2012年6月28日木曜日

星に願いを



そうか、もうすぐ七夕か。
近所でも笹が飾られていた。

「背が伸びますように」
私が子供の時に書いた願いは毎年これだった。
玉川カルテットと同じである。
小学6年の時でも、見た目は1〜2年生くらいの
チビ&やせっぽっちだった。

あれは小学5年の七夕の頃、
近所の同級生のMちゃんと、
星の観測を我が家のベランダで行っていた。
トイレからもどってきたMちゃんは、星を眺めながら
「あ〜あ。生理になっちゃった。ふぅ〜」
とアンニュイなため息をついた。
Mちゃんは大柄で、小学5年にして
すでに50歳くらいのおばさんの
ムードがある子だった。
そんなことを言われても、おこちゃまの私には
夜空の星と同じくらいに未知の世界だ。
しかし、あまりにもあたり前に言うので、
そんなに驚いたりしてはいけないのかと思い、
「ああ、そう・・ふぅん・・」と
私も視線は星に向けたまま、
なんとなくアンニュイな受け答えをしてみた。
大きくなりたいと思っていたのに、
成長するって、なんかコワイような気もした。

現在、私はちょうど日本人女性の平均身長だ。
願いは、まあ一応叶ったということになる。
もし今、短冊を渡されたら、なんて書くかなあ。
Mちゃんはどうしているだろう、
年齢のイメージに追いついた頃だろうか、
あるいは「更年期がねえ・・ふぅ〜」と
ため息をついているだろうか。

2012年6月22日金曜日

秋になったら

平日も家にいることが多くなった今、
イコール、スッピンでいることが多くなった。
素顔に自信を持ったわけでは、むろんない。
誰にも会わないからという、ただのものぐさである。
しかし気のせいか、化粧をしないほうが
肌はしっとりして調子が良い気がする。

どこにも行かぬと言っても、
近所のスーパーへの買い出しくらいは行く。
併設のドラッグストアに立ち寄り、
化粧品コーナーをぶらりとしていたら、
むっちり体型に巻き髪、濃厚メイクの
中年美容部員が声をかけてきた。
(中年の定義ってなんでしょうかね、自分も間違いなく
中年ではあるのだが、人のことを中年と呼ぶ時に、
自分はその圏外者として言ってるよな・・・)
過去に、この美容部員の前を、少なくとも50回は
通ったことがあるが、ただの一度も声をかけられたことはなかった。
なのに、どうした風のふきまわしか。
美容液のサンプルをくれるという。
「これ、日中のUV下地クリームに使えるの、
今から対策しておかないと、秋に大変なことになっちゃうから」
とソフトな恫喝をされた。
そうか、大変なことになっちゃうんだな。
ありがたく頂戴し、その場を去った。

入浴剤のバブ〜旅の宿あたりのコーナーにさしかかった時、
美容部員はわざわざ私を追っかけてきて、新たなサンプルを差し出した。
「それからこれ、敏感肌用のファンデーションがあるの。
ちょっとずつでもいいから、ね、このあたりから(エラ下の首あたり)
始めてみて下さいね」
「はあ・・どうも」

そうか。アタシはノーメイクだった。
家を出る時に鏡を見ていなかった。
いったいどんな顔してるの?
スッピンのほうが肌の調子がいいのは、やはり気のせいだった。
少なくともプロから見て敏感肌に見えるのだろうし、
化粧もせず平日に店をふらついているような女に、
なんとかまともに更正するよう説得を試みている、
追っかけてでも言わずにはいられない、ほっとけないわよ、
そんな雰囲気だ。
がっつりメイク派からしたら、
こちとら裸で歩いているようなものかもしれない。
まずは首からでも始めてみてって・・・。

人生を四季にたとえるなら、私は今、秋に入った頃か。
秋になったら大変なことになるから・・・
もうすでに大変なことになっているお年頃なのだ。

そんなことを考えていたら、家の電話が鳴った。
以前は常に留守電状態にしていたのだが、
今は仕事の関係かもしれず、なので取った。
「お近くにいい墓地ができたので、ぜひおすすめしたいと思いまして・・・」
アタシは秋だ。大変なお年頃ではあるが、冬はまだ先と思いたい。



