2013年9月14日土曜日

エルサレム旅日記3

エルサレム旅日記1
エルサレム旅日記2



9月4日(水)    

6時半起床。 昨日と同様、朝一番に窓を開ける。
長袖のパジャマでも少し肌寒いひんやりとした空気。
まだ薄曇りだが、しかし雨の心配をする必要はない。

ここは、夏場の降水量ほぼゼロなのだから。
街の様子を眺めるとともに、お向かいの裸男を確認する。
いや、まず
裸男を確認してから街の順か。
朝からキモイものをなぜ見るのか、私はかなりの変態なのだな。

身支度を終え、7時半近くに1階のダイニングに行くと・・・
あれれ、開いていない。
「朝食か?」とフロントが聞く。
「今日は朝食はやっていない、明日のための準備があるので。
 代わりにバウチャーを出すからワンミニッツ待って」
なぬー。あの朝食が食べられないとはザンネンだ。
近くのカフェで食べて来いと言う。
クオリティ下がるだろうなあ・・・チッ。

そもそもそんなの予約時には聞いてねーぞー。
前からわかっていたくせに。
いくら明日から正月とはいえ、いったい何を今から準備するのか。
じゃあ残り3回のあたしの朝食はどうなる? などと言いたいことはいろいろあったが、
明日の朝食は?の一言に省略してみた。
「明日からは大丈夫」だと言う。ほんとかね?

で。
ワンミニッツっていうのは、確か1分という意味ではなかったか。
フロントの目の前のソファで、
カップラーメンができ上がるくらい待ったけど音沙汰なしだ。
あのー、バウチャーは? と聞くと、
紙切れにささっとサインして渡された。
ワンミニッツどころか、ワンセコンドである。
いったい何の時間だったのか? 
くれくれと手を突き出してフロントに詰め寄らなかったのがいけないのか。
よくわからん。
わかるのは、やはりちっとも謝りはしないってことだ。
もっと自己主張しないと、ここではソンするな。


ホテル斜め前のカフェ。
厨房もサービスも、わりにイケメンなお兄さんたちである。
しかし相変わらず、愛想が今イチない。
サービスのお兄さんのTシャツの腰あたりからスボンのお尻あたりにかけて
朝一番なのになぜかもう薄汚れているが、
それくらいはもう見慣れて何とも思わなくなってきた。


朝食の心配は杞憂に終わった。




あらー、美味しそうじゃないの。
どれどれ。ケシの実のついたパンは温められて香ばしく、
これにいろいろなディップ(コリアンダー、トマト、オリーブ、バジル)や
デーツのコンフィチュール、クリームチーズをつけて食べる。旨い。

グラノラをトッピングしたヨーグルトともう1種チーズ、
大ぶりのピーマン、キュウリ、トマト。
タイムやローズマリーがちろっと振ってあるなど、さりげない香草づかい。
それからシンプルな薄焼き卵、コーヒー、絞りたてのオレンジジュース。
いいね、明日もここでいいな。

同じホテルの日本人カップルもやってきた。
昨日の朝もホテルのダイニングで見たのだが、
女は今日もまた、『地球の歩き方』を持ってきている。
男は常に空咳と鼻すすりをして落ち着きがない。
なんか、好きじゃないタイプの二人だなあ。


旅の後半が正月に入ることは、実は旅の予約をした後に知った事実だった。
記者氏に連絡したら「あっ! そうでした」と忘れていた。
ちょっとぉー。
明日から土曜の安息日までの3日間、ユダヤ関連の店はすべて閉まってしまうので、
買い物するなら今日のうちだ。あさって金曜はイスラムの安息日でもあるし。
ちなみにもしあと1週間ずれていたら、
9月14日は贖罪の日(ヨーム・キプール)という祝日で、
街のすべて、空港も含め完全にストップするらしい。
いろんなところで、私はギリギリラッキーガールである。


昨日行ったマハネー・イェフダー市場へ再び。
女性記者に教わった、コーヒーショップ兼スパイスの店へ買い出しだ。
炊き込みご飯のもとのようなミックススパイス、肉や魚に振るスパイス、
メルローワインの風味をつけた塩、唐辛子、ローズティー、
皮がかたくないドライデーツなどあれこれ買い込む。
量り売りなのでいったいいくらになるのか見当がつかない。
結果、1万円。いい値段いってしまったあ(汗)。
ここの店は、ぼったくりはしないらしいので、信じるしかない。
ちなみにエルサレムの物価は、パレスチナ側は安いらしいが、
このあたりは東京とほとんど変わらないか、物によっては少し高いくらいかも。









新市街の写真を撮りながらブラブラ。
エルサレムはネコが非常に多い。いたるところにいる。
カメラを向けて近づいても、逃げるどころかモデルばりの目線だ。
オープンエアのテーブルの下には、まるで鳩がパンくずを狙うようにネコがいて、
ひとけのない裏路地に入ると、生まれて間もないような子ネコが何匹もいる。
そして裏路地は、ネコのせいか、いや、人間のものも含まれているような、
おしっこ臭いところが多い。











