ホテルオークラ東京の本館が閉館になった。
惜しむ声が多いとのニュースが報じられている。
私にとって、ホテルオークラ(昔は東京とはつかなかった)は
仕事に行く場所だった。
小野正吉総料理長の晩年時代、
私は連載のインタビューを受け持っており、定期的に通っていた。
1990年代の話である。
当時、小野氏には『シェフ』の顧問もやっていただいていたので、
年始の挨拶などにもうかがい、
小野氏のフランス国家功労章シュヴァリエ受章のお祝いの会や、
あるいは業界関係者のパーティーもよく行われていたので、
何かにつけ訪問する機会があった。
南北線はまだ開通しておらず、
虎ノ門駅から虎の門病院脇を歩いて行くルートで通った。
駅から遠く、上り坂で息を切らしていることもあり、
また、20代の私には、小野氏のインタビューは非常に緊張する仕事だったので、
少し早めに到着し、ロビーで呼吸をととのえるのが常であった。
オークラならではの和モダンなロビーは、
不思議と心を落ち着かせてくれる空間だった。
小野ムッシュ(と呼ばれていた)は私と同じ(いや、私が同じ)浜っ子で、
ちょいとべらんめえな口調だった。
私は緊張しながらも、時々、まるで親戚のおじさんか祖父と
話しているかのような気持ちにもなった。
最後のインタビューは、体調を悪くされている時期で、
いつでも休めるよう用意されていた客室に通された。
探せばその時の録音テープがどこかに残っているはずだが、
特に印象的だったのは、
どなたかからの差し入れらしい和菓子があって、
それをすすめられたこと。
小野ムッシュがなかなか手をつけないので私もそのままにしていたら
「いいからあんた、早く食べろ」と言われた。
おそらく、小野ムッシュはもう、和菓子を食べる欲などなかったのではないか。
シャイな人だった。
そして、もう一つの出来事。
やはり20年前のこと。
私はオークラの別館から本館に向かう上りエスカレーターに乗っていた。
私の前にも後ろにも誰も人はいない。
見上げると、数人が一列に連なって下ってくる。
何か黄色い光を放つかのような集団。
左右が壁で他に何も視界には入らない。
だんだん近づいてくると、
前後の人に挟まれた真ん中の人が誰であるのかがわかり、
私は「ハッ」とした。
ハッとした顔のまま、かたまった。
間もなく、私とその人がすれ違うというところで、
その人はにっこり微笑んで、わざわざ体を私に向けて、手を合わせた。
私も思わず真似て合掌した。
その人とは、ダライ・ラマ14世だった。
私にとってホテルオークラは、感謝と奇跡の場所である。
2015年9月6日日曜日
2015年8月30日日曜日
やっちゃう人生
週末、Mちゃんとフレンチの夕食をともにした。
Mちゃんは元々は編集者だが、最近は部署が異動になって、
インバウンド関係に携わっているという。
いつだってMちゃんには驚かされる。
彼女は30代で東京に自分の家を建てた。
子供の頃からコツコツ貯めてきた貯金で、土地をキャッシュで購入したのだ。
使う時はドカンと、使わない時は徹底的に倹約、がMちゃんの基本姿勢。
普段、会社の帰りにラーメン屋に寄ると、ラーメンは注文せず、
サイドオーダーの卵かけご飯だけを注文するという。
そうしてお金が貯まると、
話題の高級レストランやホテルに行ってグルメを楽しんだり、
いそいそと海外旅行にでかける。
「来週から仕事が暇になるので、ちょっとウズベキスタン行ってくるね」
みたいなメールを平気で送ってくる。
ウズベキスタンって、伊豆にでも行くような感覚で行くところなんですかね?
海外へは基本、一人でツアーに申し込み、そこで誰かと仲良くなる。
来週からはメキシコに行くという。
ウズベキスタンで知り合った、親くらいの年の女性と一緒に行くそうだ。
彼女が20代の頃、インドに一人旅をした時に、
宿泊していたホテルのインド人オーナー男が彼女の部屋をノックしてきたという。
開けると、お茶を持ってきたので部屋に入れると、
オトナのかんけーを迫られた。
断ると、男は部屋を出ずに、その場で何か一人でおかしなことをしていたという。
そんな話を、彼女はこともなげに言う。
そんな話ならいくらでもあるのだ。
Mちゃんには、旅をする時にいつも決まってはくサンダルがある。
通販の製品で、いわゆるオフィスサンダル、1900円。
これが一番よいらしく、これまで29足同じものをはきつぶしてきた。
近々、それが少し値上がりになると知り、3足まとめて購入したという。
しかしその一方で、6万円のプラダのサンダルもはく。
旅行雑誌の編集部勤務だった頃、
タイアップ記事の袋とじをつけることになり、
「破れないよう丁寧に開封してください」みたいなコピーを
袋とじの隅っこに入れるため、
彼女はコンビニでアダルト雑誌を片端から見て、
どんなふうに書かれているのか研究したという。
袋とじ部分をじぃーっと凝視しては、また次のアダルト雑誌に手を出す女子。
周囲の男性諸氏はどう思っただろうか。
また、ある時は、ラブホテル街エリアを地図に載せたらいいのではと考え、
人気まばらな早朝に、画板を首からぶら下げて、
ラブホ街をウロウロしてホテルの位置を調べて書き込み、
出てくるカップルたちに怪しまれたそうな。
でも、その地図を掲載した本はよく売れたらしいから、
Mちゃんのアイデアは当たりだった。
テレビをつけたら、偶然にもそこにMちゃんが映っていた、ということが過去2回あった。
旅行雑誌編集者としておすすめ情報のコメントを、
明石家さんまら有名タレントを前にして語っていた。
彼女から放映を知らされて観た番組もある。
おしゃれな狭小住宅を紹介する番組で、
Mちゃんはリポーターのミスターちんをガラス張りの浴室に案内し、
「このお風呂エロいでしょ〜」などとかまし、
「人によるでしょーが」とミスターちんが若干キレ気味に答えていた。
実際には、彼女はもっとたくさんしゃべったが全部カットされていたらしい。
なんだか下ネタ系のエピソードばかり書いてしまったが、
その方面のみでおもしろいということでは決してない。
どうしてそんなにいつもアクティブなの?と私が聞くと、彼女はこう答えた。
「生き急いでいるのかもしれない。
私、自分が長生きすると思えないんだよね。心臓弱いし。
だから、永ちゃんのCMみたいに、やっちゃう人生。
やりたいことどんどん早くやらないと、もう先が長くないから」
私には、Mちゃんがおばあさんになって、
相変わらず素っ頓狂なことをしている姿が想像つくけどと言うと、
「ありがとうございます」と彼女は答えた。
しかしそれはあり得ませんからとでも言いたげな、
神様にはっきりと寿命を知らされている人のような表情を見せた。
私はなんだか少し怖くなった。
Mちゃんは元々は編集者だが、最近は部署が異動になって、
インバウンド関係に携わっているという。
いつだってMちゃんには驚かされる。
彼女は30代で東京に自分の家を建てた。
子供の頃からコツコツ貯めてきた貯金で、土地をキャッシュで購入したのだ。
使う時はドカンと、使わない時は徹底的に倹約、がMちゃんの基本姿勢。
普段、会社の帰りにラーメン屋に寄ると、ラーメンは注文せず、
サイドオーダーの卵かけご飯だけを注文するという。
そうしてお金が貯まると、
話題の高級レストランやホテルに行ってグルメを楽しんだり、
いそいそと海外旅行にでかける。
「来週から仕事が暇になるので、ちょっとウズベキスタン行ってくるね」
みたいなメールを平気で送ってくる。
ウズベキスタンって、伊豆にでも行くような感覚で行くところなんですかね?
