2013年2月24日日曜日

おひなさまを飾る


今年もやってきた、ひな祭りの季節。
私は父方では初孫にあたり、また3月7日生まれのため、
庶民な家としては豪華な七段飾りのひな人形が贈られた。
私にとってひな人形は、女の子の節句というより
自分の誕生日祝いの飾りという感覚だった。
誕生日会を行っていた小学時代は欠かさず7日までは出しており、
結果、今こうして嫁に行けていない。
ああ、7日に生まれたばっかりに。違うか。

成人になってからは、わがひな人形はしまい込まれ眠り続けていたのだが、
数年前、両親が一軒家の実家を売り払って小さいマンションに移り住むことになり、
私が置いてきた本やら何やらを整理処分するなか、
ひな人形を託されたというか、引き取ることになった。
まあ別に私の住むマンションがそんなに広いというわけではないのだが、
荷物置き場のロフトがあるからだ。
永遠にしまい込んでおくのはかわいそうだから、
ソファなどを移動させてスペースを作り、自分の手で飾ってみようと思った。
しかし蘇ってくるのは、母と2人で組み立てた子供時代の記憶。
非常に手間がかかるもので、やたらに叱られ、ふてくさりながら手伝っていた。
大人になった今も、一人ではとうてい無理だろう。
というわけで、まいどおなじみ、友達使いの荒さで有名なワタシ、
“食事・酒つき”でH.OとY.Oにボランティアを強制。

この、ひな祭りミッション、気づけば今年で4回目を数えるのであった。
回を重ねるごとに、我々個人の技術及びチームワークのクオリティは上がっていった。
特に昨年の第3回はかなりスムーズだったように記憶する。
今年は、飾る前にすでにコーヒーブレイクをとってしまったせいか、
はたまた、わざわざ細部の写真をDVDに入れておいたのに
それを見なかったためか、やや精彩に欠けた作業だった。
何事も初心不可忘、真摯に向き合わねばならぬ。
それでも何とか1時間半で完成にこぎつけた。


なにしろ、まず、骨組みを作るのに骨が折れる。
2つの階段状の骨をバッテン2つで留めるのだが、
ネジを差し込む溝が細くて指を入れづらいのだ。
次に木の板をのせ、毛氈(もうせん)を敷き、
人形や道具類をポンポンのせればでき上がり、と言いたいが、
冠だの刀だの装飾品はすべてバラバラになっており、
一体一体着せていかなければならない。これが非常に手間。
冠がすべりやすくて、あご下でヒモがうまく結わえられない、
ジイさん(左大臣)のヒゲが邪魔だの、
五人囃子の担当楽器が混乱し、「っていうか、オレ、大鼓じゃないしぃ」などなど。
当時のトリセツもちゃんとあるのだが、これがまたひどくて、
微妙に人形のポーズが違ったり、絵が小さ過ぎて細部が見えない。
加えて、ウン十年前のものであるから、すべてにガタがきており、
骨組みはサビ気味、毛氈はなぜか縮んでいる、
小道具の細工がぽろりとはがれたり、美白命のお顔にシミが出ている人もいたり。
今どきのひな人形ってどういう仕組みになっているのだろうか、
変わらず装飾を一つ一つ着けなければいけないのだろうか。
骨組みはもっと簡単でさびないものになっているだろうか。
もっとも、今どきはもう七段飾りなど買う人は少ないに違いない。

未だ私には冠の装着はできず、友達任せ。
ましてや子供の手ではできるわけもない。
その昔、母がピリピリしていたのも、今となってはわからなくはない。
あの時代の母親たちは、今の私たちのように
友達を呼んで手伝ってもらう、といった感覚はなかった。
母は実質一人で組み立てるしかなかったのだ。
「昔、一緒に組み立てたわよね」と、母は懐かしげに言う。
私にとっては苦痛だった思い出が、
母の中では楽しい思い出になっているようだ。
まあ、それなら、良かった、と思う。




2013年2月16日土曜日

友人のお仕事

編集者友達のM.Kさんのお誘いで、
「薬膳ハーブ酒ソムリエ」講座のプレス体験会に行ってきました。
自由が丘にある「ソフィアフィトセラピーカレッジ」の代表で
フィトセラピストである池田明子さんが、
フィトセラピー(植物療法)の理論を広めるために、
薬膳ハーブ協会を発足し、薬膳ハーブ酒ソムリエ認定コースを開講。
第1回講座は6月18日に行われるそうなので、
興味のある方はHP(coming soonだそうですが、http://yakuzen-herb.com/)
や、池田さんのブログ(http://ameblo.jp/ikeda-akiko/)などご覧下さいませ。

