2012年12月27日木曜日

ちょっとマイウェイ

毎朝グラハム・カーの「世界の料理ショー」が放映されている。
知らずにたまたま発見し、おお〜なつかしい!!とは思ったが、
後々まで影響を受けた番組というほどの思い出はない。
似たようなタイプなら「奥さまは魔女」をよく見ていた。

この仕事をするまでフランス料理のフの字も知らなかったが、
そうした「テレビで見た」というレベルでの初めての出会いを
今一度振り返ってみると、
はっきり覚えているのは「料理天国」
そしてドラマ「ちょっとマイウェイ」だ。
料理天国はいつもフランス料理というわけではなかったが、
芳村真理のハイカラムードや、スポンサーのサントリーのワインや洋酒、
辻調の先生たちのイメージにより、
私の記憶には西洋料理の番組という刷り込みがされている。
龍虎はいつも気張ったスーツを着込んで黙々と食べているだけなのに
何かVIP扱いされており、ズルイと思っていた。

「ちょっとマイウェイ」
フランス料理がどうのということを別にして
とても好きなドラマだったのだが、周囲に聞くと
見ていたという人は意外と少ない。
なぜなんだ? おもしろい裏番組があったのだろうか。
確かあれは土曜の夜9時からだった・・・ハッ!!
「Gメン'75」ではないか!!

(と、ここでしばしネットで調べる)

ちょっとマイウェイは1979〜1980年放映だそうだ。
私はGメン'75もかなりの頻度で見ていたので、
この年だけはちょっとマイウェイを見ていたのだな。
む? 料理天国も土曜の夕方だ。
するってーと、私の子供時代の毎週土曜は、
料理天国→まんが日本昔ばなし→クイズダービー→8時だヨ! 全員集合
→ちょっとマイウェイ(通常はGメン'75) 
と、ひょっとしてテレビ三昧か。
夕飯はいつ食べていたのか?
我が家は食事中テレビを見る習慣がなかったので(ダイニングにテレビがない)
料理天国とまんがの間か。
あるいはもう高学年なので、さすがに昔ばなしやドリフに夢中にはなっていないか。
そのへんははっきりしない。
大人になってから、「うちは親が厳しくてドリフは見せてもらえず、
NHKだけだったよ」なぞというインテリな家庭に育った友人が若干おり、
いかに自分の幼少期が低俗であったか思い知らされるが、
もうやり直せやしないのさ。ハハハン。
何ならついでに言うが、9時のドラマ枠の後は、
週末なんだから無礼講でいいじゃんというノリで
低俗の極み「ウィークエンダー」を見てみたかったのだが、
さすがにこれは禁じられていた。
(なのになぜ、クインシー・ジョーンズのBGM&新聞によりますと〜、
 桂ざこばの語りが頭に浮かぶのか?おかしい)


ちょっとマイウェイは、落ちぶれた西洋料理店を、
一家の末娘の桃井かおりが中心となって立て直す物語で、
訳ありのさすらいシェフみたいな役が緒形拳、
桃井の親友が研ナオコ、桃井の姉が八千草薫と結城美栄子、
親戚で信金勤務の神田正輝などが出てくる。
岸本加世子と左時枝演じるウエイトレスが
今でいうところのメイド服?のような格好をしており、ちょっと憧れた。
ものすごいユルユルとした話し方ながら
自分の意志をしっかり通す桃井と、
いつもやられっぱなしの頼りない神田の掛け合いがおもしろかった。
そして、息を吹き返した厨房から美味しそうな料理が次々登場するのも魅力だった。


ユーチューブで探したら、あったあった!  
そうそう、パルとかいうグループの主題歌「夜明けのマイウェイ」、
これがまたいい歌だった。
当時からペーソスを抱えていた私には
“悲しみをいくつか〜のり越えてみました〜”のフレーズにグッときたものだ。
(2番は“のり越えて来ました”だが、1番は“みました”だった)
そして、今改めて見ていたら、料理指導  石鍋裕と出ている。
へえ〜、クイーン・アリスの石鍋シェフではないか。
知らなかった。