海外へは基本、一人でツアーに申し込み、そこで誰かと仲良くなる。
来週からはメキシコに行くという。
ウズベキスタンで知り合った、親くらいの年の女性と一緒に行くそうだ。
彼女が20代の頃、インドに一人旅をした時に、
宿泊していたホテルのインド人オーナー男が彼女の部屋をノックしてきたという。
開けると、お茶を持ってきたので部屋に入れると、
オトナのかんけーを迫られた。
断ると、男は部屋を出ずに、その場で何か一人でおかしなことをしていたという。
そんな話を、彼女はこともなげに言う。
そんな話ならいくらでもあるのだ。
Mちゃんには、旅をする時にいつも決まってはくサンダルがある。
通販の製品で、いわゆるオフィスサンダル、1900円。
これが一番よいらしく、これまで29足同じものをはきつぶしてきた。
近々、それが少し値上がりになると知り、3足まとめて購入したという。
しかしその一方で、6万円のプラダのサンダルもはく。
旅行雑誌の編集部勤務だった頃、
タイアップ記事の袋とじをつけることになり、
「破れないよう丁寧に開封してください」みたいなコピーを
袋とじの隅っこに入れるため、
彼女はコンビニでアダルト雑誌を片端から見て、
どんなふうに書かれているのか研究したという。
袋とじ部分をじぃーっと凝視しては、また次のアダルト雑誌に手を出す女子。
周囲の男性諸氏はどう思っただろうか。
また、ある時は、ラブホテル街エリアを地図に載せたらいいのではと考え、
人気まばらな早朝に、画板を首からぶら下げて、
ラブホ街をウロウロしてホテルの位置を調べて書き込み、
出てくるカップルたちに怪しまれたそうな。
でも、その地図を掲載した本はよく売れたらしいから、
Mちゃんのアイデアは当たりだった。
テレビをつけたら、偶然にもそこにMちゃんが映っていた、ということが過去2回あった。
旅行雑誌編集者としておすすめ情報のコメントを、
明石家さんまら有名タレントを前にして語っていた。
彼女から放映を知らされて観た番組もある。
おしゃれな狭小住宅を紹介する番組で、
Mちゃんはリポーターのミスターちんをガラス張りの浴室に案内し、
「このお風呂エロいでしょ〜」などとかまし、
「人によるでしょーが」とミスターちんが若干キレ気味に答えていた。
実際には、彼女はもっとたくさんしゃべったが全部カットされていたらしい。
なんだか下ネタ系のエピソードばかり書いてしまったが、
その方面のみでおもしろいということでは決してない。
どうしてそんなにいつもアクティブなの?と私が聞くと、彼女はこう答えた。
「生き急いでいるのかもしれない。
私、自分が長生きすると思えないんだよね。心臓弱いし。
だから、永ちゃんのCMみたいに、やっちゃう人生。
やりたいことどんどん早くやらないと、もう先が長くないから」
私には、Mちゃんがおばあさんになって、
相変わらず素っ頓狂なことをしている姿が想像つくけどと言うと、
「ありがとうございます」と彼女は答えた。
しかしそれはあり得ませんからとでも言いたげな、
神様にはっきりと寿命を知らされている人のような表情を見せた。
私はなんだか少し怖くなった。
2015年8月9日日曜日
大阪→津山
関西より帰ってきた。
まだ仕事になるかどうかわからないのだが、
ある人の本を作りたいと思って、その人に会いに大阪へ行ったのだった。
お互い、本を出したいことの意思は一致、
まずは私が企画を考えるということで夕方に別れた。
大阪駅に向かう電車に乗る。
小さい兄妹が母親と乗ってきて、私の横に2人とも座りたそうなので詰めると、
女の子はありがとうと言って座り、さらにもう一度、私の顔を見上げて
「詰めてもらってすいません」と、すいの部分に力を入れた大人のような口ぶりで言う。
東京の子だったら、なかなかこんなふうには言えんよなあ。
大阪の街をブラブラ散策したいところだが、
気温37℃、生命の危機を感じたので断念、
まだ日が暮れていない5時半過ぎ、バルに入る。
直前に美味しいクロックムッシュを食べたばかりで
すでにお腹は半分近くうまっていたが、
バルだから小皿だろうと、3品(茄子・ハモ・鴨)をオーダー、
お酒はモヒートと迷いつつシェリーのマンサニージャを。
店は夜の営業がスタートしたばかりだが、
もう女性同士のペアが3組入っていた。
私のすぐ近くの人は、ノースリーブのタイトなワンピースを着ている。
ショッキングピンクである。
イメージで語られるコテコテな大阪女が、しかしこうして本当にいるのであるな。
「ゆーこはなあ」と自分で自分の名前を呼んでいる。
「あんなあ、ゆーこはなあ、結婚が仕事!」
ゆーこはモヒート2杯をさっさと飲み、出て行ってしまった。
仕事に戻るのかな。
サービススタッフの男性に
「なんか、久しぶりですよね」と言われる。
いえ、初めてですがと言うのが申し訳なく思う私って
見かけによらず優しい女だよね。違うのか?
小皿と思いきや結構ボリュームのある料理だったため、
2皿目後半からきつくなってきたが、結局は3皿目まで完食。
膨れた腹をさすりつつ歩いてホテルまで帰る。
人通りの激しい街角のコンビニの前に立っておにぎりを食べるOLがいる。
さっきも同じ場所で違うOLがおにぎりだったかパンだったかを食べる姿を見た。
これも大阪女子のスタイルなんだろうか?
