帰省といっても私の両親が住む家は30分圏内、
昨日1日の夕方にひょいと行き、夕飯を一緒に食べ、
しばらくテレビを見て戻ってきた。
毎年そんな感じで、実に私はそっけない娘だ。
今の親の家は私が生まれ育った家ではないので、
なつかしいとか落ち着くという感覚はない。
どこか一歩引いた視線で、
年取った両親の暮らしぶりを眺めている。
昔から変わらないことの一つが、
我が実家はほとんど暖房をしない、ということだ。
コタツはつけているがおそらく一番弱だ。
食事時、コタツから出て食卓に着く際に、
台所の湯気だけで暖を取っていることに気づく。
寒いと訴えると、私にだけ電気ストーブがあてがわれた。
私が一人暮らしを始めてまだ数年くらいの頃、
友人が幼い子供を連れてうちに遊びに来た際、
子供にやたら厚着をさせていた。
「だってあんたんち寒いからさあ」
その頃はまだ、実家の習わしが抜けていなかったのだろう。
ちなみに夏は夏で、冷房は滅多につけない家だった。
そうしたおかげで、丈夫な身体になったのかもしれない。
が、今はエアコンの暖房と足下の電気ストーブと両方つけている、
もう実家の習わしは受け継いでいない。
友人が我が家に来るのにアラスカ行きみたいな格好しなくてもいい。
これはおそらくうちだけではない気がするのだが、
母親というのは、なぜか、茶碗蒸しをちょっと得意げな態度で出す。
あの世代の母親にとって、茶碗蒸しは家庭料理のごちそう分野の代表格であり、
「す」が入らずなめらかにできたことが喜びなのだ。
台所に立つタイプの父親の場合のそれは、マグロの刺身である。
今日のは特に当たりだぞ、と、自分の目利きの良さを誇りながら、
サクを切り分けている。
テレビの録画予約表を何気なく見ると、
父親がセットした洋画番組がずらり。
独身時代の父は、会社の帰り、週2〜3回映画を観ていたらしい。
「ラーメンが30円だったな、映画館はいくらだったのか覚えていない」
いま、調べてみると、昭和30年代で70円前後。
しかし父が通っていたのは安い名画座オンリーなので、50円くらいか。
会社近くには何軒もの名画座があったので事欠かなかったそうだ。
どんな映画を観たのだろう、何が特に好きだったのか、いつも一人だったの?
仕事で人にインタビューすることが常な私なのに、
なぜか親には、何となく聞けない。
テレビにアイドルの嵐が出ている。
「私は嵐よりSMAPのほうがいい」と母。
「SMAPの誰が好きなの?」
「みんな好き。あっ! そうだ、中居くん、まだ独身よ」
どういう意味でしょう、中居くんを私におすすめしているのか。
ちなみに中居くんだけじゃないですけどね、独身者は。
あと何回、こうしてたわいもない会話で過ごす正月があるのだろう。
そう思うと、今のうちにもっといろんなこと聞くべきでは、
と思わないわけでもないが、
知らなかった話を、もっと深い話を、たくさん引き出したからといって、
それがだから何なんだろうかとも思う。
親の知らない私の顔がたくさんあるように、子供の知らない親の人生はある。
親孝行のため、という意味では、根掘り葉掘り聞くことよりも、
いつものようにたわいもない話をしたり、
親が話したいと思っていることをただ聞いてやればいいのではないのかな。
と、わかったふうなことを書いているが、
実際には茶碗蒸しと刺身をほめるという最低限のことすらできていないのだった。
今日2日はセール初日、数駅隣のショッピングモールに行き、
1店だけ買い物し、帰ってきた。
レジは長蛇の列、1店が私には限界だ。
並んでいる間、またいつもの人間観察でヒマつぶし。
女たちの多くはセール時の戦闘服を心得ている。
バッグは斜め掛けできるタイプで両手を自由に、
歩きにくく暑いロングブーツではなくショートまたはペタンコ靴。
とりあえず透明のセール用ビニール袋に品を収集し、
並んでいる時間を利用して最終吟味。
そうして列の道中脇の棚に放置された離脱品の中からめっけもんを拾う人あり。
ケータイで別の店にいる仲間と会場の状況を報告しあっている人もいる。
奥さんや彼女の代わりに並んでいるのだ。
よく耐えられるなあ、あるいは耐えられるにしても
恥ずかしくはないのだろうかなあ。
しかし、イライラじれている様子はなく、
「お〜いママ、もうすぐだよ」と、
向こうの鏡の前で服を当てて見ている奥さんに手を振っている。
こんな時、私はサザエさんのフネみたいな気分になる。
波平には決してそんなこと頼めないし、頼む考えすらそもそも浮かばない。
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