2012年12月15日土曜日

マタギ女とはんにゃともう中学生

年が明けたら初めての確定申告を迎えるため、
ちょっと聞きたいことがあり、家から徒歩圏の税務署へ行った。
近くにありながら会社員時代には一度も足を踏み入れたことのない場所だ。
予約はしていないため、30分程待たされた。
と言っても待っているのは私と、私の前にもう一人だけだが。
その人はどうも体調が悪いらしく、
個室で寝て待っているから早めに対応してあげて欲しいと
受付の人が内線で伝えている。
しばらくして担当の人が到着しドアを開けると、中から
「ああ〜ん、ちょっと待ってぇ」と悩まし気な女の声が。
ロシア帽をかぶり、肩から二の腕にかけて毛皮のついた
マタギみたいな服を着た、バッチリメイク50がらみの女の人が出てきた。
杖をついているのにピンヒールのロングブーツ。
飲み物はどこぉ? と虚ろな目をして自販機へ向かう。
まあ確かに最近ぐっと冷え込んではいるけんども、
ここは極寒シベリアの税務署ですか?
しかもそんなに具合悪い身体で予約なしに来て、相談したいことって何だ?
余計なお世話ではあるが。

私の担当は30、いや20代か、若いお兄さんだった。
芸人はんにゃの金田をもう少し丸くしたような感じ。
対応はそこそこ丁寧で悪くない。
が、e-Tax(インターネット確定申告)に関して、
「24年度の作成シートのダウンロードはいつからできるのか?」
という私の質問に対し、どういうわけか彼は
「ここに書いてある通り、1月16日から提出できますよ」と答える。
「あ、はい、なるほど。でも私がお聞きしているのは、提出日ではなくてね、
いつからシートに書き込むことができるのか、ってことです」
「ですから、16日から受け付けていますよ」
「ん? いや、そうじゃなくてね、私はホレ、初めてだから、まあeにするかも
決めてはいませんけども、もしe-Taxでやるとして、
不慣れで時間かかるかもしれないから、ヒマのあるお正月にゆっくり
打ち込みできたらいいなと思うので、それで、いつからシートを入手できるのか?
が知りたいわけなんです」
どうなんでしょう、私の言ってること、通じますよね?
そんなにおかしなこと言ってませんよね?
理解してもらえるよう、こちらは入手日が知りたい理由も
話しているというのに、
はんにゃ金田はあくまで16日提出スタートの一点張りなのだ。
もしも私が何か根本的に理解していないのなら、
そっちもちっとは違う表現してみたらどうだ?
何回かの問答の後、
「えっと。あの、全然わかんないんだけど。じゃあ何ですか、
シート入手できるのも16日から、そして提出も16日から?
そんな不思議な話ありますかね? 即日打ち込んで提出する人なんているんですか?」
と言ったら、あれ、はんにゃはムクれちゃった。
わけわからん。

結局のところ、年末にシート入手は不可能で(できるようにしたらいいのに)、
1月上旬に公開されるが、いつなのかはまだ発表されていないのだ。
じゃ、わかんないんじゃん。16日ではないんじゃん。
こういう時に、横浜弁ってじゃんじゃん出るんじゃん。

手書きの用紙の場合は、年明けてから取りに来るか、
電話すれば送ってくれるという。
ふーん、そういうものなんだ。
それじゃあ、年明け早々、用紙送ってくれコールがバンバンかかってきて
税務署も大変ですねえ、とねぎらったら
「いえ、去年まで行っている人にはこちらから郵送しますので」
と冷たく返された。
何、チミはまだスネてんの?
けどコチトラ初体験なのよ、知らんのよ。
私がお兄さんの立場だったら、
「初回はそのように手続きするが、次年度からは自動的に送られてきますよ」と
その情報も先に言ってあげるのになあー。

話を終え、個室から出ると、
受付前の長椅子で、大きな獣が横たわっていた。
よく見たら、さっきのロシア帽のマタギ女だった。
ミンクだかセーブルだかわかんないけど
マタギ服の上に更にボリューミーな毛皮のロングコートを
布団のようにかぶって寝ていた。
誰かお付きの者はおらぬのか?
かわいそうではあるが、ロシア帽とコートが一体化して顔がパッと見えないので、
「近頃の税務署はゴージャスですな」と
ラグと間違えて上から座る年寄りがいてもおかしくない感じだ。