知るわけないね。
ドリフなんぞを見ていた子どもだったのだから。
それから10年程後、毎日どこかのフランス料理店の厨房で
メモ片手に味見しているマイウェイなんぞ。






2012年12月21日金曜日

私ではない匂い






















海外のホテルに行くと、
うっ、なんじゃこりゃあ〜?な感じの
ルームフレグランスやアメニティグッズ類の
芳香に見舞われることがある。
日本では嗅いだことのない、妙な匂い。
こっちの人は、こんな匂いをいい匂いと思うのか?
というカルチャーショック。

今、我が家がそうなっちゃってる。
イギリスのPARKSというブランドのルームフレグランスが好きなのだが、
たまたまネットでセールをやっており、
ただし、いつも私が買う種類はなくて、
知らないタイプを2種、値段の誘惑に負けてつい買ってみた。
一つは定番人気とあるし、もう一つも配合成分を見るかぎり
悪くなさそうだったので、まあ大丈夫だろう、と
タカをくくっていた。

数日前に届き、両方いっぺんに開封した。
く、くっさぁ〜。
いつもの香りとまるで違う。
これが定番人気? それって日本市場においての定番なのか?
困ったな。
本当は寝室と洗面所あるいは玄関に置きたいのだが、
あまり主張されるとツライような気がするので、
脱臭剤感覚で定番はクローゼットに、もう一つはトイレに置いてみた。

食べたことのないものをいろいろ試して味覚が鍛えられるように、
嗅覚もまた、好みのものばかりに偏らず、苦手と思っているものも
試しているうちに好きなるかもしれない。
その良い例が、ローズの香りだ。
昔は好きでなかったローズの香りが、この頃好きになった。
ただし、ローズの場合は、正確に言うと、
試しているうちに次第に好きなったわけではない。
ある時から急に好きになるのだ。
友人M.Sもまったく同じことを言っている。
共感する同世代の女性はきっと多いのでは。
その理由は密かにわかっている。
おばさんになったからです。
おばさんはローズが好き。何でなのかは知らないけど。ホルモン不足とか?
なので、ローズ好きであることは、あんまり大きい声では言いたくない。

もしかすると、今はクサイと思っているこの2種の香りが、
しばらく我慢するうちに、眠っていた嗅覚を開花させ、
好き! に変わるのではないか。それを期待しよう。

と思っていたが・・・ダメだ。
クローゼットの洋服は汚染され、トイレは毒ガス室と化している。
この香りを好きだという人も、おそらく世の中に五万といるのだろう。
が、私の感覚からは、どこまで行ってもクサイという反応しか生まれてこない。

人間の嗅覚は鈍感だときく。
確かに、いつも使っていた好きな香りは、
買って1週間もすると慣れてしまい、香っていることをあまり感じなかったりする。
しかし、キライな匂いは、ドアを開くたび瞬時に拒否反応が出る。
フレグランスの場合、生ゴミなどの汚物的悪臭とは違うため、
ひょっとすると、生理的に受けつけないということよりも、
そこに私ではない有機的な何かを感じるのがイヤなのではないか。
誰? これは私ではない、と思うのだ。
いい匂いでしょう、と何かが私に向かって主張してくるのだ。
好きな匂いが空気のように感じなくなっていくのは、
鈍感になったというより
自分にフィットして違和感がないからではないか。

そんなふうに独りブツブツ分析している今もクサイは続行中なのだ。
どーすればいいのだ?
もったいないけど処分するしかない。
が、捨てるにしても、排水口に流すわけにはいかない、
新聞紙か何かにしみ込ませるか?
ゴミ捨て場ですごい香りを発散させて騒ぎにならないだろうか。
近日、友人のMとMとMの3人(全員Mじゃないか、3Mか)が
うちに来ることになっている。
誰かもし、この匂いが好きならば、持って帰ってくれまいか?
残念ながらローズ系ではないが。


