2013年3月10日日曜日

花の教室

急に春めいてきた。
もう、厚ぼったいセーターやブーツなど着用していたら
ダサイ女モードになる。
スプリングコートが欲しいと毎年思いながら
何となくもたもたして
「春って何を着たらいいかわからないよね〜」と
お決まりのセリフを言っているうちに夏がやってきてしまう。

とはいえ、冬物はクリーニングへ、というのは早計だ。
油断してはならぬ。
3月のうちは、もうひと山ふた山、冷え込む時が必ずあるのだ。
春を先取りしてスプリングコートなんぞ着ていると、
雪が降ったりなんかして風邪引くぞ
(何かスプリングコートに恨みでもあるのか?)
低血圧のせいか、私は朝起きてからしばらくは寒くて仕方なく、
4月でも暖房をつけてしまうくらいだ。

というわけで、春は名のみの〜な感じではあるが、
これからの季節の気分にふさわしい、花の本のご案内を致します。
(あ、私が手がけた仕事ではございません)

プランツスタイリストの井出綾さん、以前私のブログでも
ちらっとご紹介したことのある方。

http://yumikowatanabe.blogspot.jp/2012/06/blog-post.html

ショートヘアがよく似合うチャーミングな井出さん、
これまでにも何冊か手掛けていらっしゃいますが、
新刊『花の教室』(グラフィック社)が先日発売されたばかり。




25人の相談者が登場し、花の生け方で知りたいことを質問、
それに対し著者がアドバイスするという、おもしろい趣向。
その他にも、2・3・4種類の花を使った季節ごとのアレンジなどもあり
読み手があります。
このワタクシめも、25人の1人として出ております(顔写真つき。キャー)。
聞きたいことをあれこれ提出、その中から私の質問として採用されたのは
「薄暗い洗面所に飾る花の選び方は?」
我が家の洗面所は窓がない、なので日光が入らない洗面所で
どんな花が飾れるのかな?と思って聞いたわけなんですけどね、
薄暗いって何だかホントに陰鬱とした響きだわ、
アドバイスにならい、花を飾って、
スプリングサンバでも踊って春を呼び込もうっと。


2013年3月6日水曜日

朝食、昼食、そして夕食

今日は試写会に行ってきました。
4月27日より新宿K'sシネマ等で公開される、
スペイン映画「朝食、昼食、そして夕食」。
原題は「18comidas」、18の食事という意味。
さまざまな、なおかつ何らかつながりのある人たちの、
とある1日を、3食の食卓を中心にオムニバスで描いている。

いくら電話しても家に来てくれない彼女を、
朝昼晩と食事を作っては待つ脇役俳優、
昔、互いに愛し合っていたのに、他の男と結婚し、子供もいる主婦から
久しぶりに連絡が入り昼食に誘われるストリート・ミュージシャン、
親子ほど年の離れた恋人がいるが若い男と一夜を過ごした女など、
それぞれの人生が、なかなか小気味良く描かれている。
特におもしろかったのは、同棲しているゲイカップルかな。
昼食を食べに来た兄に、最初はゲイであることを隠す弱々しいタイプの弟だが、
マッチョな恋人の言動はもう火を見るより明らか。
ショックを受け理解を示さない兄に、ジレて泣きべそをかく弟。
おかしいようなせつないような。

一言も会話を発さず、淡々黙々と3食を食べる老夫婦が
出てくるのもアクセントになっている。
小さな台所で壁に片側を寄せた小さなダイニングテーブル、
質素な食事、グラスを持ったりオーブンの扉を閉めたりする時に
アップになるシワだらけの手が2人の長い歴史を物語っている。

ダイニングの外、つまり街の音(鳥のさえずりや車の喧噪など)が
さりげなく背景に入っているのも日常の食卓のリアル感が出ていて良かった。

結局、人はどこまでもエゴイストであり、食卓はその我が出る象徴の場だと思った。
人を食事に誘ったり、美味しいものを食べさせたいと思うのも、
それはつまるところエゴである気がする。
この映画はそんなことテーマにしていないかもしれないが、私はそうとらえた。


ただ、パンフなどのキャッチに「やっぱり人生は最高のスパイス!」と
つけられているのだが、んーこれはよくわからん。
人生=スパイスなんだったら、
それを振りかける根幹となるものは人生以外の何になるんだろうか? 