2012年6月20日水曜日

スパイスレシピ実践レポート2

今日はレンズ豆のカレーを作ってみた。
某有名一般向け料理雑誌のバックナンバーに
のっていたレシピを真似てみた。
レンズ豆200g。ふむ。一袋全部?
多い気がしたけど、とりあえずゆーとおりに全部ゆでた。
想像通り、すごい量に増えた。
玉ネギやスパイスを炒めトマトを加え、
再びスパイスを入れそして先程の豆。
ウソでしょう、どー見ても多すぎるので、半分強程を加える。
そして10分煮る、とある。
え?液体は? トマトの水分だけで煮るのだろうか?
しかし、水気はろくにないボテボテ状態。
なので適当に水を足して煮た。
味は・・・おお〜、とても美味しくできた!
しかしねえ、このレシピ、間違っているよな。
豆の量と液体の書きもれ。
おそらく、豆のゆで汁も一緒に入れるのだろう、
しかしレシピには「豆を」としか書いていないし、
ゆで汁はあまり残っていないのでこれだけでも足りない。
豆を全部入れたなら、足りないどころの話ではない。

残った豆はどうしよう。
スープやサラダなどにしてもいいが、
わたしゃ古代エジプトの奴隷じゃないもので、
そんな毎食レンズ豆を食べ続けるのはキツい。
仕方ないので密閉袋に入れて冷凍しちゃおう。

この例に限らず、レシピ本や雑誌を見ながら作ると、
おかしい、と思うものが結構多い。
素材や季節、器具などの違いによる誤差はもちろんあるだろうけど、
そういうことではなくて、明らかに違う、というものだ。
果たして、世に出ているレシピの中で、
どれくらいが間違いのないレシピなのだろう?
どこの段階で間違えてしまうのか。

1.作り手(シェフや料理研究家)が間違った情報を編集者に伝える。
2.作り手のレシピは正しいが、編集者が聞き間違いやタイプミスする。

私の場合、作り手はシェフが大半であるが、
その経験からすると、正直言って1が多いと思う。
レシピと言えども、文章である。
書くことが苦手な人が書けば、間違いや不足が生じるのは当然とも言える。
書く代わりに話し、こちらが聞き書きすることも多いが、
完璧に話せる人というのはそういない。
そもそも、シェフたちは、長年の勘や、その時々での微調整などにより、
はっきりとした配合の数字を出していない人が多い。
そのため、きっかり何g何分と出すのがあまり得意ではない。
きっかり出すことで、かえって美味しさが伝わらない、と
考える人も少なくない。
「何gが大事なのではなくて、どんな状態に持っていくのか、
を自分自身の目と舌で見極めるべきだ」
などと言われる。
確かにそうだとは思う。
特にプロ向けの場合は、レシピ第一とは限らない。
そっくりそのまま料理を真似るためにあるのではなく、
イマジネーションを刺激し、発想のヒントになるための企画だったりする。
けれども、間違ったレシピでもいい、というのはおかしいだろう。

私も普段はレシピ本の配合を読んでそのまま作るようなことはしない。
しかし、例えば作ったことのないインド料理にトライするなどの場合、
最初のうちは何か指針が欲しい、やはり正しい基本配合が知りたい。
シェフではなく料理研究家の場合は、いったいどうして間違うのだろう?
むしろ、研究家たちはレシピこそが肝心要のウリであるはずなのに?

レシピを何かに掲載する場合、料理人(家)たちは
正確な計量と手順を出すことに努力してもらいたい。
もし、あえてきっかり出さずファジーな幅の中で作っていくべき料理
であるならば、その微妙さを正しく語れる言葉を持っていただきたい。

と、料理を作る人の責任を問うとともに、
こちら編集者側にも、相当の責任があることを自戒せねば。
先ほどの 2. 編集者が聞き間違いやタイプミスする。
これはアカンのは当然のこと、それだけでなく、
1.の作り手が間違ったレシピを出した際に、
それに気づかなければいけない。
豆が多すぎるのではないか? 液体が抜けているのではないか?
特に一般向けであれば、自分で作ってみて確認する必要もあるだろう。
あるいは、もし作らなくても、頭の中で作れるかどうかだ。
これは怪しい、と気づくかどうか。
あるいは、作り手の中にまだ閉じ込められている、
微妙な調理ポイントを聞き出せるかどうか。