2012年12月15日土曜日

マタギ女とはんにゃともう中学生

年が明けたら初めての確定申告を迎えるため、
ちょっと聞きたいことがあり、家から徒歩圏の税務署へ行った。
近くにありながら会社員時代には一度も足を踏み入れたことのない場所だ。
予約はしていないため、30分程待たされた。
と言っても待っているのは私と、私の前にもう一人だけだが。
その人はどうも体調が悪いらしく、
個室で寝て待っているから早めに対応してあげて欲しいと
受付の人が内線で伝えている。
しばらくして担当の人が到着しドアを開けると、中から
「ああ〜ん、ちょっと待ってぇ」と悩まし気な女の声が。
ロシア帽をかぶり、肩から二の腕にかけて毛皮のついた
マタギみたいな服を着た、バッチリメイク50がらみの女の人が出てきた。
杖をついているのにピンヒールのロングブーツ。
飲み物はどこぉ? と虚ろな目をして自販機へ向かう。
まあ確かに最近ぐっと冷え込んではいるけんども、
ここは極寒シベリアの税務署ですか?
しかもそんなに具合悪い身体で予約なしに来て、相談したいことって何だ?
余計なお世話ではあるが。

私の担当は30、いや20代か、若いお兄さんだった。
芸人はんにゃの金田をもう少し丸くしたような感じ。
対応はそこそこ丁寧で悪くない。
が、e-Tax(インターネット確定申告)に関して、
「24年度の作成シートのダウンロードはいつからできるのか?」
という私の質問に対し、どういうわけか彼は
「ここに書いてある通り、1月16日から提出できますよ」と答える。
「あ、はい、なるほど。でも私がお聞きしているのは、提出日ではなくてね、
いつからシートに書き込むことができるのか、ってことです」
「ですから、16日から受け付けていますよ」
「ん? いや、そうじゃなくてね、私はホレ、初めてだから、まあeにするかも
決めてはいませんけども、もしe-Taxでやるとして、
不慣れで時間かかるかもしれないから、ヒマのあるお正月にゆっくり
打ち込みできたらいいなと思うので、それで、いつからシートを入手できるのか?
が知りたいわけなんです」
どうなんでしょう、私の言ってること、通じますよね?
そんなにおかしなこと言ってませんよね?
理解してもらえるよう、こちらは入手日が知りたい理由も
話しているというのに、
はんにゃ金田はあくまで16日提出スタートの一点張りなのだ。
もしも私が何か根本的に理解していないのなら、
そっちもちっとは違う表現してみたらどうだ?
何回かの問答の後、
「えっと。あの、全然わかんないんだけど。じゃあ何ですか、
シート入手できるのも16日から、そして提出も16日から?
そんな不思議な話ありますかね? 即日打ち込んで提出する人なんているんですか?」
と言ったら、あれ、はんにゃはムクれちゃった。
わけわからん。

結局のところ、年末にシート入手は不可能で(できるようにしたらいいのに)、
1月上旬に公開されるが、いつなのかはまだ発表されていないのだ。
じゃ、わかんないんじゃん。16日ではないんじゃん。
こういう時に、横浜弁ってじゃんじゃん出るんじゃん。

手書きの用紙の場合は、年明けてから取りに来るか、
電話すれば送ってくれるという。
ふーん、そういうものなんだ。
それじゃあ、年明け早々、用紙送ってくれコールがバンバンかかってきて
税務署も大変ですねえ、とねぎらったら
「いえ、去年まで行っている人にはこちらから郵送しますので」
と冷たく返された。
何、チミはまだスネてんの?
けどコチトラ初体験なのよ、知らんのよ。
私がお兄さんの立場だったら、
「初回はそのように手続きするが、次年度からは自動的に送られてきますよ」と
その情報も先に言ってあげるのになあー。

話を終え、個室から出ると、
受付前の長椅子で、大きな獣が横たわっていた。
よく見たら、さっきのロシア帽のマタギ女だった。
ミンクだかセーブルだかわかんないけど
マタギ服の上に更にボリューミーな毛皮のロングコートを
布団のようにかぶって寝ていた。
誰かお付きの者はおらぬのか?
かわいそうではあるが、ロシア帽とコートが一体化して顔がパッと見えないので、
「近頃の税務署はゴージャスですな」と
ラグと間違えて上から座る年寄りがいてもおかしくない感じだ。