2013年3月2日土曜日

確定申告書提出

突風吹きすさぶ中、税務署へ初めての確定申告を提出に行ってきやした。
相当な混雑だろうと思いきや、朝10時前だったからか、
室内に張り巡らされた長いロープの列には誰もおらず、
あっちゅう間に終わりました。
数字計算関係が大の苦手な私、果たしてちゃんと提出まで辿りつくのか、
この2カ月間は不安で眠れぬ日々が続いたような、
しっかり寝ていたような。
食事もろくに喉を通らなかったような、
がっつり食べていたような。

♫季節が都会ではわからないだろうと〜と
千昌夫の母は言うが、んにゃ、充分すぎるほどわかりましたよ。
(ちなみに「北国の春」というと東北をイメージさせるが、
 作詞のいではくの故郷、信州がモデルなんだそう)
ここ数年「私は花粉症を完治した」と豪語し、
奇跡の人、と羨望のまなざしを友より得ていたが、
家から税務署まで徒歩で10分強、
一応、都会ながら、この辺は畑や植木園が多いゆえ、
くしゃみ連発&鼻水が垂れ、春をなめたらいかんことを実感したのだった。
私以外には見渡す限り誰一人歩いていないので、
北国の春を熱唱してもよかったのだが、
何なら履いているブーツを長靴に見立てられたのだが、
ああいうところって、タクシーとかバス、トラックの運転手たちが
ポツンポツンと停車している。
さぼっているのか正規の休憩なのかわかんないけど、
なぜか運転席の窓を開けているのだ。
歌えそうで歌えない、ので
小声で「すぃらかば〜あおぞぉら♫」と唱えた。
その後、立ち寄った駅前の商店街で、
飼い犬が電柱で用を足している間、
ムード歌謡のようなものを歌っているおばさんを見た。
いつの日か私もその域に到達できるだろうか。


帰宅して原稿を1本書いた後、夜は同じ沿線に住む友人M.Mと焼き鳥屋で一献。
彼女は20代の頃、一緒にデスクを並べ働いた仲のGデザイナー、
結婚して子供3人を育てつつフリーでデザイナーを続けている。
当時、同じくデザイナーの同僚だったE.Tはやはり結婚退職して3人の子をもうけた。
頼んだ覚えはないが、みんな、私の分まで産んでくれてありがとう。
今日はMと2人だけど、3人でも年1回は会うようにしている。

Mの長女が小学3年くらいの頃、
独身である私に対し、こうアドバイスをしてくれた。
「まずは気軽なランチから。ランチでもどうですか?と男の人に言うの」
「ランチの前にお風呂に入り、スカートをはいてお化粧して行くのよ」
驚きである。10歳になるかならないかの子が、いったい何を言っているのか。
「ど、どうしてお風呂に?」
「だって、臭かったら嫌われちゃうでしょ」
ごもっともである。思わずメモをとりそうになった。
「で、もし嫌われたらどうすればいいのですか?(←もはや敬語)」
「そん時は1回泣いて、また別の人とランチすればいい」
チミは竹内まりやか? どこでそんな情報を仕入れたのだろう。

そんな彼女もこの春から中学1年生。私立の女子校に行くという。
ランチでもいかが?と彼女自身が男子を誘う日は遠いのか、案外近いのか。
ランチ+スカート+化粧のテクニックには有効期限があるよ、と
今からアドバイスすべきか否か。


2013年2月24日日曜日

おひなさまを飾る


今年もやってきた、ひな祭りの季節。
私は父方では初孫にあたり、また3月7日生まれのため、
庶民な家としては豪華な七段飾りのひな人形が贈られた。
私にとってひな人形は、女の子の節句というより
自分の誕生日祝いの飾りという感覚だった。
誕生日会を行っていた小学時代は欠かさず7日までは出しており、
結果、今こうして嫁に行けていない。
ああ、7日に生まれたばっかりに。違うか。

成人になってからは、わがひな人形はしまい込まれ眠り続けていたのだが、
数年前、両親が一軒家の実家を売り払って小さいマンションに移り住むことになり、
私が置いてきた本やら何やらを整理処分するなか、
ひな人形を託されたというか、引き取ることになった。
まあ別に私の住むマンションがそんなに広いというわけではないのだが、
荷物置き場のロフトがあるからだ。
永遠にしまい込んでおくのはかわいそうだから、
ソファなどを移動させてスペースを作り、自分の手で飾ってみようと思った。
しかし蘇ってくるのは、母と2人で組み立てた子供時代の記憶。
非常に手間がかかるもので、やたらに叱られ、ふてくさりながら手伝っていた。
大人になった今も、一人ではとうてい無理だろう。
というわけで、まいどおなじみ、友達使いの荒さで有名なワタシ、
“食事・酒つき”でH.OとY.Oにボランティアを強制。

