2015年6月6日土曜日

父との小芝居

いつもより少し早い時間に親の家に着くと、
父が一人、日暮れのリビングにぼんやり座っていた。
テレビもつけず、新聞を読むにはすでに暗い部屋で
いったい何をしていたのだろうか。
昨年の夏に体調を崩し、1カ月入院して以来、
父はすっかり弱々しくなってしまった。
会うたびに、病気や薬、病院、そして死後のこと、
そんな話ばかりしている。

母はスポーツクラブに行き、父の薬を取りに寄ってから
もうすぐ帰ってくるところだという。

ちょうど良かった、お前に頼みたいことがある、と父。
やたらに元気はある母は、しかしおそらく白内障を患っている気がするし、
耳がどんどん遠くなっているけれど、それを絶対に認めようとせず、
補聴器の話などしようものなら烈火のごとく怒り、
手がつけられないんだよ、という。
心配性で神経質でやたらに病院へ検査に行く父に対し、
母は「別にどーってことない」「お金のムダ」と見事に対照的な性格。
以前に一度、父と私で説得して耳鼻科に行かせたことがあるのだが、
どんなに高価な補聴器を試しても、ノイズが聞こえたり、
どうにもしっくりこず、ほれ見たことか、だから言わんこっちゃない
と母は一蹴した。

オレが言うと大騒ぎになって逆効果だから、
お前から、うまく言って欲しいというのが父の頼みである。
しかし、間違っても「目、見えてないんじゃない?」「補聴器つけなよ!」
とかそんな言い方をしてはいけない。命令や非難ではなく、
「子どもとしてお母さんのことが心配だから、眼科や耳鼻科に定期的に検診に
行って欲しい」とさりげなくお願いするのだ。
言う時のタイミングも大事で、母が洗い物なんかしてる時はダメ、
食後、落ち着いて座っている時を狙う、
オレが先日、メガネ屋に行った時の話で口火を切るから、
そうしたらお前が眼科の話をさりげなくして、
最終的には耳鼻科の話まで持っていって欲しい。

つまり、おとーさん、小芝居を打てって話ですね、それ。
父の前で、父の言われた通りの台本をこなすことも何だか恥ずかしいし、
日頃、そんなふうに優しく母に話しかけたこともない私が
「子どもとしてお母さんが心配なの」などというセリフを果たして自然に言えるのか。
しかし、弱っている父にとっては、母まで具合悪くなることは死活問題、
真面目な話なのだ。

女優! 女優! 女優! 
Wの悲劇の三田佳子に手の甲を叩かれる自分を想像してみる。


母が帰ってきた。
たわいない会話とともに夕飯を終えると、
父は、皿洗いをする母の後ろ姿をじぃーっと見ている。
終わるのをひたすら待っている。
なんて不器用な人なんだろうか。

家事が一段落してテーブルに着いた母は、
私が持参した、印刷したてのレシピ本を眺め出した。
父の芝居がスタートする。
「そういや、先日、メガネ屋で・・・」
「わー、みてぇぇぇ、この料理、美味しそうねえ」
カットカット。ダメだ、お父さん、タイミング違う。
(しばし沈黙)
私はアドリブをきかせ、
「その本、英字が細かいでしょ、最近そういうの私ぜんぜん見えなくなってさあ」
と自分のことを引き合いに出してみた。
が、母はまったくマイペース、聞く耳を持たない
(本当にイマイチ聞こえていないということもある)。

焦り出したのか、演技が雑になってきた父に、
「まったくお父さんは本当に神経質で困る、もっとおおらかになりなさい。
  大丈夫と思っていれば大丈夫なんだから」
と、母は日頃の父への不満を語り出した。
しまいには父は舞台袖(トイレ)に下がってしまった。
ちょっと、監督?  これは私に一人芝居しろという指示なのか、
それとも待てのサインなんですか?

私としては、父がいないほうが芝居しやすい。
精一杯優しめの口調で(他人から見たらつっけんどんかもしれないが)、
病院の検査を促してみた。
母はやはり抵抗を示す。そんなん具合悪くないのに必要ないもの、と。
「まあさあ、しかし、私が心配なんだよねー」と例のセリフをなんとか言ってみる。
そこに父が戻ってきた。
「ほらっ、お母さん、娘がこうして心配して言ってくれてるんじゃないか!」
私より芝居、ヘタ。

ともあれ、最終的には
「まったくもう、行きゃいいんでしょう、行きゃあ」
と、来週、まずは眼科に行くことを母は約束した。

成功に気をよくしたのか、
「いや〜、娘がそんなふうに心配してくれているとはなあ、こりゃ良かった」
と、父はまだヘタな小芝居を続けていた。

小芝居だけれど、本気でもあるのだろう。
父も、私も。




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