翌日は、岡山県津山市に住む友人Yちゃん宅を訪ねるため、
大阪駅から高速バスに乗った。
バスは約3時間で2750円、
電車だとたいして時間は変わらず7000円近くする。
途中1回、パーキングエリアでの休憩をはさむ。
そこで購入したのだろう、斜め前の席に座る男が
普段見たこともない油っぽい変なせんべいをザクザクとむさぼっている。
食べつつむせている。中年の証拠である。
袋の底にたまったカスもすべてむせながら平らげた後、
なぜか機内食のタイプのカップに入ったミネラルウォーターを一気に飲み、
最後の最後の1滴が口中に滴り落ちるまでじっと仰ぎ待って完璧に飲み干した。
そして、前の席の人が引いていたカーテンの端の裾と、窓下の布部分に、
まるでその質感を確かめるような手つきで、油の指を何度も拭いていた。
渋滞があったせいで、津山駅には予定より25分オーバーして到着。
Yちゃんは小学校から同じ、地元・横浜の友人だ。
旦那氏の故郷の津山に引っ越してからも、
彼女とは横浜に帰郷の折に会っていたが、
こちらの家は10年前の新築時以来、2回目の訪問だ。
寝そべることもできる広さの玄関、
彼女が見立てた可愛らしいインテリアのLDKの雰囲気などは変わらない。
変わったことは、トイプーちゃんが家族に加わっていることと、
一人娘のMちゃんが、舟木一夫が歌う高校3年生に成長していたことだ。
彼女は初めてボーイフレンドができたばかりだが、
受験勉強のことで頭がいっぱいで、どうも彼氏にツレない態度らしい。
むしろYのほうがまるで自分の彼氏のように盛り上がっている。
「うちに連れてきて自分の部屋でイチャイチャすればいいのに、なんでそう思わないの?」
などと、母親らしからぬ扇動をくり返している。
旦那氏とは10年ぶりの再会だ。
結婚前の彼氏時代や、津山に引っ越すまでの新婚時代など、
彼を交えて時折一緒に遊んだ。
20代の頃の思い出話をあれこれしている中で、
彼は私が当時住んでいた家についてこう言った。
「暗い照明の部屋で、ちあきなおみを聴いていたよね」
え、いや、覚えていない、何よ、それ。
しかし、そんなふうに彼の中で私の思い出は刻まれ、生き続けるのだ。
そして今日会ったことは10年後、どんな私だったと語られることになるだろうか。
テレビで取り上げられて有名になった津山の煮こごりを食べさせてもらう。
牛スジやアキレス腱などを醤油味で煮て冷やし固めたもので、
パッケージには大きく「秘密」という文字が貼られている。
何かが秘密らしいが、秘密であるということ自体は公言してはばからない。
彼女が店に買いに行った時には、非売品とも書かれていたが、
ステーキ肉と共に、これは?と聞いたら普通に売ってくれたらしい。
ちなみに彼女の一家は、私が今回リクエストするまで
この食べ物の存在を知らなかったという。
地元は広く、日本は狭い。
帰りは、ワタクシ人生初の深夜高速バスに挑戦しました。
津山22:10発のルミナス女性専用号、新宿西口に翌朝6:35着。
このバス、スタートは倉敷より南に位置する下津井からで、なんと18:40発、
最初から乗っている人は12時間もの長旅である。
それで1万200円、安いには違いないが、
岡山から東京まで新幹線で3時間20分1万6300円であるから、
いまひとつバスのメリットが感じられないのであるが。
津山は現地での最後の乗車駅になり、9800円。
私は事前にネットで購入したため早割が効いて8820円だった。
津山の場合は岡山空港や岡山駅に出るのに時間がかかるため、
このバスはなかなか重宝する手段かもしれない。
車内は横一列につき3席で、席間に空間があるのと、女性のみのため、
隣の人のストレスはさほど感じない。
私は後ろから2番目の窓側だった。
一番後ろの席は誰もいなかったため、シートを心置きなく倒せられて良かった。
筒状に丸めて袋に入れられる薄手のダウンジャケットを冷房対策で持参したのだが、
備えつけの毛布があった。
これがかなり厚みのあるもので、むしろ暑すぎるくらいだ。
ダウンの筒はクッション代わりに腰の後ろに置いた。
乗ってすぐに休憩パーキングエリアに到着。
ここ以外、もうどこにも止まらないという。
運転手の交代のために止まることは止まるけれども、
お客さんは降りちゃダメだという。
バスのトイレは中央付近、カーテンで覆われた半地下にある。
サービスのコーヒーや水なんかもその階段脇にあるという。
パーキングエリアを出発すると、もう消灯時間となった。
窓にはカーテンがぴっちり留められており、外はまったく見えない。
そのため車内はほとんど真っ暗闇だ。
私の座席からトイレまでは遠く、
寝ている隣の人をまたがなければ行けない。
かなりのプレッシャーである。
コーヒーなんてヘタに飲んで尿意をもよおしたくはないし、
暗闇の中、コーヒーを上手く席まで運ぶ自信もない。
もし眠れずにスマホでも見たい場合には、毛布を被って光を遮らないとダメだ。
飛行機であれば、たとえみんなが寝ていても、
自分一人、本を読んだり映画を観たりできなくもないし、
トイレだって、8時間ぶっ通しで隣人が寝ているなんてことはないので、
タイミングをうまく見計らえる。
だから、ここではとにかく寝ちまうより他ない。
夢半分、現実半分で私はおかしな気分になっていた。
ここは鶏舎で、私たちは卵を産む鶏だ。
私たちは女工作員だ。
私たちは誘拐された。
私たちは生きたまま間違って霊柩車に乗せられた・・・。
新宿には予定より1時間遅れの7時半過ぎに到着した。
途中、渋滞があり、通常とは違うルートを通ったという。
運転席背後のカーテンが開けられ、フロントガラスからは
眩しい朝日が差し込んでいるものの、
誰もサイドの窓のカーテンを開けない、そのような指示もない。
一番奥にいる私には、まだ現実に戻るための光が足りないが、
とりあえず助かった、という気になった。
降り立った新宿西口の高速バスターミナルは、
平日の金曜ながら、これから旅に出ようとする夏休みの人たちでごった返していた。
私は人波をかき分け、トイレに直行した。
まだ仕事になるかどうかわからないのだが、
ある人の本を作りたいと思って、その人に会いに大阪へ行ったのだった。
お互い、本を出したいことの意思は一致、
まずは私が企画を考えるということで夕方に別れた。
大阪駅に向かう電車に乗る。
小さい兄妹が母親と乗ってきて、私の横に2人とも座りたそうなので詰めると、
女の子はありがとうと言って座り、さらにもう一度、私の顔を見上げて
「詰めてもらってすいません」と、すいの部分に力を入れた大人のような口ぶりで言う。
東京の子だったら、なかなかこんなふうには言えんよなあ。
大阪の街をブラブラ散策したいところだが、
気温37℃、生命の危機を感じたので断念、
まだ日が暮れていない5時半過ぎ、バルに入る。
直前に美味しいクロックムッシュを食べたばかりで
すでにお腹は半分近くうまっていたが、
バルだから小皿だろうと、3品(茄子・ハモ・鴨)をオーダー、
お酒はモヒートと迷いつつシェリーのマンサニージャを。
店は夜の営業がスタートしたばかりだが、
もう女性同士のペアが3組入っていた。
私のすぐ近くの人は、ノースリーブのタイトなワンピースを着ている。
ショッキングピンクである。
イメージで語られるコテコテな大阪女が、しかしこうして本当にいるのであるな。
「ゆーこはなあ」と自分で自分の名前を呼んでいる。
「あんなあ、ゆーこはなあ、結婚が仕事!」
ゆーこはモヒート2杯をさっさと飲み、出て行ってしまった。
仕事に戻るのかな。
サービススタッフの男性に
「なんか、久しぶりですよね」と言われる。
いえ、初めてですがと言うのが申し訳なく思う私って
見かけによらず優しい女だよね。違うのか?
小皿と思いきや結構ボリュームのある料理だったため、
2皿目後半からきつくなってきたが、結局は3皿目まで完食。
膨れた腹をさすりつつ歩いてホテルまで帰る。
人通りの激しい街角のコンビニの前に立っておにぎりを食べるOLがいる。
さっきも同じ場所で違うOLがおにぎりだったかパンだったかを食べる姿を見た。
これも大阪女子のスタイルなんだろうか?