私はその足で、すぐ近くのケータイショップに立ち寄った。
今、iPadミニを買おうか迷っており、
自宅のネット環境も含めた通信料に関するプランを聞いてみたのだ。
春にiPhoneを買った時と同じお兄さんだった。
彼は芸人の"もう中学生"みたいな口調で説明をする。
「じゃあ、これとこれはどこがどう違うのかなあ〜?って思いますが、
こっちの場合、(ペンで線を引きながら)ここからここまでですよぉ〜、
はい、でもこっちだとここからこれだけですよぉ〜という具合なんですねぇ〜」
いつもなら、幼稚園児扱いされているような奇妙な気分になるのだが、
つい先程、はんにゃに嫌われ、マタギ女を見た私には、
これくらいはたいしたことはなく、
むしろ、優しい丁寧な説明に心がなごみさえするのだった。




2012年12月9日日曜日

¿書き順?

テレビをつけたら、漢字の書き順クイズみたいなことをやっていた。
そうそう、小学校で新しい漢字を習う際、
マス目ごとに一画ずつ足して1つの漢字を完成させる
書き順ノートみたいなものがあったっけ。
一画ごと色鉛筆で替えるという方法も。

当時6年間、習字を習っていたけれども、
書き順が怪しいものが結構あるような気がする。
間違っているとわかっていても直せないのが「右」だ。
右は、ノを書いてから一を書くのが正しい。
もともと字の成り立ちが、ノの部分が手で一の部分が腕をあらわすらしく、
左の場合はその逆でノが腕で一が手。
手から先に書くのがルールなんだそうだ(その理由は知らない)。
わかっちゃいるのだが、どうしても左と同様に、一を先に書いてしまう。
いきなりノを書くのって、なんか勇気がいるというか、バランス難しくないですかねえ?

スペイン語では、疑問文を書く際、頭に逆疑問符の「¿」をつける(文末には「?」)。
スペイン人数人と現地で食卓を共にした時、
私は彼らに「¿」をどういう順で書くのが正しいのか、たずねてみた。
点から書くのか、あるいは縦棒からか、 一番下から上にむけてか?
すると、彼らの答えは人によってマチマチであった。
えっ?君はそう書くの? 私はこうだけど、と一騒ぎになり、
また、そもそも「そんなこと今まで考えたこともなかった」と言うのだ。
¿私の質問はスペインの文字文化に一石を投じたと言えまいか? まいね。

その話の流れで、漢字の成り立ちを披露することになり、
私はメモ帳に絵を描きながら、「川」だの「森」だのを説明。
彼らは「¡へぇ〜おもしろいね〜!」と関心を示した。
調子にのった私は、「人」という字を書きながら、
「はい、みなさんいいですか、人という字は人と人が支えあって」と、
金八仕込みの説明をしそうになったが、ち、ちがーう!!
人という字は一画目が頭と腕で、もう一方は胴体と足なんだと
かの白川静先生はゆーとるじゃないか。 
あやうく間違った日本の文字文化をスペイン人に伝承するところであった。
恐るべし武田鉄矢。いや、金八。


小学時代の家庭学習ノート。
子が予に間違ってるのに、先生直してよ!
こんな物を未だ持っている&
同じことを大人になってもやっている
自分がちょっとキモイ。



川や森の字の変化には納得していたスペイン人だが、
「目」という字を説明したら、これはどうもピンとこないと言う。 
なんでわかんないんだろう? 横の形が縦になったからかな、と
その時は思っていた。

しかし、今ふと思った。
西洋人はくっきり二重まぶたが普通だ。
だから、もし彼らの目を漢字であらわすならば、こうではないか?   