新市街は一応しゃれた商店街だが、しゃれていると言っても
日本で言えばどこか小さな地方の街レベル。



なとなく視線を感じてそちらを見ると、
昨日、旧市街で会ったイタリア出身アイルランドのおじさんがそこにいるではないか。


やあ、また会ったね。
スパイスの袋を両腕にぶら下げた私を見て、
ははーん、女性は買い物好きだからね、と笑う。
おじさんは今日も一人だ。私も一人だけど。
通りで披露しているギター弾きの音色を楽しんでいたと言う。
ホテルではなく友達の家にしばらく滞在しているらしい。
2回会ったからまた3回目もあるね、と再び握手して別れた。
今日も乾いた手だった。
3回会うことは結局、なかった。


旅の間中、私は記者氏のオフィスを休憩所代わりにして、
どこかへ行っては立ち寄り、
今、見聞きしたことを彼に伝え、仕事の邪魔をした。

この時は、ちょっと時間があいたというので、
ワインショップに連れていってもらう。
ワインも買いたいけどねえ、1本で1kgになってしまう。
代わりにワインの本を購入。




パレスチナの女性の手作り民芸品の店にも連れていってもらった。
店員の女性は、私が物色している間、目の前でじーぃっと見続けている。

接客してくれているのか、しかし笑顔がないので監視されているのか、
わからず落ち着かない。






イスラエルの公用語はヘブライ語(ユダヤ人)とアラビア語(アラブ人)だ。
街の看板には、ヘブライ語・アラビア語・英語の順で表記されている。
海外に行ったならば、最低限「こんにちは」「ありがとう」くらいは現地の言葉で
言えるようにしたいものだし、そうしてきたけれど、ここではそれが難しい。
ヘブライ語でこんにちはは「シャローム」、アラビア語は「アッサラーム・アレイコム」、ありがとうは「トダー・ラバー」と「シュクラン」。
シャロームとシュクランはシンプルなので覚えたのだが、
それぞれ違う言語であり、イスラエル対パレスチナという大きな問題を背負っているので
混ぜてはいけない。
ましてや、相手がどっちの人なのかを瞬時に判断して言うことなどなかなかできない。
そのため、結局、ハロー、サンキューとなってしまう。


午後は旧市街へ。





昨日は見ていない聖墳墓教会を訪れる。






すごい訪問客の数。それも、私のような物見遊山ではなく、
巡礼目的の熱心な信者が圧倒的だ。
入口からすぐの所にある赤い大理石板は、
イエスの亡骸に香油を塗った場所とされている。
教会内は広く、一番人気はイエスの墓で、
その他、各宗派がそれぞれ管理しているという聖堂がいくつもある。




階段を降り奥へ奥へと進むと、人の波が途切れ、
薄暗い中、一人の男の信者と私だけになった。
その人はややくたびれたスーツを着て、裸足で歩いてた。
聖堂の前でひざまずき、唇を石の地面にあて、祈り、
またそのとなりの聖堂へとくり返していた。
足の裏は真っ黒になっていた。
私は、その人の邪魔をしないように、でも少し後からついていく形で、
祈ることなく、祈ることの意味を考えながら、見て回った。


十字架を背負ったイエスが最初につまづいたといわれる曲がり角には
オーストリアン・ホスピスがある。
ここは、ザッハ・トルテやシュトゥルーデルなどのウイーン菓子とコーヒーが
庭園で味わえる異空間だという。
あまりの暑さでとてもスイーツを食べる気にはなれないが、
少し落ち着いてコーヒーが飲みたい。
が、どうやって中に入るのかがわからない。
高い塀に囲われ、入口の扉は閉まっているのだ。
休みなのか? 諦めるかあ。
いや、待てよ、しばらく様子を観察していたら何かわかるかもしれない。
このあたりはいつも兵士が多く立っている。
この人たちに聞いたら教えてくれるのかなあ。
すると、旅行者らしい欧米人が、扉脇のブザーを押して入っていった。
なーんだ。「山」「川」的な暗号を言ってるふうでもないので、
誰でも押せば鍵が自動的に開くのだな。
扉に近づこうとした時、私の目の前を、知っている人が横切って人混みに消えていった。
行きの飛行機で寝ていた日本人の男だった。




夕暮れ、旧市街を出てホテルに戻る道すがら、すでに正月モードに突入していた。
店がすべて閉まり、ほとんど誰も歩いていないのだ。
しかし不思議と恐いとか淋しい気持ちにはならなかった。
街全体が静寂なら、私の孤独は孤独でなくなる。




ホテルのエレベーターも正月モードになっていた。
ボタンを押すことも労働なのでやってはいけないんだそうだ。
自動的に各階で止まるようになっている。
それも30秒以上じぃーと開いたまま、なかなか閉まらない。
部屋は6階。もちろん下りの場合も、呼び出しはきかない。
この時から丸2日間、私はいったいなんべん階段を上り下りしただろう。
労働してはいけないはずなのに、私は客のはずなのに、
ものすごい労働を強いられたのだ。ユダヤ教徒じゃないからね。