私はその足で、すぐ近くのケータイショップに立ち寄った。
今、iPadミニを買おうか迷っており、
自宅のネット環境も含めた通信料に関するプランを聞いてみたのだ。
春にiPhoneを買った時と同じお兄さんだった。
彼は芸人の"もう中学生"みたいな口調で説明をする。
「じゃあ、これとこれはどこがどう違うのかなあ〜?って思いますが、
こっちの場合、(ペンで線を引きながら)ここからここまでですよぉ〜、
はい、でもこっちだとここからこれだけですよぉ〜という具合なんですねぇ〜」
いつもなら、幼稚園児扱いされているような奇妙な気分になるのだが、
つい先程、はんにゃに嫌われ、マタギ女を見た私には、
これくらいはたいしたことはなく、
むしろ、優しい丁寧な説明に心がなごみさえするのだった。




2012年12月9日日曜日

¿書き順?

テレビをつけたら、漢字の書き順クイズみたいなことをやっていた。
そうそう、小学校で新しい漢字を習う際、
マス目ごとに一画ずつ足して1つの漢字を完成させる
書き順ノートみたいなものがあったっけ。
一画ごと色鉛筆で替えるという方法も。

当時6年間、習字を習っていたけれども、
書き順が怪しいものが結構あるような気がする。
間違っているとわかっていても直せないのが「右」だ。
右は、ノを書いてから一を書くのが正しい。
もともと字の成り立ちが、ノの部分が手で一の部分が腕をあらわすらしく、
左の場合はその逆でノが腕で一が手。
手から先に書くのがルールなんだそうだ(その理由は知らない)。
わかっちゃいるのだが、どうしても左と同様に、一を先に書いてしまう。
いきなりノを書くのって、なんか勇気がいるというか、バランス難しくないですかねえ?

スペイン語では、疑問文を書く際、頭に逆疑問符の「¿」をつける(文末には「?」)。
スペイン人数人と現地で食卓を共にした時、
私は彼らに「¿」をどういう順で書くのが正しいのか、たずねてみた。
点から書くのか、あるいは縦棒からか、 一番下から上にむけてか?
すると、彼らの答えは人によってマチマチであった。
えっ?君はそう書くの? 私はこうだけど、と一騒ぎになり、
また、そもそも「そんなこと今まで考えたこともなかった」と言うのだ。
¿私の質問はスペインの文字文化に一石を投じたと言えまいか? まいね。

その話の流れで、漢字の成り立ちを披露することになり、
私はメモ帳に絵を描きながら、「川」だの「森」だのを説明。
彼らは「¡へぇ〜おもしろいね〜!」と関心を示した。
調子にのった私は、「人」という字を書きながら、
「はい、みなさんいいですか、人という字は人と人が支えあって」と、
金八仕込みの説明をしそうになったが、ち、ちがーう!!
人という字は一画目が頭と腕で、もう一方は胴体と足なんだと
かの白川静先生はゆーとるじゃないか。 
あやうく間違った日本の文字文化をスペイン人に伝承するところであった。
恐るべし武田鉄矢。いや、金八。


小学時代の家庭学習ノート。
子が予に間違ってるのに、先生直してよ!
こんな物を未だ持っている&
同じことを大人になってもやっている
自分がちょっとキモイ。



川や森の字の変化には納得していたスペイン人だが、
「目」という字を説明したら、これはどうもピンとこないと言う。 
なんでわかんないんだろう? 横の形が縦になったからかな、と
その時は思っていた。

しかし、今ふと思った。
西洋人はくっきり二重まぶたが普通だ。
だから、もし彼らの目を漢字であらわすならば、こうではないか?   














