2014年3月28日金曜日

こわいポテンシャル


迷惑メールに分類されずに時折入ってくるおかしなメール。
今日来たのは「慢性的な肩こりも自分で治せる!」というもの。
中身は実に怪しい、アドレスをクリックしたらどんな世界が待っているのか。
もちろんスルーするが、しかし違う意味でコワイなあ、
なぜ私が慢性的肩こりに悩まされていると知っているのだ?
偶然とは思うものの、何かしら情報が漏れているとしたら、憂鬱だ。

会社員時代は会社のすぐ近くに整体の治療室があり、
肩こりに限らず体調がどうにもすぐれない時にはそこに駆け込んだものだが、
昨年、久しぶりに電話したら、つながらなかった。
最近になって別の人とたまたま整体の話題になって、その話をしたら、
「あら、あの先生は業界で神の手と言われて有名よ」とのこと。
へぇ。ゴットハンドにお世話になっていたのか、私は。

古びた小さなマンションの一室で、夫婦で営んでいた。
私はご主人にいつもやってもらっていた。
施術の後、お茶をいただくのだが、一緒に必ず足湯を勧められる。
しかしそのバケツサイズの簡易型足湯には入浴剤が入れられており、
明らかに使い回し・・・足ふきタオルも・・・
こういうものを、さして気にしない人と受けつけない人がいる中、
私は「本当は嫌だけども断れない」タチなのであった。
シチュエーションはまったく違うが、
武田百合子のエッセイ『牛乳』(ことばの食卓)で、
彼女が子供の頃、道端で会えば抱き上げられる不気味な牛乳屋のお兄さんに対して、
“怖くて、何だか、自分からどんどん行って、抱かさかった”
という一文がある。
その気持ちが、わかる。


足湯はまあナンだが、先生の腕は確かに良かった。
が、ご高齢のため、引退したのだそうだ。
残念だなあ。
とはいえ、仕事の疲労の蓄積と運動不足で私の首肩は限界。
家の近所のカイロプラクティックに行った。
ここには過去2回ほど行っている。
初訪問の際、いきなり上半身脱いでと言われ、
あやうく「ひょっ!?」とおかしな声が出そうになったが、
素っ裸になるのではなくて、手術着のようなものを素肌に着ろということだった。
背中の中心がマジックテープの開閉式になっており、
そこを時折少し開いて背骨の曲がり具合を見るのである。
ここの先生も開業して30年以上、おそらく腕のある方と思うが、
カイロは最後にバキバキをやられるのが恐ろしい。
特に首をやられる瞬間は締められるニワトリになった気分、
グェーコッコー!!と心の中で叫ぶ。


今週は免許の書き換えにも行ってきた。
会社員時代は週末しか行けないので試験場だったが、
今は平日に行ける&警察署が歩いて行ける距離のため、初めて警察署で体験。
この場合、顔写真は事前に撮影して持参する。
試験場で一瞬にして撮られいつも残念な仕上がりになるのと異なり、
ゆっくり顔を作って撮れるのだから有利である(なんだ、有利って)。
加えて、今どきの証明写真ボックスのプリントの早さに感心したが、
自分の顔の老けように愕然とする。
5年前の免許証写真の残念さとはまた別種の残念さである。
100円上乗せで美肌補正のようなモードがあった、
ケチらずそれを選ぶべきだったか。

昨秋、老眼&乱視のメガネを作った際に、
免許書き換えの検査では遠方用メガネがないと確実にダメだと言われたので、
仕方なくそれを作り、持参した。
が、警察署での視力検査はかなりあっさりしたもので、
そしてなぜかこういう時、負けず嫌い的な性格が出て、
ついつい必死で(一番小さい字は半ば勘で)読み取ってしまう。
はい合格ですね〜となり、メガネの出番なし・・・。


