店だ。
店主のあまりにも私的な一面を押しつけられて
気分がよろしくない。

どうも音に対するセンスが悪い店が多い気がしてならない。
そんなことになるならヘタにBGMなぞかけなければいいのに。
スタバはセンスがいいという評判を聞いたことがあるが、
先日入った店ではクラシックがかかっており、
それもブランデンブルクとかの管弦楽で、店の雰囲気にあってなかったけどなあ。
クラシックだったらとりあえず無難、とは私は思わないのだが。
(もちろん同じスタバでも、立地環境や客層等によっては
クラシックがフィットする店もあるだろう)
あるいはそばに座っていた仕事関係の男女の会話がいけなかったか。
女「私、キャビアって食べたことないんですけどぉ〜」
男「ああ、たいしてうまいもんじゃないですよ、しょっぱいだけで。
  クラッカーとかないとね、それだけで食うもんじゃない。
  イクラのほうがまだマシだな」
女「へぇ〜。トリュフも食べたことないんですよ」
男「あー。トリュフね、トリュフは旨いよ」
女「私は鶏のささみが大好き、パサパサってしているのがいい」
さすがの巨匠バッハでもなかなかマスキングできない世界観だ。


ともかく。食と音楽あるいは音との関係の重要性。
このテーマをもっと多くのマスコミが取り上げ、
日本の店舗の音楽センスを向上せねばならん!!と思うのである。

しかし、私がスペイン語のL先生とよく会う、
ドトールの某店、そこのBGMは意外にも悪くない。
いや、なかなかどうして良いのだ。
例えばジョアン・ジルベルトやセルジオ・メンデスあたりの
スタンダードなボサノバが多いのだが、
ワンダ・サーとかクリス・モンテス、ザ・フリー・デザインなんかもあるし、
はたまたケニー・ランキン、ベニー・シングス、
ジャニス・イアン、チェット・ベイカーあたりなんぞもかかり、感心する。
音量も程良い。 

もちろん私の主観としての判断だから、どこが?と思う人もいるだろうけど、
BGMにわりに神経質な私が思うのだから、一般的に見て、
少なくとも違和感を感じて気持ち悪くはならないのでは、と思う。
あとは、これで、コーヒーが旨かったらいいのにね。


昨夜は、神田淡路町の新複合施設「WATERRAS(ワテラス)」の
「cafe104.5」へ、プレス内覧会に行ってきた。
私が仕事でおつき合いのあるブルーノート東京の姉妹店だ。

http://www.cafe1045.com/




自家製シャルキュトリー(ハム、ソーセージ、パテ等)からカレーうどんまで、
クラフトビール各種とともに楽しめる。
エピスリー(惣菜屋)を併設、サンドイッチやスイーツ、
オーガニック食材などのテイクアウトが可能。
本日12日が正式オープンなので、どんなBGMかまだ知らないけれど
母体がブルーノートなのだから、いい感じ、でしょうよ、きっと。
(昨夜はDJが入っての選曲だったので。よく覚えてはいないが
  テリー・キャリアーあたりとかいろいろ)

話ついでに、4月28〜30日はWATERRASの野外スペースで
ジャズのイベント(無料)があるそーです。
http://www.jazzauditoria.com/










2013年4月5日金曜日

ワタナベ問題

多い名字ランキングはみなさんご存知の通り、
佐藤・鈴木・高橋・田中ときて、
次は渡辺だ(資料によっては伊藤と逆だったりまたは山本の場合もたまにある)。
しかし、大人になるまで、私には同姓の友達はいなかった。
(友達自体がいなかったのでは?というナイーブなとこには触れないように)
おそらく、学校ではなるべく同じクラスにワタナベが2名にならないよう
意図的に振り分けていたのではないだろうか。
また、案外と少し変わった名字
(珍しいとまではいかなくとも、かぶらない程度)の友達のほうが多く、
ありがちな名字のほうがむしろ少ないくらいだ。

