2015年10月27日火曜日

親を病院に連れて行く

昨日、母と耳鼻科に行った。
いや、正確には「母を耳鼻科に連れて行った」。
耳が遠くなったことを認めない母を何とかなだめ、
ようやくここまでこぎつけたのである。

その病院は、インターネットで予約が可能なのだが、
初診だけは直接窓口に行かなければならない。
朝10時に行ったところ、すでに45番、
1時間か1時間半は待つとのこと。
進行状況もネットで見られるというので、
いったん親の家で待機することになった。
今どき、老人たちもネットができないと病院でも苦労することになりますね。

そんなにかかるのであればパソコンを持ってくるんだったな。
原稿の締め切りが近く、仕事はいくらでもあるのだ。
しかし、待つ間、今度は父が自身の病状についての愚痴を
ブツブツと私に漏らし続けている。
私は目を合わせることもなく、何となく相づちを打ちながら
iPadで耳鼻科の進行状況をぼんやり眺めていた。
もう父は、死ぬまで体調のことだけをテーマに生きていくのだろうか。
これといってやることもなく、それならばそれである意味、
体調の話が生きがいと言えるのだろうか。 


11時半近くにもう一度病院へ行ったが、
結局45番が呼ばれたのは12時だった。
検査の結果、やはり中度の難聴だった。
補聴器をつけることを医者が強制的に指示することはできない、
あくまで決めるのは本人次第だと前置きしながらも、
軽度ではないことは確かだと言う。
母も観念したようだ。
病院のすぐ近くに補聴器専門店があるので(ちゃんとコバンザメ商法しているなあ)
明日にでも行ってみるという。

これで父の愚痴リストの中の一つがとりあえずは消えるだろう。
しかし、父も私も「お母さんのためなんだから」とくり返すが、
本人は困っていないし、できればつけたくないのだ。
だから、本当は母のためではなく、
母と会話する私たちが不自由だから、というのが正しいのかもしれない。


幼い頃、耳鼻科によく連れて行かれた記憶がある。
耳鼻科は恐ろしいところだった。
医者が額につけていた、真ん中に小さな穴のあいた円盤の鏡や、
耳や鼻をグリッと開くペンチみたいなオドロオドロしい道具が並び、
それを見ただけで震え上がったものだった。

昨日も、診察室から幼い子の号泣が何度も聞こえた。
診察室に入る直前、母は緊張をほどくように「フーッ」と肩を上下させて一息ついた。
私は緊張していなかったが、親を病院に連れて行くという初めての体験に対し、
これからも、親と子が逆転していく、いくつもの初体験があるのだろうなと思った。




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