翌日は、岡山県津山市に住む友人Yちゃん宅を訪ねるため、
大阪駅から高速バスに乗った。
バスは約3時間で2750円、
電車だとたいして時間は変わらず7000円近くする。
途中1回、パーキングエリアでの休憩をはさむ。
そこで購入したのだろう、斜め前の席に座る男が
普段見たこともない油っぽい変なせんべいをザクザクとむさぼっている。
食べつつむせている。中年の証拠である。
袋の底にたまったカスもすべてむせながら平らげた後、
なぜか機内食のタイプのカップに入ったミネラルウォーターを一気に飲み、
最後の最後の1滴が口中に滴り落ちるまでじっと仰ぎ待って完璧に飲み干した。
そして、前の席の人が引いていたカーテンの端の裾と、窓下の布部分に、
まるでその質感を確かめるような手つきで、油の指を何度も拭いていた。
渋滞があったせいで、津山駅には予定より25分オーバーして到着。
Yちゃんは小学校から同じ、地元・横浜の友人だ。
旦那氏の故郷の津山に引っ越してからも、
彼女とは横浜に帰郷の折に会っていたが、
こちらの家は10年前の新築時以来、2回目の訪問だ。
寝そべることもできる広さの玄関、
彼女が見立てた可愛らしいインテリアのLDKの雰囲気などは変わらない。
変わったことは、トイプーちゃんが家族に加わっていることと、
一人娘のMちゃんが、舟木一夫が歌う高校3年生に成長していたことだ。
彼女は初めてボーイフレンドができたばかりだが、
受験勉強のことで頭がいっぱいで、どうも彼氏にツレない態度らしい。
むしろYのほうがまるで自分の彼氏のように盛り上がっている。
「うちに連れてきて自分の部屋でイチャイチャすればいいのに、なんでそう思わないの?」
などと、母親らしからぬ扇動をくり返している。
旦那氏とは10年ぶりの再会だ。
結婚前の彼氏時代や、津山に引っ越すまでの新婚時代など、
彼を交えて時折一緒に遊んだ。
20代の頃の思い出話をあれこれしている中で、
彼は私が当時住んでいた家についてこう言った。
「暗い照明の部屋で、ちあきなおみを聴いていたよね」
え、いや、覚えていない、何よ、それ。
しかし、そんなふうに彼の中で私の思い出は刻まれ、生き続けるのだ。
そして今日会ったことは10年後、どんな私だったと語られることになるだろうか。
テレビで取り上げられて有名になった津山の煮こごりを食べさせてもらう。
牛スジやアキレス腱などを醤油味で煮て冷やし固めたもので、
パッケージには大きく「秘密」という文字が貼られている。
何かが秘密らしいが、秘密であるということ自体は公言してはばからない。
彼女が店に買いに行った時には、非売品とも書かれていたが、
ステーキ肉と共に、これは?と聞いたら普通に売ってくれたらしい。
ちなみに彼女の一家は、私が今回リクエストするまで
この食べ物の存在を知らなかったという。
地元は広く、日本は狭い。
帰りは、ワタクシ人生初の深夜高速バスに挑戦しました。
津山22:10発のルミナス女性専用号、新宿西口に翌朝6:35着。
このバス、スタートは倉敷より南に位置する下津井からで、なんと18:40発、
最初から乗っている人は12時間もの長旅である。
それで1万200円、安いには違いないが、
岡山から東京まで新幹線で3時間20分1万6300円であるから、
いまひとつバスのメリットが感じられないのであるが。
津山は現地での最後の乗車駅になり、9800円。
私は事前にネットで購入したため早割が効いて8820円だった。
津山の場合は岡山空港や岡山駅に出るのに時間がかかるため、
このバスはなかなか重宝する手段かもしれない。
車内は横一列につき3席で、席間に空間があるのと、女性のみのため、
隣の人のストレスはさほど感じない。
私は後ろから2番目の窓側だった。
一番後ろの席は誰もいなかったため、シートを心置きなく倒せられて良かった。
筒状に丸めて袋に入れられる薄手のダウンジャケットを冷房対策で持参したのだが、
備えつけの毛布があった。
これがかなり厚みのあるもので、むしろ暑すぎるくらいだ。
ダウンの筒はクッション代わりに腰の後ろに置いた。
乗ってすぐに休憩パーキングエリアに到着。
ここ以外、もうどこにも止まらないという。
運転手の交代のために止まることは止まるけれども、
お客さんは降りちゃダメだという。
バスのトイレは中央付近、カーテンで覆われた半地下にある。
サービスのコーヒーや水なんかもその階段脇にあるという。
パーキングエリアを出発すると、もう消灯時間となった。
窓にはカーテンがぴっちり留められており、外はまったく見えない。
そのため車内はほとんど真っ暗闇だ。
私の座席からトイレまでは遠く、
寝ている隣の人をまたがなければ行けない。
かなりのプレッシャーである。
コーヒーなんてヘタに飲んで尿意をもよおしたくはないし、
暗闇の中、コーヒーを上手く席まで運ぶ自信もない。
もし眠れずにスマホでも見たい場合には、毛布を被って光を遮らないとダメだ。
飛行機であれば、たとえみんなが寝ていても、
自分一人、本を読んだり映画を観たりできなくもないし、
トイレだって、8時間ぶっ通しで隣人が寝ているなんてことはないので、
タイミングをうまく見計らえる。
だから、ここではとにかく寝ちまうより他ない。
夢半分、現実半分で私はおかしな気分になっていた。
ここは鶏舎で、私たちは卵を産む鶏だ。
私たちは女工作員だ。
私たちは誘拐された。
私たちは生きたまま間違って霊柩車に乗せられた・・・。
新宿には予定より1時間遅れの7時半過ぎに到着した。
途中、渋滞があり、通常とは違うルートを通ったという。
運転席背後のカーテンが開けられ、フロントガラスからは
眩しい朝日が差し込んでいるものの、
誰もサイドの窓のカーテンを開けない、そのような指示もない。
一番奥にいる私には、まだ現実に戻るための光が足りないが、
とりあえず助かった、という気になった。
降り立った新宿西口の高速バスターミナルは、
平日の金曜ながら、これから旅に出ようとする夏休みの人たちでごった返していた。
私は人波をかき分け、トイレに直行した。
2015年7月23日木曜日
夏の夜の夢
今までの私なら、身を横たえて1分ともたずに眠りに落ちるのに、
暑さのせいなのか、この頃、寝つきが悪い。
ようやく寝られたかと思うと、2時間ばかりで目が覚めて、
何かこう、もんじゃもんじゃしている。
昨夜は30分経っても1時間経っても眠れなかった。
本を読もうかと思ったが、それでますます目が冴えるのも困る。
そこで、どういうわけか、遠い昔の子供時代の夏の思い出を
年齢順に追ってみようと思い立った。
一番古い記憶は、2歳と4カ月。
私は赤いイチゴのアイスを食べながら祖母とどこかを歩いている。
記憶はその一瞬のみで、
もちろん夏だとか2歳だったという自覚はないのだが、
7月に弟が生まれる際、私は祖父母の家にしばらくあずけられたという話を
のちに聞き、あの記憶はその時のものに違いないと思う。
私は昼時分になると、
「おばあちゃん、そろそろお昼にしようか」と
大人の口ぶりで言っていたらしい。
それも自分の記憶ではないし、
直接知っている祖母は、もうこの世にはいない。
幼稚園の時の夏休みで記憶にあるのは、
肝油ドロップを一缶いっぺんに食べてしまったことだ。
普段は幼稚園で1粒しかおやつにもらえなかった肝油、
あのざらついた表面の舌触りと、中の少しかための甘酸っぱいゼリーの味わいたるや、
私には魅惑の食べ物だった。
おそらく、夏休み1カ月分として幼稚園で販売していたんだろう。
食べたいものを食べたいだけ食べるわがままな弟と違い、
長女の私は我慢をする子だった、はず。
なのにあの時はなぜ止まらなくなってしまったのだろうか。
親は怒るというより、子供が死んじゃうんじゃないかと大騒ぎになった。
が、全部おしっこで出るから大丈夫だと言われたらしい。
今でもごくたまにドラッグストアで肝油ドロップを買うのだが、
あの頃の味とはどうも違う気がする。
しかしどう違うか、はうまく説明できない。