まつ毛がフサフサなので更に右側に「」がつくかもしれない。
自分で思いついておきながら、何となくシャクにさわる。








2012年12月5日水曜日

アヤシイトリセツ

iPhoneを購入してから、目覚ましアラームもこれを利用するようになった。
そういうことも、購入前までは好きになれなかった。
つまり、ケータイは電話、目覚ましは目覚まし時計が担当であり、
何もかもケータイで済ませてしまったら、目覚まし時計の立場はいったいどうなるのだ。
目覚まし時計には目覚まし時計の人生がある。
彼らはそれだけを生業としているスペシャリストであるのに、その先達を敬うことなく
「あ、オレ、アラームとかもあるんで、やっときますから大丈夫っすよ」と
いとも簡単に奪ってしまっていいのか。
彼らは就職難に陥り、やがては存続の危機となるのではないだろうか。
と、目覚まし時計擁護派であるにも関わらず、
ある時、何となくケータイを試したら、そのまま習慣づいてしまった。
なんたる自堕落。薄っぺらなポリシー。情けない。
わが目覚まし時計はいつの間にか息絶え、
うっすらホコリをかぶっていた。
かわいそうに、ごめんよ!!

私の目覚まし時計はLEXONのもの。
わりに男の子っぽい都会的なデザインなので私の趣味ともちょっと違うのだが、
(だからといって乙女っぽい田舎風デザインが趣味ということもないのだが)
これを選んだ理由は、自分で好きな音楽を録音し、
それを目覚まし音にできることだった。
目覚まし時計擁護派と言いつつ、ピピピピだのリンリンだの、
あの単調な繰り返し音は苦手、毎朝腹立たしく起きるの、イヤだ。
(ん?ホントに目覚まし時計派なんだろか、よくわからなくなってきた)


おそらく電池を交換したら目覚まし時計は息を吹き返すだろう。
ボタンがいろいろあって再設定の仕方がおぼつかないので、
しまっていたトリセツを引っ張り出す。

ああ、そうだった。
この時計のトリセツのお粗末さが尋常じゃないのだった。
A4のプリント1枚の箇条書きに、なぜかイラストがすき間につけ足したような手書き。





















どうだろうか、このイラスト。
何かこう、イラっとさせられやしないか?
私でももう少しうまく書けるぞ。
バッタもんじゃんって感じだが、
しかし正規の外国語版も同封されており、
そちらはちゃんとした印刷物でイラストも当然いたってまともだ。
販売店もおそらく怪しくはないはず、なのだ。
無理して立体図なんかにせず、平面にすれば良かったじゃないか。
ってか、元々のLEXONの絵は平面であり、
これをトレースすれば済むことだ。
歪んだ炊飯器みたいに描かれていることを
デザイン命のLEXON本部が知ったら、どう思うだろう。


















他にも、通販で買った安物の雑貨類などのトリセツに、
同様のタイプが時折見られる。
プロのデザイナーやイラストレーターに依頼する費用がないのだろうけど、
社内に誰か一人くらい、絵心のある者はいなかったのだろうか。
手で描けなくても、今どき、パソコンのお絵描きソフトでも何でもあるじゃないか。
更には印刷代削減のためか、コピーのまたコピーみたいな、
字がよく読めないようなトリセツもあるのだ。
トリセツも立派な媒体なんだからね、
なめずにちゃんと作ってもらいたいものです。

電池を入れ替え、奇妙なトリセツ図解を我慢して見つつ
リセットし、無事、息を吹き返した、わが目覚まし時計くん。
iPhoneなんかに浮気したアタシが悪かった。
明日からはまた君に頼むよ。

追伸
そうして今朝、久しぶりの目覚まし時計でさわやかに起きるつもりだったが、
音楽に混ざってブチッブチッとノイズが・・・やっぱバッタもんかしらん?
起きてから、寒さのあまり、エアコンとミニヒーターを同時につけ、
電気ケトルで湯を沸かしつつ電子レンジで豆乳を温めたら、
バーンッとブレーカーが落ちた。
おかげで家中の家電のタイマーがチカチカ状態に・・・。
個々のトリセツを見なければ、どうリセットするのかわからん。めんどー。


2012年11月29日木曜日

給食嫌い

先日、都内の公立中学校の給食を目にする機会があった。
五目ご飯、粕汁、ぶどう豆、ジョアだった。
牛乳じゃないことに驚いたが、おそらくこの日はたまたまだったのだろう。
お調子者の生徒が ♫ジョア ヤクルト ジョア 誰のもの〜♪と
剛力彩芽のCM曲を浮かれて歌っていたから。
(ちなみにこの曲、作詞・作曲は浜口庫之助。その昔、小柳ルミ子が歌っていた)