ギリギリでも見えているに越したことはないが、
しかしどうもこの頃、あらゆる場面で自分の老人力が
一段と高まっていると感じることが多い。
この能力、果たしてどれくらいの可能性を秘めているのだろうか。
この能力の恐ろしいところは、引き出したり磨いたりの努力なしに
勝手にパワーアップしていくところである。


そろそろ衣替えの時期、
クリーニングに出すものの仕分けをしていたら、
パンツのポケットからこんなものが出てきた。




傘立ての鍵、か。
さて、いつどこに置き忘れたのだろう。
どんな傘だったのか。
私は傘というグッズに興味がない人間で、
そのためまともな傘を持っておらず、
これではいかんと思って何か1本最近購入した、
それをなくしたのだ、という気がしてきた。
しかしどんな傘か、まったく思い出せない。
じゃあそれは妄想か。じゃあこの鍵は何なのか。
どんなに思い出そうとしても、すべては霧の摩周湖。



2014年3月20日木曜日

鼻水とミモザ


銀座のスタバに入る。
近くのレストランでの打ち合わせまであと50分程あるのでちょいと休憩。
2階の店内はゆったりしているが、混んでいる。
なんとかカウンターの隅をキープ。
客はひっきりなしにやってくる。
空席を見つけられずにグルグルまわったり、
諦めて階下に下りる人がいる一方、
目の前のゆったりしたテーブル席がちょうど空いて
探すことなくすんなり座れてしまう人がいる。
人生はいつだってタイミングであるなあ。

私のとなりには欧米の中年男性と日本の若い男性。
日本の青年は花粉症らしく、鼻水を豪快にズルズルすすっている。
欧米人にとって鼻すすりはマナー違反、不快きわまりないと聞く。
事実、となりの欧米人はちょいちょい「よかったら」と
ティッシュを青年に勧めているので、やはりそうなのだろう。
青年はそれを断り、持参している鼻セレブティッシュで一応かむが、
30秒もしないうちにまたズルズル。とめどなく生産されているようだ。
あくまで微笑みを絶やさないジェントルマンな欧米人だが、
内心、オゥ〜ノォォォ〜と身悶えしているのではなかろうか。

しかし花粉症の欧米人はどうしているのだろう、
すするのは御法度ならば、延々とかみ続けるのだろうか。
いつも思うが、あの外国人特有のすごい音が失礼にならんというのがわからない。
確かに鼻をすする音も気持ち悪いけれど、
「イェーイ、みんな聞いてくれ」と自慢するかのような鼻かみ爆音も
気分よろしくないけどなあ。
ジョニーが来たなら伝えてよ、鼻かみウルサイと。


家に帰る途中、花屋でミモザを購入。 
これもいつも思うことなのだが、
花屋というのは基本的に贈答を目的とした商品構成になっているため、
自宅用の花は買いづらい。
華やかさ重視で多色すぎるブーケや、
価格ありきで抱き合わされたもの、そして仏花が前面で売られ、
単体で買う場合には店の奥に入って行かなければならない。
私は花が特別に好きとか詳しい人間ではなく、
気が向くと少し買うという感じなので、奥まで入るのは何となく気後れする。
奥にある花は名前や値段が書かれていないことも多く、
豪華な花束を求める人が店員と相談しながら選ぶといったシチュエーションも
多いので、自分好みで1〜2種をさらっと買うには敷居が高いのだ。
駄菓子を1個ずつ選んで買うみたいに、
花も個別で軒先に並べ、1本ずつ好きに組み合わせられたら、
もっと気軽に日々の花を楽しめるのではないかなあ、
と思うのは私だけだろうか。

ミモザは、かろうじて店の入口付近にあったので、買うことができた。
しかし、どれくらい?と聞かれ、
(たっぷり花がついていたので)1本でいいと言うのは
やはり少し気恥ずかしいのだった。