夕飯は、この界隈はどこもやっていないので、
東エルサレム側、パレスチナ人の店へ記者氏の車で行くことに。
ホテルから歩いてすぐの記者氏のところへ向かう際、
スマホの機内モードをオン(完全オフ状態)にした。
それまでは、モバイルデータ通信をオフにして、電話は使える状態にしていた。
ホテルはWi-Fiが使える。街のカフェの多くもこちらはWi-Fiが浸透している。
が、その狭間のタイミングで、時折、ソフトバンクから注意のメールが入っていた。
ようは、こちらの通信会社に自動アクセスしてしまうと高額請求の恐れがあります、
というものだ。
しかし、私は出国前、ソフトバンクの人に、
とにかくモバイルデータ通信さえオフにしていれば、
Wi-Fi以外は勝手につながりはしないと聞いていた。
よく、データローミングをオフにするのが大事とネットで書かれているが、
そこよりも(そこも元々オフにしているけども)、
モバイルデータ通信というやつをオフにすればいいのだそうだ。
だから問題ないはずなんだけど、こちらに来てから何回か記者氏と
電話やショートメールのやりとりをしたので(国際電話状態になるが仕方ない)、
それで注意勧告がくるんだろうか?
ちょっと心配なのと煩わしいのとで、どうせ今から会うのだからと
機内モードオンにしたのだった。

彼に会うと、「さっき電話したけどつながらなかった」。
いくらここが意外に安全だからといって、自ら連絡がとれない状態にすることが
どういうことなのかわかっていますか、と軽くたしなめられた。
はい、そうでした、すいません。

彼の車のガラス窓、前も横も後ろにも、TVの文字が貼られている。
昨日、一緒に歩いていた時に「ここで自爆テロがあった」と言われた。
今朝は、嘆きの壁のほうで投石事件があった。
巻き込まれさえしなければ、一人歩きしていても平気な街だが、
巻き込まれたらアウトなのだよな、やはり。






店は「Pacha」。
http://www.pashasofjerusalem.com/

朝と同様、夜になると少し冷える。が、テラス席で食べることに。
ここでもどういうわけかネコが数匹ウロウロしている。





テーブルいっぱいに並んだアラブ料理の前菜いろいろ。
フムス(ヒヨコ豆とタヒニのペースト、フンムスとかホムスとも言う)、
ムタバル(焼き茄子とタヒニのペースト)、
ババ・ガヌーシュ(ムタバルとほとんど同じだけどちょっと味つけが違う)などを
ピタパンにつけて食べる。
それから、タブーレ(スムールとイタリアンパセリやミントのサラダ)、
ビーツのサラダ、かぶのピクルス、
ファラフェル(ヒヨコ豆のコロッケ)、キッペ(ブルグルと肉のコロッケ)、
チーズの春巻き揚げみたいなもの等。
酒のつまみになるのに、イスラムだから酒は出ない。
レモネードだ。実に健康的。
(いやしかし、レモネードには結構砂糖が入っているし、
 コーラとかジュースを頻繁に飲むことになるからそれってどうなん?
日本みたいにお茶があればいいのにね)


ふと手元の皿を見ると、なんと、ネコの手が皿の縁にかかっているではないか。


コイツが犯人だ。
ちょうど脇が花壇でそれを踏み台にできるため、テーブルに手が届くのだ。
追い払ってもひるまず、猫視??眈々と狙ってくる。
ネコは好きだけども、ここのネコはあんまりかわいくないのよ。




上はマンサフと言って、ナッツなどが入った炊き込みご飯と羊肉に、
ヨーグルト風味のスープをかけて食べるもの。
「僕は好きですが、クセがあるので・・・」と記者氏は気にしていたが、
私も好きだ。旨いよ。
ミートボールのトマトソース煮も食べたけど、
もうこの頃にはお腹がいっぱいに。



アラビックコーヒーで〆めました。

店員が時折、火の玉をぐるんぐるんまわしており、
いったい何のパフォーマンスが始まるのか?と思ったけれど、
それは水タバコに使う炭だった。
チャレンジすれば良かったかな?



エルサレム旅日記2

エルサレム旅日記1
http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2013/09/1.html


9月3日(火)   

6時半起床。3時間ちょいしか寝ていない。
私の部屋は6階。窓を開けると、対面は住宅の建物で、
真向かい斜め下におっさんが二人。
左の家では洗濯物を干し中、
右の巨漢はなぜか裸(下半身はたぶん何か着ていると思われるが見えない)で
パソコンに向かっている。















夕べの水シャワーの一件もあって
ホテルの朝食には期待していなかったのだが、
おや、いいじゃないか。
ビーツのマリネやピーマンなどのグリル野菜、オリーブ、
ヨーグルトに近いタイプのチーズが数種類、キッシュのようなオムレツ、
ジャガイモのグラタンなど。
パンにつけるジャム類は、メーカーの小瓶ではなく、
タヒニ(練りゴマのようなもの)や甘くないピーナツクリーム、
粗めに刻んでシナモンの香りをきかせたリンゴなどだ。
ジュースはオレンジとレモネード。
ハム・ソーセージなどの肉類は一切ない。
豪華というわけではないのだが、特徴があっていい。
うむ、余は満足じゃ。




水道の件をフロントで伝えると、
修理担当者?に電話をかけた。私には特に何を言うでもない。
ダイニングのサービスの人といいフロントといい、
飛行機のCAと同様、どうも丁重な態度ゼロというか、
かといってラテンのようなフレンドリーさもなく。
イヤな感じとまではいかないのだが、もう少し笑顔が欲しいものですねえ。
その後、エレベーターでばったりシェフと出会ったので、
朝食が良かったと伝えると、笑ってくれたので少しホッとする。
記者氏いわく、エルサレムのレストランの中でも
ここのホテルのシェフはコシェルの料理の腕が良いので
有名なんだそうだ(事前にその情報は知らずたまたま選んだホテルだった)。