この、ひな祭りミッション、気づけば今年で4回目を数えるのであった。
回を重ねるごとに、我々個人の技術及びチームワークのクオリティは上がっていった。
特に昨年の第3回はかなりスムーズだったように記憶する。
今年は、飾る前にすでにコーヒーブレイクをとってしまったせいか、
はたまた、わざわざ細部の写真をDVDに入れておいたのに
それを見なかったためか、やや精彩に欠けた作業だった。
何事も初心不可忘、真摯に向き合わねばならぬ。
それでも何とか1時間半で完成にこぎつけた。


なにしろ、まず、骨組みを作るのに骨が折れる。
2つの階段状の骨をバッテン2つで留めるのだが、
ネジを差し込む溝が細くて指を入れづらいのだ。
次に木の板をのせ、毛氈(もうせん)を敷き、
人形や道具類をポンポンのせればでき上がり、と言いたいが、
冠だの刀だの装飾品はすべてバラバラになっており、
一体一体着せていかなければならない。これが非常に手間。
冠がすべりやすくて、あご下でヒモがうまく結わえられない、
ジイさん(左大臣)のヒゲが邪魔だの、
五人囃子の担当楽器が混乱し、「っていうか、オレ、大鼓じゃないしぃ」などなど。
当時のトリセツもちゃんとあるのだが、これがまたひどくて、
微妙に人形のポーズが違ったり、絵が小さ過ぎて細部が見えない。
加えて、ウン十年前のものであるから、すべてにガタがきており、
骨組みはサビ気味、毛氈はなぜか縮んでいる、
小道具の細工がぽろりとはがれたり、美白命のお顔にシミが出ている人もいたり。
今どきのひな人形ってどういう仕組みになっているのだろうか、
変わらず装飾を一つ一つ着けなければいけないのだろうか。
骨組みはもっと簡単でさびないものになっているだろうか。
もっとも、今どきはもう七段飾りなど買う人は少ないに違いない。

未だ私には冠の装着はできず、友達任せ。
ましてや子供の手ではできるわけもない。
その昔、母がピリピリしていたのも、今となってはわからなくはない。
あの時代の母親たちは、今の私たちのように
友達を呼んで手伝ってもらう、といった感覚はなかった。
母は実質一人で組み立てるしかなかったのだ。
「昔、一緒に組み立てたわよね」と、母は懐かしげに言う。
私にとっては苦痛だった思い出が、
母の中では楽しい思い出になっているようだ。
まあ、それなら、良かった、と思う。




2013年2月16日土曜日

友人のお仕事

編集者友達のM.Kさんのお誘いで、
「薬膳ハーブ酒ソムリエ」講座のプレス体験会に行ってきました。
自由が丘にある「ソフィアフィトセラピーカレッジ」の代表で
フィトセラピストである池田明子さんが、
フィトセラピー(植物療法)の理論を広めるために、
薬膳ハーブ協会を発足し、薬膳ハーブ酒ソムリエ認定コースを開講。
第1回講座は6月18日に行われるそうなので、
興味のある方はHP(coming soonだそうですが、http://yakuzen-herb.com/)
や、池田さんのブログ(http://ameblo.jp/ikeda-akiko/)などご覧下さいませ。

ダイジェスト版でのハーブ酒の歴史や効果等のお話を聞いた後、
いざ、薬膳ハーブ酒作りも体験。
エキナセア&エルダーフラワー+ウォッカと、
フランボワーズ&ローズ&ローズヒップ+ウォッカの2種。
2週間から1カ月ほど漬けた後に漉し、好みで炭酸等で割ったりして飲めば、
風邪や疲労回復、美肌などの効果が期待できるそう。
ふふふ、来月が楽しみだわ。