料理すべてが同じような見た目、味の傾向なのが気になる。
栄養バランスや咀嚼させることを考えた結果なのだろうけど、
五目ご飯と粕汁、どちらも刻んだ根菜など具材が似たりよったりだし、
副菜の煮豆も甘くもっさりしてもたれそうな感じ。
せめて副菜は酢の物とかマヨネーズ系にするとか、
あるいは卵焼きや茶碗蒸しのような粒々していない食べ物にするとか、
汁物はすましにするとか、メリハリつけられなかったのだろうか。
と、父兄でもないのに、一人うっすら憤ってみた。

どうも給食に対して良いイメージがないからかもしれない。
私の場合、中学はお弁当だったので、給食の思い出は小学時代になる。
ご飯は一度も出ず、6年間パン食だった、というとわりに驚かれるようだ。
少し下の学年からは週1回くらいご飯が出たようだが。
このパンがね、まあ実に美味しくなかった。
パサついたコッペパンが主で、たまに食パンだったけど、どちらも苦手だった。
牛乳。これがまた体質的にダメで1本飲むことはできなかった。
だからチビだったのかもしれない。
プロセスチーズも嫌い(あの頃もしナチュラルチーズがあったなら良かったのに)、
五目豆のたぐいも苦手(パンのおかずとしてどうなのさ?)、
鯨肉の竜田揚げは一見美味しそうだが、かたくてかみ切れず、飲み込む時が恐い、
と、かなり好き嫌いが多かった。
好きだったのは、揚げパン、フルーツのヨーグルトあえ、ソフト麺&カレーくらい。
このメニューの時ばかりは私もおかわりをしてみたかったが、
おかわりをするには完食しなければならないルールだったので、
牛乳を飲みきれず他のおかずも残しがちな私には永遠にチャンスはない。
いつもジャイアンみたいな男子2〜3人と、花沢さんみたいな女子1人くらいの
決まったメンバーがおかわりを競っていたな。
ちなみに毎月の献立表は、トレーシングペーパーのような半透明の薄い用紙で、
配られるたびに、それを口に当て息を吹きかけ音を鳴らす、という
何がいったいおもしろいんだ?的なガキの習わしがあった。

ソフト麺&カレーは、好きではあったものの、その分量比率にいつも不満を抱いていた。
麺の量に対し、カレーがひどく少なすぎるのだ。カレーの中に麺を入れてあえると、
ほとんど液体はなくなり、黄色いカレー風味の麺だけ状態になってしまう。
あくまでルウのとろみ感を堪能したい私は、配分を考えつつ、
舌のくぼみにまずカレーを少量入れ、
その上に一口分に切ったソフト麺を置いて口中で混ぜるという技を編み出した。
周囲の者にもフォロミーをすすめたが、賛同者は少なかったような。
お行儀が悪かった?
でもさ、考えてみて欲しい。
カレーの中に、ほぐれていないソフト麺の塊をドボンと入れて混ぜるのだって
お上品とはいえないのでは?
つけ麺みたいに麺がほぐれているならばわかるけど。
せめて麺の上にカレーをかけて欲しかったのですよ。

器も今思うと、ひどかったなあ。
刑務所で使われていそうなペラペラのアルミプレート&先割れスプーン。
あれでは食欲がわかないだろう。今どきのプラスチックのほうが少しはマシかな、
いや、それも本当はイヤだな。
本物の陶磁器や木椀だったら良かったのに。

学校創立記念の日、特別にケーキが出た。
1人前サイズのデコレーションケーキ。
私たちは狂喜乱舞した。いざ実食!
・・・マズイ。実にマズイ。生クリームではなかった。
今は、本物のバタークリームのケーキが美味しいことを知っているが、
あの頃のバタークリームはおそらくバターではない安い油脂を使用していたため
美味しくなかった。私だけでなく、他の子も、
一口食べてみんな残してしまい(ジャイアンと花沢さんはどうしていたかはわからない)、
先生は「食べ物を祖末にするとは!!」と怒った。
確かに食べ物を残すのはよくない。
しかし、子供騙しなマズイものを作る(発注する?)そのセンスに問題はないのか、
無理するくらいならまんじゅうにでもすればよかったのに、
と、子供ながらに調理クラブ部長としては納得がいかないのだった。