ダイジェスト版でのハーブ酒の歴史や効果等のお話を聞いた後、
いざ、薬膳ハーブ酒作りも体験。
エキナセア&エルダーフラワー+ウォッカと、
フランボワーズ&ローズ&ローズヒップ+ウォッカの2種。
2週間から1カ月ほど漬けた後に漉し、好みで炭酸等で割ったりして飲めば、
風邪や疲労回復、美肌などの効果が期待できるそう。
ふふふ、来月が楽しみだわ。




M.Kさんは、池田さんの新著『DVDつき 心と体を癒す 手のひらマッサージ』
の編集を担当。
足ツボマッサージは世間的にもすでに定着している感があるけど、
あくまでプロの手に委ねるもので、
友達や家族同士でちょいとやるってもんではないですわね。
それに比べ、手のマッサージだったら、トライしてみたい気軽さがあるし、
足の裏みたいに飛び上がるような痛さではなく、
ソフトなタッチでハンドケアできるからいいかも!
ありそうでまだそんなに出ていないジャンルの本、
DVDまでついて1300円(税別)、やるなあ〜。
不調に効くツボもいろいろ載っている。
私なら、首・肩こりに目の疲れのツボだな。
自分でやるor人にやってあげる、どっちも載っているけど、
やっぱり一番は・・・人にやってもらうのがいいな。 
持つべきものは友。
マッサージの学校に通って技を持つY.Oさま、
ワタナベのここ(両手)空いてますよ〜、よろしく♡



https://www2.shufunotomo.co.jp/webmado/detail/978-4-07-287310-6



2013年2月10日日曜日

自分へのご褒美

「自分へのご褒美」って何を買いますか?
いつからこういう言葉が流布したのでしょうかね。
ようは、贅沢にお金を使う時の言い訳でしょ。
って言っちゃあ、身もフタもないざんすか。

私にとって、自分へのご褒美は何だろう。
例えば宝石や高級時計などの装飾品には興味がないし、
そもそもそんな高価な品を買える財力がないのと、
そこまで自分を褒められるようなビッグなことをしていない。
ビッグなことをして儲けた人は、
おそらく税金対策などでお金をどんどん使わなきゃ、という感覚で
高価なものを買うんじゃなかろうか。
毛皮とか別荘とか自家用ジェット機とか、島を丸ごと買うとか?
島といえばその昔、さだまさしが島を買った話題があったが、
あれは確か、ソロになって最初のヒット曲「雨やどり」の印税で買ったとか。
ああ、こんなベタな発想&昭和なニュースしか思い浮かばない、
貧乏人&昔人間な我が身が哀しい。

ようするに言いたいのは、金持ちが豪華なものを買うのは
自分へのご褒美とは違うだろうということだ。
あくまで庶民が、自分の労働や苦労に対して、ごくろーさんと
平常の自分の物差しからすると少しだけ背伸びするものを
自分のお金で購入する、それが自分へのご褒美ですよね。

女性だったら、エステ・ファッション・グルメが、ご褒美の代表科目だ。
つまり、美か美味。
一方、男の人はどんなご褒美があるのだろう?
パソコンとかカメラなどの機器?車?腕時計?高級ワイン?
ダメだ、この方面も私にはよくわからない(&昭和な発想)が、考えてみたら、
身近な男性で「自分へのご褒美にこれ買ったんだ」と言った人を見たことがない。
男の人は、そんな言い訳などせず、買えるお金があって買いたい欲望があるなら
黙って買うのかもしれない。
すると、女には、贅沢に対する何らかの罪悪感があるのか。
親や夫のお金を使って自分だけ贅沢するからというならまだしも、
自分で稼いだお金であっても、だ。どうしてだろうか。
しかし、言い訳するわりには、ご褒美のタイミングはけっこう頻繁だ。
罪の意識なんて本当はなくて、
気分を高めるための自己演出かもしれない。
収入が増えたからということではなく、
最近忙しい日々が続いたから、ストレスで疲れが溜まっているから、
ちょっとだけ潤いたい、気分転換したい、それがご褒美。
黙って買うよりも、ご褒美という名の熨斗だかリボンだかをつけて手にしたほうが
楽しみが倍になる、というような。
罪悪感のスパイスもあえて加えてみるSM感覚。
そういう感覚、男の人にはないだろうか?

