2013年2月5日火曜日

マカロンからのアルゼンチン

昨日は、ホテルニューオータニにてピエール・エルメの菓子新作発表会。
ホテルに開業して15周年になるという。
エルメとえばマカロン。4月から月替わりで1種ずつ計8種類の新作を販売予定。
うち3種類程が(ベーシックなもの数種とともに)試食できた。
4月のマカロンはグリオットとレモン果汁、トンカ豆で
桜の花の味を生み出したという“ジャルダン・ジャポネ”。
はーん。なるほどね。
グリオットはチェリーだから当然、チーム・サクラであり、
レモンの酸味で爽やかさを出したのか。
桜の香りの特徴的な成分クマリン(熊の愛称ではない)、
これはトンカ豆からも抽出される成分なのだ。
どれどれ。ふむー。桜の花の味かあ。そうか、そうなのかあ。
桜の塩漬けほどのインパクトは感じられないなあ。
まあ、目指す着地点はそっちじゃないんでしょうけども、
フレッシュな桜の花の香りってそもそも我々は明確に知っているだろうか?
クマリンは塩漬けにすることで初めて抽出されるというし(特に葉)、
桜の花の香り成分はローズとも類似するらしいから、
びみょーな感じがしました。
あとは確かアニス系の成分も桜の花に含まれていたと思うので、
アニスを少し加える手もあるかなって、余計なお世話ですね。

その他、食べてみたかったがダミーだけでザンネンだったのが
“リンゴ、ミント、キュウリ&ルコラ”味や“抹茶、ジロル茸&レモン”等。
どんな味でしょうねえ。




マカロンはもはや菓子の領域を超え、
食べるモードのアイコン、遊べるグッズと化している。
私個人はマカロンはそんなに好きではないけどな。
フカっとしてモチっとしてしつこめのクリームをサンドしたものであれば
ダックワーズが好きだな。
試食でマカロン4〜5個、その他にガトー数種、
アイスやチョコレートデザート等食べたので結構キツい(あたり前か)。
ちなみに、菓子研究家とか菓子主体のライターの方たちは
こぞってヒジョーに細身の体型だ。なんでなんだろう?


夜は、アルゼンチン大使館で映画の試写会。
「LA CIFRA IMPAR」(奇数の暗号)1962年、マヌエル・アンティン監督作品。
世界45カ国を旅した経験を持つ(特にスペイン語圏に詳しい)
フリーライターの女性に誘われてくっついていった。
ちなみにこの方、ハンドキャリーという仕事もしている。
ハンドキャリーは言わば正規の運び屋?
車の部品等を緊急に輸送したい際、それを持参して届ける仕事だ。
まるでバイク便のような感覚で、海外へひとっ飛びしてくるのである。
彼女はこれまでに海外で死にそうな目に幾度も遭っており、
そんな時、恐怖よりもどうやったら切り抜けられるかを冷静に考えるという
強靭な精神の持ち主。
よって、他の人が避けがちな治安が悪い国&英語の通じないスペイン語圏にも
スケジュールさえあいていれば二つ返事で行く。
最近もメキシコやらインドやら行ってきたばかり、
加えてライターの仕事でガイド本執筆のための旅もある、
おかげでマイルがいつもたまりまくっている
(からそれを消化するための旅にも行く)んだって。

さて、なんの前情報なく映画を観る。
そこで知る、字幕は英語で日本語はないことを・・・。
大使館の一室で映画館のような段差がないため、幕下位置の字幕は見えづらく、
古いモノクロ映画なので字自体かすれ気味。つまり、よく見えない。
ちょっと〜まいったなあ〜。
え?はい?  はいはい、そうでした、
そもそも英語わかんないんでした。えへへ。
なのでスペイン語ヒアリングに挑戦だ。

発音は結構はっきりしており、そこそこ聞き取れる。
おお〜良かった!!! ケ・ビエーン(イエーイ)。 

しかーし。なのに、なぜだ? ストーリーがわからない。
登場人物はパリに住むアルゼンチン人の中年夫婦と、
故郷に住む夫の母親、そして夫の兄弟。
母親が夫婦へ手紙をよこすのだが、その内容がよくわからない。
加えて存在自体があやふやな兄弟がちょいちょい出てきては
夫婦とともにわけのわからない行動や言動をおこす。
時間の流れもよくわからない。奇数の暗号って何だ?
ついていけん・・・。

終わった後、ライター女史におずおず聞くと
「言語の問題ではなく、話自体が難解、わからなくて当然」という。
兄弟はすでに死んでいるんだそうだ。
亡霊あるいは妄想の中の人間と現実、過去と現在が境目なく交差しているのだ。
それを聞いた途端、私は「でしょう〜、そうだと思ったのよねえ」としたり顔。
彼女とは違い、スペイン語の理解にも相当問題があったはずだが、
おかげで途中、座頭市顔状態になっていた時間もあったはずだが、
そこらへんのことは闇に葬りました。

帰ってから調べると、映画の原作は
アルゼンチンの作家フリオ・コルタサルの短編「母の手紙」だった。
フリオ・コルタサルといえば、ラテン・アメリカ文学の有名作家の一人。
彼の作品を読んだことはないのだが、
ポッドキャストのスペイン語講座で時折、彼の作品の朗読があり、
そのどれもが摩訶不思議なストーリー(のような気がして)、
あかん、ついていけんなあ、と思っていたので、
またしてもコルタサルにやられたのか!! とびっくり。

この物語に出てくる夫は、兄の元婚約者と駆け落ちして
パリで暮らしている。兄はすでに死んでいるのだが、
母の手紙にはあたかも兄が生きているかのように書かれ、
その亡霊あるいは過去が今の暮らしに入り込んでくる、といった話。
幻想の錯綜、そこはかとない不安感・・・

現実と非現実が区別なく同等に描かれる、
ラテン・アメリカらしい幻想文学「マジック・リアリズム」というヤツですな。
同じアルゼンチンならば『伝奇集』のホルヘ・ルイス・ボルヘス、
ペルーならバルガス・リョサ、そして何といっても有名なのは
コロンビアのガブリエル・ガルシア・マルケス。
私も昔、がんばって大作『百年の孤独』を読んだなあ。
今、引っ張り出して見たら1995年版とあるからもう20年近く前か。
思っていたより分厚くはなかったが、
1ページ2段組みで級数がすごく小さくびっしりなのだ。
スペイン語圏の世界を少しかじっている今、
改めてもう1回読みたいとも思うけど、これじゃ、まず目がやられる。



そして、2009年に出た同作家の『生きて、語り伝える』も持っているが、
こちらは未だツンドク。ページ数676也。
どーするんだ?死ぬまでに読む日は来るのか?

ま、とりあえずは、フリオ・コルタサルの『母の手紙』が収められているらしい
『秘密の武器』(岩波文庫)を買って読み、それからもう一度、
ユーチューブにアップされている映画を観てみようかしら。
「奇数の暗号」の意味、理解できていないし。





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