2013年1月23日水曜日

しみったれのスモーカー

7年半ぶりに、煙草を吸ってしまった。
実は30歳過ぎてから何年間か吸っていたのでした。
社内は禁煙だし、人前ではほとんど吸わなかったので、
親もそのことを知らないし、友人でも知らなかったという人もいるだろう。
まあ、きっかけは仕事のストレスですかね。
最初は昼と夜の食事の後に1本程度だった。
会社のビルの裏の喫煙所か、家ならばキッチンの換気扇下で。
やがて、〆切前の休日など、
家で終日パソコンとにらめっこしていると、
キッチンにいちいち行くのも面倒になり、
パソコン机の脇にある窓を開けて(となりは人気のない駐車場だった)
吸うようになり、そのような日は半箱くらいになった。

ある時、こんなこと続けていたら美容に悪いわ、と思いやめた。
不思議と苦しむこともなくピタッとやめられた。

今、私の周囲で煙草を吸う人はほとんどいない。
女友達はほぼ全員と言っていいほど、昔から誰も吸わない。
男友達や仕事関係の知人を含め、思い浮かぶのはわずか数人だ。
今吸っていない彼らは「昔は吸っていたけど」と言う。
父は、私の誕生を機にやめたらしい。
一度だけ、お墓参りの時にお供えの煙草に火をつけるために
くわえたのを見て子供心になぜかしらドキッとした記憶がある。
煙草とは若気の至り的なもので、ある年齢が来ると多くの人はやめるものなのだろうか、
20→21世紀という時代がそうさせたのだろうか。
日本人だけではなく、例えばスペイン語のL先生も今は吸わないが、
「昔は1日2箱以上吸っていた、16歳からOKだったので
高校生の時は教室でみんな吸っていた」と言う。
吸うのをやめると、今度はメタボという名の大人の道へ進むことになる。

20年前は、シェフでも吸う人はそこそこいた。
アピシウスの故・高橋シェフはピースを吸っていたし、
北島亭の北島シェフは打ち合わせ中、
森永キャラメル ハイソフトのような横長の箱のジタンを
「吸うでしょ?ホレ、いーから吸いなさいよ」と差し出してきた。
私は吸うとも何とも言ってないのだが。おもしろい人だなあ。
あの時、私はご相伴にあずかったのか、いや、たぶんお断りしたのだった。
どうも人前で吸うのは恥ずかしいのだ。
何だか、自分が吸っている姿ははしたない感じがして。自意識過剰ですね。
まあ、だからといって陰でコソっと吸うのも、しみったれてますね。

そんなわけで、喫煙していた時も、レストランでは吸わない。
室内はクリーンを求む。
勤務していたオフィスは表参道にあり、
周辺のランチのお店の大半が当たり前のように禁煙だった。
なので、煙の心配は無用だった。
昨年、外苑前寄りに引っ越し、私は現在たまに出勤するのだが、
こちらのエリアは喫煙OKの店がとても多いことに驚いた。
同じ南青山ながら、こうも違うのか。
てっきり喫煙者は絶滅人種と思っていたのに、
どっこい、わんさと生息している。
ちょっと不思議な気分。
こんなに吸う人が世の中にはまだいるのに、
同じエリアにいるという点では身近であるのに、
直接的な関係性においては接点がない。


もう一生吸うこともないだろうと思っていたのだが。
友人Hの家に行った時、同居人で喫煙者のI氏が時折テラスに出ては
吸っている様子を眺めていたら、
Hが「たまに1本もらって私も吸う」と言う。
偶然にも、少し前にやはり「普段はまったく吸わないが、
飲みに行った時に、たまに人から1本もらって吸う」知人を見たばかりだった。
私もその欲望がわいてきてしまった。
どうしよう。これでまた文字通り“火がついちゃったら”。
私は、天使と悪魔が戦うベタな妄想をしてみた。
ベタなシナリオでは、たいてい悪魔が勝つことになっている。
私は寒風吹きすさぶテラスに出た。

むせることはなかったが、心拍数がどんどん高まるのがはっきりわかった。
煙草のせいか、寒さのせいか、罪の意識か。何の罪だ?
そんなノミの心臓だからバクバクするんだよなあ、きっと。

火をつける前の、紙巻きの匂いはいい匂いだが、
吸ってみると美味しいとは思わなかった。
吸った後の口中も臭くていい気がしない。
おそらくもう、自分で買うことはないだろう。
でも、またHたちの家に遊びに行った時には1本もらうような気がする。
やはり、しみったれているな。


近所のJAの駐車場に落ちていた。シ、シブいねぇ〜。ご老人だろうね(ゴミの投げ捨てはやめよう)。
他にもエコーとかしんせいとか。峰なんかもありましたねえ、その昔。吸うというよりのむか。
ヘビースモーカーでも長生きピンピンしている人っていったい何なのだろう。


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