まず訪れたのは、メア・シェアリーム地区。
私が泊まっているホテルのある新市街側の北東、
ユダヤ教徒の中でも最も敬虔な超正統派と呼ばれる人たちが住んでいるところだ。
独特の服装、聖書にのっとった生活で、テレビや映画、パソコンなど
外からの情報を遮断した閉鎖的な世界。
ヘブライ語とともに会話はドイツ語系のイディッシュが使われている。
ユダヤ教の教義を学ぶことに人生を注ぎ、
生活の費用はもっぱら国の補助金などで得ているらしい。
避妊は禁止で、子だくさんの家族が多く、よって暮らしは貧しい。
物珍しさで観光客が訪れるが、肌の露出の多い格好でウロウロしたり、
やたらに写真を撮ったりすると、子供が石を投げてきたりするらしい。
ちょっと私も一人では心細かったので、記者氏に案内してもらうことに。


地区に一歩入れば、ああ、本当に別世界がそこにあった。
男は、黒い帽子にクルクルカールの長いもみあげ、黒いコート、白いシャツ、
黒いパンツあるいは短い丈の黒パンツに黒いストッキング。
女は頭をすっぽりスカーフで覆い、黒いロングスカート。
小さい男の子も顔の両サイドの毛がクルクルと長く、女の子は黒いロングスカート。
帽子のせいもあるだろうが男はひょろりと長身が多く、女・子供も痩せた人が多い、
やはり食生活の影響か、車も基本的には使わずよく歩くからか。
(しかし男の中には時折、恰幅の良い人もいるにはいたが
怒られないよう、コソコソと後ろ姿や遠巻きに写真を撮る私。
すいません、ちょっとだけ許してくださいと心の中でつぶやきつつ。








聖書を読みながら歩いている人までいた。
が、目立つのは、ケータイで話している男の多さ。
あっちでもこっちでもみんなケータイで話しながら歩いている。
へえ、ちょっと意外。ケータイのような俗世界の極みなアイテムは使っていいんだ?




ともあれ、こんなにも別世界な人々を直接見ることができただけで、
ここまで来た甲斐があった、と思う。

その後、記者氏とわかれ、一人でマハネー・イェフダー市場へ。

市場の前の通りは近年導入されたという路面電車が走る。
















目につくのは、八百屋が圧倒的に多いこと。
ザクロやナツメヤシ(デーツ)の生の実など、ここならではだなあ。
コリアンダー(香菜)やイタリアンパセリのような香味野菜も山積みになっている。
そしてスパイス、ドライフルーツやナッツ類、フェタのような白いチーズ、
ゴマのついた長い輪っか状のパンやデニッシュ・パイ系の甘いパン。
パンにはハエがたかっているが人々は気にしていない。
肉・魚屋はわりに少ない。
















タヒニ屋を発見。
フムス(ヒヨコ豆のペースト)などの中東料理に欠かせない食材だ。
私は自分でたまに作る時にはもちろんタヒニはないので練りゴマで代用している。
本場のものを自分の土産として一つ買っておこう。
店の奥には石臼があり、そこからしぼりとられたペーストが流れ落ちている。
味見させてもらうと、日本の練りゴマよりはさらっとした質感でしつこくない。
濃い顔でちょいイケメンの店員が、
タヒニだけのペーストをパンにつけて食べるのも美味しいよ、
とそのレシピを教えてくれた。
ふむふむ、タヒニと同量の冷水、つぶして細かくしたにんにく、
塩とレモン果汁少々で味をととのえる、と。
私が英語に弱いと気づいたお兄さん、ガーリックと言った後、
「わかるかな、どう言えばいいかな、こういう形をしたもので・・・」と
ガーリックとは何ぞや、をゼスチャーとともに何か違う言葉で
わからせようとしてくれている。
あの、確かに英語ダメですけど、いくらなんでもガーリックくらいは
アンダスタンドなのですよ。
ノートにメモっていたら、
「それ、日本語? 全然わからない、おもしろい字だね」としみじみ言う。
あの、私からしたら、ヘブライ語やアラビア語のほうが
まるきりわからんですけどね。おもしろいものだ。
タヒニは1個500㎖くらいで25シェケル(1シェケル=約27円)。
握手を求められたので応じる。
濃い顔のお兄さんは湿り気のある手だった。






人々の熱気で私も興奮気味のため、喉が乾いた。
ザクロのしぼりたてジュースを買う。小サイズで7シェケル、
まあ、そんなに安いというほどでもないが、
日本で生しぼりザクロジュースは滅多に飲めやしない。
甘酸っぱく、少し渋みのある後味で美味しい。




実は、ユダヤ暦で今年9月5・6日は新年のお正月(ローシュ・ハシャナ)にあたる。
5774年になるんだって。
そのため、この日はみそかだ。
正月などの祝日と、毎週金曜日没から土曜日没までの安息日には、
労働をしてはいけないんだそうで、店などが閉まるのはむろんのこと、
家庭でも火を使った料理さえ行わないようにするため、
人々は買い出しをして仕込んでおくというわけだ。