M.Kさんは、池田さんの新著『DVDつき 心と体を癒す 手のひらマッサージ』
の編集を担当。
足ツボマッサージは世間的にもすでに定着している感があるけど、
あくまでプロの手に委ねるもので、
友達や家族同士でちょいとやるってもんではないですわね。
それに比べ、手のマッサージだったら、トライしてみたい気軽さがあるし、
足の裏みたいに飛び上がるような痛さではなく、
ソフトなタッチでハンドケアできるからいいかも!
ありそうでまだそんなに出ていないジャンルの本、
DVDまでついて1300円(税別)、やるなあ〜。
不調に効くツボもいろいろ載っている。
私なら、首・肩こりに目の疲れのツボだな。
自分でやるor人にやってあげる、どっちも載っているけど、
やっぱり一番は・・・人にやってもらうのがいいな。 
持つべきものは友。
マッサージの学校に通って技を持つY.Oさま、
ワタナベのここ(両手)空いてますよ〜、よろしく♡



https://www2.shufunotomo.co.jp/webmado/detail/978-4-07-287310-6



2013年2月10日日曜日

自分へのご褒美

「自分へのご褒美」って何を買いますか?
いつからこういう言葉が流布したのでしょうかね。
ようは、贅沢にお金を使う時の言い訳でしょ。
って言っちゃあ、身もフタもないざんすか。

私にとって、自分へのご褒美は何だろう。
例えば宝石や高級時計などの装飾品には興味がないし、
そもそもそんな高価な品を買える財力がないのと、
そこまで自分を褒められるようなビッグなことをしていない。
ビッグなことをして儲けた人は、
おそらく税金対策などでお金をどんどん使わなきゃ、という感覚で
高価なものを買うんじゃなかろうか。
毛皮とか別荘とか自家用ジェット機とか、島を丸ごと買うとか?
島といえばその昔、さだまさしが島を買った話題があったが、
あれは確か、ソロになって最初のヒット曲「雨やどり」の印税で買ったとか。
ああ、こんなベタな発想&昭和なニュースしか思い浮かばない、
貧乏人&昔人間な我が身が哀しい。

ようするに言いたいのは、金持ちが豪華なものを買うのは
自分へのご褒美とは違うだろうということだ。
あくまで庶民が、自分の労働や苦労に対して、ごくろーさんと
平常の自分の物差しからすると少しだけ背伸びするものを
自分のお金で購入する、それが自分へのご褒美ですよね。

女性だったら、エステ・ファッション・グルメが、ご褒美の代表科目だ。
つまり、美か美味。
一方、男の人はどんなご褒美があるのだろう?
パソコンとかカメラなどの機器?車?腕時計?高級ワイン?
ダメだ、この方面も私にはよくわからない(&昭和な発想)が、考えてみたら、
身近な男性で「自分へのご褒美にこれ買ったんだ」と言った人を見たことがない。
男の人は、そんな言い訳などせず、買えるお金があって買いたい欲望があるなら
黙って買うのかもしれない。
すると、女には、贅沢に対する何らかの罪悪感があるのか。
親や夫のお金を使って自分だけ贅沢するからというならまだしも、
自分で稼いだお金であっても、だ。どうしてだろうか。
しかし、言い訳するわりには、ご褒美のタイミングはけっこう頻繁だ。
罪の意識なんて本当はなくて、
気分を高めるための自己演出かもしれない。
収入が増えたからということではなく、
最近忙しい日々が続いたから、ストレスで疲れが溜まっているから、
ちょっとだけ潤いたい、気分転換したい、それがご褒美。
黙って買うよりも、ご褒美という名の熨斗だかリボンだかをつけて手にしたほうが
楽しみが倍になる、というような。
罪悪感のスパイスもあえて加えてみるSM感覚。
そういう感覚、男の人にはないだろうか?

私にとってのご褒美に話を戻そう。
私の場合、職業柄“美味しい”に出会う頻度が高く、
日頃からエンゲル係数が高いので
グルメがご褒美とは言えないかもしれない。
美容は確かにそうかもしれないが、もはや年齢的にいって
ご褒美レベルでは間に合わない、必要経費のような気もする。
(実際にはあんまり投資していないけど)



今日、この青いトラのマグが届き、さっそくコーヒーをいれて飲んでいる。
このマグは、イギリスのホーンジーというメーカーで、
1975年に作られたヴィンテージ。
いつもチェックする北欧系ヴィンテージを扱うサイトで出ており、
美しい青色と、カワイイというより若干イラッとさせられる
つぶらな瞳に魅せられ、ポチっとしたのだった。

そう、しいて言うなら、私のご褒美は、
ヴィンテージのテーブルウェアを買うことかな、と。
ポットやジャグなどの陶磁器、ホウロウ鍋など、
数千円からせいぜい2万円以下のものしか買わないので、
お金持ちな方からしたら微々たるものでしょうけど、
マグカップなぞすでにいくつも持っていて必要ではないのに、
加えて古いものなので、かんにゅう(釉薬のヒビ)やキズがあったりで
コンディションが必ずしも良くないかもしれないのに、
デザインで買ってしまう、まさしく私にとっては贅沢品だろう。