一般向けのレシピ本は、いかに簡単であるかとか、
目先の変わった組み合わせで読者の気を引いているものが多いけれど、
そんなことよりも、本当の本当に研究された美味しい配合で
適切な作り方とその理由を明確に示してくれる本が欲しい。
いや、私が編集者として、誰かと組んで作りたいものだ。



中東料理の洋書(ってヘンかしら?でも英語の本なので)を取り寄せた。
家にジャガイモ、玉ネギ、テラスにミントとパセリがあったので、
というか他には何もなかったので、その本の中にあるイモサラダを作ってみた。
味つけは、オリーブオイルとレモン汁が同割、あとは塩、黒こしょう、
オールスパイス。例のスパイスサンプルに、なぜかオールスパイスがない。
仕方ないので、似たような香りってことで、
ナツメグ、クローブ、シナモンをちょっとずつ合わせて使用。
おお、旨いね、これは。ものすごく旨いという意味じゃなくて、
違和感なく普通に旨いという意味。
言われなければ中東料理とは思わないのではないか。
まあそもそも、中東料理といったらこういう味だ、という意識は
我々にはないかもしれないが。エキゾチック度がそんなに高くないってことです。
レシピの配合量はかなり多かったので、
それの半分で作ったのだが、問題なくできた。
これでいいのだ。

スパイスレシピ研究はまだまだ続く・・・。

2012年6月12日火曜日

スパイスレシピ実践レポート1


粉にまみれてヨォ〜(三橋美智也の"達者でナ"のメロディで)。
というわけで、ここのところ、私はどういうわけか
粉にまみれております。
もちろん、先日お伝えしたように宗教的にはスパイス教に入信したわけですが、
まずは意外にもお菓子からいってみようかな〜と。

で、パン・デピスを作ってみた。
デピスとはエピス=フランス語でスパイスの意味。
これは実にいろんなレシピがあるのですねえ。
スパイスは、シナモン、ショウガ、アニス、
カルダモン、ナツメグ、クローブなどの中からの組み合わせ、
粉は薄力粉だけのレシピもあれば、準強力粉を加えるもの、
ライ麦粉が入るもの等。
スパイス液のようなものを前日に作って寝かせるだとか
具材を何も入れないものもあれば、ナッツやドライフルーツを入れたり。
ハチミツがびっくりするくらいいっぱい入るのは共通している。
安くないのよね〜ハチミツ。
お菓子って最後までどうなるかわからず、
大失敗もアリエールなので、リスクが大きい。
だから、(一般向けの)お菓子の本を作る時は特にレシピに神経を遣う。
この配合で本当に大丈夫か? この説明の仕方で理解できるか?
ニュアンスが正確に表現できているか? などなど。
それでもやはり、いざ作ってみると、
いろんな「?」が出てくるのがお菓子というものなんですよね。
失敗も含め、ある程度経験を積むしかない。
が、一般家庭でいったいどれくらいの頻度でお菓子を作るか。
趣味でないかぎりは、かなり少ないのが現実でしょうね。

私も最近ほとんどお菓子を作っていなかったので、
腕がだいぶ鈍っていました(って前はできてたのか?いつ?)

素焼き?のパン・デピス。チッ、表面焦がした。
生地はパサつき気味。これだから素人はダメね。



クルミ、日向夏の皮の砂糖漬け、
チョコのくだいたものを入れ、表面はアプリコットのジャムをぬった。パン・デピスというよりただのパウンドケーキか。しかしバターは入っていないので
リッチさはない、中途半端。

シェフたちが作る美味しいパン・デピスの味を知っている
アタクシにとって、わがパン・デピスの味は、残念無念。
どなたか、ぜひご教授下さい〜。

気分をかえて、逆に軽いタッチでいってみるか〜、と
次に作ったのはスパイスシフォンケーキ。
10年以上作っていなかったが、こちらは成功!
はーん。なるほどね。商売やるならこっちのほうが
ずっと楽だね、一度コツをつかめば易しい。
味のバリエーションも出しやすい。
ふわっと軽いイメージが万人受けする。
(しかしシフォンケーキって植物油結構入るのですよ。
更に生クリーム添えたりもするし。蒸しパンと同様、
ヘルシーぶっているが裏切られるのだ)

あーあ、表面の皮がはがれてしまって見た目キレイじゃないけど、
ちょいと削ってととのえればキレイになるので大丈夫、と言い訳(汗)。
キャラウェイシード、シナモン、クローブ、カルダモンを入れた。
ムクッとした弾力としっとり感、口溶けの良さ、鼻に抜けるスパイスの香り。