買い物をしているのは女性ばかりではなく、
むしろ男のほうが多いくらいだ。
先ほど見た超正統派の人や、キッパと呼ばれる小さな丸い帽子を
頭頂部にちょこんとのせている人など。
おっさんたちがこぞってドライデーツを買っているのがなんだかおかしい。
日本のおっさんが干し柿とか夢中で買ったりするの、見たことないものなあ。












種類が少なくあまり美味しそうと思えない魚屋に、なぜか結構な人が寄っていた。
ひょっとすると、新年には魚を食べるんじゃないかな。
スペインでもクリスマスのごちそうに魚を食べると先生が言ってたから。
(後で調べてわかったが、やはり魚料理を食べる習慣があるそうだ。
 家長はお頭を食べるんだとか)





続いて、歩いて20分ほどの旧市街に足を伸ばす。
朝は半袖では少し肌寒いくらいだが、昼前にはもうすでに強烈な日差しだ。
帽子とサングラスで防御するも、照り返しは容赦なく、
そして湿度は日本よりは低いものの、汗がダラダラ出てくる。
すでにかなり歩いているので、日焼け止めはとっくに流れ落ちているな。
おそらくこの旅で、肌は相当なダメージを受けたはず。
やがて浮上してくるシミのことを考えると恐ろしくなってくる。


エルサレムと言えば真っ先に思い浮かぶのが、
金色の岩のドームや嘆きの壁だろう。
岩のドームはイスラム教の預言者ムハンマドの昇天した所と言われる。
が、ドームの建つ神殿の丘は元々ユダヤ教の神殿があった所であり、
西暦70年にローマ軍によって破壊され、西側の壁が残った。
これらは1km四方の城壁で囲まれた旧市街の中にある。
そして、イエス・キリストが磔刑(たっけい)に処されるまで、
十字架を背負って歩いたとされる道(ヴィア・ドロローサ)や、
墓(聖墳墓教会)もある。
うう、見所がありすぎる・・・

8つある城門のうち、ヤッフォ門から入る。
ドームや嘆きの壁に到達するまでにはスーク(市場)を通る。
狭くゆるやかな坂道の両脇に土産物屋がひしめきあう。
スパイスや水タバコ、人々の体臭などが混ざった匂い。
嘆きの壁に行くには、まっすぐ突き当たりまで進み、右折、そしてすぐ左折、と
シンプルな道程なのだが、これまで私が見たこともない不思議な世界に惹かれ、
ついつい左の道へとそれてしまった。
なあに、焦せることはない、あえて迷子になることを私はとことん楽しんだ。
なかに入り込んでいくと、土産物屋だけでなく、
地元の人たちの生活に関わるさまざまな店も混ざっている。

旧市街には、ユダヤ人地区、キリスト教徒地区、ムスリム地区、
アルメニア人地区があり、当然のことながら、
それぞれで店の品揃えや通りの雰囲気が変わる。

イエスが最後に歩いたとされるヴィア・ドロローサを、
信者のツアー客たちが祈祷を唱えながらドドーッと歩いてきたと思ったら、
その先では、イスラム教のアザーン(礼拝の呼びかけ)が拡声器で響いている。
所々で若い兵士が立っている。
所々で老婆が背を丸め座り込み、ブドウやハーブなどを売っている。
土産物屋の店主はみな、店先に椅子を出して座り、
退屈そうにケータイをいじっている。
私が通ると「チャイナ? ニイハオ!」と声をかけてくるが、無視すると、
しつこく追っては来ず、再びケータイに目を落とす。
ミントティーをトレーにのせた出前持ちの少年が私の脇を素早く抜ける。
いったい何を売っているのかよくわからないガラクタに埋もれた店。
ジイーッと死んだように寝ている布屋の店主。
一方で、八百屋は威勢良く「安いよ安いよ〜」みたいなこと(たぶん)を叫んでいる。
なんたる混沌とした世界だろう。











いつまで見ていても飽きないが、明日もまたチャンスはある。
そろそろ、嘆きの壁と岩のドームを見に行かねば。










嘆きの壁の場所に近づくには、荷物検査とパスポートチェックを
受けなければならない。
観光客で行列しており、入るまでに20分以上かかった。
炎天下、熱中症になりそうだ。

嘆きの壁は男女で祈る場が左右に分かれている。
男側のほうが写真的には絵になるのだが(女側はわりにバラバラの服装)、
私は入っていけないので、遠巻きな写真になってしまう。
新年の初詣に向けて、椅子などの準備をしているところでもあり、
雑誌などでムードたっぷりに撮影された雰囲気とは違って、少々拍子抜けした。
岩のドームも、おお〜立派だなあとそれなりに感動はするが、
さんざん雑誌や本で見ているのでそれを確認する作業のような気がしてしまう。
それに比べ、旧市街のなかの様子はあまりガイド本にも出ていないし、
人の動きは一瞬一瞬で変化するのでいつでも新鮮だ。
どうやら私は、人々の息づかいがリアルな、猥雑な市場のほうがそそられるようだ。