2012年11月23日金曜日

新たな絆

「お元気ですか?」
「ええ、まあ何とか」
お裾分けしたいものがあり、以前住んでいた家の大家さんに久しぶりに電話をした。
今住んでいる所から数駅の距離で、二世帯住宅の1階に私は住んでいた。
2・3階が大家さんの住まいで、奥さんは偶然にも元編集者、ご主人は作家、息子さんが一人。
1階部分だけとはいえ、一軒家であるのにはかわりなく、門や玄関扉までの階段もあり、
住み心地は快適で、私は11年そこに住んでいた。
大家さんと一緒の家なんてうっとおしいのでは?と人から聞かれることもあったが、
彼らは普段は決して干渉せず、それでいて、私が風邪で高熱の時には車で病院に連れていってくれたり、雪が降った翌朝にはもう玄関の階段が雪かきされていたり、
“妙齢のお嬢さん”がトイレットペーパーを買って持ち歩いている姿は忍びないからと
定期的に差し入れてくれたりした。

引っ越すきっかけとなったのは、
息子さんが結婚を機に1階部分に住みたいということで、
いわば、私は退居させられた形になるのだが、
その目的のために家を改築したと入居時に聞いていたし、
私もそろそろ環境を変えようかなと思っていたところだったので、
さしてショックでも迷惑でもなかった。
しかし大家さんはご夫婦揃ってある雨の夜、私の玄関先で、本当に言いづらそうに、
申し訳なさそうに「あくまで相談なのですが」と話し、私が即答で承諾すると、
ホッと胸をなでおろしていた。
最後の2カ月分の家賃をタダにしてくれたうえ、敷金は全額返金、恐縮したのはこっちのほうだ。

電話の返答に、ややムリがある響きがあったのが気になったが、ともあれ、
駅前の喫茶店でお茶でもということになった。
「お久しぶりです、みなさんお元気ですか?」
と私が再び呑気に社交辞令としてたずねると、
奥さんは「実は・・・3月に主人が亡くなったんです」と言い、目を潤ませた。
まだ65歳、肺がんと診断され半年で亡くなったという。
痛みに苦しみながらもまったく弱音をはかず、
最後の頃は緩和のためのモルヒネのパッチも断り、
幸せな人生だったと言葉を残して逝った。
彼の希望で、生前には兄弟にも知らせず、葬式は奥さんと息子さん夫婦で行い、
後日に近親者に知らせたという。
それには、彼の複雑な生い立ちが深く関わっており、
そうした話も奥さんは私に話してくれた。
晩婚の2人は結婚式も披露宴もしていないが、見かねた周囲の友人たちが
パーティーをセッティングしてくれた、と、その時の写真を見せてくれた。
「今こうして改めて見ると、彼、かなりハンサムだったんだなあって。
私、ものすごい嬉しそうにデレデレしちゃってるわね」と照れながら涙ぐむ奥さん。
そこに写っているご主人は、本当にいい男であり、
それから20年30年経って私が知っている彼も、その頃の面影のある、素敵な人だった。
自分の美学を持ち、知的で、他人を蔑まない謙虚な人だと私は感じていた。
「彼は私より年下なんだけれど、男女は平均寿命差があるから、
ちょうど同じ頃に死ねるよと結婚の時に言ってくれたのにね」
今は少しずつ遺品の整理をしているが、書き遺した原稿には手をつけられていないし、
骨は海にまいて欲しいと言われているが、まだその決心ができないという。
ふとした時に涙が流れてしまう、“時薬”はなかなか効かないものですね、と。

