2013年1月29日火曜日

招かれる者、心ここにあらず

通勤電車の中で何かを食べる人がいる。
直近で見たのは、となりに座った劇団員らしい若い女の子。
ちょっと風変わりな服を着て、脚を高く組むことで底上げした膝に
大きなバッグをのせ、更にその上にシナリオを立てかけて読んでいた。
バッグに手を突っ込んで取り出したのは、
ラップで包んだ手作りのおにぎり。
海苔は巻いていない白飯で、コンビニのものの2個分くらいありそうな、
おにぎりというより“にぎり飯”である。
彼女はマスクをしているのだが、それを少し下にずらし、食べ始めた。
女優の卵なのね、電車の中で食べるのはどうかとオバさん思うんだけど
節約してコンビニで買わずに自炊したのはエライね、
と私は心の中でつぶやいた。
しばらくするとまたガサゴソ。
再び大きなにぎり飯を取り出し食べている。
ほぅ〜2個か。具が何か知らないけど、私なら海苔が欲しいなあ。
食べ終えると、またガサゴソ。
3つめのにぎり飯。す、すごい食欲だなあ、
きょうび、男子学生も朝からこんなに食べやしないのではないか。
(少し前に、夕刻の電車で部活帰りの高校生男子が、
 母親が作ったであろうおにぎりを食べているのも見たが、
 もっと小振りで2つ半だったぞ。
 半というのは、3つめをかじって中の具を確認、
 好きじゃないものだったようで、カバンに戻したのだった)

と、驚くのはまだ早かった。
4つ目である。くり返すが“デカイにぎり飯”だ。
かなりスリムな体型のどこにスルリとおさまるのだろう。
あめんぼあかいなあいうえお〜でそんなにカロリー消費するのか。
しかもお茶などの液体を一口も飲んでいないのが私には信じられない。
昔のサザエさんのエンディングのように
こっちの胸が、ンガクックと詰まってくる。

飲み物なし、と言えば、
帰りのラッシュ車内で、私の前に立ったサラリーマンが、
バウムクーヘン2個と菓子パン2個を飲み物なしでたて続けに食べた。
足にはさんで床置きしている分厚い営業カバンには
まだいくつか入っているように見えた。
何らかの病気だと思うが、ナンナンだろうか。

10本以上ある立派な房のバナナを取り出し、1本もいで食べ、
その皮を連列ドアのドアノブにかけて、2回柏手を打って拝んだ男も見た。
ちなみにその男は、車内で靴下を脱ぎ、ハンカチ代わりにしてひたいの汗を拭いた。
友人からはホラ話疑惑を持たれているが、誓って事実である。

まだまだある。
キュウリ丸ごと1本かじっていた人や、
周囲に見られないようバッグからこっそり出してはササッと口に入れ
すました顔をしている(これを数回くり返す)が、
ものすごいガーリックチキンの匂いを漂わせているオバさん。

かなり前になるが、満員電車で私と向き合う状態で立っていた、
Mr.オクレ似の中年サラリーマン。
長唄だったか浪曲だったかをボリューム控えめに口ずさみ出した。
Mr.オクレは私と背が同じかあるいは少し低いくらいのため、
私は顔のポジションに困り、
なるべくアゴを上げ、かかとも上げ気味にして
Mr.オクレ'sボイスの送風直撃を避けるようにした。
しばらくすると、喉の調子が今ひとつ冴えないのか、首をかしげて咳払い。
ポケットに手を入れ、取り出したのは、三角形の雪印6Pチーズ。
それを一つ食べ終えると、再び歌のレッスンを開始した。
チーズは喉にいいのでしたっけ?
私のアゴは更に数センチ上昇した。


電車は、不思議な空間だ。
公共の場でありながら、そこに居合わせた人々の顔は心ここにあらずの表情、
うつろな目で空を眺めている、いや、空を眺めているのではなく
自分の妄想の中に入り込んでいるからそういう顔になる。

まあ、もっとも、そうしている人は今は少ない。
大半がケータイを見つめているか寝ているか、だ。
そんな中、食べる場ではない場で食べる人々は、どんな目をしているのか。
食べることとケータイを見ることは同じ感覚なのだろうか。


今、生きている時間の流れと、移動している電車のスピードと、
妄想の中で体感している時間の差を思う時、
物理学を知らない私はただ戸惑うばかりだ。




この写真集はウォーカー・エバンスの"Many Are Called"、
1940年前後、ニューヨークの地下鉄で隠し撮りされたものだ。
タイトルは、マタイの福音書の一節、
「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」からとられたという。
招かれる者とは、神から招きを受けた者であり、
つまりはすべての人々を示す。
まさに無作為な市民の無防備な表情をとらえている。

ちなみに、タイトルにはない後半部分、“But few are chosen”、
選ばれる者は少ないというのは
更にわずかな人を神が選ぶということではなく、
せっかく神は招いていても、素直に応じる人は少ないという意味だそうだ。



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