あまりの暑さで少々疲れた。
いったんホテルに戻ることにする。
観光客の多い道を避けて裏路地へ入ったら、
ヤッフォ門の方角がわからなくなった。
そこへ、たまたま通りかかった、
キッパを被った初老の男にたずねてみた。
自分もそちらに向かっているからと同行してくれた。
おじさんはイタリアはヴェローナの出身で、
長年アイルランドで暮らしているという。
ヴェローナはロミオとジュリエットの舞台だよ、と言うので、
“ Why are you Romeo? ” と私が手振りつきで言ったら、
なんか知らないけど、かなり受けてしまった。
どういうわけか、私は若い男にはモテないが、老人には好かれるのだ。
イタリア人ならばひょっとしてと思い「スペイン語は?」と聞くと
そこそこわかると言うので、私はスペイン語で話をした。
が、答えがなぜか英語で返ってくるのと、
ロミオとジュリエット以外、あまりイタリアの話をしたくないふうだったので、やめた。
何か、訳あり人生なのかもしれない。

ヤッフォ門のそばで、無料で冷たい水が飲めるからと
私をインフォメーションセンターへと連れていく。
そこには、いわゆる冷水機があった。
ミネラルウォーターサーバーではなくて。
おじさんはプラスチックカップに注ぐと美味しそうに飲み干し、
さあ君も飲みなさい、と言う。
これの水源は何なのだ? 大丈夫なのか?
と思いながらも、断るのも悪い気がして、一気飲みしてしまった。


君はブッティストか?と聞かれ、返す言葉に詰まった。
適当にイエスと答えればそれで良かったのだと思うが、
これほど宗教と密着した人生を送っている
(あるいは宗教のために生きているとも言える)
人たちばかりが集まっている場で、
そのような問いは、本当に考えさせられる。


握手をして別れる。
私の経験では、外国人10人と握手すると7人は
タヒニ屋のお兄さんと同様ジトっと湿気を帯びた手をしているが、
このおじさんは乾いてやや冷たい手をしていた。
炎天下を歩いてきたのに。
年をとるとそうなるのかな。


ホテルに着き、シャワーで汗を流す。
と、その前にまずは蛇口を確認。
むむ。まだ水じゃないかあ〜。
電話で苦情を言う自信がないので、フロントへ行こうとドアを開けると
ちょうど室内清掃の担当らしき人がいたので呼び止める。
彼は左にひねった。瞬間ではないが少しすると熱い湯に変わった。
ああ、やはり左だったのか。
じゃあ夕べも壊れていなかったとか?
いやいや、夕べは左にもしばらくやったけど確かに出なかったのだ。
右より左のほうがはるかに冷たかったのだ。
しかしこの男はそんな経緯は知らないから、
なんでこんな簡単なことができないのか?とでも言いたげな表情だった。
オッケー、サンキューしか言えない自分が情けない。
 

夕食はホテルからすぐ近くにあり、
エルサレムのレストランの中でも上位に入るという「MONA」へ。

http://monarest.co.il/mona/en/




記者氏と、もう一人、現地駐在の邦人女性記者と3名で。
店のライティングがとても暗いため、
料理の写真がイマイチだった(なので1枚だけにしておく)。




アスパラガスとビーツ トリュフ風味のマスカルポーネ、
牛肉のカルパッチョやイカのソテー 、
ガラスの器に入れたチーズケーキなど西洋化したスタイル。
ワインはイスラエル産をグラスでオーダー。
この地のワイン造りは旧約聖書の時代にさかのぼる。
ワインの誕生はグルジアとかアルメニアあたりと聞くが、
あるいはレバノンのフェニキア人が西洋へ広めたとか。
ともかく、イスラエルも同様に歴史ある地であるが、
その後のイスラム教支配により禁止され、
本格的なワイナリーができるのは近代になってからである。
ゴラン高原を皮切りに、最先端技術を導入したワイナリーが
ここ30年くらいで創設されている。

日本に比べグラスワインの量が多い。お得だねえ。
周囲の客はみな、かなりラフな服装。
お洒落にキメるような文化がどうもまだないらしい。

女性記者に、ここでの暮らしぶりを聞くと、
とても肌にあっているそうで、楽しいと言う。
日本での、中東=とにかく危険というイメージと異なり、
普通に暮らしているぶんには、エルサレムはそんなに危険はないのだそうだ。
ヨーロッパではよくある、観光客を狙ったひったくりや首締め強盗、
ケチャップをかけてどうのとか、ジプシーに囲まれるといった話も聞かない、と。
特に日本人に対しては好意的とも。
確かにそれは私も感じた。
例えばマドリッドなど一人歩きを何度もしたことがあるが、
歩いている時にはバッグを持つ手に自然と力が入り、
背中にも目があるようにしていた。
道端では地図を開かない、ちょっと怪しいと思う裏路地には行かないようにした。
しかしこの街には、そういう緊張感を強いられる雰囲気はない。
なんだか緩いのだ。
そういえば、ドームの丘に入る門で、
私が着ていたチュニックのわずかに開いた胸元を門番みたいな人に注意され、
閉めようがないので長袖のパーカーをその場で着ていたら、
ジャパニーズイズストロング、アーユーストロング?アーユーカラテ?と
よくわからないことを言われたが、
日本人のイメージはおおむねそんな感じらしい。
つまり、小国でありながら世界の大国と渡りあえる立派な国だと。




ホテルの部屋に戻って窓を開けると、今朝の裸男が
相変わらずの姿でまだそこに座っていた。
“ Why are you nakedness? ”