まつ毛がフサフサなので更に右側に「彡」がつくかもしれない。
自分で思いついておきながら、何となくシャクにさわる。








2012年12月5日水曜日

アヤシイトリセツ

iPhoneを購入してから、目覚ましアラームもこれを利用するようになった。
そういうことも、購入前までは好きになれなかった。
つまり、ケータイは電話、目覚ましは目覚まし時計が担当であり、
何もかもケータイで済ませてしまったら、目覚まし時計の立場はいったいどうなるのだ。
目覚まし時計には目覚まし時計の人生がある。
彼らはそれだけを生業としているスペシャリストであるのに、その先達を敬うことなく
「あ、オレ、アラームとかもあるんで、やっときますから大丈夫っすよ」と
いとも簡単に奪ってしまっていいのか。
彼らは就職難に陥り、やがては存続の危機となるのではないだろうか。
と、目覚まし時計擁護派であるにも関わらず、
ある時、何となくケータイを試したら、そのまま習慣づいてしまった。
なんたる自堕落。薄っぺらなポリシー。情けない。
わが目覚まし時計はいつの間にか息絶え、
うっすらホコリをかぶっていた。
かわいそうに、ごめんよ!!

私の目覚まし時計はLEXONのもの。
わりに男の子っぽい都会的なデザインなので私の趣味ともちょっと違うのだが、
(だからといって乙女っぽい田舎風デザインが趣味ということもないのだが)
これを選んだ理由は、自分で好きな音楽を録音し、
それを目覚まし音にできることだった。
目覚まし時計擁護派と言いつつ、ピピピピだのリンリンだの、
あの単調な繰り返し音は苦手、毎朝腹立たしく起きるの、イヤだ。
(ん?ホントに目覚まし時計派なんだろか、よくわからなくなってきた)


おそらく電池を交換したら目覚まし時計は息を吹き返すだろう。
ボタンがいろいろあって再設定の仕方がおぼつかないので、
しまっていたトリセツを引っ張り出す。

ああ、そうだった。
この時計のトリセツのお粗末さが尋常じゃないのだった。
A4のプリント1枚の箇条書きに、なぜかイラストがすき間につけ足したような手書き。





















どうだろうか、このイラスト。
何かこう、イラっとさせられやしないか?
私でももう少しうまく書けるぞ。
バッタもんじゃんって感じだが、
しかし正規の外国語版も同封されており、
そちらはちゃんとした印刷物でイラストも当然いたってまともだ。
販売店もおそらく怪しくはないはず、なのだ。
無理して立体図なんかにせず、平面にすれば良かったじゃないか。
ってか、元々のLEXONの絵は平面であり、
これをトレースすれば済むことだ。
歪んだ炊飯器みたいに描かれていることを
デザイン命のLEXON本部が知ったら、どう思うだろう。


















他にも、通販で買った安物の雑貨類などのトリセツに、
同様のタイプが時折見られる。
プロのデザイナーやイラストレーターに依頼する費用がないのだろうけど、
社内に誰か一人くらい、絵心のある者はいなかったのだろうか。
手で描けなくても、今どき、パソコンのお絵描きソフトでも何でもあるじゃないか。
更には印刷代削減のためか、コピーのまたコピーみたいな、
字がよく読めないようなトリセツもあるのだ。
トリセツも立派な媒体なんだからね、
なめずにちゃんと作ってもらいたいものです。

電池を入れ替え、奇妙なトリセツ図解を我慢して見つつ
リセットし、無事、息を吹き返した、わが目覚まし時計くん。
iPhoneなんかに浮気したアタシが悪かった。
明日からはまた君に頼むよ。

追伸
そうして今朝、久しぶりの目覚まし時計でさわやかに起きるつもりだったが、
音楽に混ざってブチッブチッとノイズが・・・やっぱバッタもんかしらん?
起きてから、寒さのあまり、エアコンとミニヒーターを同時につけ、
電気ケトルで湯を沸かしつつ電子レンジで豆乳を温めたら、
バーンッとブレーカーが落ちた。
おかげで家中の家電のタイマーがチカチカ状態に・・・。
個々のトリセツを見なければ、どうリセットするのかわからん。めんどー。


2012年11月29日木曜日

給食嫌い

先日、都内の公立中学校の給食を目にする機会があった。
五目ご飯、粕汁、ぶどう豆、ジョアだった。
牛乳じゃないことに驚いたが、おそらくこの日はたまたまだったのだろう。
お調子者の生徒が ♫ジョア ヤクルト ジョア 誰のもの〜♪と
剛力彩芽のCM曲を浮かれて歌っていたから。
(ちなみにこの曲、作詞・作曲は浜口庫之助。その昔、小柳ルミ子が歌っていた)