小学3年の夏、近所の友達で一人っ子のKちゃん家族の車に私も同乗し、
大磯ロングビーチに行った。
今にして思えば、彼女の家はごく平凡なサラリーマンの家だったが、
いかにも一人っ子らしいKちゃんの自由奔放な振る舞いや、
江ノ島日帰りや伊豆の民宿を選ぶ我が家と違って大磯ロングビーチという
ハイカラトレンディな選択をする彼女の家に対して
私はなぜかお金持ちを見るような視線を送っていたのだった。
帰りの車で彼女は乗り物酔いし、卵サンドイッチを吐いた。
私はもらいゲロしないよう、鼻で息をするのを止め、
遠くを眺めて気をそらすのが精一杯だった。
くねくねの箱根の峠でもあるまいに、お嬢さんはこれだから困るなあ、と思った。
自宅に着くと、我が家は跡形もなくなっていた。
それまで平家だったのだが、2階建てに建て直すことになり、
この日は解体の日だったのだ。
家を建てている夏の間、近所のアパートで仮暮らしをした。
そこからわずか数メートルのところに私営のプールがあり、
私はシーズン券を首からぶら下げ、水着のままタオルをはおって毎日通った。
ある時、Kちゃんも一緒に行くことになり、
彼女とうちのアパートで着替えていると、私の母が部屋に入ってきた。
「いやーん、おばちゃんったらぁ」と
彼女はまだ板状の胸元を隠して甘い口ぶりで言った。
そのませた態度が私には死ぬほど恥ずかしかった。
私は彼女のことが実はそんなに好きではなかったのだろう。
なのになぜ、よく遊んでいたんだろうか。
彼女は今頃どうしているだろう、あのままいけばエロい熟女路線のはず。
小学5年の夏、生まれて初めて、子供たちだけで映画館に行った。
女子2人、男子2人。
映画は「スーパーマン」だった。
いつも一緒に遊んでいる男子ではないのに、どうして誘われたのだろうか。
私はフリルがついた水色のワンピースを着ていた。
胸元にはひまわりの刺繍があったと思う。
紙コップのジュースを男子はごちそうしてくれた。
別に好きでもない男子だったけれど、だからこそ、
私はちょっぴり大人になったような気がした。
相変わらず、私営プールに通っていた。
帰りに食べる、チョコクランチバーアイスがたまらなく好きだった。
監視員をしていた大学生のお兄さんに憧れていた。
水面からざーっと上がって、お兄さんに近づいていく私は、
イメージ的には浅野ゆう子かアグネス・ラムで、
南佳孝のモンロー・ウォークが鳴り響いていた。
私がにっこり微笑むと、お兄さんも微笑み返してこう言った。
「鼻クソついているよ」
水から出た勢いで鼻水が垂れていた。
プールに飛び込んで死んでしまいたいと思った。
結局、子供時代の夏の思い出をいくらなぞらえても、私はまだ眠れなかった。
家を建て直す前のエアコンがなかった時代、暑くて寝苦しい夜には、
タオルケットをマントのようにして、
月光で壁に映る自分のシルエットをモンスターに見立てて遊んだ。
あるいは、涼しい場所を求めて、廊下で寝たりしていたこともある。
40年くらい前の話だ。
どうか今夜は眠れますように。
暑さのせいなのか、この頃、寝つきが悪い。
ようやく寝られたかと思うと、2時間ばかりで目が覚めて、
何かこう、もんじゃもんじゃしている。
昨夜は30分経っても1時間経っても眠れなかった。
本を読もうかと思ったが、それでますます目が冴えるのも困る。
そこで、どういうわけか、遠い昔の子供時代の夏の思い出を
年齢順に追ってみようと思い立った。
一番古い記憶は、2歳と4カ月。
私は赤いイチゴのアイスを食べながら祖母とどこかを歩いている。
記憶はその一瞬のみで、
もちろん夏だとか2歳だったという自覚はないのだが、
7月に弟が生まれる際、私は祖父母の家にしばらくあずけられたという話を
のちに聞き、あの記憶はその時のものに違いないと思う。
私は昼時分になると、
「おばあちゃん、そろそろお昼にしようか」と
大人の口ぶりで言っていたらしい。
それも自分の記憶ではないし、
直接知っている祖母は、もうこの世にはいない。
幼稚園の時の夏休みで記憶にあるのは、
肝油ドロップを一缶いっぺんに食べてしまったことだ。
普段は幼稚園で1粒しかおやつにもらえなかった肝油、
あのざらついた表面の舌触りと、中の少しかための甘酸っぱいゼリーの味わいたるや、
私には魅惑の食べ物だった。
おそらく、夏休み1カ月分として幼稚園で販売していたんだろう。
食べたいものを食べたいだけ食べるわがままな弟と違い、
長女の私は我慢をする子だった、はず。
なのにあの時はなぜ止まらなくなってしまったのだろうか。
親は怒るというより、子供が死んじゃうんじゃないかと大騒ぎになった。
が、全部おしっこで出るから大丈夫だと言われたらしい。
今でもごくたまにドラッグストアで肝油ドロップを買うのだが、
あの頃の味とはどうも違う気がする。
しかしどう違うか、はうまく説明できない。
小学3年の夏、近所の友達で一人っ子のKちゃん家族の車に私も同乗し、
大磯ロングビーチに行った。
今にして思えば、彼女の家はごく平凡なサラリーマンの家だったが、
いかにも一人っ子らしいKちゃんの自由奔放な振る舞いや、
江ノ島日帰りや伊豆の民宿を選ぶ我が家と違って大磯ロングビーチという
ハイカラトレンディな選択をする彼女の家に対して
私はなぜかお金持ちを見るような視線を送っていたのだった。
帰りの車で彼女は乗り物酔いし、卵サンドイッチを吐いた。
私はもらいゲロしないよう、鼻で息をするのを止め、
遠くを眺めて気をそらすのが精一杯だった。
くねくねの箱根の峠でもあるまいに、お嬢さんはこれだから困るなあ、と思った。
自宅に着くと、我が家は跡形もなくなっていた。
それまで平家だったのだが、2階建てに建て直すことになり、
この日は解体の日だったのだ。
家を建てている夏の間、近所のアパートで仮暮らしをした。
そこからわずか数メートルのところに私営のプールがあり、
私はシーズン券を首からぶら下げ、水着のままタオルをはおって毎日通った。
ある時、Kちゃんも一緒に行くことになり、
彼女とうちのアパートで着替えていると、私の母が部屋に入ってきた。
「いやーん、おばちゃんったらぁ」と
彼女はまだ板状の胸元を隠して甘い口ぶりで言った。
そのませた態度が私には死ぬほど恥ずかしかった。
私は彼女のことが実はそんなに好きではなかったのだろう。
なのになぜ、よく遊んでいたんだろうか。
彼女は今頃どうしているだろう、あのままいけばエロい熟女路線のはず。
小学5年の夏、生まれて初めて、子供たちだけで映画館に行った。
女子2人、男子2人。
映画は「スーパーマン」だった。
いつも一緒に遊んでいる男子ではないのに、どうして誘われたのだろうか。
私はフリルがついた水色のワンピースを着ていた。
胸元にはひまわりの刺繍があったと思う。
紙コップのジュースを男子はごちそうしてくれた。
別に好きでもない男子だったけれど、だからこそ、
私はちょっぴり大人になったような気がした。
相変わらず、私営プールに通っていた。
帰りに食べる、チョコクランチバーアイスがたまらなく好きだった。
監視員をしていた大学生のお兄さんに憧れていた。
水面からざーっと上がって、お兄さんに近づいていく私は、
イメージ的には浅野ゆう子かアグネス・ラムで、
南佳孝のモンロー・ウォークが鳴り響いていた。
私がにっこり微笑むと、お兄さんも微笑み返してこう言った。
「鼻クソついているよ」
水から出た勢いで鼻水が垂れていた。
プールに飛び込んで死んでしまいたいと思った。
結局、子供時代の夏の思い出をいくらなぞらえても、私はまだ眠れなかった。
家を建て直す前のエアコンがなかった時代、暑くて寝苦しい夜には、
タオルケットをマントのようにして、
月光で壁に映る自分のシルエットをモンスターに見立てて遊んだ。
あるいは、涼しい場所を求めて、廊下で寝たりしていたこともある。
40年くらい前の話だ。
どうか今夜は眠れますように。
2015年7月10日金曜日
シェフ107号発売!!