私は、自分でもびっくりするくらい、喫茶店で号泣してしまった。
しかし、私と元大家さんとの交流は、本当の意味での交流は、
今日、始まった気がする。



2012年11月18日日曜日

赤帽さん

友人H.Oが昨日、引っ越しをした。
私が今の家に引っ越す時、彼女は泊まりがけで手伝ってくれた。
なので、今度は私が助っ人に、
なんならざる蕎麦片手に積み上げ(フロマージュ号に乗って)、
岡本信人になって(あれは岡持ちか)届けるぞ、
と行く気満々だったが、
荷物がそんなにないから人手はいらんとのことで招集かからず。
お役に立てず、残念。
近々、渡辺篤史の建もの探訪をしたいと思っている。

実家で暮らしていた頃は引っ越しを経験したことはなかった。
一人暮らしで家を出た時からは計4回。
まあそんなに多いほうじゃないですよね。
葛飾北斎なんて93回引っ越したらしい、多い時は1日で3回とか。
どんだけ身軽なんだ、敷金礼金なぞもなかったんだろうねえ?

私も実家を出る時は、ほとんど荷物がなかったので、
友人で酒屋の娘であるM.Sの家の軽トラを借りた。
2回目もやはり業者には依頼せず、友人Y.Mに手伝ってもらった。
振り返ってみると、いつも友達に助けられ、安上がりに生きてきたのだねえ。
3回目はさすがに荷物が増えており素人ではキビシイため、赤帽に依頼した。
そして4回目は初めて引っ越し業者に依頼。
4回とも7〜8月だったため、私にとって、引っ越しはまさに汗だくのイメージだ。
1度ガス業者を呼ぶのを忘れ、水シャワーを浴びたことがある。
たとえ真夏で汗だくでも、水はかなりツライということを知りました。

4回目の引っ越し業者のお兄さんは3〜4人いたと思うが、うち2人は未成年だった。
今住んでいるマンションは外壁が真っ白で角がすべて丸くなっており、
おそらくは地中海のリゾートをイメージしたデザインなのだが、
彼らの一人が開口一番「へえ〜・・・なんつーか、カマクラみたいな家っすね」
鎌倉???・・・・ あっ、雪のカマクラね!!
彼は地中海の白い街並なんて知らないのだろう。
人は、自分が知っている世界の中から言葉を引き出すのだなあと改めて感じた。
しかし彼がそう言ったおかげで、私もこの家はもはや地中海ではなく
カマクラに見えてしまうのだった。あたしゃ、雪ん子か。

引っ越しではないのだが、赤帽の思い出がある。
最初に勤めた編集プロダクションで、
よく言えばインテリアのスタイリストもどき、実状はパシリの仕事をしていた。
例えば、撮影のたびに東急ハンズだのインテリアショップだのに借り出しにまわる。
ある時、赤帽に同乗し数店をまわり、家具などの大物をピックアップすることがあった。
昼時になると、赤帽のおじさんは「美味しい天丼の店があるんだよ」と
場所は覚えていないのだが、とにかく私を連れていってくれた。
初めて見る特大の海老がのった天丼。2000円近くしたような気がする。
それをおじさんはごちそうしてくれた。
当時の私にとっては、とんでもなく高級品だ。
そもそも本来ならばこちらが経費で昼を用意する立場ではないか。
しかし会社からはそこまで言われておらず、世間知らずの私はわかっていなかった。
あのおじさんの日当はいくらだったのか。1万円にもならないくらいでは?
2人で4000円の昼食代では、儲けは半分になってしまったのではないか。
今でもたまに思い出し、感謝の気持ちがこみあげるのだった。


2012年11月13日火曜日

I ♡ GIN TONIC

ジン・トニックが好きだ。
誰が何と言おうと、誰も何も言わないけど、好きなのだ。
苦甘い味&植物系の芳香&炭酸、なんと素晴らしい組み合わせ。
外で飲む時はいつもオーダーするし、家でもよく作る。

以前、取材でバーテンダーに美味しいジン・トニックの作り方を教わった。
ライムをグイグイしぼらないこと(イヤな苦味を出さないようにするため)、
ライム果汁とジン、氷をグラスに入れたら30回くらいグルグルかき混ぜて
一体化させた"タネ"を作り、これを溶きのばすように
トニックウォーターを注ぐこと、注ぐ時は氷にぶつけないように(炭酸が抜けるため)などなど。
すべての材料とグラスを冷やしておくのが理想だが、
家の冷蔵庫(冷凍庫も)にスピリッツを入れるゆとりがないので、
ジンだけは残念ながら常温だ。
あ、ついでの話だけど、我が家の場合、野菜室に醤油やみりん、酢等の
大瓶類を保存している。それだけで結構いっぱいになってしまい、
スピリッツどころか野菜を入れるスペースすら少なくて困っている。
みなさんのおうちではどのように保存しているのだろう?