私にとってのご褒美に話を戻そう。
私の場合、職業柄“美味しい”に出会う頻度が高く、
日頃からエンゲル係数が高いので
グルメがご褒美とは言えないかもしれない。
美容は確かにそうかもしれないが、もはや年齢的にいって
ご褒美レベルでは間に合わない、必要経費のような気もする。
(実際にはあんまり投資していないけど)



今日、この青いトラのマグが届き、さっそくコーヒーをいれて飲んでいる。
このマグは、イギリスのホーンジーというメーカーで、
1975年に作られたヴィンテージ。
いつもチェックする北欧系ヴィンテージを扱うサイトで出ており、
美しい青色と、カワイイというより若干イラッとさせられる
つぶらな瞳に魅せられ、ポチっとしたのだった。

そう、しいて言うなら、私のご褒美は、
ヴィンテージのテーブルウェアを買うことかな、と。
ポットやジャグなどの陶磁器、ホウロウ鍋など、
数千円からせいぜい2万円以下のものしか買わないので、
お金持ちな方からしたら微々たるものでしょうけど、
マグカップなぞすでにいくつも持っていて必要ではないのに、
加えて古いものなので、かんにゅう(釉薬のヒビ)やキズがあったりで
コンディションが必ずしも良くないかもしれないのに、
デザインで買ってしまう、まさしく私にとっては贅沢品だろう。

ちなみにこのブログのトップに写っている青い細長いホウロウ鍋は
ダンスクのベイキングパン。
1960〜70年、生産国はフランスでデザイナーはデンマーク人だそう。
パンとかミートローフに使うものだが、私はハンドタオル入れに使用。



同じくダンスクで黄色の平たいベイキングパンも持っていたりする。



ブログ著者の顔に使っているのは、スウェーデンのジィ・ガントフタというメーカーで、
アニタ・ニールンドというデザイナーによる、こしょう入れ。やはり'60年代のもの。

ついでだから他にもいくつかご紹介。

デンマークのロイヤルコペンハーゲン「バッカ」シリーズの花瓶。60年代。
古伊万里に影響受けているブランドゆえ、和の世界にもなじむ雰囲気。

左はイギリスT.Gグリーンのコーニッシュウェアのジャグ、
右はデンマークのLyngby(リュンビュー)のポット。

スウェーデンのロールストランド。今はイッタラの傘下にあるそうだ。

私は、ブランド自体にはあまり興味がない。
なので今も一つ一つの名前がパッとわからず、
器の裏を見たり元のサイトを見たりして書いている。
熱心なコレクターではなく、統一性もなく、
あくまで見た目で惹かれるものを時々買うだけだ。
今回、青いトラを買ったのは、どういうご褒美でなのか?
と問われると。
うーん。ないなあ、特に。
ビッグなことをしたわけでもなく、儲かってもおらず、
多忙で疲れているからでもなく。
欲しかったから、黙って買ってしまった。
つまり、男前ってことかー。
(ろーひと言わんといて! )

2013年2月5日火曜日

マカロンからのアルゼンチン

昨日は、ホテルニューオータニにてピエール・エルメの菓子新作発表会。
ホテルに開業して15周年になるという。
エルメとえばマカロン。4月から月替わりで1種ずつ計8種類の新作を販売予定。
うち3種類程が(ベーシックなもの数種とともに)試食できた。
4月のマカロンはグリオットとレモン果汁、トンカ豆で
桜の花の味を生み出したという“ジャルダン・ジャポネ”。
はーん。なるほどね。
グリオットはチェリーだから当然、チーム・サクラであり、
レモンの酸味で爽やかさを出したのか。
桜の香りの特徴的な成分クマリン(熊の愛称ではない)、
これはトンカ豆からも抽出される成分なのだ。
どれどれ。ふむー。桜の花の味かあ。そうか、そうなのかあ。
桜の塩漬けほどのインパクトは感じられないなあ。
まあ、目指す着地点はそっちじゃないんでしょうけども、
フレッシュな桜の花の香りってそもそも我々は明確に知っているだろうか?
クマリンは塩漬けにすることで初めて抽出されるというし(特に葉)、
桜の花の香り成分はローズとも類似するらしいから、
びみょーな感じがしました。
あとは確かアニス系の成分も桜の花に含まれていたと思うので、
アニスを少し加える手もあるかなって、余計なお世話ですね。