巻頭特集は「調理技術競演 火入れの裏技公開」です。
アンドセジュール、アムール、ル・ジャルダン・デ・サヴールの各シェフに
テクニックを公開いただきました。
アンドセジュール、アムール、ル・ジャルダン・デ・サヴールの各シェフに
テクニックを公開いただきました。
グランシェフはホテルメトロポリタンエドモント(中村氏)とアラジン(川崎氏)。
夏のスペシャリテはラ・ベカス、Edition Koji Shimomura、エサンス、
オーグードゥジュール ヌーヴェルエール、レストラン ヒロミチを掲載。
「新世代のシェフによる明日のスペシャリテ」は夏のスペシャリテはラ・ベカス、Edition Koji Shimomura、エサンス、
オーグードゥジュール ヌーヴェルエール、レストラン ヒロミチを掲載。
ラトリエ ドゥ ジョエル・ロブション(関谷氏)、
「プロのためのマルシェ」のテーマはトマトで、
料理はボウ・デパール 青山倶楽部(蜂須賀氏)に依頼。
他に、アニス、コントワール ミサゴ、resonance、グリ、リエゾン、
ビストロ ヌー、ラ トゥール、コポン ノープ、リストランテ ナカモト、
Salt by Luke Mangan、パレスホテル東京、シェ オリビエ、
銀座オザミデヴァン本店などの皆様にお世話になりました。
よろしくお願いいたします。
2015年7月1日水曜日
中国・煙台の旅4終(グルマン世界料理本大賞)
中国・煙台の旅1
http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2015/06/1.html
中国・煙台の旅2
http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2015/06/2.html
中国・煙台の旅3
http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2015/06/3.html
4日目(6月11日)
帰国日。一人で朝食。
昨夜、部屋に置かれた朝食券は2枚だった。
ドリンクを取りにちょっと席をはずしただけで、
ここのサービススタッフはそそくさと皿を下げてしまう。
「まだ食ってる途中でしょうが!!」と、田中邦衛やったろか。
昨日のワイナリーで出会ったフランス人シェフたちもこのホテルだったようで、
ダイニングで再び会ったので、軽く挨拶を交わす。
すると、もっさりとあごひげをたくわえ、ひょろりとした外国人が
私のテーブルにやって来て、
「君はスペイン語、話せるのか?」「ちょっといい?」と、前の椅子に腰掛けた。
彼の存在は初日から気づいていた。
どこの国の人なのかはわからないが、
仙人のような風貌で目立っていた。
何かいつも一人で鼻歌を口ずさみ、体を何となくクネクネさせていた。
彼はバルセロナの人だという。
“ SEITAI ” (整体) の伝道者らしい。
整体のパイオニア、野口晴哉の教えを学び、広めている。
“KATSUGEN” (活元)について、彼は語り出した。
無意識の体の動きやゆがみ、それを感じ取り、治癒力を高める、といった話を。
なるほど、だからいつも体をクネクネさせていたのか。
(そういえば私も以前に『整体入門』を読んだ気がするが、
本はどこへやってしまったかな・・・)
私が関心を示していたためか、
彼は私にSEITAIの本をプレゼントしてくれるという。
緑色の万年筆で、表紙の裏にメッセージを書いている。
lleva éste libro, como un licor destilado por el tiempo,
vuelve al árbol de donde nació.
しかし、なぜ整体の人がグルマンに?
「妻に同行してきたんだよ」
彼の目線の先を見ると、ぽっちゃりとした女性が、仲間2人と食事をしていた。
朝食の後、彼女とも話をした。
彼女の作品は、手書きのレシピ冊子。
製本も自分で行い、50部程度ずつ作って手売りしているという。
ブックデザイン賞でグランプリを取ったようだ。
彼からは本をもらっていることだし、ならばこちらはシリーズの1冊を買うことにする。
彼らとの出会いのおかげで、
昨日からの後悔の念が消えた。
そうなんだよな。
いつだって旅は、自分の人生に影響を与える人との出会いが
必ずあるのだ。
チェックアウトする前に、ホテルの近所を少し散策した。
ほとんど何もない場所だが、スーパーを発見。
お土産になるようなものはないだろうか。
店内をくまなく見て回ったが、どうしてもお土産が見つからないので
腹いせに?くだらない写真ばかり無断で撮って出てきた。
女性店員たちは集まっておしゃべり、私のことなど気にしていない。
ホテルに戻り、チェックアウト。
タクシーを頼むと15分待ってという。
そうそう、初日に空港で迎えてくれた女の子は、
このホテルの土産物店(買いたくなるようなものはない)の店員だった。
私がロビーのソファーに座ろうとすると、
彼女はだらりと肘掛にもたれかかってスマホをいじっていた(働かないのかよ?) 。
「何しているの?」と聞くので、
「タクシーを待っている」と答えると、怪訝そうな顔をした。
そうか、そもそも今回はグルマンの送迎つきという話だったのだ。
帰りだって本当は送ってくれるはずなのだ。
「もしあなたが空港に連れて行ってくれるならうれしいけど」
すると、彼女はどこかへ電話をかけ、20分待てるかという。
フライトの時間まで余裕があり、どうせ15分待つところなのだし、
こちらは問題なしだ。
その後、彼女は消え、彼女から頼まれたという
でかい男がやってきて、私はその男の車に乗り込むことに。
見た感じタクシーではないようだが、空港に着くと、
ちゃーんと154元(3080円)の領収書がどこからともなく(機械音なく)出てきよったワイ。
55.5kmとかって細かいことも書かれているから、やっぱり個人タクシーなのだろう。
4元はまけてくれたけどさ、
先に帰国したシェフからは110元だったとすでに聞いていたので、800円ソンしたー。
タクシー運転手の言う「No English」ってある意味、いい手だよなあ、
交渉のしようがないのだもの。
まあ、タクシー会社のタクシーの多くは窓全開でエアコンなし、
一方この個人タクシーは完備されているから、その差か。
彼女の怪訝そうな顔や役回りはいったい何だったのか、は謎。
帰りの飛行機では、韓国人CAから何か韓国語で質問され、
「ん?」という顔を私がしたら、中国語でくり返し質問された。
わずか3泊の旅にして、すでに私はまるで日本人に見えない風貌になっているのかしら
と思ったが、煙台から仁川への便に乗る日本人はさほど多くないのだろう。
事実、仁川から成田の便では、機内食サービスの際、
私を含め日本人と思われる乗客に対しては「コチュジャンイリマスカ?」と
いちいち聞いていた。
ちなみに、そのCAはコーヒーポットを片手に、
「コイデゴジャリマス」を連呼していた。
私のとなりの席はポロシャツにチノパンのラフな格好をした中年男性で中国人風。
その人は席に着くなりテーブルにノートを広げ、ものすごい複雑な数式を解いていた。
時折、参考文献を取り出して見ては、フムフムとうなずいている。
マクローリン、ラグランジュ・・・
数式の合間に見られる文字は、さっぱりわからないが日本語である。
そして食事時になると、コチュジャンを受け取り、
肉にたっぷりかけてグチャグチャにご飯を混ぜ込んでいた。
まあ、アジア人であることは確かではある。
“ SEITAI ” (整体) の伝道者らしい。
整体のパイオニア、野口晴哉の教えを学び、広めている。
“KATSUGEN” (活元)について、彼は語り出した。
無意識の体の動きやゆがみ、それを感じ取り、治癒力を高める、といった話を。
なるほど、だからいつも体をクネクネさせていたのか。
(そういえば私も以前に『整体入門』を読んだ気がするが、
本はどこへやってしまったかな・・・)
私が関心を示していたためか、
彼は私にSEITAIの本をプレゼントしてくれるという。
緑色の万年筆で、表紙の裏にメッセージを書いている。
lleva éste libro, como un licor destilado por el tiempo,
vuelve al árbol de donde nació.