ちなみにこのブログのトップに写っている青い細長いホウロウ鍋は
ダンスクのベイキングパン。
1960〜70年、生産国はフランスでデザイナーはデンマーク人だそう。
パンとかミートローフに使うものだが、私はハンドタオル入れに使用。



同じくダンスクで黄色の平たいベイキングパンも持っていたりする。



ブログ著者の顔に使っているのは、スウェーデンのジィ・ガントフタというメーカーで、
アニタ・ニールンドというデザイナーによる、こしょう入れ。やはり'60年代のもの。

ついでだから他にもいくつかご紹介。

デンマークのロイヤルコペンハーゲン「バッカ」シリーズの花瓶。60年代。
古伊万里に影響受けているブランドゆえ、和の世界にもなじむ雰囲気。

左はイギリスT.Gグリーンのコーニッシュウェアのジャグ、
右はデンマークのLyngby(リュンビュー)のポット。

スウェーデンのロールストランド。今はイッタラの傘下にあるそうだ。

私は、ブランド自体にはあまり興味がない。
なので今も一つ一つの名前がパッとわからず、
器の裏を見たり元のサイトを見たりして書いている。
熱心なコレクターではなく、統一性もなく、
あくまで見た目で惹かれるものを時々買うだけだ。
今回、青いトラを買ったのは、どういうご褒美でなのか?
と問われると。
うーん。ないなあ、特に。
ビッグなことをしたわけでもなく、儲かってもおらず、
多忙で疲れているからでもなく。
欲しかったから、黙って買ってしまった。
つまり、男前ってことかー。
(ろーひと言わんといて! )

2013年2月5日火曜日

マカロンからのアルゼンチン

昨日は、ホテルニューオータニにてピエール・エルメの菓子新作発表会。
ホテルに開業して15周年になるという。
エルメとえばマカロン。4月から月替わりで1種ずつ計8種類の新作を販売予定。
うち3種類程が(ベーシックなもの数種とともに)試食できた。
4月のマカロンはグリオットとレモン果汁、トンカ豆で
桜の花の味を生み出したという“ジャルダン・ジャポネ”。
はーん。なるほどね。
グリオットはチェリーだから当然、チーム・サクラであり、
レモンの酸味で爽やかさを出したのか。
桜の香りの特徴的な成分クマリン(熊の愛称ではない)、
これはトンカ豆からも抽出される成分なのだ。
どれどれ。ふむー。桜の花の味かあ。そうか、そうなのかあ。
桜の塩漬けほどのインパクトは感じられないなあ。
まあ、目指す着地点はそっちじゃないんでしょうけども、
フレッシュな桜の花の香りってそもそも我々は明確に知っているだろうか?
クマリンは塩漬けにすることで初めて抽出されるというし(特に葉)、
桜の花の香り成分はローズとも類似するらしいから、
びみょーな感じがしました。
あとは確かアニス系の成分も桜の花に含まれていたと思うので、
アニスを少し加える手もあるかなって、余計なお世話ですね。

その他、食べてみたかったがダミーだけでザンネンだったのが
“リンゴ、ミント、キュウリ&ルコラ”味や“抹茶、ジロル茸&レモン”等。
どんな味でしょうねえ。




マカロンはもはや菓子の領域を超え、
食べるモードのアイコン、遊べるグッズと化している。
私個人はマカロンはそんなに好きではないけどな。
フカっとしてモチっとしてしつこめのクリームをサンドしたものであれば
ダックワーズが好きだな。
試食でマカロン4〜5個、その他にガトー数種、
アイスやチョコレートデザート等食べたので結構キツい(あたり前か)。
ちなみに、菓子研究家とか菓子主体のライターの方たちは
こぞってヒジョーに細身の体型だ。なんでなんだろう?