それが、ここにきて、どうしたことか、
ワタナベが驚異的な増殖を見せているのだ。
フリーランスになって今までと仕事の交際範囲が違ってきたことが
大きいのだろうけども、それにしてもですよ、
同業仲間、デザイナー、校正会社の担当者、友人経由で友人になった人など
石を投げればワタナベに当たるのですよ。
いくら多い名字とはいえ、なぜ佐藤さんや鈴木さんは
ちっとも増えずにワタナベなのじゃ?
今、時代はワタナベか? ワタナベの風が吹いているのか?
ひょっとしてランキングがアップしているのではないか?
友人とその友人のワタナベくんと一緒に飲む時など、
「男なべちゃん」と「女なべちゃん」あるいは「なべちゃん」と「なべりん」
なぞと呼び分けられているが、ヘンちゃヘンよねえ。
しかしまあ、ワタナベだと必ず「ナベちゃん」であり
「ワタちゃん」にはならないものですね。

また、仕事で電話をかけた際、以前ならば
「イマージュのワタナベです」とか「シェフのワタナベです」と言えば
すぐに通じたものが、今は「ワタナベです」だけだと、
わかってもらえない、他のワタナベさんと間違えられる、怪しまれる、
なので困っている。
「エディターの〜」だと発音的に聞き取ってもらえない。
「編集者の」「編集の」って言うのも「ヘンシュー」なので
なんとなくわかりづらいような。
「ライターの」と言うのがわりにすんなり聞き取ってもらいやすいので
面倒だとそう言うのだが、自分自身はライターとしての自覚が
あまりないので少々違和感がある。
社名や肩書きってやっぱ社会的には大事なのねえ。
が、もしも武者小路とか西園寺などという名字だったら
肩書きなしでも、それだけですんなり通りそうな気がする。
通るだけでなく、きっと何かすごい人なのだろう、くらいに
思われる可能性だってある。
まあ、そこまですごい名字はのぞまないけど、そこそこ平凡でいいから、
ただしランキング100位以降くらいの名字になりたいものだ。
(ちなみに100位は新井さんだとか、うーんそれでもまだ結構フツーですな)


海外の為替市場で使われる用語“ミセス・ワタナベ”。
日本人の(特に主婦などの)素人投資家のことである。
外人にもよく知られている日本人のポピュラーな名前だかららしいが、
決してリスペクトされてはいない、その逆の扱われ方だ。
しかしですよ、繰り返しますけども、ワタナベは5番目なのですよ、
なんでミセス・サトウじゃないのか?
どうも、ナベという語感が、
あるいはワ・タ・ナ・べというちょっとドタドタっとした響きが 
どこか可笑しい印象をもたらしている気がしてならない。
バタークッキーのミスターイトウは書体も含めさらりとスウィングしているが、
ミスターワタナベじゃなあ、ダメだろうなあ。
ミスターイトウは別に高級じゃないけど、
ワタナベだとやっぱり「渡辺 ジュースの素」とか、
もっとチープな駄菓子がお似合いだなあ。 


お彼岸に、両親とともに先祖のお墓参りに行った。
渡辺の家紋は一番上に一つの丸、その下に二つの丸、更にその下に一文字だ。
私はこれをずっと、皿に団子がのっている絵だと思っていた。
なんだかちょっと、がっついている家紋だなあ、と。
しかし、調べてみたらそうじゃなかった。
「三ツ星一文字紋」と言い、嵯峨源氏の流れをくむ渡辺家の代表紋で、
別名「渡辺星」。団子はオリオン座の三ツ星であり、将軍星とも呼ぶらしい。
一文字は一番槍や勝つという意味が込められている。
ちなみに毛利家は三ツ星と一文字の位置が逆バージョンだ。
なかなかどうして、勇敢なイメージではないか。 
マチャアキの「星三つです」が聞こえてくる。

家紋の下に彫られた名前を見ると「渡邉」とある。
うちは「渡辺」ではなく、ホントは「渡邉」が正しいのか?
同じワタナベでも旧字のほうがまだシャレとるじゃないか。
なぜ、それならそれで通さなかったのか。
しかし更に観察すると、お線香を置く所の側面には「渡辺」とある。
どっちが正しいのか、親に聞いた。
「さあ、石屋さんが彫るの面倒だったんじゃないか」
「そんなことより、とっとと団子をお供えしろ」と言う。
自分たちの名字がどっちであるのか、正す気はないらしい。


この後、供えた団子を墓前で食べた、我ら。
よそのワタナベはともかく、
うちにかぎってはスターじゃなく団子マークだと
運命を悟った私であった。