この本を日本へ持っていって。
時間により蒸留された酒のように、
(この本は)生まれた木へと戻る。
しかし、なぜ整体の人がグルマンに?
「妻に同行してきたんだよ」
彼の目線の先を見ると、ぽっちゃりとした女性が、仲間2人と食事をしていた。
朝食の後、彼女とも話をした。
彼女の作品は、手書きのレシピ冊子。
製本も自分で行い、50部程度ずつ作って手売りしているという。
ブックデザイン賞でグランプリを取ったようだ。
彼からは本をもらっていることだし、ならばこちらはシリーズの1冊を買うことにする。
彼らとの出会いのおかげで、
昨日からの後悔の念が消えた。
そうなんだよな。
いつだって旅は、自分の人生に影響を与える人との出会いが
必ずあるのだ。
チェックアウトする前に、ホテルの近所を少し散策した。
ほとんど何もない場所だが、スーパーを発見。
お土産になるようなものはないだろうか。
| さすが食用油のコーナーのボリュームたるや。 |
| うやうやしくプラスチックケース入り、牛乳石けん良い石けん。 |
| 突っ込みどころ満載。 |
| 「安全におじけづく刀を剃ります」 逆立ちしても書けないコピー、 元の言葉は何なのか想像するも難しすぎておじけづく。 |
| 1本980円、高級ですね。 |
店内をくまなく見て回ったが、どうしてもお土産が見つからないので
腹いせに?くだらない写真ばかり無断で撮って出てきた。
女性店員たちは集まっておしゃべり、私のことなど気にしていない。
| さすが、二輪の車道が広い。 |
| みんな布を前につけている。日中はかなり暑いので、朝晩の冷え対策か? |
| 車の激しい往来の真ん中、人が横断歩道に対し直角に歩いている。 我はゆく〜昴な生きざま。 |
ホテルに戻り、チェックアウト。
タクシーを頼むと15分待ってという。
そうそう、初日に空港で迎えてくれた女の子は、
このホテルの土産物店(買いたくなるようなものはない)の店員だった。
私がロビーのソファーに座ろうとすると、
彼女はだらりと肘掛にもたれかかってスマホをいじっていた(働かないのかよ?) 。
「何しているの?」と聞くので、
「タクシーを待っている」と答えると、怪訝そうな顔をした。
そうか、そもそも今回はグルマンの送迎つきという話だったのだ。
帰りだって本当は送ってくれるはずなのだ。
「もしあなたが空港に連れて行ってくれるならうれしいけど」
すると、彼女はどこかへ電話をかけ、20分待てるかという。
フライトの時間まで余裕があり、どうせ15分待つところなのだし、
こちらは問題なしだ。
その後、彼女は消え、彼女から頼まれたという
でかい男がやってきて、私はその男の車に乗り込むことに。
見た感じタクシーではないようだが、空港に着くと、
ちゃーんと154元(3080円)の領収書がどこからともなく(機械音なく)出てきよったワイ。
55.5kmとかって細かいことも書かれているから、やっぱり個人タクシーなのだろう。
4元はまけてくれたけどさ、
先に帰国したシェフからは110元だったとすでに聞いていたので、800円ソンしたー。
タクシー運転手の言う「No English」ってある意味、いい手だよなあ、
交渉のしようがないのだもの。
まあ、タクシー会社のタクシーの多くは窓全開でエアコンなし、
一方この個人タクシーは完備されているから、その差か。
彼女の怪訝そうな顔や役回りはいったい何だったのか、は謎。
帰りの飛行機では、韓国人CAから何か韓国語で質問され、
「ん?」という顔を私がしたら、中国語でくり返し質問された。
わずか3泊の旅にして、すでに私はまるで日本人に見えない風貌になっているのかしら
と思ったが、煙台から仁川への便に乗る日本人はさほど多くないのだろう。
事実、仁川から成田の便では、機内食サービスの際、
私を含め日本人と思われる乗客に対しては「コチュジャンイリマスカ?」と
いちいち聞いていた。
ちなみに、そのCAはコーヒーポットを片手に、
「コイデゴジャリマス」を連呼していた。
私のとなりの席はポロシャツにチノパンのラフな格好をした中年男性で中国人風。
その人は席に着くなりテーブルにノートを広げ、ものすごい複雑な数式を解いていた。
時折、参考文献を取り出して見ては、フムフムとうなずいている。
マクローリン、ラグランジュ・・・
数式の合間に見られる文字は、さっぱりわからないが日本語である。
そして食事時になると、コチュジャンを受け取り、
肉にたっぷりかけてグチャグチャにご飯を混ぜ込んでいた。
まあ、アジア人であることは確かではある。
2015年6月27日土曜日
中国・煙台の旅3(グルマン世界料理本大賞)
中国・煙台の旅1
http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2015/06/1.html
中国・煙台の旅2
http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2015/06/2.html
3日目(6月10日)
ちなみに、このホテルでは、夜のベッドメイク時に
翌日限定の朝食券がベッドサイドテーブルに置かれているシステム。
前夜、お菓子2個と共になぜだか朝食券が3枚あった。
どういうこった?
3回食べてもいいアルヨ、ということなのだろうか?