料理すべてが同じような見た目、味の傾向なのが気になる。
栄養バランスや咀嚼させることを考えた結果なのだろうけど、
五目ご飯と粕汁、どちらも刻んだ根菜など具材が似たりよったりだし、
副菜の煮豆も甘くもっさりしてもたれそうな感じ。
せめて副菜は酢の物とかマヨネーズ系にするとか、
あるいは卵焼きや茶碗蒸しのような粒々していない食べ物にするとか、
汁物はすましにするとか、メリハリつけられなかったのだろうか。
と、父兄でもないのに、一人うっすら憤ってみた。

どうも給食に対して良いイメージがないからかもしれない。
私の場合、中学はお弁当だったので、給食の思い出は小学時代になる。
ご飯は一度も出ず、6年間パン食だった、というとわりに驚かれるようだ。
少し下の学年からは週1回くらいご飯が出たようだが。
このパンがね、まあ実に美味しくなかった。
パサついたコッペパンが主で、たまに食パンだったけど、どちらも苦手だった。
牛乳。これがまた体質的にダメで1本飲むことはできなかった。
だからチビだったのかもしれない。
プロセスチーズも嫌い(あの頃もしナチュラルチーズがあったなら良かったのに)、
五目豆のたぐいも苦手(パンのおかずとしてどうなのさ?)、
鯨肉の竜田揚げは一見美味しそうだが、かたくてかみ切れず、飲み込む時が恐い、
と、かなり好き嫌いが多かった。
好きだったのは、揚げパン、フルーツのヨーグルトあえ、ソフト麺&カレーくらい。
このメニューの時ばかりは私もおかわりをしてみたかったが、
おかわりをするには完食しなければならないルールだったので、
牛乳を飲みきれず他のおかずも残しがちな私には永遠にチャンスはない。
いつもジャイアンみたいな男子2〜3人と、花沢さんみたいな女子1人くらいの
決まったメンバーがおかわりを競っていたな。
ちなみに毎月の献立表は、トレーシングペーパーのような半透明の薄い用紙で、
配られるたびに、それを口に当て息を吹きかけ音を鳴らす、という
何がいったいおもしろいんだ?的なガキの習わしがあった。

ソフト麺&カレーは、好きではあったものの、その分量比率にいつも不満を抱いていた。
麺の量に対し、カレーがひどく少なすぎるのだ。カレーの中に麺を入れてあえると、
ほとんど液体はなくなり、黄色いカレー風味の麺だけ状態になってしまう。
あくまでルウのとろみ感を堪能したい私は、配分を考えつつ、
舌のくぼみにまずカレーを少量入れ、
その上に一口分に切ったソフト麺を置いて口中で混ぜるという技を編み出した。
周囲の者にもフォロミーをすすめたが、賛同者は少なかったような。
お行儀が悪かった?
でもさ、考えてみて欲しい。
カレーの中に、ほぐれていないソフト麺の塊をドボンと入れて混ぜるのだって
お上品とはいえないのでは?
つけ麺みたいに麺がほぐれているならばわかるけど。
せめて麺の上にカレーをかけて欲しかったのですよ。

器も今思うと、ひどかったなあ。
刑務所で使われていそうなペラペラのアルミプレート&先割れスプーン。
あれでは食欲がわかないだろう。今どきのプラスチックのほうが少しはマシかな、
いや、それも本当はイヤだな。
本物の陶磁器や木椀だったら良かったのに。

学校創立記念の日、特別にケーキが出た。
1人前サイズのデコレーションケーキ。
私たちは狂喜乱舞した。いざ実食!
・・・マズイ。実にマズイ。生クリームではなかった。
今は、本物のバタークリームのケーキが美味しいことを知っているが、
あの頃のバタークリームはおそらくバターではない安い油脂を使用していたため
美味しくなかった。私だけでなく、他の子も、
一口食べてみんな残してしまい(ジャイアンと花沢さんはどうしていたかはわからない)、
先生は「食べ物を祖末にするとは!!」と怒った。
確かに食べ物を残すのはよくない。
しかし、子供騙しなマズイものを作る(発注する?)そのセンスに問題はないのか、
無理するくらいならまんじゅうにでもすればよかったのに、
と、子供ながらに調理クラブ部長としては納得がいかないのだった。