夜は、アルゼンチン大使館で映画の試写会。
「LA CIFRA IMPAR」(奇数の暗号)1962年、マヌエル・アンティン監督作品。
世界45カ国を旅した経験を持つ(特にスペイン語圏に詳しい)
フリーライターの女性に誘われてくっついていった。
ちなみにこの方、ハンドキャリーという仕事もしている。
ハンドキャリーは言わば正規の運び屋?
車の部品等を緊急に輸送したい際、それを持参して届ける仕事だ。
まるでバイク便のような感覚で、海外へひとっ飛びしてくるのである。
彼女はこれまでに海外で死にそうな目に幾度も遭っており、
そんな時、恐怖よりもどうやったら切り抜けられるかを冷静に考えるという
強靭な精神の持ち主。
よって、他の人が避けがちな治安が悪い国&英語の通じないスペイン語圏にも
スケジュールさえあいていれば二つ返事で行く。
最近もメキシコやらインドやら行ってきたばかり、
加えてライターの仕事でガイド本執筆のための旅もある、
おかげでマイルがいつもたまりまくっている
(からそれを消化するための旅にも行く)んだって。

さて、なんの前情報なく映画を観る。
そこで知る、字幕は英語で日本語はないことを・・・。
大使館の一室で映画館のような段差がないため、幕下位置の字幕は見えづらく、
古いモノクロ映画なので字自体かすれ気味。つまり、よく見えない。
ちょっと〜まいったなあ〜。
え?はい?  はいはい、そうでした、
そもそも英語わかんないんでした。えへへ。
なのでスペイン語ヒアリングに挑戦だ。

発音は結構はっきりしており、そこそこ聞き取れる。
おお〜良かった!!! ケ・ビエーン(イエーイ)。 

しかーし。なのに、なぜだ? ストーリーがわからない。
登場人物はパリに住むアルゼンチン人の中年夫婦と、
故郷に住む夫の母親、そして夫の兄弟。
母親が夫婦へ手紙をよこすのだが、その内容がよくわからない。
加えて存在自体があやふやな兄弟がちょいちょい出てきては
夫婦とともにわけのわからない行動や言動をおこす。
時間の流れもよくわからない。奇数の暗号って何だ?
ついていけん・・・。

終わった後、ライター女史におずおず聞くと
「言語の問題ではなく、話自体が難解、わからなくて当然」という。
兄弟はすでに死んでいるんだそうだ。
亡霊あるいは妄想の中の人間と現実、過去と現在が境目なく交差しているのだ。
それを聞いた途端、私は「でしょう〜、そうだと思ったのよねえ」としたり顔。
彼女とは違い、スペイン語の理解にも相当問題があったはずだが、
おかげで途中、座頭市顔状態になっていた時間もあったはずだが、
そこらへんのことは闇に葬りました。

帰ってから調べると、映画の原作は
アルゼンチンの作家フリオ・コルタサルの短編「母の手紙」だった。
フリオ・コルタサルといえば、ラテン・アメリカ文学の有名作家の一人。
彼の作品を読んだことはないのだが、
ポッドキャストのスペイン語講座で時折、彼の作品の朗読があり、
そのどれもが摩訶不思議なストーリー(のような気がして)、
あかん、ついていけんなあ、と思っていたので、
またしてもコルタサルにやられたのか!! とびっくり。

この物語に出てくる夫は、兄の元婚約者と駆け落ちして
パリで暮らしている。兄はすでに死んでいるのだが、
母の手紙にはあたかも兄が生きているかのように書かれ、
その亡霊あるいは過去が今の暮らしに入り込んでくる、といった話。
幻想の錯綜、そこはかとない不安感・・・

現実と非現実が区別なく同等に描かれる、
ラテン・アメリカらしい幻想文学「マジック・リアリズム」というヤツですな。
同じアルゼンチンならば『伝奇集』のホルヘ・ルイス・ボルヘス、
ペルーならバルガス・リョサ、そして何といっても有名なのは
コロンビアのガブリエル・ガルシア・マルケス。
私も昔、がんばって大作『百年の孤独』を読んだなあ。
今、引っ張り出して見たら1995年版とあるからもう20年近く前か。
思っていたより分厚くはなかったが、
1ページ2段組みで級数がすごく小さくびっしりなのだ。
スペイン語圏の世界を少しかじっている今、
改めてもう1回読みたいとも思うけど、これじゃ、まず目がやられる。



そして、2009年に出た同作家の『生きて、語り伝える』も持っているが、
こちらは未だツンドク。ページ数676也。
どーするんだ?死ぬまでに読む日は来るのか?

ま、とりあえずは、フリオ・コルタサルの『母の手紙』が収められているらしい
『秘密の武器』(岩波文庫)を買って読み、それからもう一度、
ユーチューブにアップされている映画を観てみようかしら。
「奇数の暗号」の意味、理解できていないし。