勢いづいた私は、オーガニックのニンジンでマフィンを 作ってみた。スパイスのサンプルに、オレンジの皮のパウダーがあったのでそれを入れて。
クミンやキャラウェイなんかでも
よかったかもしれないけど。
うーん・・・マズイ。なんかえぐみを感じる。
元々、参考にしたレシピが、甘さ控えめヘルシー系。
このたぐい、怪しいレシピが多いよね。
やっぱりさ、お菓子はしっかり甘いほうが美味しい。
かといって、ただ砂糖増やせば美味しくなる
とも思えない。自分の腕は別として(ホントは別に
できないけども)何か根本的に違う気がする
(あくまでレシピのせいにする)。
野菜のお菓子で本当に美味しいものを作るのって
かなり難しいのではないだろうか。

バナナのような甘さの強いものならわかりやすい味に
なるだろう、というわけで、バナナのマフィンも作った。
やや重たくはなるけど、やはりこっちのほうが
美味しい。スパイスはシナモンを使用。
しかし個人的にバナナはさほど好きじゃない、
「なべちゃんはね、バナナを半分しか食べられないの、
ほんとだよ」なのだ。
じゃ、作らなきゃいいじゃんね。


バナナの口直しをしたいな、と
もはやスパイスとは関係なくなってきて、
クランベリーと豆乳入りマフィンを制作。
まあ普通に美味しい。


























さて、私はいつまでお菓子を作り続ける気なのか。
この熱狂ぶり、やはり信者そのものか。
いや、すでにスパイスから離れているので
スパイス教ではなく今は菓子教信者だ。
何言ってるんだろうか、ぜんぜんおもしろくない。
近所で採れたフレッシュのブルーベリーが
売られていたので、ついついパウンドケーキを
作ってしまい、それも載せてみた、だけでした。
















はい、では次に料理部門に移ります。
ほとんど作ったことのない、インド風チキンカレーに挑戦。
多種のスパイスをミックス。
わずかな量を取り出したりはかったりするのに、
マドラーの先が便利と気づく。(100円ショップで売ってます)
玉ネギを飴色になるまで炒め、スパイスも炒めて・・、
あ、その前にチャツネも作りましたよ。
チャツネのレシピは、以前に
池尻大橋「レストラン ムッシュ・ヨースケ」の
松島シェフより直伝で教えてもらったものをベースに
少しアレンジ。リンゴや柑橘類、レーズンを
酢や砂糖などで煮込んだ、このチャツネがあれば、
市販のルーで普通に作ったカレーに入れるだけで、
ぐーんと美味しくなるのだ。

レストラン ムッシュ・ヨースケ
http://www.yosuque.com/


ライスもインディカ米を使い、
ターメリックで染めて。
ピクルスも作って。
カレーは寝て待て、
だろうから1日置いて。
さぞかし旨いじゃろ〜と思ったが、
うーん・・・まずまずだなあ。
お菓子と違って料理は
大失敗ということはあまりないのだが、
なんだかなあ〜コクが足りない。



悔しいから今日もまたカレーを作った。
こちらは、カシューナッツペーストを
入れるもの。寝て待てず、試食。
(試食の量か?これ)
昨日のカレーより美味しい。
しかしまだ満足しない。
修業が足りんのだね。

スパイスの道はまだまだ続く・・・・。




2012年6月6日水曜日

スパイスガール


日本未入荷ブランドのスパイス&ハーブのテイスティングを依頼された。
といっても、これ自体はビジネスになっていない。
感想を聞かせてくれ、というものだ。
だからテキトーにやったっていいんだ。
だけどそれがアタクシという人間はできない。

あまりに種類が多いので、混乱しないよう、分類して壁に張り出してみた。
こうして眺めてみて、さて、ど、どうやって試食しよう・・・
当然のことながら、龍角散みたいにそのまま飲むわけにはいかない。
(龍角散って飲んだことないけど、絶対にむせて吐き出しそうだ、
想像しただけで息ができなくなってくる)
それぞれに適した何らかの料理に使ってみるしかないよな。