2012年11月23日金曜日

新たな絆

「お元気ですか?」
「ええ、まあ何とか」
お裾分けしたいものがあり、以前住んでいた家の大家さんに久しぶりに電話をした。
今住んでいる所から数駅の距離で、二世帯住宅の1階に私は住んでいた。
2・3階が大家さんの住まいで、奥さんは偶然にも元編集者、ご主人は作家、息子さんが一人。
1階部分だけとはいえ、一軒家であるのにはかわりなく、門や玄関扉までの階段もあり、
住み心地は快適で、私は11年そこに住んでいた。
大家さんと一緒の家なんてうっとおしいのでは?と人から聞かれることもあったが、
彼らは普段は決して干渉せず、それでいて、私が風邪で高熱の時には車で病院に連れていってくれたり、雪が降った翌朝にはもう玄関の階段が雪かきされていたり、
“妙齢のお嬢さん”がトイレットペーパーを買って持ち歩いている姿は忍びないからと
定期的に差し入れてくれたりした。

引っ越すきっかけとなったのは、
息子さんが結婚を機に1階部分に住みたいということで、
いわば、私は退居させられた形になるのだが、
その目的のために家を改築したと入居時に聞いていたし、
私もそろそろ環境を変えようかなと思っていたところだったので、
さしてショックでも迷惑でもなかった。
しかし大家さんはご夫婦揃ってある雨の夜、私の玄関先で、本当に言いづらそうに、
申し訳なさそうに「あくまで相談なのですが」と話し、私が即答で承諾すると、
ホッと胸をなでおろしていた。
最後の2カ月分の家賃をタダにしてくれたうえ、敷金は全額返金、恐縮したのはこっちのほうだ。

電話の返答に、ややムリがある響きがあったのが気になったが、ともあれ、
駅前の喫茶店でお茶でもということになった。
「お久しぶりです、みなさんお元気ですか?」
と私が再び呑気に社交辞令としてたずねると、
奥さんは「実は・・・3月に主人が亡くなったんです」と言い、目を潤ませた。
まだ65歳、肺がんと診断され半年で亡くなったという。
痛みに苦しみながらもまったく弱音をはかず、
最後の頃は緩和のためのモルヒネのパッチも断り、
幸せな人生だったと言葉を残して逝った。
彼の希望で、生前には兄弟にも知らせず、葬式は奥さんと息子さん夫婦で行い、
後日に近親者に知らせたという。
それには、彼の複雑な生い立ちが深く関わっており、
そうした話も奥さんは私に話してくれた。
晩婚の2人は結婚式も披露宴もしていないが、見かねた周囲の友人たちが
パーティーをセッティングしてくれた、と、その時の写真を見せてくれた。
「今こうして改めて見ると、彼、かなりハンサムだったんだなあって。
私、ものすごい嬉しそうにデレデレしちゃってるわね」と照れながら涙ぐむ奥さん。
そこに写っているご主人は、本当にいい男であり、
それから20年30年経って私が知っている彼も、その頃の面影のある、素敵な人だった。
自分の美学を持ち、知的で、他人を蔑まない謙虚な人だと私は感じていた。
「彼は私より年下なんだけれど、男女は平均寿命差があるから、
ちょうど同じ頃に死ねるよと結婚の時に言ってくれたのにね」
今は少しずつ遺品の整理をしているが、書き遺した原稿には手をつけられていないし、
骨は海にまいて欲しいと言われているが、まだその決心ができないという。
ふとした時に涙が流れてしまう、“時薬”はなかなか効かないものですね、と。

私は、自分でもびっくりするくらい、喫茶店で号泣してしまった。
しかし、私と元大家さんとの交流は、本当の意味での交流は、
今日、始まった気がする。