その他、食べてみたかったがダミーだけでザンネンだったのが
“リンゴ、ミント、キュウリ&ルコラ”味や“抹茶、ジロル茸&レモン”等。
どんな味でしょうねえ。




マカロンはもはや菓子の領域を超え、
食べるモードのアイコン、遊べるグッズと化している。
私個人はマカロンはそんなに好きではないけどな。
フカっとしてモチっとしてしつこめのクリームをサンドしたものであれば
ダックワーズが好きだな。
試食でマカロン4〜5個、その他にガトー数種、
アイスやチョコレートデザート等食べたので結構キツい(あたり前か)。
ちなみに、菓子研究家とか菓子主体のライターの方たちは
こぞってヒジョーに細身の体型だ。なんでなんだろう?


夜は、アルゼンチン大使館で映画の試写会。
「LA CIFRA IMPAR」(奇数の暗号)1962年、マヌエル・アンティン監督作品。
世界45カ国を旅した経験を持つ(特にスペイン語圏に詳しい)
フリーライターの女性に誘われてくっついていった。
ちなみにこの方、ハンドキャリーという仕事もしている。
ハンドキャリーは言わば正規の運び屋?
車の部品等を緊急に輸送したい際、それを持参して届ける仕事だ。
まるでバイク便のような感覚で、海外へひとっ飛びしてくるのである。
彼女はこれまでに海外で死にそうな目に幾度も遭っており、
そんな時、恐怖よりもどうやったら切り抜けられるかを冷静に考えるという
強靭な精神の持ち主。
よって、他の人が避けがちな治安が悪い国&英語の通じないスペイン語圏にも
スケジュールさえあいていれば二つ返事で行く。
最近もメキシコやらインドやら行ってきたばかり、
加えてライターの仕事でガイド本執筆のための旅もある、
おかげでマイルがいつもたまりまくっている
(からそれを消化するための旅にも行く)んだって。

さて、なんの前情報なく映画を観る。
そこで知る、字幕は英語で日本語はないことを・・・。
大使館の一室で映画館のような段差がないため、幕下位置の字幕は見えづらく、
古いモノクロ映画なので字自体かすれ気味。つまり、よく見えない。
ちょっと〜まいったなあ〜。
え?はい?  はいはい、そうでした、
そもそも英語わかんないんでした。えへへ。
なのでスペイン語ヒアリングに挑戦だ。

発音は結構はっきりしており、そこそこ聞き取れる。
おお〜良かった!!! ケ・ビエーン(イエーイ)。 

しかーし。なのに、なぜだ? ストーリーがわからない。
登場人物はパリに住むアルゼンチン人の中年夫婦と、
故郷に住む夫の母親、そして夫の兄弟。
母親が夫婦へ手紙をよこすのだが、その内容がよくわからない。
加えて存在自体があやふやな兄弟がちょいちょい出てきては
夫婦とともにわけのわからない行動や言動をおこす。
時間の流れもよくわからない。奇数の暗号って何だ?
ついていけん・・・。

終わった後、ライター女史におずおず聞くと
「言語の問題ではなく、話自体が難解、わからなくて当然」という。
兄弟はすでに死んでいるんだそうだ。
亡霊あるいは妄想の中の人間と現実、過去と現在が境目なく交差しているのだ。
それを聞いた途端、私は「でしょう〜、そうだと思ったのよねえ」としたり顔。
彼女とは違い、スペイン語の理解にも相当問題があったはずだが、
おかげで途中、座頭市顔状態になっていた時間もあったはずだが、
そこらへんのことは闇に葬りました。

帰ってから調べると、映画の原作は
アルゼンチンの作家フリオ・コルタサルの短編「母の手紙」だった。
フリオ・コルタサルといえば、ラテン・アメリカ文学の有名作家の一人。
彼の作品を読んだことはないのだが、
ポッドキャストのスペイン語講座で時折、彼の作品の朗読があり、
そのどれもが摩訶不思議なストーリー(のような気がして)、
あかん、ついていけんなあ、と思っていたので、
またしてもコルタサルにやられたのか!! とびっくり。