ちょっとメンドー? でも、なんか楽しい(今のところは)。
目を閉じて、袋に鼻を近づけ、何のスパイスか当ててみたりして。
どうでしょうか、嘆きの壁で祈っているような姿の一人遊び。
変態でしょうか。

スパイス&嘆きの壁で思い出したが、
以前に、マクロビオティックの権威、久司道夫氏の著書を読んでいたら、
中東での紛争が絶えないのは、肉や脂質などの強い陽性食品と
砂糖や香辛料などの強い陰性食品を組み合わせた食生活であるからだ
と書いてあった。両者を一緒に食すと、興奮しやすく、
狂信的になる傾向にあるのだそうだ。
でも、結構美味しいんですよね〜中東料理って。

気づけば、我が家はスパイスの匂いでいっぱいになってしまった。
ここはどこ? スーク(アラブの市場)ですか?ってな感じである。
しばし、私はスパイスの熱狂的信者となるのだろうか。
私と会って臭かったらごめんなさい。

http://www.youtube.com/watch?v=NwwzWqjw7Tw


2012年6月2日土曜日

犬よ。

もしも〜♪わたしがぁ〜♫
犬を〜飼ったなら、
ジャックラッセルを飼うでしょう〜。

犬を飼いたいと思い続けてはや何十年。
もう人生も半分過ぎているのに、
未だ飼ったことがない。
賃貸で禁止だから、留守ばかりでかわいそうだから、
などと言い訳してみるが、
ほんとのほんとに何がなんでも欲しいならば飼えないことはないはず。
ということは、ほんとはそれほど飼いたくないのか? 

子供の頃、うちで飼った生き物といえば、
金魚・かたつむり・カブトムシ・カナリア・ハムスターくらいだ。
金魚やカナリアは親が世話していたので
自分のペットという感じではなかった。
カブトムシはまだしも、かたつむりを飼うなんて
どういうつもりだったのかよくわからないが、
毎夏、森へとりに行っていた。
今習っているスペイン語のレッスンで、
スペイン人の先生とペットをテーマに会話をした際、
かたつむりのことを話したら
「私もよくとりに行きました、とってきて食べました。
 美味しいですよね」
と言う。先生、あくまでペットの話ですんでね。

犬もネコも飼ってもらえなかった我が家で、
ハムスターは親が最大限譲歩したペットだっただろう。
我が家にハムスターがやってきて、私は狂喜乱舞した。
興奮しすぎたせいか、飼って数日後、高熱が出て数日寝込んだ。
枕元にハムスターのカゴを置き、目が覚めるたびに
もうろうとした状態でそれを眺めていた。
ハムスターはクルクルと車輪の中でまわったり、
細かく切った紙の下にもぐったりしていた。
カゴの戸を開け、手を入れてハムスターをつかむと、
それまではいつもチョロチョロ逃げまわって
ちっともつかまえられなかったのに、
その時はおとなしく手のひらにのってくれた。
ああ、私はハムスターを1週間で手なづけたんだ!
もしかしたら、私が病床に臥せっていることを察して
優しくしてくれているの?
なんと、いとおしいことか。
軽くほおずりをした。

しかしそれにしてもずいぶんおとなしいんだなあ。
オイ。お腹が空いてるのかい?
と思ってよくよく見ると、瀕死状態だった。
いや、もうほとんど死んでいたかもしれない。
ひぇぇぇっ。
高熱も一気に下がるくらいに凍りついた。
手のひらにのっているのは、
もはや愛らしいペットのハムスターではなくネズミの屍だ。
むろん悲しみも大きかったが、
それより恐さや気持ち悪さが勝っていたように思う。
純粋に悲しいだけではない自分という生き物に対しても、
少し、恐くなった。

犬が好きだ。ネコも好きだ。
できることなら両方1匹ずつ、いつか飼いたい。
だけど、ひょっとしたら、
自分は心底から動物好きではないのかもしれない。
今やハムスターは触れないし。
子供の頃から動物を飼い慣れている人とは、何かが違う、と思う。
慣れの問題だろうか。

昨日、お邪魔したお家では、
憧れのジャックラッセルを飼っていた。
私は撫でまくった。
しばらくは相手をしてくれたが、
やがて、飼い主の足下へと行ってしまった。




チャムの飼い主、井出綾さんはプランツスタイリスト。
季節の花を使った、さりげないアレンジメントを得意とする。
http://www.facebook.com/ayaide.soleil