ちなみに、ミモザというのは、本当はマメ科オジギソウに属する植物を指し、
一般的にミモザと呼ばれている黄色い花の植物はマメ科アカシアの一種なのだそうだ。
そんでもって、アカシアと思われている木はマメ科ハリエンジュで
アカシアではなくニセアカシアと言うのが正しい。
西田佐知子の『アカシアの雨がやむとき』や、北原白秋の『この道』に出てくる
アカシアはニセアカシアのことになる。
ややこしいわ〜。

私は過去、花粉症だった時期があるが、なぜか治った。
ミモザの花粉症もあることはあるらしいが、さてどうかな。

花粉症の欧米人はズルズル問題をどうしているのかがどうしても気になり、
先ほどメールでアメリカ在住の日本人に聞いたところ、
「花粉症の人は大勢いるが、その多くが薬を服用しているためか、
 公共の場で鼻ズルズルや涙目な人を滅多に見たことがない」んだそうな。








2014年3月12日水曜日

シェフ102号発売!!







『シェフ102号』春号が出来ました。
書店売りは3月25日ですが、直販は本日よりスタートしていますので、
どうぞよろしくお願い申し上げます!! 


特集「ネオビストロのメニュー洗練術
ディナー50008000円の手頃な価格で、一流店での修業経験を持つシェフが
高い技術や現代的センスを生かした料理を提供するネオ・ビストロ。
いかなる洗練テクニックが用いられているのか、
シック プッテートル、カラペティ バトゥバ!、ル・グラン・ソワールに取材しました。

新連載「新世代のシェフによる明日のスペシャリテ」
若手のなかでも特に注目度の高いフロリレージュの最新料理を紹介。


この他、オトワレストラン、ル・マンジュ・トゥー、ヴァリノール、パトゥ、
マキシム・ド・パリ、スゥリル、トレフミヤモト、deco、ル・ボーズ、
ラ・コクシネル、ラシーヌ、ザ・リッツカールトン東京、レストラン タニ、
アルゴ、ビストロ ホリテツ、アンドセジュール、クイントカント、
レストラン オオツ、マダム・トキ、レ ロジェ ビストロ ド ロア、
ダル・マット西麻布本店、オー ギャマン ド トキオ、マノワを掲載しています。
ご協力ありがとうございました。






2014年3月4日火曜日

かにカマ、パン粉、ポップコーンをめぐる日米問題

昨日、レシピ本が1冊、校了となった。
タイトルは『アメリカン・アペタイザー』
(著者/アンダーソン夏代   発行/アノニマ・スタジオ)。
宣伝は今月末発売の際にまた改めてしたいと思いまする。

こちらの本には全75品のレシピが載っている。
季節的に入手が難しかった2品ほどを除くほぼ全品、私は試作を行った。
著者は日本人の料理研究家なので日本の食材を理解しているが、
米国に長らく住んでおり、現地の材料や道具を使ってレシピを作成するため、
それを実際に今の日本で作って何か問題や相違点がないか、検証するというわけだ。
もちろん、もしも日本在住の人によるレシピであったとしても、
レシピの書き方に不備はないか、
同様に試作することに違いはないのだけれど。

試作ではさまざまな発見や驚きがある。
なかでも驚いたのがタイトルにあげている3種の素材。
かにカマ、これはアメリカではロール寿司に使われる人気素材だという。
いざ試作してみると、しかしこれがどうも指定された分量と合わない。
聞けば、アメリカのかにカマは長さ約14cm、1本約30gとのこと。
日本のものは、長さ約6cmで10g前後とだいぶ小さい。
自宅の近所のスーパーだけだとリサーチが偏る恐れがあるため、
同僚数人にも依頼、かにカマ調査隊としてさまざまなスーパーのものを
調べた結果である。
以前はアメリカと同様のロングタイプも出ていたらしいが、今は見かけない。
そもそもかにカマをこれまで自分で買ったことがない。
これほどまでにかにカマについて考察したのは人生初体験である。
「アラスカ」「オホーツク」「マリーン」「サラダかまぼこ」など
ネーミングもいろいろで、
コンビニでは、求めているかにカマとは少し毛色の異なる、
おつまみ用の太いかにカマ棒が売られていることも知った。
ズワイガニの脚をイメージして本物風にしたタイプも鮮魚コーナーなどにあり、
その商品名は、「かにちゃいまっせ」と偽物であることを完全に開き直ったものや、
「わたしはカニになりたい」と永遠に叶わぬ夢を求めるペーソス漂うものまである。
(昭和の方にはお気づきでしょう、「私は貝になりたい」をモジっているに違いないと)
いつの日か、私は青春を振り返る日が来るだろう、
ああ、あの頃、私は一瞬ではあるけれど、確かにかにカマに夢中だった、と。