この物語に出てくる夫は、兄の元婚約者と駆け落ちして
パリで暮らしている。兄はすでに死んでいるのだが、
母の手紙にはあたかも兄が生きているかのように書かれ、
その亡霊あるいは過去が今の暮らしに入り込んでくる、といった話。
幻想の錯綜、そこはかとない不安感・・・

現実と非現実が区別なく同等に描かれる、
ラテン・アメリカらしい幻想文学「マジック・リアリズム」というヤツですな。
同じアルゼンチンならば『伝奇集』のホルヘ・ルイス・ボルヘス、
ペルーならバルガス・リョサ、そして何といっても有名なのは
コロンビアのガブリエル・ガルシア・マルケス。
私も昔、がんばって大作『百年の孤独』を読んだなあ。
今、引っ張り出して見たら1995年版とあるからもう20年近く前か。
思っていたより分厚くはなかったが、
1ページ2段組みで級数がすごく小さくびっしりなのだ。
スペイン語圏の世界を少しかじっている今、
改めてもう1回読みたいとも思うけど、これじゃ、まず目がやられる。



そして、2009年に出た同作家の『生きて、語り伝える』も持っているが、
こちらは未だツンドク。ページ数676也。
どーするんだ?死ぬまでに読む日は来るのか?

ま、とりあえずは、フリオ・コルタサルの『母の手紙』が収められているらしい
『秘密の武器』(岩波文庫)を買って読み、それからもう一度、
ユーチューブにアップされている映画を観てみようかしら。
「奇数の暗号」の意味、理解できていないし。





2013年1月29日火曜日

招かれる者、心ここにあらず

通勤電車の中で何かを食べる人がいる。
直近で見たのは、となりに座った劇団員らしい若い女の子。
ちょっと風変わりな服を着て、脚を高く組むことで底上げした膝に
大きなバッグをのせ、更にその上にシナリオを立てかけて読んでいた。
バッグに手を突っ込んで取り出したのは、
ラップで包んだ手作りのおにぎり。
海苔は巻いていない白飯で、コンビニのものの2個分くらいありそうな、
おにぎりというより“にぎり飯”である。
彼女はマスクをしているのだが、それを少し下にずらし、食べ始めた。
女優の卵なのね、電車の中で食べるのはどうかとオバさん思うんだけど
節約してコンビニで買わずに自炊したのはエライね、
と私は心の中でつぶやいた。
しばらくするとまたガサゴソ。
再び大きなにぎり飯を取り出し食べている。
ほぅ〜2個か。具が何か知らないけど、私なら海苔が欲しいなあ。
食べ終えると、またガサゴソ。
3つめのにぎり飯。す、すごい食欲だなあ、
きょうび、男子学生も朝からこんなに食べやしないのではないか。
(少し前に、夕刻の電車で部活帰りの高校生男子が、
 母親が作ったであろうおにぎりを食べているのも見たが、
 もっと小振りで2つ半だったぞ。
 半というのは、3つめをかじって中の具を確認、
 好きじゃないものだったようで、カバンに戻したのだった)

と、驚くのはまだ早かった。
4つ目である。くり返すが“デカイにぎり飯”だ。
かなりスリムな体型のどこにスルリとおさまるのだろう。
あめんぼあかいなあいうえお〜でそんなにカロリー消費するのか。
しかもお茶などの液体を一口も飲んでいないのが私には信じられない。
昔のサザエさんのエンディングのように
こっちの胸が、ンガクックと詰まってくる。

飲み物なし、と言えば、
帰りのラッシュ車内で、私の前に立ったサラリーマンが、
バウムクーヘン2個と菓子パン2個を飲み物なしでたて続けに食べた。
足にはさんで床置きしている分厚い営業カバンには
まだいくつか入っているように見えた。
何らかの病気だと思うが、ナンナンだろうか。

10本以上ある立派な房のバナナを取り出し、1本もいで食べ、
その皮を連列ドアのドアノブにかけて、2回柏手を打って拝んだ男も見た。
ちなみにその男は、車内で靴下を脱ぎ、ハンカチ代わりにしてひたいの汗を拭いた。
友人からはホラ話疑惑を持たれているが、誓って事実である。

まだまだある。
キュウリ丸ごと1本かじっていた人や、
周囲に見られないようバッグからこっそり出してはササッと口に入れ
すました顔をしている(これを数回くり返す)が、
ものすごいガーリックチキンの匂いを漂わせているオバさん。

