ホテルオークラ東京の本館が閉館になった。
惜しむ声が多いとのニュースが報じられている。
私にとって、ホテルオークラ(昔は東京とはつかなかった)は
仕事に行く場所だった。
小野正吉総料理長の晩年時代、
私は連載のインタビューを受け持っており、定期的に通っていた。
1990年代の話である。
当時、小野氏には『シェフ』の顧問もやっていただいていたので、
年始の挨拶などにもうかがい、
小野氏のフランス国家功労章シュヴァリエ受章のお祝いの会や、
あるいは業界関係者のパーティーもよく行われていたので、
何かにつけ訪問する機会があった。
南北線はまだ開通しておらず、
虎ノ門駅から虎の門病院脇を歩いて行くルートで通った。
駅から遠く、上り坂で息を切らしていることもあり、
また、20代の私には、小野氏のインタビューは非常に緊張する仕事だったので、
少し早めに到着し、ロビーで呼吸をととのえるのが常であった。
オークラならではの和モダンなロビーは、
不思議と心を落ち着かせてくれる空間だった。
小野ムッシュ(と呼ばれていた)は私と同じ(いや、私が同じ)浜っ子で、
ちょいとべらんめえな口調だった。
私は緊張しながらも、時々、まるで親戚のおじさんか祖父と
話しているかのような気持ちにもなった。
最後のインタビューは、体調を悪くされている時期で、
いつでも休めるよう用意されていた客室に通された。
探せばその時の録音テープがどこかに残っているはずだが、
特に印象的だったのは、
どなたかからの差し入れらしい和菓子があって、
それをすすめられたこと。
小野ムッシュがなかなか手をつけないので私もそのままにしていたら
「いいからあんた、早く食べろ」と言われた。
おそらく、小野ムッシュはもう、和菓子を食べる欲などなかったのではないか。
シャイな人だった。
そして、もう一つの出来事。
やはり20年前のこと。
私はオークラの別館から本館に向かう上りエスカレーターに乗っていた。
私の前にも後ろにも誰も人はいない。
見上げると、数人が一列に連なって下ってくる。
何か黄色い光を放つかのような集団。
左右が壁で他に何も視界には入らない。
だんだん近づいてくると、
前後の人に挟まれた真ん中の人が誰であるのかがわかり、
私は「ハッ」とした。
ハッとした顔のまま、かたまった。
間もなく、私とその人がすれ違うというところで、
その人はにっこり微笑んで、わざわざ体を私に向けて、手を合わせた。
私も思わず真似て合掌した。
その人とは、ダライ・ラマ14世だった。
私にとってホテルオークラは、感謝と奇跡の場所である。
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