続いてパン粉。
フライ料理を試作したところ、大量にパン粉が余った。
むむー、これはもったいないのではないか、なぜこんなにたくさん必要なのか?
ただつけて揚げるだけならば適量でもいいのだが、このレシピの場合、
パン粉にあらかじめドライハーブなどの味付けを加えるため、g数が必要だった。
著者とやりとりするうちに発覚したのは、
アメリカと日本のパン粉はカサが相当に違うということだった。
同じ重さでも、アメリカのパン粉はそこまで大量にならない。
ということは、日本のパン粉は水分量が少なく軽いということだ。

そしてポップコーン。
今、日本でも人気のキャラメル・ポップコーンのレシピを載せている。
以前に一度試作した際、美味しくはできているのだが、
キャラメルの多さが気になり、著者に問い合わせていた。
が、配合はきっかり合っているし、作り方も間違っていない。
おそらくキャラメルの煮詰め方が弱いのでは、といった話に着地した。
しかし校了目前に再度作ってみて、やはりどうしても気になって仕方ない。
カロリーを計算してみると、2人前程度の量で1000kcalを超えている。
いくら甘々、ハイカロリーなアメリカンスイーツとはいえ、
これはどうなんだろうか。
砂糖やバターのあまりの多さに、日本人はビビって作らないのではないか。
今一度、著者に問い合わせをしたところ、
では、まさかとは思うがポップコーンのカサをはかってみようということになった。
著者はフロリダに住んでおり、日本との時差は14時間。
やり取りは日本時間の深夜または朝というパターンが多い。
そこで私は昨日の深夜、コンビニでポップコーン
(本当はコンビニでは売っていない薄味のタイプで作るが、
試作で使い切っていた、とりあえずカサを知りたいのでバター醤油タイプ)を購入、
パイレックスのパイントメジャーカップに指定の量26g分を入れてみた。
アメリカでは2パイント近くになるというのだが、
なんと、その約半分、つまり1パイントしかないではないか。
それで合点がいった。
甘々なのは当然だ、本来はこの倍量のポップコーンにからめるものなのだから。
結果、日本のポップコーンの場合は40gで、となった。
ギリギリセーフで修正が間に合い、ホッとしたのであった。
パン粉の場合と逆で、ポップコーンはアメリカのもののほうが
軽くカサが大きいということになる。
しかし倍の差があるとはすごいことではないだろうか。
日本のポップコーンはなぜにそんなに重いのか。
(アメリカのポップコーンはどれほどフワフワなのか)
そこまではまだ調べられていないのだが。

ポップコーンという共通認識のものであっても、
実はこれくらいの誤差がある。
人はみな、自分の常識で物事をはかるから、
なぜそんなことになる?そんなはずはないのでは?と、
なかなか相手の状況が理解しにくい。
だから、ましてや国レベルの政治経済問題なんぞ、
真なる理解に達するのは相当に難しいに違いない。
なんていうことまで、ポップコーンを前にして思うのだった。


そんなわけで、今年は多忙につき、
毎年恒例のひな人形出し ↓

http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2013/02/blog-post_24.html

ができず、3月3日は過ぎ去った。