かなり前になるが、満員電車で私と向き合う状態で立っていた、
Mr.オクレ似の中年サラリーマン。
長唄だったか浪曲だったかをボリューム控えめに口ずさみ出した。
Mr.オクレは私と背が同じかあるいは少し低いくらいのため、
私は顔のポジションに困り、
なるべくアゴを上げ、かかとも上げ気味にして
Mr.オクレ'sボイスの送風直撃を避けるようにした。
しばらくすると、喉の調子が今ひとつ冴えないのか、首をかしげて咳払い。
ポケットに手を入れ、取り出したのは、三角形の雪印6Pチーズ。
それを一つ食べ終えると、再び歌のレッスンを開始した。
チーズは喉にいいのでしたっけ?
私のアゴは更に数センチ上昇した。


電車は、不思議な空間だ。
公共の場でありながら、そこに居合わせた人々の顔は心ここにあらずの表情、
うつろな目で空を眺めている、いや、空を眺めているのではなく
自分の妄想の中に入り込んでいるからそういう顔になる。

まあ、もっとも、そうしている人は今は少ない。
大半がケータイを見つめているか寝ているか、だ。
そんな中、食べる場ではない場で食べる人々は、どんな目をしているのか。
食べることとケータイを見ることは同じ感覚なのだろうか。


今、生きている時間の流れと、移動している電車のスピードと、
妄想の中で体感している時間の差を思う時、
物理学を知らない私はただ戸惑うばかりだ。




この写真集はウォーカー・エバンスの"Many Are Called"、
1940年前後、ニューヨークの地下鉄で隠し撮りされたものだ。
タイトルは、マタイの福音書の一節、
「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」からとられたという。
招かれる者とは、神から招きを受けた者であり、
つまりはすべての人々を示す。
まさに無作為な市民の無防備な表情をとらえている。

ちなみに、タイトルにはない後半部分、“But few are chosen”、
選ばれる者は少ないというのは
更にわずかな人を神が選ぶということではなく、
せっかく神は招いていても、素直に応じる人は少ないという意味だそうだ。



2013年1月23日水曜日

しみったれのスモーカー

7年半ぶりに、煙草を吸ってしまった。
実は30歳過ぎてから何年間か吸っていたのでした。
社内は禁煙だし、人前ではほとんど吸わなかったので、
親もそのことを知らないし、友人でも知らなかったという人もいるだろう。
まあ、きっかけは仕事のストレスですかね。
最初は昼と夜の食事の後に1本程度だった。
会社のビルの裏の喫煙所か、家ならばキッチンの換気扇下で。
やがて、〆切前の休日など、
家で終日パソコンとにらめっこしていると、
キッチンにいちいち行くのも面倒になり、
パソコン机の脇にある窓を開けて(となりは人気のない駐車場だった)
吸うようになり、そのような日は半箱くらいになった。

ある時、こんなこと続けていたら美容に悪いわ、と思いやめた。
不思議と苦しむこともなくピタッとやめられた。

今、私の周囲で煙草を吸う人はほとんどいない。
女友達はほぼ全員と言っていいほど、昔から誰も吸わない。
男友達や仕事関係の知人を含め、思い浮かぶのはわずか数人だ。
今吸っていない彼らは「昔は吸っていたけど」と言う。
父は、私の誕生を機にやめたらしい。
一度だけ、お墓参りの時にお供えの煙草に火をつけるために
くわえたのを見て子供心になぜかしらドキッとした記憶がある。
煙草とは若気の至り的なもので、ある年齢が来ると多くの人はやめるものなのだろうか、
20→21世紀という時代がそうさせたのだろうか。
日本人だけではなく、例えばスペイン語のL先生も今は吸わないが、
「昔は1日2箱以上吸っていた、16歳からOKだったので
高校生の時は教室でみんな吸っていた」と言う。
吸うのをやめると、今度はメタボという名の大人の道へ進むことになる。

20年前は、シェフでも吸う人はそこそこいた。
アピシウスの故・高橋シェフはピースを吸っていたし、
北島亭の北島シェフは打ち合わせ中、
森永キャラメル ハイソフトのような横長の箱のジタンを
「吸うでしょ?ホレ、いーから吸いなさいよ」と差し出してきた。
私は吸うとも何とも言ってないのだが。おもしろい人だなあ。
あの時、私はご相伴にあずかったのか、いや、たぶんお断りしたのだった。
どうも人前で吸うのは恥ずかしいのだ。
何だか、自分が吸っている姿ははしたない感じがして。自意識過剰ですね。
まあ、だからといって陰でコソっと吸うのも、しみったれてますね。