ふと、その階下を見ると、
やはり上半身裸の若い男が窓辺にいて、
どうやら私に向かって手を振っている。 
裸族のアパートなのか、ここは。
サービスで手を振り返したら、男は一瞬いなくなり、
片手に酒の瓶を持って戻ってきた。
ゼスチャーで、酒を飲みに行こうよ、と誘っているようだ。
首を横に振ると、肩をすくめてデニーロ的なwhy?の態度を示す。
私は両手を合わせ頬に寄せて「ジュリエットはおねんねするので」と返す。
男はバイバイとあっさり引き下がった。
その昔、見城美枝子司会の朝の番組で、
今、このテレビに写っているこの家の方、観ていたら手を振ってください、とか
今朝はもうご飯を食べましたかなどと聞いて、手で丸を作って返したり、
ってヤツを思い出した。
あれって、今では考えられない番組だったなあ。
・・・と、何をエルサレムで思い出しているのか私は。


昨夜の睡眠不足のおかげでこの夜もすぐに眠りに落ちた。
エルサレムはまだサマータイムなので時差は6時間。
6時間だと時差はさほどきつくないので、
旅の最後まで時差ボケにはならずに済んだ。
そしてお腹もこわさなかった。
あの水は問題なかったようだ。




エルサレム旅日記1

9月2日(月)

飛行機はトルコ航空でイスタンブール経由。
航空会社のサイト(英語のみ)で直接ネット予約する際、
食事のタイプを選ぶ項目があり、
ベジタリアンとかローカロリー、ローファット、
コシェル(ユダヤ教の規律に基づく食事)、ムスリム(イスラム教)など
20種近くもある。はーすごい。
しかしレギュラータイプがその中にない。
郷に入れば郷に従えかあ〜と、
ベジタリアンオリエンタルとかいうのが一番感覚的に近いんだろうか?
よくわからんけども、それをチョイス。
チェックインの際、こちらでよろしいんですか?と確認される。
レギュラーでいいなら、どうやら選ばなければよかったようだ。
だって、必要ならば選べ的な言葉が見当たらなかったんだもん。
ならば、と普通のタイプに変えてもらう。
が、あえて試してみるのもおもしろかったかもしれないか?とちょっぴり後悔。

機内は空いていた。私は壁前の席の左通路側をとっていたのだが、
となり2席は空きのまま、通路をはさんで左の窓側3席も誰もいない、
右窓側は若い日本人の男が一人。
シリア問題などでそっち方面に今時分行く人はやはりさすがに少ないか。




旅の前、周囲からかなり心配された。
親にはあまり早く知らせてはマズイと思い、1週間前に「全然大丈夫だからね」と
さらっと伝えた。
その直後にオバマのやるぞ発言である。
新聞を開いたら「エルサレムでガスマスク配布に群がる人」が出ている。
あかん、これはあかん。
私自身がというよりも、周囲の人たちの心情に対して、であるが。
案の定、父親からはFAXで私の身を案ずる手紙が来てしまった。
やるかも、の時がちょうど旅の始まりに重なっていた。
ガスマスクって出ているけど?と今回の旅の頼みの綱である現地駐在の記者氏に
メールしたら、
「ガスマスクなら僕のところにもあります」との返事。
ああそっか、そっか、それなら安心だね!! 
って、そういうことじゃないよ〜。


航空会社に事前に問い合わせたところ、
何か問題があれば欠航するとのことだったので、運に身を任せることにした。
そして、出発直前、再びの表明によりアメリカからはしばらくはやらない、
9日から審議を開始するということがわかった。
飛行機はあくまでトルコ行きであり、
空いている=シリア問題というわけでもないのかもしれないし(と思いたいし)、
すいません、私ちょっと降ろさせてもらいますってわけにもいかない。
空いていてラッキー、リラックスできるわ〜と能天気でいくことにした。

ヨーロッパへ行く時は、時差ボケ防止のため、
私はできるかぎり寝ないように、現地に関する本を何冊も持ち込むのが常だ。
イスタンブールまでは約12時間、3時間のトランジットを経て、
イスラエルまで約2時間、着くのは23時20分なので今回も同様の作戦をとることに。
少し違う点は、ヨーロッパならば、行きたい店や買いたいものをマークといった
女子っぽいガイド本学習が主になるが、今回の場合はそれよりも
歴史、宗教、現代社会とマジなお勉強であること。
片道フライトでは足りないくらいだ。

3席の真ん中に座り直し、本来の席はサイドデスクとして使用。
右の若い男は肘掛けをしまってフルフラットシート状でずっと寝ている。
「チミ、そんなに寝てばかりいたら、トルコに着いてから夜寝られなくなるよ」と
老婆心から言ってあげたい気もしたが、まだ老婆ではないのでやめておく。

例の普通食は、機内食にしては悪くない味だった。
エコノミーでも歯ブラシにリップクリームなどの入ったポーチや
簡易スリッパまで提供され、なかなか気が利いているではないか。
しかしオール外国人のCAの対応はざっくり粗い。
まあここに限った話ではないし、日本の航空会社のかしずくような態度も
それはそれでどうなんだといつも思うので、
だからそれぞれの中間くらいの対応ならばいいのになあ。

また、これもトルコ航空に限らないことだが、
飛行機は離陸してからしばらくは室温が低い。
何か理由があるのだろうが、今回は特にそれが強烈で、しかも長時間続いた。
3席分、3枚のブランケットを使い、ムスリムの女性みたいな格好になって、
それでもまだ寒かった。
(私だけではなく、他の乗客も寒そうにしていた)
着陸時になると機内はやや暑くなり、それでわが身はようやく解凍された。