伊藤シェフはこの日の午後便で帰国する。
私は一人残ってもう1泊する。
(グルマンのプログラムはまだ続きがあり、食品や飲料に関するカンファレンスだの
プレゼンだのがあるらしいので、それを見ていこうと思い)
シェフがチェックアウトする昼までは時間がある。
(ここのホテルのチェックアウト規定は14時ですって。ずいぶんゆっくりでいいアルヨ)
他の日本人の方から、「海に近い旧市街が雰囲気あってよかった」
という情報を得ていたので、シェフがフロントに尋ねてみる。
相変わらずかみ合っていない感じ。
「旧市街」がすでに通じていない。
私は一人残ってもう1泊する。
(グルマンのプログラムはまだ続きがあり、食品や飲料に関するカンファレンスだの
プレゼンだのがあるらしいので、それを見ていこうと思い)
シェフがチェックアウトする昼までは時間がある。
(ここのホテルのチェックアウト規定は14時ですって。ずいぶんゆっくりでいいアルヨ)
という情報を得ていたので、シェフがフロントに尋ねてみる。
相変わらずかみ合っていない感じ。
「旧市街」がすでに通じていない。
が、ともかく、この辺りがいい感じだと地図を指差しているので、
半信半疑ながらそこへ行ってみることに。
自転車で行ける距離だそうで、無料で貸し出すとのこと。
「2人乗り用にしますか?」と聞かれ、
即座に「ノーッ!!」と強く否定するシェフ。
半信半疑ながらそこへ行ってみることに。
自転車で行ける距離だそうで、無料で貸し出すとのこと。
「2人乗り用にしますか?」と聞かれ、
即座に「ノーッ!!」と強く否定するシェフ。
もちろん私もそんな、諏訪湖の周辺でもまわるような、
タイムボカンシリーズのような(あれは3人乗りか)
そんなふざけた自転車に乗るつもりはないけれども、
あからさまに否定されると、
なぜかしら、フラれた乙女心になり、
ちょっぴり寂しい〜♪(笑って、キャンディ!)。
タイムボカンシリーズのような(あれは3人乗りか)
そんなふざけた自転車に乗るつもりはないけれども、
あからさまに否定されると、
なぜかしら、フラれた乙女心になり、
ちょっぴり寂しい〜♪(笑って、キャンディ!)。
旧どころか新も新。
やはり意味は通じていなかった。
30分くらい進んだところで、
「帰りますか」「はい」
思えば遠くに来たもんだ。
やはり意味は通じていなかった。
30分くらい進んだところで、
「帰りますか」「はい」
思えば遠くに来たもんだ。
うぅ・・・足が、膝が・・・求むコンドロイチン&グルコサミン。
中国で私たちはいったい何をやっているんだろうか?
中国で私たちはいったい何をやっているんだろうか?
ホテルに戻り、シェフと別れた後、
私はグルマンの会場に行ってみた。
が、プログラムに書かれているようなカンファレンスだの何だのは
ちっとも行われていない。
欧米人参加者たちが屋外のバーでワインをダラダラ飲んで
ただしゃべっているだけだ。
私は後悔し始めていた。
私もシェフと同様、2泊で帰るスケジュールにすべきだった・・・。
| ソフト、ラウンド、スクエア、ヘアカットバリエ。 |
| 俺たちはアンチ角刈り派。 |
日本人の参加者たちの多くも今日の便で帰ったらしい。
一部、残っている人に携帯で連絡を取ってみる。
「これからワイナリーに行く」とのことなので、
そこで落ち会うことにした。
「張裕ワイナリー」(CHANGYU)。
中国でもかなりトップクラスのワイナリーらしい。
http://www.cnjpgroup.com/eastone/
土産コーナーやギャラリーなど館内を一人でタラタラ見ていたが、
いつまでたっても落ち会うはずの人たちがやって来ない。
しびれを切らして電話をしてみると、
「ちょっと予定が変わって行けなくなった。ディナーは5時にグルマン会場から
バスが出てレストランへ行くそうなので、そちらで会いましょう」
どうもグルマンのプログラムは曖昧模糊としており、
どこからどういう情報を得られるのかさっぱりわからない。
この時点で4時45分。
バス出発まで、15分しかないではないか。
暇そうにスマホをいじっている受付嬢にタクシーをお願いすると、
タクシーは無理だと言う。
なんでなのかはわからない。
英語がちっとも通じない。
丁寧に説明すればわかるとでも思っているのか、
中国語で必死に何かを説明している。
外の道路にあるバス停を指差し、バスに乗れ、と言ってるらしい。
アール・イーとくり返すので「21番」らしい。
私がどこへ行きたいか伝えていないのになぜ21番限定なのか?
困ったなあ。路線バスを待ったりしている時間はないのだよ。
21番が本当に正しいのかもわからないし。
グルマン会場からここまではワンメーター程度だったので、
走って帰ればギリギリ間に合うだろうか。
道順は割に単純だった気がするが、
途中2回くらい曲がったので自信はない。
グルマンのバスに間に合わなかったら、夕飯にありつけん。
ああ、やっぱり今日帰国にすればよかった、後悔がさらに深まる。
何の因果で、この見知らぬ土地で、
私は朝から自転車をこいだり、今は走れメロスになろうとしているのか。
誰か〜誰か〜助けてくれぇぇい。
と、ワイナリーの外に、欧米人3人がいるのを発見。
彼らはグルマン会場で見かけた人たちだ。
勇気を出して、手前にいた一人に話しかけてみる。
彼はフランス人シェフで、スペイン語ができるという。
「これから歩いて会場まで帰る。バスの出発は5時40分だから大丈夫」
時間の情報が錯綜しているのか、あるいは変更になったのか。
わからないが、ともかく、一緒に帰っていいかと聞くと「もちろん」とのこと。
助かった〜。
彼はテレビの料理番組部門で受賞した人らしく、
他2人は制作仲間でムービーカメラを手にしている。
今回のグルマンの様子も録っているようだ。
どこへ連れて行かれるのかわからないままバスに乗る。
途中、渋滞にはまる。
欧米人たちは、なぜかドレミの歌を合唱している。
過去にもこれと似たシチュエーション(何らかの集まりで欧米人たちとバス移動)
を何度か経験したことがあるが、
いつでも彼らは賑やかで、落ち着きのない小学生の遠足状態だ。
1時間程かかってレストランに到着。
食事はコース仕立てで、これまでで一番まともではあったが、
それでもやっぱり、グルマンワタナベの胃袋と心は満たされない。
| なまこの姿煮。 |
| つぶ貝の炒め物。うま味調味料がしつこい。 |
| 羊肉の肉まん。 |
| やはりここでもタレなしの餃子。 |
加えて、鼓膜が破れるかと思うほどのすさまじい大音量で中国人が次々と歌を披露。
実に気持ち良さそうに歌っているのだが、お世辞にも上手いとはいえない。
途中からは欧米人がマイクを奪い、カラオケ合戦さながらに。
ワイナリーから一緒に歩いて帰ってきた彼も、カメラを回しながらはしゃいでいる。
私というか我々日本人はどうも乗れない。
何が楽しいのかわからない。
彼らがノー天気なのか、我々がつまらん人間なのか。
自分もマイクを取って朗々と歌ってみたら、どうなるのかな。
歌は何がいいか、「北国の春」あたりかな。
何で北国の春なんだ。
こうして、煙台の夜はふけてゆく。
(つづく)
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