そんなわけで、喫煙していた時も、レストランでは吸わない。
室内はクリーンを求む。
勤務していたオフィスは表参道にあり、
周辺のランチのお店の大半が当たり前のように禁煙だった。
なので、煙の心配は無用だった。
昨年、外苑前寄りに引っ越し、私は現在たまに出勤するのだが、
こちらのエリアは喫煙OKの店がとても多いことに驚いた。
同じ南青山ながら、こうも違うのか。
てっきり喫煙者は絶滅人種と思っていたのに、
どっこい、わんさと生息している。
ちょっと不思議な気分。
こんなに吸う人が世の中にはまだいるのに、
同じエリアにいるという点では身近であるのに、
直接的な関係性においては接点がない。


もう一生吸うこともないだろうと思っていたのだが。
友人Hの家に行った時、同居人で喫煙者のI氏が時折テラスに出ては
吸っている様子を眺めていたら、
Hが「たまに1本もらって私も吸う」と言う。
偶然にも、少し前にやはり「普段はまったく吸わないが、
飲みに行った時に、たまに人から1本もらって吸う」知人を見たばかりだった。
私もその欲望がわいてきてしまった。
どうしよう。これでまた文字通り“火がついちゃったら”。
私は、天使と悪魔が戦うベタな妄想をしてみた。
ベタなシナリオでは、たいてい悪魔が勝つことになっている。
私は寒風吹きすさぶテラスに出た。

むせることはなかったが、心拍数がどんどん高まるのがはっきりわかった。
煙草のせいか、寒さのせいか、罪の意識か。何の罪だ?
そんなノミの心臓だからバクバクするんだよなあ、きっと。

火をつける前の、紙巻きの匂いはいい匂いだが、
吸ってみると美味しいとは思わなかった。
吸った後の口中も臭くていい気がしない。
おそらくもう、自分で買うことはないだろう。
でも、またHたちの家に遊びに行った時には1本もらうような気がする。
やはり、しみったれているな。


近所のJAの駐車場に落ちていた。シ、シブいねぇ〜。ご老人だろうね(ゴミの投げ捨てはやめよう)。
他にもエコーとかしんせいとか。峰なんかもありましたねえ、その昔。吸うというよりのむか。
ヘビースモーカーでも長生きピンピンしている人っていったい何なのだろう。


2013年1月17日木曜日

今月のお仕事

ほとんど仕事の話を書いておらず、
ただのグータラ日記になっているようなので、たまには。

昨日発行、ブルーノート東京のタブロイド最新版、
扉開いて最初の右ページ、バレンタイン料理の記事を担当、
その下の『Numéro TOKYO』田中杏子編集長にも取材しました。
ネットや同店HPでも見られますが、
実物は東京メトロの駅やCDショップ等でどうぞ。フリーペーバーです。








PC版

スマートフォン版




















バレンタインウィーク2/13〜16は、表紙にも登場している
イタリアのニコラ・コンテと、ドイツのトランぺッター、ティル・ブレナーの共演。
ニコラ・コンテはギター弾くけど、クラブ・ジャズのプロデューサー的な人、
以前、やはりブルーノート東京の取材でインタビューしたことがあり、
なかなかのワイン好きな様子でしたが、一般的にイメージするイタリア人っぽくない、
終始もの静かで淡々とした人でしたねえ。
一方、ティル・ブレナーはお会いしたことはありませんが、写真を見るかぎり、
「オレ、イイオトコ」ムード満々のような。
スタイリッシュなステージがお好みの女子の集まりにぴったりでは?

以下は彼らの公演告知ページ。
最後に入っているビデオはニコラ・コンテが作った曲で
ヴォーカルは(今回のステージでは出ないけど)う〜ん、いい声してるぜ、なホセ・ジェイムズ。

http://www.bluenote.co.jp/jp/artists/nicola-conte/


あと、ついでに、28日発売のNuméro TOKYO最新号では、
ファッションと音楽をテーマに、ラナ・デル・レイなどを取り上げているそうです。
ラナ・デル・レイはこういう感じの人。H&MのCMが有名か。
私はそんなに好きじゃないけど。