さて、主役のジンであるが、私個人の好みというか
家で使っているのは「タンカレー」または「ボンベイ・サファイア」。
タンカレーは私にとってのスタンダード・ジン、
洗練されたバランスの良い味、と思う。たぶん。
ボンベイ・サファイアはジンの基本的な原材料のネズの実(ジュニパーベリー)の他に
レモンピールやコリアンダーなど多種の植物を使用しているので、
口に含むと複合的な香りが広がる個性派。
ジン・トニックにせず、そのまま飲んでも旨いタイプだが、
私はお酒に弱いのでダメなのだ。




最近新たにジンメンバーに加えたのが、
キングスバリー社の「ビクトリアンバット」。
これはネズの実の香りが強いが、荒々しいわけではなく、
樽熟によりうっすら琥珀色、トロミ感というかまろやかさがあっておもしろい。




まだ飲んだことがないけど飲みたいなあと思っているのは
「シップスミス」のドライ・ジン。タンカレーやボンベイ・サファイアが
750㎖で1000円台半ば、ビクトリアンバットがちょっと高くて
700㎖2980円くらいだが、シップスミスは約3500円と更にお高いのよねえ・・・。

http://www.sipsmith.com/


昔、スペインのメノルカ島に行った時、
中心地のマオンで造られているジンを飲んだ。
スペインでジンとは意外だが、イギリスの統治下にあった歴史による。
昔ながらの単式蒸留器を使い、穀物ではなくブドウベースで造られているらしい。
島では、ジンをレモネードで割った「ポマーダ」というドリンクが
定番でそれを飲んだので、ジン自体の味がどうだったかはわからない。
少量ながら日本にも入ってはいるようだが。

http://www.xoriguer.es/


そしてトニックウォーター。
まあ、比較的美味しいのはシュウェップスやウィルキンソンだが、
(とか言いながら安い&再栓できるカナダドライ買っちゃったりもするんだけど)
本来の成分キニーネは、薬事法に触れるということで
残念ながら国産品には含まれていない。
キニーネは、ペルー原産のキナという木の樹皮から抽出したエキス。
現地では解熱剤として使われており、
17世紀、スペインでマラリアの予防薬として注目され、
19世紀初頭、イギリスの植民地だったインドで、
キニーネを砂糖で甘くしたトニックウォーターが生み出され、
兵士たちが常飲していたという。
ドライ・ジンの主産地はイギリス、なのでジンと合わせてみたら、
あんれまあ、なんて旨いもんじゃろかこれは、となったわけですな。


2005年くらいから販売されヨーロッパで人気になっている
「フィーバーツリー」という製品がある。

http://www.fever-tree.com/


人工甘味料・香料・保存料は不使用、
アフリカ・コンゴの天然キニーネが使用されているという。
フィーバーツリーとは、キナの木の別名だ(熱病に効く木って感じでしょうね)。

飲んでみたいなあ、と思っていたら、
あれれっ? いつの間に日本でも売っているじゃないか。
今年7月から発売されているんだそうだ。
私としたことが、ぼんやりしておった。
ジン・トニック愛好家失格だ。
資格を剥奪されるかもしれないが、そんな資格は取ってなかったので助かった。






早速試飲。さぞやキニーネの苦味が強いのかと思いきや、
ほぅ〜、わりにやさしい味わいなのね。
細かい泡、上品な甘さで後味がしつこくない。
ナチュラルってこういうことなのねえ。
200㎖で195円とこれまたチトお高いので、ガブガブ飲むというわけにはいかない。
今日はきちんと丁寧にジン・トニックを作ろう〜っていう、
ご褒美な時にご登場いただくとしよう。