2016年5月1日日曜日

友人の息子

「了解、明日の夜行くね〜息子一人だけど、よろしく」

本当は友人3名が自宅に来る予定だったが、
事情により前日キャンセルとなったため、
私は、別の友人を誘ってみた。
たまには息子くんも一緒にどうぞと確かに私が言ったのだけれど、
まさかの息子一人とは。
母親である友人は別件があって来られない、
息子に聞いたら一人で行くと言ってるとのこと。
最後に彼に会ったのは小学5〜6年かそこら、それが今や大学生である。
ハタチを過ぎた青年が一人、私の家にやって来て、夕飯を共にする。
いったい、どんな会話をすればいいのだろうか?

私は、坂口良子か多岐川裕美、田中裕子、志穂美悦子あたり(1980年代当時)の
素敵な大人のお姉さんの役回りか。
いやいや、親子の年の差があるのだから、
それでいて私には子供がいないので、
桃井かおりとか萬田久子系か。
いやいや、宮本信子、野際陽子、いしだあゆみ、
なんならもう水森亜土、森光子、黒柳徹子くらいまで
ひょっとしていっちゃってるのだろうか。
泉ピン子、十勝花子、佐良直美、水前寺清子あたりの
キャスティングは避けたいところだ。

しかしまあ、息子だけ行かせる母親も母親なら、
10年ぶりのたいして知らない一人暮らしのオバハンの家に
一人で行こうと思う息子も息子である。
新種の肝だめしなんだろうか。

料理も、いったいどんな嗜好なのか知らないが、
当初の友人たちを想定したものを出すより他ない。
母親に聞いたら、食べられないものはレバーで、お酒は飲めないという。


翌日の夜。
約束した通り、隣り駅通過のタイミングでYくんからラインが来たので、
駅まで迎えに行った。
冷たい風が吹く中、電車はすでに2本来たが、彼はあらわれない。
若い男が2〜3人、近くにいることはいるが、昔の面影が感じられないし、
こちらをチラリとも見ないから違うのだろう。
いったいどうしたのだろうか。
春だというのにスマホを持つ指がかじかんで震える。


15分後、ようやく彼からラインが届く。

います? 
                            はい、いますよ。
中央口ですよね?
                            正しくは正面口です。
ドトールの前にいるんですけど?
                            ドトールはここにはないんですけど?

母親は何を勘違いしたのか、ここから5駅先の、
私が以前に住んでいた駅名を彼に伝えていたのだった。

                 そりゃ、母さんが悪いよ。
い、急いで戻ります!! 

授業の帰りだったため、待ち合わせは7時半頃と元々遅めだったものが
結局は更に1時間近く後になった。
改札からまっしぐらで私のもとに来てペコペコするYくん。
すぐに私のことがわかったと言う。
一方、Yくんは、色白で、母親似のきょろりと大きな目は昔と変わらないものの、
街中ですれ違ったらわからないかもしれない。
「身長何cmなの?」
「174cmです」
 「へー。ちょうどいいね」
ちょうどいいとはいったい何に対してなのか。
ひょっとして、石田えり、秋吉久美子方向の演出に持っていくのではあるまいな。
「お酒飲めないんだってねー? 」
「いや、まったく飲めないってわけじゃないよ!」
急にタメ口になって少し拗ねているYくん、かわいいもんですなあ。
もはや私は貫禄の太地喜和子の境地まで達していた。
しかし、私もたいして酒が飲めない人間なのだが。

キャロット・ラペ、ラディッシュ&バター、トマトサラダ、自家製ツナ、肉味噌、
パンコントマテ、ゴルゴンゾーラとハチミツ漬けナッツのせカンパーニュ、
ジャガイモとベーコン、コーン、チーズのオーブン焼き、大根と豚バラ肉の煮物、
牛スジカレー、自家製ガリ...etc
料理の半分は作り置きしておいたものであり、
その場で作るものもたいしたものではない。
「なんか酒のつまみ系が多いね、それに
  昨日の今日ってずいぶん急な誘いだけど?」
す、鋭い。が、友人3人の代わりとは言い出せなかった。

Yくんは体育会系ではないので、ガツガツとした食べ方ではなく
静かな居住まいなのだが、気づけばほとんどの料理を平らげてくれた。
(ニンジンだけはあまり食べられないと言って残したところが、まだ子どもっぽい)
更にはご飯をもう1膳いけるというので、
追加のおかずに長芋のソテーとだし巻き卵を作った。
しかし、うっかり、だしと間違えて、ガリを作った時に余った甘酢を卵液に入れてしまった。
妙な味に仕上がった卵焼きを、彼は残さず食べてくれた。

お酒はお互い白ワインを1杯ずつ。
買ってきてくれたシュークリームと紅茶で〆た。

その間、話したことは、
授業のこと、好きな女の子にフラれたこと、それを母親にも話したが、
母親は仕事の愚痴ばかり言っており自分の話はちっとも聞いていないことなど。
私のことは、
「前の家に母と行った記憶がある。タコライスが旨かった」と言う。
私はそのことをすっかり忘れていた。
私が思い出すのは、友人が切迫流産の危険があって一時期入院したことや、
Yくんがまだベビーカーに乗っている頃、離婚して、
シングルマザーでがんばっていた彼女の姿だ。

家では、お父さんの話はタブーだった? と、私は突っ込んだ質問をしてみた。
我がワタナベ家の場合、友人とその息子の状況の逆側、
つまり私の弟は離婚し、彼の息子は元妻側で育てられており、
甥とYくんを重ねて見ているところが少なからずあるからだ。
「幼い頃は時折、父親と面会があったことを今でも覚えている。
 最後に会った時に、何か嫌なことを言われて、それでもう会いたくないと
 僕から母に言ったんだ。話題にすること自体は僕は別にどうとも思わないけれど、
 母がとても嫌がっているから、あえて話すことはない」
例えば公園で、父と息子が楽しそうに遊んでいる光景を目にして
さみしいとか羨ましいという気持ちにはならなかった?
「そういう気持ちではなくて、ああ、僕も将来、
 あんなふうなお父さんになりたいなあって思っていた」


友人の息子との2人の夕飯。不思議なシチュエーションだったが、
乾杯した1杯の白ワインがまるで白湯のような、
そんな、優しい時間が流れていた。




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