乗り継ぎの飛行機の乗客の大半は地元に帰る人たちのようだった。
小さい飛行機なので今度は8割方埋まっている。
あれ!! さっきの眠り青年もいるではないか。
この人、一人でイスラエルに何しに行くのだ?
(ってむこうも当然、私のことをそう思っているはずだよな)
それから30歳前後の日本人カップルがいる。
新婚旅行か? マニアックなチョイスだが、とても旅慣れている雰囲気には見えない。

この飛行機でもまた機内食が出た。
CAは、一席ずつ、やれこっちはコシェルだ、
こっちはベジタリアンいや違うなどとこんがらがっている様子。
私のとなりは若い外国人カップルで、
男は「僕はコシェルにしたんだけど、やっぱり今日は普通のタイプにトライしてみる」
などと言い出しているし。
そんな気分次第で規律を変えちゃっていいのかね?

通路を挟んでとなり側、前の席の男がいきなり背もたれを思いっきり倒した。
後ろの席のテーブルの飲み物がジャバーッと豪快にこぼれ、座っていた男にかかった。
その男は席の隙間から前の男をちょんちょんとつつき、事情を説明している。
それでも前の男は振り向くことなく、席も元に戻さず、
おそらく一言も謝りもせず、何か長い言い訳を言っている。
外国人は決して謝らないとよく言うが、ほんとに謝らないねえ。
後ろの男はキレてもおかしくないのに、なぜかそれ以上追求しなかった。
私のとなりのカップルの彼女が気を利かせて紙ナプキンをパスしてきたので、
私から男に渡したが、ありがとうの言葉はなかった。
謝らない男にお礼を言わない男、どっちもどっちか。

行きの飛行機は一睡もしない、が信条のはずの私だが、
ドドンと機体がテルアビブの空港に着陸する振動でハッとする。
しばらく睡眠学習していたらしい。
無事着陸を祝ってなのか、機内のあちこちで拍手が起きている。
昔の日本もこうだったらしいね。

イスラエルの出入国審査は厳しいとの噂で、
ガイド本には(特に出国は)ものすごくねちっこく調べられると書いてある。
しかし記者氏いわく、最近はそこまでではないとのこと。
そこそこ覚悟しつつも、とりあえず入国審査はまあ大丈夫だろう。
「何しに来たか」「何日か」「フライトスケジュールを見せよ」
ここまでは想定内だ。
早く済ませられるよう「はいはい、なんならホテル名と住所もここにありまっせ」と
いい子になる私。
しかし、コワイ顔したデミ・ムーア風の担当者は、まだ質問を続ける。
「観光なのに何で一人なのか」みたいなことを聞くので
(それって余計なお世話だよ、と言いたいけど言えない)
「こっちに住んでいる友人がいるので」と答えたら、
「その人はどんな仕事か」
 私「ジャーナリストです」
 「ビザの種類は?」
 私「知りません」
「その人をどう思う?どんな人間?」
ええ? そんなこと聞かれてもねえ、どう答えたものか、
日本語でだって難しいじゃないか。
いい人です、ってのもおかしい気がするし。
まあ普通です、みたいに答えたら、
おもしろくない回答と思われたのか、解放された。

ホテルに到着した時にはすでに深夜1時過ぎ。
なんと、さっきの日本人カップルも同じホテルだ
(私は航空券とホテル、ネットでバラバラに取っているのでツアーではない)
フロントに「トゥギャザーか?」と言われてしまう。

ホテルと記者氏の住まいは目と鼻の先。
久しぶりの再会、明日からのスケジュールを軽く打ち合わせてバイバイ。
今夜はシャワーだけにして早く寝よう。

と、コックをひねるが、み、水しか出ねえよ・・・。
左と右、どっちがお湯なのかわからないタイプで、
たいていは左がお湯の気がするのだが、
左にひねるとすごく冷たい水、右にひねると少しだけぬるい水、
なのだ。お湯になるのに時間がかかるのだなと思い、
しばらく右にひねって出し続けたが、まったく温度変化しない。
まさか暑い国イスラエルではこの温度をお湯と呼ぶのかな?
今さら服を着直してホテルの人にたずねるのも面倒だし、
こんな深夜で直せるとも思えない、直せたとしてもますます睡眠時間が減る、
というわけで水シャワーに耐える。
冷凍、解凍、そして再冷凍。
聖地入りのための、ある種の禊ぎか。

ベッドに入ったのは3時は過ぎ。
睡眠学習の影響なく、即眠りに落ちる。


2013年9月1日日曜日

いざ、エルサレムへ

いきなりですが、明日より5泊7日でエルサレム(イスラエル)に行ってきます。
初めての中東。海外へは3年ぶり。
エジプトにシリアに、今、何かと騒がしい地域です。
もちろんそれだから行くのではなく、
そんなことになるとは思わず、
キャンセルするか悩んだが(私は行きたいのだが周りが心配しているので)、
現地に駐在している記者の友人が
エルサレム自体はいつもと変わらないと言うので
その言葉を信じて行くことにした。

余裕があれば、現地よりレポートお届けします。
余裕がなければ帰国してからとゆうことで、
よろしくお願いします。